(一)
「サエ、早く食べなさい」
台所で食器を洗いながら私は大声で言った。返事はない。居間に入る。
テーブルの上に置いたぬいぐるみ。その前に小さな空のコップ。
この子が私の話し相手のサエだ。
服を着替えて出かける時にまた声を掛ける。
「行ってくるね」
私は部屋を出た。
家電店で事務の仕事をする。
少し高めのマンションで一人暮らし。
「どうして?」って言われると親の遺産で買ったと答えて「へえ」と言われる。もう慣れた。
仕事を終えてスーパーで総菜を買って帰宅する。
夕食を皿に盛りつけて食べる。目の前に黙って座るサエ。
「今日も同じ事を言われたの。結婚しないのって。する訳ないよ。ママはサエが大好きだから」
私は人形に話す。可愛いぬいぐるみを目の前に食事をする。癒される。
他の人が見たらさすがに引くか。それでもいい。
「悪い。手術してくれ」
三年前。付き合っていた彼から言われた。
電気会社に勤める年上の男。父親は政治家。お堅い家で育った割には軽いお坊ちゃん。チャラいボンボン。
こんなのに引っかかった私が馬鹿だった。
中絶を頼まれて怒りと憎しみが込み上がった。
「いやよ! 産んで育てるわ。私の子よ!」
きっぱり答えると彼は困った顔をした。弱い男の顔。彼はスマホで電話した。
男が部屋に入って来た。彼の父親の秘書だった。秘書はさっと小切手を渡した。
額面に三千万──
「どういう事?」
「勘のいい貴方が思った通りです」
秘書の男は淡々と言った。冷たく威圧的。秘書の隣で彼はシュンとしたまま。
自分で解決出来ずに父親に頼んだ情けない男。ムカつく。
「わかりました。手術をします。でも許さないから。一生恨んでやるから」
これが私の出来る最大の抵抗だと思った。
秘書は「それではこれを」と私の手元に小切手を差し出した。
私は「わかったわ」と受け取った。嬉しくない金だ。
「こちらで病院を手配します。都合のいい日を後ほど連絡下さい」
秘書は名刺を差し出して言った。
「すまない!」
彼は土下座して謝った。
「もういいわ。帰って!」
私が怒鳴ると彼と秘書は頭を下げて出て行った。
狭い部屋で悔し涙を流した。




