第12話・・・漣湊_B級vsF級_磔・・・
湊は四方八方から襲いくるワイヤーを何とか躱していた。
全てのワイヤーを捌く必要はない。風とナイフを利用して隙間を作り、そこに飛び込んでワイヤーの波から逃れればいい。
そうしてワイヤーを避けつつ自分へと接近する湊を美戸佳夕は映画鑑賞でもしていそうな興味深げな表情で見ている。
(あらあら、やるじゃない。…まだまだな加速法や防硬法…気量はやっぱりF級って感じだけど才能あるわ、この子。私の『無尽の鉄糸』、C級以下の相手なら最初の一手で押し切れば大体勝てるんだけど…この子相手だと戦略変えた方がいいかしらね)
湊は着実に近付いている。
美戸のワイヤーは、操作法という対象物を気で覆うことで操作する法技を使って操っている。だが操作法は自分の手足を動かすようにうまくは行かず、速さと制御の精度が数段階下がる。
美戸はその欠点を風で補助することで補っているのだ。
(つまり、このワイヤーは風の影響を受けやすい)
今はF級の湊の風でも、タイミングとポイントを見極めればワイヤーの動きを鈍くすることはできる。ナイフも加えて無理やり隙間をこじ開け、だんだんと美戸に接近する湊。
(…そろそろ、何か仕掛けてくるかな)
そう推測すると、案の定ワイヤーの動きが変わった。
「『鉄糸の球塊』!」
美戸の周囲を浮く何十本もあるワイヤーが収束し、針金を絡まらせたような、湊と同じくらいの大きさの球体が五つほど出来上がる。
強化されたワイヤーと圧縮した空気を混合させた球体。今の湊がくらったら一たまりもない。
「できるだけ痛くしないようにするから、許してね」
美しくウィンクしてくる美戸。
直後、ワイヤーの球体三個が湊へと向かってくる。
(速い…一塊にしている分、スピードとコントロールの精度が上がってるのか…)
湊は壁まで走り、ワイヤーの球体が真後ろまで迫ったのを察知してから壁に足を付いて光の反射のように直角に跳ぶ。ゴロゴロと転がって全身を打ちながら何とか回避する。球体は壁を抉り、湊への追走はない…が、他の球体二個が一斉に湊へと飛んできていた。
(後ろはシャッターで完全に行き止まりだから、折角前に進んだのにさがりたくはないな…)
まずはあの球体を何とかしよう。
そう思い、湊は二本のナイフを二個の球体に向かって投げた。
美戸は小さく笑った。
湊が投げたナイフは纏ってる気は『鉄糸の球塊』とは比べられるほどでもなく、悪あがきご苦労様と優しい気持ちになる。
そして次の瞬間、湊はナイフが球体に当たる直前に、更に二本のナイフを投げた。
また悪あがきかしら、と美戸は薄目になる。
しかし、湊に当たる寸前で『鉄糸の球塊』が炎に包まれたことによって目を見開かされた。
「え…!?」
炎が弾け、ワイヤーが焼け、士器としての機能が失われたのが美戸には分かった。鉄が焼けた時の異臭が拡散する。
(何が起こった…の?)
ワイヤーが使い物にならなくなったことよりも、炎がどこから湧いて出たかの方が疑問だった。間違いなくこの事態を巻き起こした湊に強敵に向ける時と同じ油断のない目を向ける。
湊は近くで軽い炎が弾けた為に吹き飛ばされ、転がりながら態勢をあまり崩さずに立ち上がったところだ。
(やば…気使い過ぎた…リミッター付けた状態だとマジきつい…)
もう底が見え始めている湊に、美戸は本気の目付きで訊ねた。
「…貴方、今何をしたの?」
口元を押さえながら、湊は無理してニヤリと笑みを作る。
「……ちょっと火花を散らせただけですよ」
言って、手元に2本のナイフをカツンと合わせて火花を散らせる。
それだけの説明で美戸が納得するはずもない。少しでも休みたい湊は説明を続けた。
「酸素濃度が高い場所で火を起こせば自然と肥大化するという寸法です」
美戸の目がまた見開く。
…原理は理解できた。酸素は火を盛んにさせる。それを利用したということだろう。
「……でも、そんなうまく行くわけがないでしょ…」
それだと火属性相手には全く歯が立たないことになってしまう。今まで火属性相手にこの技を使ったことは何度もあるが、このような結果になったことは一度もない。それは酸素どうこういう以前に『鉄糸の球塊』を纏う豪風が火をかき消しているからだ。
他にも何かやってるに違いない。
湊は苦笑した。
「そこは小細工に小細工を重ねただけです。俺も風属性なんで、火花を消えないように空気で包み込んでワイヤーの球体を纏う豪風に乗せたんですよ」
「乗せた…?」
「ええ。見た感じ球体は周りを豪風が囲み、中では強化した空気を詰め込んでるみたいだったので、豪風の流れを計算して火花を乗せれば球体の中に運んでくれると思ったんです。…俺の気かなり使ってやっとですけどね。火花もいつまでも後は濃度が高く、更に可燃性を強化された酸素と火花が反応してこうなったわけですよ」
美戸は息を呑み込んだ。
確かに周囲を囲む豪風と中に圧縮された空気は別の働きをしているが同じ士から生み出された空気であるので、繋がっている。理屈は通っているのだが……、
(計算…? この子の動体視力が優れてるのはさっきの攻防で分かってはいたけど…私の『鉄糸の球塊』の仕組みを見抜いたどころか風の流れを計算…!? 私本人ですら分からないぐらい激しく渦巻いていた風の流れを……!? そんなの…可能なの…!?)
しかも火花を包み込む技術もF級レベルで可能とはいえ高等技術だ。しかも二つの球体相手に同時に行った。
この技は一度も破られたことはない、と言ったら嘘になるが、こんな破られ方は初めてだ。
(そう何度も決まるとは思えないけど……これは解いた方がいいわね)
残る三つの『鉄糸の球塊』を解き、元の周囲に漂うような状態へと戻した。
「あれ? 戻しちゃうんですか?」
湊の悪意をあまり感じない笑みに余裕たっぷりの笑みで返す。
「貴方相手に結果を焦るのは危ないみたいだしね。…でも、その代わり」
美戸はポケットから全収納器を取り出し、蓋を外す。そこから湧き水にように現れたのは新たなワイヤーの束だった。焼かれて使い物にならなくなったワイヤーの倍近い量だ。
「数で押し切ることにするわ。さっきみたいに隙間を作ってもすぐに埋められるぐらいの量で、ね」
合理的だ。
凝った技を使えば湊に裏を掻かれる。
美戸は奢らず、湊の方が頭脳は上だと認めたのだ。
湊は心の中で称賛し、ナイフを両手に構える。
ワイヤーが一斉に襲い掛かってきた。蛇のようにうねり、しなるワイヤー。湊は先程と同じようにポイントを絞り、そこに風とナイフで隙間を作ってワイヤーの波から逃れる。
が、美戸は宣言した通り有り余るワイヤーを、回避直後の湊へと続けて向かわせる。
美戸はこれで決まる、という思いより今度はどんな手を使ってくるのか半ば楽しみにしている面もあった。が、その予想を裏切り、湊はF級レベルで発現できる強風を巻き起こした。
ワイヤーが吹き飛ばされる。湊の頭脳は認めたが、根本的な力量差は変わらない。その余裕が美戸に全力を出させず、精々C級並みの力しか出していなかった。湊はそこに付け込み、ワイヤーの軌道やら風の流れやらを計算して効率よく風を巻き起こしたのだろう。
息も切れ切れになりながらも、小悪魔的な笑みを浮かべる湊がこちらに接近してくる。
美戸から見て左斜め前方。そのまま直進してくるようなので自分の周囲左側にあるワイヤーと湊の後方にあるワイヤーを動かそうとしたら、いきなり湊が横へと跳んだ。
ワイヤーの少ない個所を通り、右斜め前方へと移動した。こちらがワイヤーを動かす前に移動してかく乱でも狙っているのか。
(無駄なこと)
神経を集中し、周囲右側のワイヤーを瞬時に動かす。湊の後方のワイヤーも動かし、風でスピードと威力を上げ、襲い掛からせる。しかし、またしても湊は強引に強風を巻き起こし、無理やりワイヤーの波から抜けた。
(打つ手無しってことかしら?)
湊が動きながらナイフを投げてくる。美戸は容易にワイヤーで弾く。湊は角度を変えてナイフを投げてくるが、一番近くのワイヤーで弾く。
(悪足掻きね…まあここまで戦えたことが十分凄いんだけど)
そろそろ決めましょう、そう思っていると、湊が動きを止めた。正面よりちょっと左側。両膝に手を付き、呼吸を整えている。容姿の良い少年がやると絵になるのね、と湊に対する好感度が少し上がった。
「どうしたの? もう終わり?」
湊は前髪をかき分けながら苦笑する。
「まあ、ね…。そろそろ限界ですし、終わらせようかなって」
「あら? 私を倒す算段が立ったの?」
「かもしれませんよ?」
「強がりね。もう限界じゃない。湊くん予想以上だったし顔も好みだし、今大人しく捕まってくれるなら、ちょっとサービスしてもいいけど?」
「魅力的な提案ですけど、遠慮します」
「あらそう。まあいいわ。すぐに捕まえて好き放題しちゃうからっ」
美戸は肩を竦めるが、瞳に宿る欲望の火は消えていない。
湊はニヤリと笑い、
「そうしたいんだったら、とっとと掛かってきたらどうです?」
人差し指でくいくいとかかってこいポーズを取る。
美戸は怒りなんて微塵も感じず、むしろ楽しさと欲に染められて高揚する。
「じゃあ、お望み通り」
心が昂りながらも、思考は働かせる。
(…また小細工で何とか切り抜けるんでしょうね。それでもいいわ。向こうがジリ貧になるだけだし)
美戸は湊に一番近い位置にあるワイヤーを数十本、風で勢いを増幅させて向かわせた。
その瞬間、湊が今まで以上に悪魔的な笑みを浮かべた。
次の瞬間、美戸の手足が左右に引っ張られ、窒息死寸前まで首を絞めつけられた。
「!!?」
美戸の表情が一変した。
何が起こってる? いや、自分がどうなっているのかは分かる。感触で分かる。
今、自分は自分のワイヤーで両手首と両足首を縛られ、左右に広げられているのだ。そして自分の首を絞め付けているのもまた自分のワイヤー。自分は今、磔にされているような状態だ。
どうしてこんなことになっている。息が苦し過ぎて思考が働かない。
とにかく解かなければ。この状態はまずい。このままでは確実に死ぬ。しかし。
気が付けば、漣湊が目の前まで迫っていた。
普段の美戸なら反射的に防硬法を発動できた。しかし、今の美戸は頭に血が回らない所為で湊を前にしても反応ができない。
湊は、容赦なくナイフを振り下ろした。
胸から腹に掛けて熱い感触。湊は返り血を浴びない立ち位置でその場で倒れていく美戸を見下ろしていた。
どさり、と美戸が仰向けに倒れる。全身から力が抜けるに従ってワイヤーの力が抜けていく。しかしワイヤーは解きにくいもので、手足と首を絞め付けるワイヤーは依然絞め付けたままだ。
ワイヤーを引っ張って磔する力はなくなっているので、美戸は朦朧とする意識の中片手を動かして首のワイヤーを無理やり切る。手入れを欠かしたことのない自慢の白い肌の皮膚が爪の間に残るが気にしてられない。
出血量が多過ぎる。意識があやふや。もう自分は戦えない。
「大丈夫ですかー?」
自分をこんな目に合わせた張本人がすぐ横で屈み、顔を覗き込んでくる。しかし、怒りや憎悪、悔しさといった感情はなく、ただ今自分の頭を占めている感情をぶつける。
「…何…を……した…の…?」
(んー、応える義理はないけど、この人のことを物色する間くらいならいいか)
そう思いつつ、湊は美戸の服やズボンからカードキーや士器を抜き取り、軽く止血しながら応えてあげた。
「簡単に言えばピタゴラスイッチですよ。ワイヤーオンリーの。…さすがにあれだけの量のワイヤーを完全に把握仕切れるとは思えませんでしたからね。俺自身が動いたりナイフ投げたりしてワイヤーの位置を調節して、美戸さんをさっきみたいに磔にできるようにしたんです。変に絡まらせたりしたらさすがに気付かれると思いましたから、できるだけさり気なく、ね。…でまあ、最後に美戸さんにワイヤーを予想通りに動かしてもらい、ピタゴラスイッチ的にワイヤーの動きを連鎖させて、こうなったわけです。ワイヤーの量が多かったから支点にも困らなかったですし、美戸さんがずっと同じ場所にいてくれたのも幸いでした」
……あっさりと説明され、美戸はボロボロの身体で力なく笑った。
言いたいことは分かった。ワイヤーオンリーのピタゴラスイッチ。
しかし、そんなの一朝一夕でできるはずがない。ましてや数分の間になんて、不可能だ。
湊は言外に、こう言っている。
美戸と交戦し始めてからこの策を思考。周囲を漂う何十本何十メートルもあるワイヤーの中からピタゴラに使うワイヤーを選択し、見分けが付かないワイヤーを常に把握。美戸のコントロール時のパターンを計算して、ナイフや自身の動作でワイヤーの位置を調節。ピタゴラに使うワイヤーだけ調節しても難しい。ピタゴラに邪魔なワイヤーもしっかり避けさせていたに違いない。
最後は美戸自身の力で美戸を磔にして、首を絞めた。
なんなの…この子……ッ。
「じゃ、そろそろ行くね」
そう言いながら湊がナイフの柄を美戸の額に落とした。
■ ■ ■
湊は美戸の持っていた回復用水薬を飲みながら、立ち上がる。水薬には色々とあり、湊が飲んでいるのは強化をベースにした身体回復の水薬だ。
足元で気絶した美戸にわざとらしく一礼してからその場を去った。




