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 暴力的にするつもりなど、勿論なかった。

 だが走り去ろうとする女を、飛び付くように引き止めたせいで、ふたりはもみくちゃに地面に倒れこむ。

 それでもなお逃げようとする。私はいよいよ乱暴に、女を押さえ込んだ。


 街がざわつく。狼藉者はどう見ても私。だがそんなことはどうでもよかった。


「なぜ逃げるの!」

「ごめんなさい、勘弁してちょうだい」

 女はまるで幼女のように悲鳴をあげた。

「なにが、どうしたって?あなたはビルさん、アリーのママよね?私はあなたの子を預かって-」

「違うわ、わたしは、ビルなんて名前じゃない!」


 彼女が叫んだとき、少年が駆け寄ってきた。ライトブラウンの癖ッ毛が愛らしい。

確かアリーの弟の……


「おばちゃん、ママをいじめるな!」

「ああ、サム、リトルタイガー。可愛い子。お願いします、子供の前でひどいことをしないで」

「……子供……アリーは?アリーだって……あなたの子供じゃないの」

「違うわ」

 女は言った。強い瞳だった。


「わたしの子はリトルタイガーひとり、あれは、“コドモ”ですらないのよ」


 私はあまりの言葉に呆然とした。その隙に、少年は母を引き上げ、ふたりは走り去った。

 わが娘への未練など微塵も感じられなかった。


 私は、また、その背中を見送ってしまったのだ。


 三十メートルの道を、ゆっくりと、歩いてもどった。足を捻ったようだ。半ば引きずるように、車へと戻る。

 白いワゴンはそのまま停まっていた。

 助手席には、やはり裸足を投げ出したアリー。

 ただ、その眼差しはくつろいだものではなかった。


 親に捨てられて打ち拉がれた瞳ではない。まして誰も憎んでなどいない。

 なにか、家に入り込んでいた見慣れた虫でも摘むような……


「アリー」

 予感じみたものは、あった。

 ビル一家はあまりに不自然だった。なにより、アリーはやはりおかしかった。

 なにもかもがおかしすぎて、違和感に気付かなかった。違和感がないことこそおかしいと気付くべきだった。


「おかえり」

『アリー』は言った。

「あなたは誰?」

 私は追及した。



 路駐にクラクションを鳴らされ、私はアリーを載せたまま走り始めた。

 行き先は見失っていた。とにかくそのまま走った。

 しばらく無言。横目で見たアリーは、ひどく大人びていた……ふた月前から、どれだけ背が伸びたのだというのか。もう第一印象の10歳になどまったく見えない。


「あのひとたちは、なに……?」

 やっと、擦れた声で聞く。アリーはこともなげに即答した。

「ひとさらい」

「誘拐……されてたの?」

「んと、ちょっと違うかな。まぁ街で攫われたのだけど、あたしもともと孤児だから、身請け人もいないし」

「あなた……いくつ?」

「15。チビでしょ。みんな間違える。あのひとたちも間違えたの。リトルタイガーはバースデーに姉が欲しいと言った。一緒にあそべる同じ年頃の。だから攫った。けど、あたしはもう、ヒーローロボットで遊ばない。かわりに高等数学を教えてやったら、その日のうちに旅が始まった」

「高校生……」

「飛び級で大学生。あんたより高学歴よ。おばちゃん」


 アリーの口調に、いままでとの違いはなかった。

 だから、私はなかなか理解することができなかった。

 だけど最後のことばで急速に理解した。

 やっと言葉に感情をのせられる。


「なにもかも嘘だったのね」


 アリーはにやりと笑った。


「あなたの……目的は何?」

「イタリアまで行きたい」

「……どうして?」

「なんだっていいじゃん。おばちゃんが家出したのと同じくらいどうでもいい理由」

「!私は、」

「ねぇ、イタリアに連れていって。でないとあなたを誘拐犯に仕立てるわ。窓を開けてヘルプと叫びましょうか」

「……」

「お願いよ。おねえさん」

 私はやや乱暴に左折した。

 西に向かう道だ。


「おねえさんはもうやめて、虫酸がはしるから」

 アリーはすぐにすべてを理解した。

 邪悪な笑みを消し、穏やかな表情になる。それは10歳の少女とも、ひとを貶める妖女とも違う、知的な少女の微笑み。

「ありがとう。またしばらくよろしくね、おばちゃん」


 そして……アリーとの新しい旅がはじまった。



 道中は、意外にもこれまでと大差がなかった。

 私は、初めは強く当たろうとした。車中泊に、居候は野宿しろと追い出した。支払いは締めた。子供のかわりにやってあげてた買い出しや雑務も、オトナなんだから自分でやれと投げ付ける。

 アリーはそこで泣くような可愛げなど、もちろん持っていなかった。驚くほど現金を持っていたし、むしろこれまでが退屈だったと言わんばかりに、キャンプの支度も店での支払いも、しまいには異国の露店商との物々交換まで交渉してしまう。

 車内でインク切れしてた日本製のボールペンで、山羊の丸焼きを手に入れてきたのにはうっかり爆笑してしまった。

 その報奨に、その夜は車中泊を許した。

 それが何故か、十日たった今夜もそばにいる。

 支払いもゆるんだ。ときにはアリーが私のぶんも買ってくるのだから、返さないわけにいかない。

 マクドナルドのドライブスルーでジュースを買う。アリーの好きなフレーバー。礼も言わないアリー。求めない私。

 その代わりに、奴が私のコーヒーにストローをさし渡してくれたとて、私だって、礼なんか言わないのだ。


 夏はとっくに過ぎ、秋も終わろうとしていた。

 イタリアが近づいていた。

 日々憂うつになる私に、アリーは爪を切りながら。

「おばちゃんさ、そんなに家に帰りたくないわけ」

「そりゃね……」

「彼氏、その家でまだいるんでしょ」

 私は苦笑した。そこまで言った覚えはないんだけどなぁ。

「お互いが嫌いになって別れたのよ。飛び出して二年近く放置したんだから、とっくに部屋を引き払ってるか、新しい女がいるんじゃないかしら」

「そーかな。あたしにはわかんないけど」

「またコドモぶって、わざとらしい――」

「だって、嫌になるだけ一緒に居たんでしょ。いろんなことを、嫌になるまで一緒にやってきたんでしょ」

 手が、ふるえた。


「あたしにはわかんないからな――そんなに長く人と一緒にいたことがないもの」


 イタリアの国境は目の前だった。

次回で最終回。

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