(五)
次の日曜日、約束通り彼女の家へ行った。
マンションの広い部屋。品のある家具やインテリアは彼女の趣味か。少なくとも彼のセンスではない。
「今日は旦那さんいないの?」
「夕方に帰って来るわ。会ってみる?」
彼女はあっさりと答えた。
「いえ。いいわ」
私は笑って答える。
佳奈と三人でケーキを食べた。
「佳奈ちゃん、ケーキおいしい?」
「うん」
佳奈がたどたどしく答えた。
「大変ね。小さくて」
「手はかからないけど大人しいの。少し心配になる位。お茶持ってくるわね」
彼女は微笑んで言いながら台所へ行った。
「佳奈ちゃん、お行儀いいわね」
私が言うと佳奈は小さく頷いてケーキを食べた。
明るい居間。綺麗に並んだインテリア。掃除は行き届いている。
今日の為に準備したのか。来客が旦那の元カノと知らず部屋に迎え入れる無防備さは引っ越して知人がいない彼女の寂しさが生んだ隙か。
そして私は今、その隙間にいる。
自分から好んで入った訳ではないが何か自然な流れに感じた。そして、
「ただいま」
聞き慣れた声がした。
足音が居間に近づいてくる。
「あっ……」
彼が驚いた顔をした。そうなるよね。心で笑った。
「お帰り。公園で会って仲良くなったの」
彼女が私を紹介した。私は初対面の振りをして自己紹介する。彼は平静を装いながら挨拶する。寒い茶番ね。
「丁度良かった。お茶が無くなったから買ってくるね」
「おい!」
彼が慌てた。
「長居するのは悪いから帰るわ」
私は言ったが、
「大丈夫よ。すぐ買って来るから」
彼女は笑ってバッグを持って出かけた。
数秒間の静寂。
「佳奈。部屋にいなさい」
彼が言うと佳奈は黙って部屋へ入った。
「どういうつもりだ」
彼が重たい口調で訊いた。
(すっかりパパの顔と体ね)
「偶然知り合いになっただけ。こんな事ってあるのね」
(服は買ってもらっているのね)
「嘘だろ。わかっていただろ」
彼が困った表情で小声で言った。佳奈に聞かせたくないからだろう。
(あの時、土下座して手術を頼んだ顔ではない。まるで忘れたみたい)
私はカバンからサエを出してテーブルに静かに置いた。
「可愛いでしょ。サエっていうのよ」
「な、何だ。いきなり」
彼は戸惑いながら私を見た。
「サエを撫でてよ。そうしたら帰るわ」
「本当だな」
彼は答えると恐る恐るサエの頭を撫でた。彼の指が一瞬ピクンと止まった。
また静寂。彼の顔に恐れを感じた。頭がおかしい女を見るような目。この状況だとそうなるか。
私はサエをカバンに入れた。
「それじゃ。別に脅すつもりはないから。また秘書に頼まれたら嫌だからね」
「もう会わないでくれ」
彼は申し訳なさそうに言った。
「それは奥さん次第ね。私はどちらでもいいわ。今さら昔の事を蒸し返す気なんてないし」
私は答えて「じゃあ。奥さんによろしく」と部屋を出た。
マンションのエントランスを出て急ぎ足になる。
慌てているのは彼に怒っている訳でも彼女に会いたくないからでもない。
心の隙間から抜け出したかったから。
彼女と私の抱える隙間から。




