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とある家系シリーズ

ある美しい夫婦の娘【前編】

作者: おやぶん

「『傾国の美少女』と『金色の王子様』」という作品の続きっぽいなにかです。二部作です。


深い深い森の奥に、その家は建っている。


頑丈そうな印象を受けるその木製の一軒家は、アンティーク調の装飾が固い印象を良い意味で崩してくれていた。家の中からは、常に明るい笑い声が聴こえてくる。その笑い声を聴いている動物達も、心なしか穏やかな表情だ。

普通とは言い難いが、人並みの平穏があるこの生活。壊れることは、絶対に無いと思っていた。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮


「お父様、お母様ッ!」


少女は泣きながら、必死に彼らに手を伸ばす。だが、その手は彼らに届く前に、無情にも空を切る。


「ハァ、…アイリス、お前は…ハァ、逃げろ!」

「そうよ、逃げ、…なさい…、」


両親はその美しい顔を苦しそうに歪め、しかし愛しい娘だけはここから逃そうと少女に訴えかける。そんな親に反抗して、少女はブンブンと首を横に振る。


「嫌だ!一緒にいる!」


涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになった顔を服の袖で強引に拭きながら、大声で叫んだ。


ーーどうして、私は逃げなきゃいけないの?どうして、私がお父様達を置いていけるの?


少女の本心の叫びは、言うことが出来なかった。何故なら、両親が目の前でナイフを自らの首に突き刺したからだ。

目の前に広がる、赤、赤、赤。

少女は突然広がる赤の凄まじさに、茫然自失となった。


「あ、い、りす…、お前は生きろ」


父親は大量の出血で、身体を痙攣(けいれん)させながら儚く美しい笑みを浮かべる。紡ぐ言葉は酷く弱々しい。母親は何の言葉も残さなかった。だが、父親と気持ちは同じなようで苦痛の表情を抑えて、娘を安心させるように、綺麗な笑みを見せた。

そして彼らは向かい合い、二人で微笑み合うと、お互いを抱くようにしてほぼ同時に床に倒れた。


「…、っいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


少女は絶叫しながら、既に事切れた両親の元へ駆け寄る。死してもなお、彼らは美しかった。穏やかな微笑みをたたえ、まるで眠っているかのよう。少女はそんな彼らの顔を見て、後を追おうとしていた手を止めた。

泣きながら、少女は考える。


お父様とお母様の最後の願いは、私に『生きてほしい』こと。ならば、今私に出来ることは、その願いを全うすることではないのかーー。


遠くから、人の叫び交う声が聞こえてくる。ここが見つかるのは、時間の問題だろう。少女は両親をきちんと寝かせ、側にあった布をそっと掛けた。

彼らを見つめる少女の顔に、もう涙はない。


「お父様、お母様。ありがとう…さようなら」


そういうと、非常用袋と唯一の形見である母親が愛用していた指輪を手にして窓から出ていった。


∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮


数年後。


ある国の王宮では、重大な事件が起こっていた。

後宮を占領し王妃を人質にとった、犯罪グループによる立て(こも)り事件。犯人達の要求は、巨額の身代金と捕らえられている仲間の釈放。拒否をすれば、即刻王妃を殺すとのことだ。

内政も軍隊もこの件には憔悴(しょうすい)しきっていた。なんせ、王妃を人質に捕られているので、安易に手が出せない。後宮を占領されてから、もうすぐで1日が経とうとしていた。


国王を初め、誰も一睡もしていない。そんな狂った状況で、犯人の仲間を釈放してしまおうかという声がちらほら(ささや)かれ始めた、そんな時。後宮の方から、幾人(いくにん)もの悲鳴が届いた。

逆賊め、遂に痺れを切らしたかと、慌てて軍を率いて後宮の前に現れた国王は、そこで不思議な光景を目にすることになる。


「…こ、れは…?」


その場にいる者全て、目の前の光景に目を疑った。

覆面をした全身黒ずくめの犯人達が一様に倒れているのだ。

立っているのは、二人だけ。

一人は怯えた表情で泣いている王妃。とりあえず、王は彼女が生きていることに安堵する。見るからに、特に大きな怪我も無いようだ。

そして、もう一人はフードを深く被った女性だ。彼女が犯人達を片付けたとでも言うのだろうか。

いささか信じがたい話だが、彼女が被るフードの白色に所々赤い血の花を咲かせているのが、彼女が犯人達を懲罰(ちょうばつ)したことを無言で物語っていた。

彼女から醸し出る雰因気を読むに、まだ相当若い歳ではないか。


国王が取り留めもなく考えを巡らせていると、国王の姿を見つけた王妃が一目散に走りよってきた。群衆の眼前だが、お構い無く国王は妻を優しく抱き止める。


「ダニエルっ……」


王妃の自分の名を呼ぶその声が、酷く弱々しい。監禁中余程怖い思いをしたのだろう。普段は気丈で滅多に泣かない彼女が、今は不様にも泣き顔を(さら)け出している。

目の端で、軍隊が犯人達を取り押さえているのが映る。……といっても、軍隊の仕事は既に意識の無い男達を捕らえるだけだっだが。


そんな状況下を場違いの様に、国王達の脇をスタスタと速足で去ってゆく少女がいた。目深く被ったフードからは、顔を拝むことは出来ない。だが、服の隙間から、少し癖のある金色の髪が時折見え隠れしている。

()して何も無かったかの様に去っていく彼女を、気付いた大臣が咄嗟に呼び止める。図らずも王国の救世主(メシア)となった彼女へ国を上げて礼をしなければ、国の面子(めんつ)が立たない。

なんせ彼女は、仮にも一国の中枢を占めた犯罪組織を、たった一人で、しかも短時間で壊滅させたのだから。


「おっ、お待ちください。いわば貴女様は王妃様を、いや、この国をお助け下さった恩人。どうか御礼をさせて頂きたい」


大臣の言葉に彼女は足を止めた。顔の前に向けたまま、彼女は口を開く。その声はぞくっとするほど、冷淡さを(はら)んでいた。


「…結構です。当たり前の事をしただけなので」


それだけ言うと、彼女は再び歩を進める。大臣から勧誘を拒否されて、これより先に呼び止められる者は国王しかいない。国王は大臣からの懇願にも似た目線を受けて、後宮を出んとする彼女に渋々声を掛けた。


「君」

「……まだ、何か」

「では、せめて服を洗っていかないか。その返り血では、町を歩くにも歩けない」

「……………………そうですね」


長い沈黙の後、彼女は小声だが先程よりは(やわ)な声色で了承した。彼女自身もこの服装のままでは不味いと感じたらしい。傍にいた女官に(うなが)され、嫌々といった体で彼女はフードを脱いだ。


「「…ッ!」」


フードの下から現れた彼女の顔を見て、その場にいた人間は絶句する。


少女は、あまりにも美しかった。

年齢はまだ16、7歳であろうか。少し癖のある黄金の髪と、仔猫を連想させる桃色が混じった黄金の瞳、色白でスッと通った鼻筋、桜色の小ぶりな唇。体つきは華奢だが、程よく筋肉が付いている。彼女が顔を隠すのは、その容姿のせいである事が誰にでもすぐに見当が付いた。その為か、彼女はやはり我々の態度に良い顔をしていなかった。


国王は何故かその顔に既視感を覚えた。


「コホン」


国王がわざとらしく咳をすると、周囲は我に返ったように動きを再開させる。それでも、大半は彼女をチラチラと見ては顔を赤くしている。

彼女は気まずそうに辺りを窺っていた。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



偶然一部始終を見ていた見ていた監察騎士に話を聞いてみると、何とも不明瞭な事の顛末(てんまつ)が見えてきた。


その騎士による少女像は、こうだ。

賊どもを遠目で監視していたところ、突然旅人らしき服装の少女が王宮の壁を跳び越えて後宮に入ってきた。その後、騎士達の制止を軽くあしらって単独で後宮に乗り込む。犯人達は当然、彼女に襲いかかる。彼女は腰に(たずさ)えた短剣を手慣れたように引き抜くと、一振りで3人斬った。一瞬の出来事に呆然とする犯人達を次々と斬り倒しては気絶させていった。国王が軍隊を召集していた1分ほどで、彼女の快進撃を前に犯人達の殆どは意識がなかった。最後に彼女は王妃に刃物を(あて)がう主犯格の男を瞬時に倒した。

そこでようやく国王らが到着したらしい。


そのひどく端的な報告に、国王は疑問をもった。

第一に、王宮の壁は人の侵入を(はばか)る目的で造られた。その壁を飛び越えることは、物理的に無理である。

第二に、犯人達も後宮を占領したからには、かなりの手練(てだ)れの筈だ。あの人数を一人で、それもあんな華奢な少女が相手するのは無理である。

その事を騎士に問うと、騎士は『他の奴等にも聞いてみてください、皆同じ事を言いますから』と真剣な顔で語った。


そこで、その騎士を従え、更に聞き回ってみると、言葉は違えど皆が皆同じ内容の話をした。彼女の剣は王宮剣術の型をしていたとの情報も上がる。なんだそれは。それならば、彼女は何処かの国の王族なのか。

異常な身体能力、怖いくらい整った容姿、王宮剣術を基にした剣の腕。

そして、その容姿はーーー。


そこに至って、国王の脳裏にある考えがよぎった。しかし即座に否定する。人に話すには、その仮説はあまりにも現実味が無さすぎていた。


結果として、国王の、突如現れたメシアへの疑問は深まるばかりだった。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



両親の死から数年が経ち、私ーーアイリスは17歳になっていた。


両親が自害をしたあの日、私は家を出た。初めて見る町の様子に戸惑ったが、元々護身術として父親から教えてもらっていた剣術が功を奏した。それで、私は今日まで警備や護身の仕事をして過ごす毎日を暮らしている。自分の容姿が生活の邪魔をしていることに気付いてからは、顔を隠すようにした。


どこにも定住せず、フラフラと隣国まで来てしまったのがいけなかったのか。はたまた、王都に来てしまったのが運の尽きか。私がこんな形で王宮に関与するのは、想定外だった。偶然通りかかったら王宮が占領されていると聞かされて、つい興味が沸いて侵入してしまったのだ。

逃げても良いが、洗ってくれているフードはお気に入りなので躊躇(ためら)われてしまう。


暇な私はバルコニーに出てみることにした。バルコニーからは広大な庭園を一望できた。

向こうの建物で事件の後処理をしている役人達が忙しそうに駆け回っている。身を乗り出して国王の私邸を仰ぐに、この部屋は2階部分にあるようだ。

心地よい風が、肌を抜けてゆく。私は自然と目を閉じて、風の流れを感じていた。

ーーその声が、するまでは。


「誰?」


ゆっくりを視線を巡らせると、バルコニーの真下から少年が(いぶか)しそうに私を見上げているのとぶつかった。吸い込まれそうな空色の瞳に、私の亡き母と同じモカブラウンの色の髪の毛を持つ少年だ。

正しく、こういうのを"(ちまた)で女に騒がれる"顔と言うのであろう。


"(ちまた)で女に騒がれる"であろう少年の言う通り、王宮の私邸(プライベートルーム)に見知らぬ人がいるのは珍しいことに違いない。だが、心地よい風の中では返事をするのも億劫なので、黙って少年を見返す。よくみると、さっき見た国王に妙に似ている。恐らく彼の息子なのだろう。

国王の息子ってことは彼は王子様なのか、とぼんやり思って、一人でちょっと笑った。


「名前、教えろよ!」


あまりの沈黙に耐えられなくなったのか、少年は少し苛ついた様子で叫んだ。子供だなと心中で彼を笑う。それでも、フードが返ってくるまでの良い暇潰しになるだろう。


「…相手に名前を聞くときは、先に自分が名乗るのがマナーですよ。お坊ちゃま」

「おぼっ…、俺はもう17歳だ。子供扱いするな」


まさかタメだとは思っていなかったので、思わず吃驚(びっくり)する。だが、言われてみると確かに顔や体格はそれぐらいの年齢に見えた。実年齢より若く見えるのは、彼の話し方や雰因気がそうだからか。私は勝手にそう納得することにした。


「…俺は、ロキだ。お前は?」

「アイリス、です。ロキ()()()


自己紹介で身分を言わない辺り、少年は私に自分が王子であると教えないつもりのようだ。

私的な憶測ではあるが、笑いを(こら)えながらその大層な御身分を暴露してやった。急に表情を変えた彼を見て、勝手な憶測は確信に変わる。


「…お前、俺を見たことあるのか?」

「いいえ。今、初めて」

「じゃあ、なぜ、」

「…………さぁ?」


頬を通る風が気持ち良すぎて、眠りたいという欲求が芽生え始めた。それに半比例するように、だんだんと会話をする気力も失せてくる。

自分の中で、彼と話すことへの興味よりも眠気と面倒臭さが(まさ)ったのを感じた。私は()()()との会話をさっさと切り上げて、部屋の中へ戻る。後ろの方で何やら(わめ)いている声がしたが、一眠りしたい気持ちの方が大きかった。


「ふぁ~あ」


私は大きな欠伸(あくび)をすると、部屋の備え付けベットに倒れ込んだ。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



「一体誰だ、あの女は。ここでは見かけない顔だし、どこから聞いたのか知らねえけど俺の事を知ってたし、終いには勝手に会話を切り上げて部屋に入っていきやがった。俺が王の息子だって知ってたら、嫌でも笑顔ぐらい作るだろ。

それが、なんだ。偉そうに頬杖をついて上から見下ろしやがって。無礼にも程があるぞ!……まあ?俺は大人だからな、それぐらい見逃すぐらい器量がでかいからな。…………やべ、今のかっこ良くなかった?」


独り言のように、ブツブツと愚痴を言いながら来た道を引き返す少年、いや、青年、ロキはこんなんでもこの国の立派な王位継承権第一位の王子様である。


俗に()う厨二病を具現化した様な男だが、本気を出せば父親でさえあっと言うような政策や方針をズバズバと提案してくる、やればできる子だ。但し、本気を出すときが滅多に無く、久し振りに出したと思ったらどうでもいいものに情熱を傾けている残念な子でもある。


ちなみに父はそんな息子を長いこと放任してきたが、父親自身の(よわい)も40も半ばを迎えんとしているので息子の内政外政の実戦力を高めさせねばと息子に構い出した。そこで、息子の『やればできる子』と『残念な子』極端な二面性を発見し、父親史上最大の悩みの種となった。


閑話は休題しよう。

ロキは、本気をだせば凄い。そして興味のあるモノを見つけた彼は、1ヶ月振りに本気を出そうとしていた。

……今回も、ちょっと間違った方向に。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



「……はっ?私を食事に招待?」


深い眠りから無理矢理現実に引き戻された私は、淡々ととんでもないことを告げた30代くらいの侍女をまじまじと見返した。何を狂ったか、王の家族の夕食に私を招待したそうなのだ。そして、ついでのようにフードは血が落ちないので苦戦中だとの途中経過を貰った。


「でも、私、正装の服とか持ってませんし……」


実は、正装の服を持ってないどころか、普段の服自体、今着ている服と変えの服の2パターンしかなかったりするのだが。金になる仕事を求めて旅をするからには、必要最低限の物資しか持ち歩けないのだ。

だが、無難に断ろうとする私に対して、侍女はクスッと笑って明るく言った。


「大丈夫ですよ。国王様も王妃様達も小さい事を気にする度量の狭い御両人ではごさいません。正装を所持なさらないようでしたら、王妃様のドレスから適当なものを選ぶようにと言付(ことづ)かっておりますので、御安心下さいますよう」

「はぁ」

「ああ、紹介遅れました、貴女様の身辺の御世話をさせて頂きます、エルダスと申します。未熟者ですが、気軽にお呼びくださいね。それでは案内致しますので、まずはベットから降りて頂けますか」

「……はぁ 」


流石王宮仕えの侍女とだけあって、話す内容に敬語の嵐が吹き荒れている。語尾にですますを付けただけの私の偽物の敬語とは次元が違った。

そんな感じに軽く感動している間に、私は断るタイミングを逃してしまった。エルダスさんに続き、部屋を出て装飾の凝った廊下を歩く。同じような構造をしていて、私から見れば何回も同じ場所を回っている様にしか見えない。彼女には分かるのだろう、迷路じみた廊下を迷いもなく進んでゆく。


「こちらです」


そのうち、エルダスさんは仰々しい扉の前で止まった。彼女の手によってその扉が開かれる。そこには部屋一杯のドレスを初め、ネックレスなどの小物から靴まで正しく整頓されてあった。キラキラと照明に反射する宝石たちが眩しくて、スッと目を細める。

かなり広い部屋に、とてつもない量の衣服。流石はこの国のトップの妻の衣装部屋である。こういう方面には疎い私でも茫然としてしまった。

一旅人風情が袖を通しても良いものか。何故か衣服等に謝りたくなった。


「う~ん。貴女様は顔がお綺麗でいらっしゃるので、それに負けないものなると…、」

「地味で、一番地味なやつでお願いします」


私の脇を通って勝手にドレスを漁り始めたエルダスさんをいち早く制す。私自身センスが皆無なので大袈裟には言えないが、原色のドぎついドレスとか選ばれても困る。私的に、酷く地味な、決して目立つことはない、存在を無にしてくれるドレスを着たい。


「……不服ですが、そこまで仰るのなら…、こちらはどうでしょうか?」


彼女との不毛な攻防の末、結局は彼女の方から折れてくれた。

地味なものをという私の要求に悔しげな表情の彼女が持ってきたドレスは、私を歓喜させるに(たが)わない逸品だった。薄い桃色のフォーマルな型、膝下までの丈、背中につけられた細やかなリボン。


な、なんて、素晴らしいんだ……。


「そ、それです。完璧です」


興奮し過ぎてエルダスさんに若干引かれた。その後、非常にうすーい化粧を施され(ここら辺でもエルダスさんとガタガタした)、ピアスと対のネックレスを半ば強引に付けられ、髪を複雑に結われた。


ーー何とか令嬢っぽくなった。


全身鏡を前に浮かんだ感想だ。エルダスさんは鏡の中の私を見て、洸惚な顔をしている。不思議に思って彼女を覗き込むと、放心状態の様子で顔を赤くしてポツリと呟いた。


「…………、女神(ヴィーナス)……」

「え?」

「な、何でもございません!すみません、貴女様があまりにも美しかったものですから……」

「……」

「では、部屋へ参りましょうか。ご案内しますね、此方です」


そう言って満面の笑みを私に向けた後、先を行くエルダスさんの後ろ姿を思わず二度見した。そう言うことを直接言われると、私としては照れるしかない。ああもストレートな言葉は愛する夫とかに(ささや)けばいいと思う。切実に。

だが、彼女は一旅人でしかない私をそこらの貴族令嬢レベルまで昇華してくれた、立派な人物である。感謝の意を示しておかねばなるまい。


広間に行く道程で、エルダスさんから簡単な説明を受けた。


「いいですか、広間には楕円(だえん)のテーブルが設置されています。僭越ながら、貴女様は御身分が低いので末席、一番手前の御席にお座り下さい」

「え、あの、夕食会ってそんなに人が居るんですか?」

「ああ、そうですね。いらっしゃるのは、王様、正妃様、御側室様ら5人、第一、第二、第三、第四王子様、第一、第二、第三、第四、第五王女様、御退位罷(まか)った上王様、その正妃様なので、併せて18名ですね。」

「……それはそれは」


うげぇ、と心の中で人数の多さに辟易とした。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



「あら。いらっしゃったわ」

「まぁ……なんてお美しい」

「ほ、ほんとうね、私達には劣りますが」

「そっ、そうですわよね」


ーーおい、義母(=親父の側室)ども、聴こえてるぞ。


俺は意味を含めた目線を彼女らに投げかけると、彼女らはすぐに口をつぐんだ。

しゃあない奴らだな。揃っていい歳してあんな年端もいかない少女に嫉妬するなんて。


俺はたった今入ってきた話題の彼女を盗み見る。片っ(きし)周りには関心をむけないようで、完全に独りの世界で優雅に食事を進めていた。

大方、昼間会った俺がここにいるのにも気付いていないだろう。

末席に居ながら、かなりの存在感を示す彼女。会ったときから感じていたが、改めて見ると人間離れした容姿してやがる。弟たちもデレデレしてるし、姉や妹たちもキャーキャーしてるし。使用人までぽけっとした顔で彼女を見つめている。気持ちは分かるけど、仕事しろや。


なぜ、親父は彼女をこの場に呼んだのか。親父見れば難しい顔をして黙って食事をとっているのみだ。それは親父の通常運転なので、ただ呼んだだけなのかと勝手に落胆してみたりする。

もう食事も終盤に入ってきた。おじいちゃんたち(=先王とその正妃)も席を立ってしまった。

てっきり何かあるのかと期待していた分、半ば裏切られたような心地でいると、親父が前触れもなしに口を開いた。


「名を、教えてくれぬか。救世主(メシア)殿」


それは、確実に彼女に向けられた言葉だ。メシア殿って……と吹き出しそうになった。言われてみれば、とかくいう俺も彼女の名を知らない。親父が何を考えているか不明なので、俺は様子を見ることにした。静けさが部屋を包み込む。彼女はゆっくりと言葉の主へ視線を巡らせた。


「アイリス、です」


どこにでもいる、普通の名前だ。だが、親父は少し驚いたように目を見開いた。親父の中で何かが確信に変わりつつある、そんな驚きのような風だった。

彼女の名が、どうかしたのか。

親父は信じられないといった様子で、一言ずつ探るように話し出す。


「君は、アイリス、と申すのか……」

「はい」

「いくつか、質問をしても良いだろうか」

「……どうぞ」

「では、なぜ、君は王宮式の食事マナーを知っているのかね?」


その言葉に(にわか)に場が騒がしくなった。

……確かにそうだ。王族か貴族でないと学ばない食事マナーを、何故彼女が知っているのか。彼女の振る舞いが板につきすぎて些かも不自然ではなかったので、気にも留めていなかった。


「王宮式……?」

「君は貴族なのかね?」

「いえ、たまたまこの国に来ていた旅人です」

「…ふむ。事件を目撃した騎士達が君が王宮剣術を使っていると話していたのだが」

「王宮、剣術?……よく分かりませんが、剣は父から」


親父は、ピクリと眉を動かした。それは、昔から親父の中で全ての仮説が繋がったときにするアクションだった。


「もしかして、君の父親はアントニー、母親はクリスティアーノと言うのではないか……?」

「……そうですが」


なんだか、話の雲行きが怪しい。親父の顔がだんだん青くなっていく。怪訝そうにしていた母さんや義母たちも彼女の両親の名前が出た瞬間、驚愕の表情になった。もちろん、俺も。

皆、一様にある有名な事件を思い浮かべているのだろう。


隣国で20年ほど前に起こった、公爵家の跡継ぎと皇帝の姪の駆け落ち事件。

あれは色んな国で話題になった。美しい容姿で社交界を賑わせた二人が、彼女が隣国の王太子と婚約をさせられたのを機に、蒸発した。そこで出てくる隣国の王太子ってのが、俺の親父だったりするんだけど。

彼らの名前は、アントニーとクリスティアーノ。アントニーは王宮剣術の師範代だった。彼らには娘がいたという史説は無い。だが、もし彼女の親が彼らだというならば、すべての辻褄が合ってしまう。


だが、俺の記憶が正しければ…、彼らは5年前に死亡しているはずだ。


「親御さんからは何も聞かされていないのかね?」

「……なにも知りません。両親はそういうことは言わなかったので。ですが、(おおむ)ね、相当な身分であったのでしょう?」

「あぁ、そうだ。驚かないでくれ。……君の父親は隣国の四大公爵家の一頭の跡継ぎ、母親は隣国の皇帝の姪で、私の元婚約者だった可能性が高い」

「え、」

「君はその二人の娘。本来であれば、君はかなり身分が(とうと)い。皇位継承権を有していてもおかしくはないくらいに、だ」


ざわり、と再び人の声の波が起きた。彼女は流石に驚いたようで、口を少し開けて固まっている。仕方がないことだ。断定的ではあるが、今、彼女はこの部屋で一番身分が高い女性になったのだから。


皇位継承権ーーー。

隣国は大国である。この国を含む周囲の国で同盟を組んで倒そうとしても、ビクともしないくらいに圧倒的勢力を持つ。

そんな巨大な帝政の継承権を持つものは、凄まじい位に脅威になる。一国を潰すのだって朝飯前だろう。


彼女はしばらく固まっていたが、気を取り直したようで無表情なり、一言呟いた。


「…………そうですか」


そして、そのまま音もなく席を立ち、広間から走って出ていった。

慌てふためく周囲を他所に、俺は彼女の突拍子な行動の真意を分析していた。彼女は、自分の存在がどれ程脅威的なのかを理解したのだ。ここは、王宮。故に、自分は消えた方が良いと判断したに違いない。


俺は、そんな彼女に感心した。

突然知ってしまった両親の真実、自らの身分。それらは、俺なんかでは計りきれないくらい重いものだろう。だが、そんな中で自分を捨て置いて、彼女はこの国の為を考えたのだ。


俺は自然に、既に姿見えぬ彼女の後を追いかけていた。



∮∮∮∮∮∮∮∮∮∮



「……君の父親は隣国の四大公爵家の一頭の跡継ぎ、母親は隣国の皇帝の姪で、私の元婚約者だった」


ーー私は、誰?何者なの?


突然の国王からの科白に、私の思考は停止した。隣国ーー私が元いた国は、巨大な国家だ。信じ難いが、私はその国の皇位継承者になれる身分らしい。至極有り得ない。有り得ないが、もしそうであるならば、両親のことも納得がいく。とすれば、自分という存在の価値は、とてつもない位に影響力を持つ。


ーー私がこんなところにいてはいけない。その可能性がある限り、この国に迷惑が掛かりすぎる。


そう思って、私は逃げたい一心で広間を飛び出した。足には自信がある。多分無事に王宮から出ることができそうだ。心残りはフードだが、諦めるしかない。荷物を取りに、()ずはあの部屋に戻らなければならない。後はバルコニーから飛び下りれば何とかなるか。


エルダスさんに先導してもらった道を思い出しながら、急いで引き返す。行き道と同様、似たような回廊の連鎖だが、そこをなんとか壁にかかる装飾品で正しい道を判断する。

自分の記憶力に感謝しよう、暫くして目的のあの部屋が見えてきた。そこで偶然すれ違った侍女に驚かれたが、構わず部屋の中に入る。事前に纏められている荷物を掴んで、一気にバルコニーを飛び下りた。

ここまで来ればもう安心だと思ったその矢先。


「はーい、ストップ」

「!」


地面に着地した瞬間、目の前に人影が現れる。時は夜、外は暗いので姿の輪郭は見れない。だが、私は発された声で人影の正体が分かってしまった。相手は私の行動を見越して、先回りしたようだ。


「ロキ()()()、女の逃亡劇の邪魔はしちゃいけませんよ」

「……へー、俺のこと覚えてたんだな」

「そのようですね。では」


それだけ言うと、私は彼と反対方向の私邸の方へ一目散に走った。…………筈だった。


「…逃がすわけねーだろ」

「っ、うぁ!」


私としたことが、油断していたか。彼は逃げる私の手首を掴み、一思いに捻った。腕に激痛が走る。必死に抵抗するが、男と女の筋肉量の差は無情である。彼の体はびくともしない。

出来れば使いたくはなかったが、贅沢いってられない。私は、万が一の時に備えて太ももに携帯していた短剣に、捻られていない方の手を伸ばした。


「これ以上私に関わると、貴方といえども、…………容赦しませんよ」


短剣をホルダーから抜き、素早く彼の首元へ(いざな)う。彼が身を引いた隙に、私は彼から距離をとった。公爵だったらしい父親から教わった剣の技。片手を背中に置き、剣を握る片手を前に構える型。実際に王宮剣術だと言われても、特にコメントはない。強いて言うなら、「あーそうですか」だ。


「…フハッ。やっぱ、お前、強ェな」

「私と戦うだけ無駄ですよ。貴方じゃ私に勝てない」


彼は余裕そうだった。が、彼からは剣をたしなんでいる人特有の覇気が感じられない。如何せん、素人か。一応義務として剣術をやってるが、それのみだという感じがする。

私は溜め息をつきながら、静かに短剣をホルダーに戻した。経験がない人を無惨に殺すほど私は落ちぶれていない。この状況では、やはり逃げに徹することが賢明だ。幸い、周囲に人の気配は無い。彼以外の、だが。

今度は、不意を狙って彼の上を跳び越えることにした。客観的に捉えると異常なことだが、伊達に幼少期に森に棲んでいたり、進んで警備やらの仕事をしていた訳じゃない。



「チッ、」


彼の上を跳んだ時に、彼が小さく舌打ちしたような気がした。同時に、彼の服の裾から短剣が引き抜かれたような気もした。

ーーそれらが気のせいだったら良かったのに。


次の瞬間、私の視界は反転する。


「……いっ」


飛び上がった私の四肢が彼に捕らえられ、私は(したた)かに背中を地面にぶつけた。頸にひんやりと冷たいものが当てられる。恐らく、彼の短剣だ。私が抵抗する間も無く、両手首を武骨な手で拘束された。


「あんまり俺を嘗めんじゃねーよ。お前は強いけど、お前こそ、俺に勝てない」

「……ッ、」


全身に寒気が走るほど無表情の彼が、抵抗できない私を見下ろす。今度は完全に油断していた。相手は覇気を(まと)わずに剣を繰り出せる程の剣使い。私からすれば圧倒的強者だ。

地面に倒され、両手の自由を塞がれ、首筋に短剣をあてがわれている私。普通に考えればこの状況は絶体絶命のピンチなのだろうが、私は込み上げる感情を抑えきれなかった。

悲しい、ではなく、嬉しい、という感情を。分かっている。この感情が湧きたつ自分が狂っていることなんて、散々承知しているーーでも。


無意識に私は笑みを作り、彼に嬉々として話しかけていた。


「ああ、やっと死ねる。早く私を殺してよ」

「は?」


彼は頓狂な声を発した。その顔は驚きに満ち溢れている。私はそれに気が付かないふりをして兎に角彼に言いつのった。


「うんざりしてたんだよね、こんな世の中。お父様もお母様もあの忌々しい皇国に殺されちゃったし。そんな私は生まれてきて良かった存在じゃないみたいだし」

「………お前、」

「こんな人生、未練なんてないよ。早く殺して、早く。はや、!」


脇腹に貫通する、激しい痛み。ああ、現実から放たれられる。顔を歪めながらも安堵する私は、もう元には戻れない。


薄れる意識の微睡(まどろ)みの中、ポタリとひんやりとした何かが頬にが落ちた。閉じかけていた瞼を開くと、哀しみを含んだ顔が此方を見つめている。私を刺した張本人は、美しい空色の瞳から涙の雫を流していた。


「おまえは、なに、を、背負って、」


彼が呟いた言葉の意味は、私の理解できる幅を越えていた。ぽたぽたと彼の涙が私の顔に降ってくる。何で泣いてるのと尋ねようとしたが、それだけ話せられる体力も残っていなかった。

もう、私は死ぬだろう。直感がそう教えてくれる。看取られるなんて大仰な雰因気では無いが、相手が彼ならば見ず知らずの(なにがし)よりましな気がした。

かすかに開く瞼を閉じれば、今は亡きお父様とお母様と幼かった私の姿が鮮明に(よみがえ)る。これが、走馬灯というものなのか。


私は生まれてきてはいけない子。私のような異端者は、果たして世のサイクルに相容れることは不可能だったようだ。

低飛行な失望感に(さいな)まれながら、最期の力を振り絞り私は神に問うた。



ああ、神様ーーーーー、

私の存在する意味は、何だったのでしょうかーーー。




続きます!!


2015.2.24→誤字・脱字check!&ちょっと推敲しましたヽ(・∀・)ノ

2016.11.4→推敲しました。受験期のため、中々こちらに手を回せず……申し訳ありませんm(__)m

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