第7話・・・紫音_決死_リルー・・・
「アハハ! ねえどうしたの! さっきまでの勢いが全然ないじゃない!」
「くッ…!」
デパート4階で繰り広げられる紫音とリルーのバトルは、一方的なものとなっていた。
リルーがナイフによる連撃を浴びせ、紫音がレイピアで捌く。全てを捌くことはできず、紫音の腕や胴体の柔肌が所々服ごと裂かれている。
壁に追い込まれたら隙を突いてリルーの背後に逃げ込み、再び壁に追い込まれたら再び隙を突いてリルーの背後に逃げ込む。それの繰り返し。だがその背後に逃げ込むのをリルーは本気で止めていない。
(完全に…遊ばれてる……!)
『御十家』として訓練は受けていても、大人と子供。その差は大きい。
「ほらほら! 躱さないと死んじゃうわよ!」
リルーは両手のナイフの刃の雷を伸ばし、リーチを刀並みに増やす。
そしてその手をクロスにして、X状態でナイフを振り下ろしてきた。
(後ろに退がっても間合いの範囲っ……それなら!)
紫音は正面を向いたまま加速法で後方へ跳び、レイピア水平にして先端部分を左手で添えた。
「陽光源!」
瞬間、ピカッとレイピアが眩い光を放った。
「ッ」
陽光源。
閃光を放出する雷属性特有の技。いわゆる目晦まし。
5つの属性はそれぞれに類した力を応用して引き出すことができる。例えば、雷なら「光」、水なら「氷」、風なら「真空」と言った具合に。
士のレベルによって引き出せる力も変わってくる。
(その歳で応用技を習得してるとか、やるじゃない)
リルーは咄嗟に目を瞑りながら、手をクロスの状態で顔を覆っている。敵を前にしてこれは些か不用心と思えるが、そうとも限らない。
(探知法)
瞬間、リルーは視界真っ暗の状態にも関わらず、紫音の動きの把握を可能にした。
紫音は光を放ったまま後方へ跳んでいるのが気の反応で分かる。
(一旦離れてから助走をつけてまた後ろに回り込むつもりかしら? 陽光源は自分の視界も閉ざすから、彼女も私と同じように探知法を使用しているはず。……なら、)
リルーは歪んだ笑みを浮かべ、20本以上のナイフを具象。それらを全方位に向けて投げつけた。
今回のナイフは最初投げつけた時よりも気を注ぎ、威力は別格だ。レイピアの硬度、強度と協調した雷でも、紫音のレベルでは簡単に防げるようなものではない。
(逃げ場はないわッ。どうする!?)
歪んだ笑みでの問いに答えるように、紫音はリルーの予想に反した動きを示した。
紫音は後ろに跳んだまま床に足を付かず、壁に足を付いたのだ。すると全身に雷を纏い、そのまま反射するように壁を踏んで突っ込んでくるのが分かった。
そのスピードは尋常でない。
「ッ!?」
リルーが驚いている間に紫音の進路を飛ぶナイフが、紫音の体を纏う雷に容易く弾かれる。
そして、紫音の未だ眩い光を放つレイピアを食らってしまった。リルーは咄嗟に躱そう身を捻り、結果肩口に少し深い切り傷を負ってしまう。血が飛び散り、リルーの表情が別の意味で歪んだ。
紫音はそのままリルーの後方へと周り、距離を取って息を整える。
レイピアの光は既に消え、徐々に視界が戻っていく。
紫音とリルーが再び対峙した。
「やればできるじゃない」
リルーは素直に称賛した。
その間、敵の前で無造作にハンカチを取り出し止血するという隙を作っているが、紫音は攻撃するつもりはなかった。
いや、できなかったという方が正しいかもしれない。
リルーの表情には余裕が戻っていた。恐れなど見当たらない。
「今のは跳弾法よね」
跳弾法。
気の一定体積内の密度を所々操作することでゴムのような伸縮率を再現する中法技。
「加速法で後ろに跳び、その勢いを利用して跳弾法と加速法の併用で、B級上位並みのスピードを一時的に引き出した。…そして自分の周囲にレイピアの硬度と協調した雷を集中させ、多少の傷は覚悟で一点突破。度胸は認めてあげるけど……、」
リルーは紫音の状態を上から下まで眺める。
息は切れ気味、汗も経過時間に比べると多め。
「限界とまでは行かずとも、半分の気は出し尽くした感じね」
「……ッ」
「無理もないわ。跳弾法は中級の中でも上位の法技。C級並みの貴方がそこまで鍛え上げてるのには驚いたけど、気の消費量も半端じゃない。…それにB級以上のスピードを出すとなると、貴方の体にも相当な負荷が掛かってるはず。短期決着を狙ったのは良いけど、リスクが大きすぎる。私はあまりお勧めしないわ」
(完全に……見破られてる…)
「……どうせ、私を嬲る時間が無くなってしまうとか、そんな理由なのでしょう」
紫音の苦し紛れで不適な発言に、リルーは失笑してしまう。
「ふふ、そうね。…無意識にそう思っちゃったかもしれないわね」
リルーは両手にナイフを具象し、目を細める。
「それじゃ、末永く嬲る為、貴方には無駄な力を使わせないよう一方的に攻撃するわ!」
叫び、気を纏ったリルーが一歩踏み出す。
(来るッ!)
紫音は前方への警戒を全開にした。
「どっちを見てるのかしら?」
だから、背後から聞こえたその声に反応するのが数舜遅れてしまった。
「なッ…」
カキン、と金属音が響く。
紫音は反射的に体を横半回転させ、リルーの刃を受け止めたのだ。
鍔迫り合いにより火花が散る。
(速い…ッ! さっきまでとは段違い…!)
「私みたいなリーチや破壊力の足りない武器を持つ士は他の技術で埋めるのが必然。言っとくけど、スピードはかなり自信あるわよ」
リルーがもう片方の手に持つナイフを下から突き上げる。紫音は鍔迫り合い中のナイフを強引に弾き、もう片方のナイフも直接弾きながら後退する。
「さっきからほとんど逃げてばっかね」
リルーの嘲笑が紫音の心を引っ掻くが、それで焦って突撃したりしては愚行だ。先ほどリルーがいったように、紫音の気量はもう半分以上減っている。だからこそ慎重に行かなければならない。
しかし、紫音は前へ出た。
レイピアの切っ先をリルーへ向け、突き出したのだ。
リルーから紫音の表情は桃色の前髪に隠れて見えないが、下唇を噛んでいることから焦りが読み取れる。
顔面に迫るレイピアによる突きを、リルーは首を傾けて容易に躱す。雷を放電でもさせるかもしれないが、紫音と自分の気差、レイピアとの協調率を考えれば防硬法で十分防げる。
紫音のレイピアはリルーに当たることなく顔の横を素通りしていく。
リルーは流れるような動作で、至近距離からナイフを突き刺した。
だが、そのナイフが紫音に届くよりも早く、リルーを激痛が襲った。
「かッ…!?」
(背中……!?)
リルーは背中に激痛を感じ、反射的に紫音から距離を取る。今は自分の方が壁に近い状態だったので、紫音の横をすり抜けて。紫音は逃がすまいとレイピアを振ったが、リルーのスピードの方が上だった。
紫音が追撃しようとリルーに迫るが、リルーは紫音の目の前にナイフを投げ、それを弾かれている間にが構えを整える。そうすることで紫音に迂闊に近付けさせなかった。
互いに息を切らせながらまたも対峙する2人。
リルーが感心と恨みを込めた笑みを浮かべた。
「今……そのレイピア、曲げたわね…?」
「さすがに気付きますよね。…振り込みという、刃をしならせ、正面から相手の背面を攻撃する技術です」
リルーが憎たらし気に、それでも楽しそうに返す。
「聞いたことがあるわ。…改界爆発以前の時代でも五輪の代表選手が使っていたほどに有名な高等技術だったわね」
「ええ」
肯定する紫音は、リルーは冷静さを取り戻した目付きで見据える。
(なるほど。私が警戒していたのはあくまでレイピアと中途半端に協調した雷。私の防硬法でその雷は防げても、レイピアその物は防げなかった、か)
「挑発に乗った振りして強かなことやってくれるじゃない」
「一点集中。四月朔日家のお家芸ですので」
対する紫音は、無駄な言葉を交わしながらも状況を分析していた。
(振り込みはしっかり決まった。でも、傷をつけた瞬間に雷を流し込んだはずなのに思ったより麻痺した様子はない…やはり同じ雷属性で気量も上の相手ではそれほどの効果は見込めないですか…)
B級とC級との差を痛感させられる。
それにリルーはまだ本気を出していない。
自分が勝つ為の絶対条件はリルーが本気を出す前に隙を突くことだ。
「…いいわ。もっとちゃんと、一方的に蹂躙してあげる」
紫音の思考をぶった切る声がリルーの口から聞こえた。
リルーは両手にナイフを多く具象し、投げた。だが紫音に向かってではなく、周囲。トイレの壁や天井に突き刺すよう投げたのだ。
紫音は対処する間もなくその光景を眺めるだけしかできない。
リルーはお構いなしに歪んだ笑みを浮かべ、
「『陽光領域』」
瞬間、ピカッとリルーが投じたナイフが眩い光を放った。
トイレ内が光に染まり、紫音は目を開けることすらできなくなる。
(これは…! 陽光源の応用技…ですか!? それも私のように一瞬ではなく継続的に…!)
紫音が使った陽光源とは別格。
元々「光」を使うこと自体レベルも気消費量も高い技術だ。
それを継続的に。多数のナイフから放つとなると相当なテクニックを要する。
(しかも……)
紫音が心の中で呟くと、二の腕に痛みが走った。
「くっ…」
斬られたのだ。
「あらあら、だいじょうぶ~?」
どこからともなくリルーの声が聞こえてくる。
(やっぱり…絶気法を使っていますね…)
絶気法、
気の放出を最小限にまで抑え、常時大気を流れる気に己を紛れ込ませる法技。必要な時、一瞬しか多量の気を放出しないので、探知法でも探知は難しい。
(陽光源は自分の目も晦ましてしまう技…。おそらくサングラスか何かを具象して私の居場所を完全に把握しているのですね)
具象する際、己の気の体積よりも大きい物を具象することはできない。
リルーはナイフやサングラスなど、小さく単純なものを具象しているため、性格とは裏腹に慎重派ともいえる。
そして具象した物体は気が元とはいえ完全に変化して別物体となっているため、探知されない。
改めて敵の恐ろしさを知った紫音。
そんなことを考えている間も、リルーのナイフが紫音の体に切り傷を与えていく。その気になればとどめを刺せるのに。
(このままじわじわと一方的に嬲り殺すつもりですか…)
背中、膝、脇腹、手の甲。
体の至るところに切り傷が刻まれていく。
斬られた箇所近くをレイピアで振るが手応え無し。移動してもその行く先に先回りされる。
(どう……すれば…)
そこで態度に出さず意識だけで頭を振った。
泣き言を言っても意味はない。
『いいですか、紫音。例え相手との実力差が明白でも、こちらに敵意があればそれは戦闘です。こちらに敵意がなくなり、戦意喪失することで戦闘は形を亡くし、一方的な蹂躙となるのです。それを忘れないでください』
■ ■ ■
しゃれたサングラスをかけるポニーテールの女性、リルーは苦痛に歪む紫音の表情を前に恍惚とした表情を浮かべている。
紫音の血液が付着したナイフの刃をペロリと舐め、今度は紫音のふくらはぎを切る。
「ぐっ…!」
「ああぁん、いいわぁ」
リルーの声に紫音が反応し、体を向けるがそこにリルーはもういない。紫音の背後に回り、その無防備な背中にナイフを振り下ろす。ちょうどさっきの切り傷とクロスする形で。
「がッ……!」
「もっと聞かせてちょうだい! 貴方の声! もっともっとぉ!」
リルーは更に傷を刻んでいく。その度紫音の口から洩れる苦渋の声がリルーを昂らせる。声で位置がばれても大丈夫なように位置は常に変えるのを忘れない。加速法をその際使用するが、それはほんの一瞬。探知法を使っても一瞬では正確な場所は分からない。
立ちすくむ傷だらけの紫音を見据え、リルーは目に蕩けるような色彩を浮かべて斬り込む。
「うるさいです」
グサリ。
「………え」
だが、リルーの動きは止まった。止められた。
ゆっくりと、震える目を動かして自分の腹部を見下ろす。
そこには、腹を貫くレイピアという、あり得ない光景が広がっていた。
「なん……」
「『雷壊鳴』」
「アアアアアアアアアアアァァァァァァァッッ!」
腹を貫通したまま体内から雷撃を食らい、リルーが絶叫して苦しむ。集中力が切れ、陽光領域も光を失い解けてしまう。具象していたサングラス、ナイフも手に一本残して全て消える。
リルーは無理矢理後退してレイピアを抜く。思いのほかあっさり抜けたのは、紫音の方も体力が限界だからだろう。リルーも倒れまいとナイフを壁に突き立て、自分を支えた。
腹部からはだらだらと血を流し、全身が痺れて言うことを聞かない。
リルーは紫音を睨みつけながら、辛うじて動く口を開いた。
「あな、た………何をやった……の…!?」
「大したことはしてませんよ…。ただ貴方の嗜虐趣味の隙を突かせてもらっただけです」
「隙…?」
リルーは先ほどの状況を顧みる。
(この娘、特に規則性のない攻撃にも関わらず私の居場所が分かっていたように…。なぜ? 私が攻撃する一瞬に纏った気を探知した? いや、あれは反射というより予め分かっていたような刺突だった…)
「一体どうやって……」
「気の反応が無ければ作ってしまえばいいのです」
紫音は僅かな力を振り絞って歩み、リルーの首筋に切っ先を触れさせる。
「貴方が楽しそうに私を時間を掛けて斬ってくれたおかげで、仕掛ける時間は十分ありました」
「……?」
首を傾げるリルーに、紫音はしたり顔で告げた。
「私が探知したのは貴方の気ではありません。自分の気ですよ」
「…は、はあ……? 何を言って……………!!」
乱れた髪を揺らしてリルーの目が見開かれる。
そして己のナイフ、全身へと目線を移した。その視界を一番支配している色は赤。
血だ。
「気付いたようですね。さすがです。……本来、血に気は通ってませんので、探知なんて不可能です。…ですから、私の「血」と「気」を協調しました」
「……」
(そういうこと…ッ。他物質同士を協調するのは一朝一夕ではできない…しかも気は協調「させる」ためのパイプであって気そのものを協調「する」のには複雑な操作が必要なはず。私に斬られながら、そんな操作をこの土壇場で…)
「才能ってやつかしらね…」
リルーは痛みを堪えながら苦笑を浮かべる。
「自分より弱い相手に向かって恥ずかしくないのですか?」
「口の減らない子ね」
余裕の態度を見せるリルーだが、首元にはレイピア、腹部には風穴、全身には痺れ。
これっぽっちも余裕なんて無い。
(雷壊鳴がレイピアと協調していなかったから、全身を刃物が駆け巡った、なんて悲劇は起こらなかったのが救いかしら)
紫音が甘いとい可能性もあるが、それ以上に技量と気量の問題だろう。
血と気を協調した状態で、雷とレイピアの協調はさすがに無理だったようだ。
だがそれでも紫音の余裕は崩れない。追い詰めるには十分。
絶気法を多用する所為で防硬法が薄くなるという弱点も見事に突いて形勢逆転を果たした。
「動かずに結界を解いてください」
「嫌だと言ったら?」
「実力行使で解かせて頂きます」
結界法を解く方法の1つは使用者を生死問わず意識を刈り取ること。
「でも、貴方にそれほどの力が残ってるの?」
リルーは腹部を押さえていた血まみれの手で、レイピアを掴む。ビリビリと互いの雷が弾ける。
2人の表情に影が生まれ、最終局面であることを物語っている。
「……」
「私だってもう戦えないわけじゃない。貴方も満身創痍。ちょっと奇襲が成功したからって良い気に乗らないことね」
紫音は多少なりとも怯んだ。
死線を乗り越えた数は段違い。その差が精神面で如実に表れている。
(まあ、さすがにきついから)
リルーはその一瞬の怯みを見逃さず、レイピアを掴んだ状態で痛みを気にせず振った。雷を一瞬肥大化してその怯みを広げる。そうして紫音の態勢を一瞬崩し、気を振り絞って加速法を発動。結界を解いて紫音の背後の窓に体ごと突っ込んだ。空中にリルーの体が放り投げられる。
(逃げるけどね)
紫音はリルーが突っ込んだ窓に一歩遅れて辿り着き、窓から覗くが、リルーの姿はない。
デパートにまだいるとは考えにくい。近くの建物の影のような人気のない場所に絶気法で大人しくなられたら見付けるのは困難。こちらが見つけるより早く『玄牙』の下っ端共が回収するだろう。
紫音は1人でいるのは危険と判断し、女子トイレを出た。
■ ■ ■
「やるじゃん。紫音」
軽いステップを踏みながら、愛衣は静かに微笑んだ。