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とある先輩の話

作者: 04号 専用機

「ハッピーハロウィン」

「……は?」

 目の前の女性は冷たい目で私を見つめた。

 女性の目の前には安物のシュークリームが置かれている。単価にして110円。無論、私が今しがた買ってきたものだ。

「……なんのつもりですか」女性は覚めた声でそう言った。

 私は言う。「いや、最近ちょっとね」

 女性の冷たい目にすっかり萎縮して、私は弱気な口調で言った。「……仲直りしようと思いまして」

 態度とは裏腹に、どかりと席に腰掛ける。

「はぁ」女性はため息のように言った。「それはまた、どうして」

「いや、君と僕が仲が悪い、というのはどうにも……」女性が僕を睨む。「寂しくて」

「先輩が何を企んでいるかは知りませんけど。その手には乗りませんよ」

 シュークリームをばっちり頬張りながら彼女は言った。それを見た「乗ってるじゃんか」という言葉に、彼女は慌てて「シュークリームはもらいます」と弁明した。

 そりゃ、そうか。シュークリームと仲直りの話は別だよな。

 そう、独りでに納得する。

「例えばですね。今先輩が『シュークリームをあげる手』と『それを利用して仲直りする手』があるとします。片方には乗りますが、片方には乗りませんよ」

 シュークリームの納められていた袋を畳みながら、私の後輩は呆れたようにそういった。「だいたい、許してもらえると思ってるんですか」

 シュークリームを頬張る彼女を眺めながら、私は「それ自分が買ってきたんだけどなぁ」なんてことを思った。

 それから、「いや、許さないとかじゃなくて、君が相手取ってくれないからさ」と言う。「謝りようがないじゃない」

 すると女性は不機嫌そうな顔をする。どうやら相当腹を立てているようで、私の相手をしようとする心意気はとことんまで感じられなかった。

「だから、相手するのも嫌なんだって、分からないんですか」

「分かる。非常に興味深い。だからしつこい」

「なんなんですかあんたは……」

 女性は私に怪奇を見るような視線を向けた。

「自分の行動を、良く鑑みてくださいよ」

 私は少しばかり首を捻った。

 仕方がないので、原因を探るべく、記憶の渦に身を投じることにしよう。



 ことの始まりは数日……一週間は前になるか。

 単に部活中のことだ。

 引退して三年である私はしょっちゅう部活に顔を出していた。

 兼ねてより部内の雰囲気は悪かった。それは私たちが引退してからより顕著に現れていて、私はただなんとなく、その雰囲気が気に入らなかった。問題はたぶんそこにあるのだろう。

 その日の活動は無事に済ませた。たぶんそこも問題だった。

 今目の前にいる女性は部長を張り、私の後任を、まぁ無難にこなしていた。ただ無難すぎた。いつの間にか人間関係に亀裂が走っていたことに気がつかなかったのだ。

 要するに――まぁ、問題だらけだった。



「悪いと思ってるよ」

「何にですか」女性は聞いた。「何に対して?」

 私は落ち着き払って答える。

「言い過ぎたことかな」

 女性はまた不機嫌を剥き出しにした。

 それから「そういうところが気に入りません」と言って、私が買ったシュークリームをかじった。

 私は自分の缶コーヒーを開ける。

「いやだから、言い過ぎたことは謝るよ。それだけさ。それ以外のことを言われても」

 落ち着いた声でそう言うと、後輩である女性はひどく狼狽えたように見えた。

「本当にそれだけですか?」後輩は縋るように言った。「本当に?」

 畳み掛けるような言葉に、私は一瞬答えに詰まった。元々流暢に話せる方ではないせいか、私はすっかりどもってしまった。

「それだけ」

 かろうじて、絞り出すように声が出た。

 後輩は「ふーん」なんて興味なさげな声を出す。

 私とは違いその声は余裕というものに満ち満ちていた。

「あ、なんだよそれ」私はそれが癪に触って、「なんだよそれ」同じことを繰り返し言った。

「なんだよ、て、何がですか」

「何も後ろめたいことないの?」

「ありませんよ」

「なんで?」

「だって先輩、言ったじゃないですか。ちゃんとできてるって」

 ああなるほど、と思ったが、口には出さない。

 確かに言った。言ったなぁ。後悔が私のことをもみくちゃにする。

 なんてことをしたんだろう。過去の自分をなんとしても止めに入りたい。

「いやだから、言ったけど。そういう意味じゃなくて」そう言ったそばから、自分の言葉を見失った。どういう意味だろうか。

「どういう意味ですか」

「しゃんとしなよ」

「意味がわかりません」私も分からない。「説明してください」私が説明してほしいくらいだ。

「いや、だから、だね。僕はあの空気に文句を感じているんだよ。だから怒ったのであって」

「怒った?」

 女性はさもおかしそうに言った。

「怒った、ですか。あれが?」

 皮肉な笑みを浮かべながら、言う。

「あれはただの説教です」

「だから怒ったと」

「理不尽。先輩嫌いですよね、理不尽。でも大好きですよね」

「はぁ」

「先輩は理不尽な怒り方しますよね?」

 最後の言葉には、隠そうともしない刺が含まれていた。私は思わず首を引っ込める。

 女性はそれに味を占めたのか、黙り込む私に追い討ちをかけた。

「第一、先輩がそういうことに怒っても、改善のしようもありません。だから私はそのことに関して怒ってるわけではないですよ」

 てっきりそこに怒り心頭であると決めつけていた私には、その一言は深く突き刺さった。

「じゃあ何さ」さきほどのだんまりから一転。「何に怒ってるんだ」私は繰り返し問いかける。

 女性はまた深くため息をついた。

「今日はよくため息をつくね」

「誰のせいですか」ぴしゃり。

 彼女は実に苛立った様子でクリームを舐めた。

「どうして分からないんですか」

 ついにシュークリームを食べ終えながら、彼女はまた、ぴしゃり、と言った。

 今にも牙を剥きそうな様子で

「普段のあれは素のあなたですか」

 と言った。

 自分は自分が無知であることしか知らないが、たまにそれでも分からないことがある。

 はて、と私は頭を抱える。

「普段と言われても」それでも分からないものは分からない。「よく部活に顔を出すくらいか」

 まぁ、それに怒りを訴えられるなら、どうしようもないか。素直に頭を下げるしか――

「よく私に話しかけます」

「ああ」その通りだ。

 思わず聞き流しそうになったその言葉に、私は咄嗟の言葉を返す。

「それがどうかした?」

 目の前の女性――少女、は、思い切りのしかめ面を見せた。

 少女は何やらもごもご言った。聞かせるつもりはないようで、言葉はいつまで経っても音にはならない。口からも出ない。

 今度は私が苛立ちを覚える番だった。

「なんだよそれ」

 先ほどの彼女のように、私は嘴をつくる。

「なんだよそれ?」

 はっきり言えよ。その言葉をコーヒーと共に飲み込んで、私は少女の言葉を待った。

「それじゃあ、いつぞやの言葉をお返しします」

 女性は鼻で私のことを笑い飛ばしてから、息を吸った。

「興味本位で他人に首を突っ込まないでください」

「他人、の、人間関係に、首を、ね」

「それは」女性の頬は見る見る赤く染まっていく。「同じ意味ですから!」

 僕はそれを鼻で笑い飛ばした。

「まぁ確かにそうだ」その通り。「まさか返ってくるとは」愛おしき我が言葉。

 かなしいかな、それはまさしく自分の良心を攻め立てる言葉だった。汚点があるとするならそこだろうと。

 気付けば唾を飲み込んでいた。

 目の前の彼女は愉快そうに口角を上げた。

 それから歌うように言う。

「いくらでも、お返ししますよ」

 ひどいことを言う。僕も口角をあげた。

「だから普段の先輩を鑑みて」

 昼休みは短いのだ。そう長引かせるような余裕はない。



 普段から私は、彼女――件の後輩によくちょっかいを、もとい声をかけていた。

 むろん彼女が部長候補だったからである。

「今度どこか行こうよ」……訂正する。「二人でさ」彼女は私にとっての友だった。

 彼女にとって私がどうであったかは知らないが。

 それでも彼女は友であったから、私はよく声をかけた。孤立を避けるために。

 彼女の困り顔を見るのが私の密かな楽しみだった。これは後から聞いた話だが、そういう時の私は決まって意地悪い笑みを浮かべているらしい。

 どうやらそういう言動に、彼女は困惑を超え苛立ちを覚えるらしい。その感性実に興味深い。

「映画でも見た後でさ」

 彼女は困り顔を浮かべた。

 そこで私は追い討ちをかけるのだ。

「テスト終わって、君が僕より悪い点数だったら。君を映画に誘うから」

 彼女はそこでうつむいて頭を抱えると相場で決まっていた。

 ちなみにこれは部内問題が発覚するより前の話で――私はまさかこんなことになるとは思ってもいなかった。のだ。私にとっては至福の時間だった。

 それはそれとして、彼女は事前宣言に弱かった。

「覚悟しといて」

「はぁ……」

 そうすると、彼女は決まって力なく返事を返すのだ。



「検討はついたよ」

「じゃあ」

 彼女はパッと表情を和らげた。

「うん」映画に誘ったのは失策だったな。「変な誘い方してごめん」

「…………はぁ」

 彼女はなぜかため息をついた。

 それから暗い表情を見せる。

「そこじゃなくて」

「変な期待してごめん」

「は?」

「部長の任は重いだろ?」やはり彼女には時期尚早だったか。「だからごめん」

 そういえば、まだ誘いもしていなかったか。ただ「誘う予約」を入れただけだ――今となってはもう遅いが。

「……そうじゃなくて」

 これだ、と確信していた私を裏切ったのは彼女のほうだった。「そうじゃなくて」

 なぜか最初よりも頬を膨らせて、彼女は抑揚をつけていった。

「そうじゃ、なくて、もっと、他に、あるでしょ」いいリズム。「やり残しが」

 はて、と私はまた、首をかしげる。

 やり残したこと。「部活のこと?」

「まあ……そうですね」彼女はまるで教師のような口調で言った。「部活中のことです」

 はて困った。

 いよいよ心当たりがない。

「部活中かぁ」コーヒーを飲む。「ああ、夏休みに合宿、行き損ねた」

 女性は机を指でつつく。「そうじゃなくて」

 他のことらしい。

「もっと最近の!」

「ええぇ……?」

 バン。「なんで分からないの!?」机を叩く音が響いた。「分かるはずでしょ!」彼女らしくない。

「そんなこと言われても、ねえ」分からないものは仕方ない。

 仕方がないから、もう少し考えてみることにして、彼女の怒り具合を観察してみよう。

 小さな弁当箱を片付けながら、ぶつくさ文句を言う。ついでに箸を乱暴にしまって、鞄の中にまとめて、乱暴に放り投げる。

 外れた。

 あからさまな舌打ち。思わず嫌味な笑みが浮かんだ。

 まずいな。「外れた」こっちに矛が向く。

「期待通りですか」

 というより予想通り。

「期待通りですか」

 だから予想通り。

「私は期待はずれです」

 なんだって?

 私は一旦思案の沼から意識を汲み上げた。

 女性はなぜか、またため息をついた。「なので」本当に今日は、らしくない。「先輩の真似を」

「らしくない」

 彼女はもう一度机を叩く。噛み付かんほどの勢いだ。

「あなたのせいです」

 そうなの、と、聞きたい気持ちをぐっとこらえ。

 私は彼女の、「私の真似」とやらを静かに待った。楽しいことに、彼女の顔を見る見るうちに上気して、それから見る見る落ち着きがなくなって、私が見守る中、彼女はついに机に突っ伏した。

 私は笑いたいのをこらえた。

 彼女はどうやらそれを察して、「行きますよ」私のことを強く睨み付けた。

「来いよ」望むところだ。


 十分が経った。

 なるほど、私の特徴をよく捕らえた話し方だ。腹が立つくらい腹立たしい。

 十分というのは長い前置きのことだ。私もよくする。

 それから深く呼吸して、私の目をまっすぐに見た。――案外効く。

「トリックオアトリート。お菓子くれなきゃいたずらします」

 これは――

「お菓子持ってない」

「じゃあいたずらします」

 ――なるほど、一本とられた。

 待ち受けるは如何なるいたずらか。どんなものでも受けて立とう。

 僕は彼女の瞳を覗き込んだ。

 また、彼女は深く息を吸った。

「私を映画に誘ってください。優柔不断な先輩」


 私はポカンと口をあけた。


 目の前の女性は、顔を耳まで真っ赤に染めて。

 私も顔が熱くなる。

 あつい沈黙が二人を覆った。

「えーっと」喉が焼ける想いだ。「……え?」あとこれはいたずらではない。

 彼女はふいに目を逸らし、余所余所しく口笛を――鳴らせない。

 いっそ怒ったままのほうが良かったと思う。しかし彼女は――もう怒ってはいない。怒っているとしても、おそらく期待……返事への期待が勝っていることだろう。

 だからこそ困っているのは言うまでもない。

 喉が焼け付くように渇く。コーヒーの缶を傾けるが、まるで謀られたかのように中身は空になっていた。私は「えええ」なんて腑抜けた声を上げた。

「早く返事を」

 女性は小さな声で急かした。

 昼休みは長くない。

 私は理不尽が嫌いなのだ。

 興味本位で……首を突っ込んだつけか。

「返事……返事ね」

 それにしては、軽すぎる。

「オーケーだよもちろん」これくらい、朝飯前だ。

「じゃあ早く」後輩は顔を輝かせる。「早く誘って」

 言われずとも。

「あー……」

 なぜこんなことに、なったのか。

「遅ればせながら。僕と映画に行きませんか?」

 別に、こんなことくらい慣れっこだ。前にも一度この子を、祭りに、誘っているし。

 だからこれくらい簡単。

「一人の女性としての君を、誘いたい」

 ほんの少し照れ臭いだけだ。

 彼女は満面の笑みを浮かべた。

 そして不敵に「うふふ」と笑う。

 私が彼女の怒りを改めて認識したのはこの時だ。彼女が、ゆっくり口を開くのが、見えた。

 ことばが、ゆっくりきこえてくる。

 彼女は依然として、満面の笑みを浮かべている。

「お断りします!!」

 その言葉は、僕の心にぐっさりと突き刺さった。

 ブーメランと共に。

 力ない笑みを漏らす。「てっきり誘いを待ってるものと」

 すると彼女も力なく笑う。

 そうして、最初に言った言葉を、私にしかとかみ締めさせた。


「だいたい、許してもらえると思ってるんですか」


 予鈴が高く鳴り響いた。


―完―


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