浄霊できちゃった、ちょっと普通じゃない普通の女子大生―その除霊、ネットの知識で大丈夫?
ある日、わたしのもとに『お祓い』の依頼が舞い込んできた。
……と言っても、差出人は得体の知れない誰かではなく、大学のゼミ仲間である京子だ。
「ねぇ、知り合いのマンションなんだけどさぁ。奈美、お祓いしてくんないかな?」
カフェテラスで唐突に切り出されたその言葉に、わたしは飲んでいたカフェオレを吹き出しそうになった。
断っておくが、わたしは拝み屋の家系でもなければ、霊能力の修行をした記憶もない。どこにでもいる、至って普通の女子大生だ。
「……えっ、なんでわたし? そういうのはプロに頼みなよ。神社とかお寺とか」
「それが、本業の人には頼めない事情があってさ……」
京子の話は、こうだった。
中学時代からの親友が一人暮らしを始めたのだが、当初は「部屋で変な音がする」「誰かに見られている気がする」と怯えて相談してきていたらしい。ところが、ある日を境にぴたっと相談が止まった。
解決したのかと京子が尋ねると、彼女は虚ろな目で「もう大丈夫。全部解決したから」と答えたという。
「でも、明らかに様子がおかしいの。急に独り言を言ったり、誰もいない空間に向かって笑いかけたり。心配でお祓いを勧めたんだけど、『余計なことしないで!』ってものすごい剣幕で怒られちゃって……」
話を聞くうちに、わたしの背中に嫌な汗が流れた。
以前、ネットのオカルト掲示板で読んだことがある。「それ」に魅入られた人間は、異常な状態を「幸せ」だと思い込み、外部からの干渉を極端に拒むようになるのだ。
「あー……そのタイプ、一番厄介なやつじゃん。本人が自覚してないどころか、その異常に依存しちゃってるやつ……」
「そうなの! だから奈美、お願い! 一緒にその部屋に行って、見るだけでもいいから! 奈美なら『新しい友達を紹介する』って名目で、自然に部屋に入れてもらえると思うんだよッ!」
京子がわたしの両手をがっしりと掴む。
……待って。なんで話が勝手に進んでるの?
「ねぇ、京子。言っとくけど、わたしは幽霊なんてこれっぽっちも見えないし、お化け屋敷だって全力で拒否するくらい怖がりなんだよ? わたしの時は、あれはホントに……《・・・・》たまたま、なんとかなっただけ。素人がお祓いごっこなんてしちゃダメだってこと、分かってる?」
「分かってる、分かってるよ! でも、あの子を放っておけないんだよ……!」
必死な形相の京子を前に、わたしの防御壁はもろくも崩れ去った。
結局、「見るだけなら」という条件で引き受ける羽目になったわけだけど……。
友達の頼みを断れない自分の性格が、今は恨めしくて仕方がない。
そもそも、平凡を絵に描いたような女子大生のわたしに、京子がこんな物騒な相談を持ちかけてきたのには、それなりの理由がある。
それは、わたしがいま住んでいる、家賃一万円の格安ボロアパートにまつわる「武勇伝」を、うっかり彼女に話してしまったからだ。
大学入学と同時に田舎から上京してきたわたしは、専門家に頼むお金なんて一円も持っていないド貧乏学生だった。
なのに、ようやく見つけた格安物件には、先客として「幽霊」が居座っていたのである。
夜な夜な枕元に立たれたり、金縛りにあったり。普通なら泣きながら引っ越す場面だろうが、こちとら生活がかかっている。
「幽霊が出るくらいで、この家賃を手放してたまるか!」
そんな切実すぎる生存本能に突き動かされたわたしは、オカルト小説や除霊漫画、さらには怪しいネット掲示板の知識を片っ端から総動員して、孤独な戦いを開始した。
部屋の四隅に盛り塩をぶちまけ、YouTubeで般若心経を爆音で流し、セージの葉を燻して部屋中を煙まみれにする。
それでも出ていかない図太い霊に向かって、最後は半べそで包丁を振り回しながら叫んだ。
「家賃も払わない居候のくせに、偉そうにするんじゃなーい! 出ていけ! このニート幽霊!!」
……その執念が通じたのか、あるいはわたしのあまりの剣幕に幽霊がドン引きしたのか。
ある朝、目覚めると部屋の空気がスッと軽くなっていて、それ以来、怪異はぴたっと止まったのだ。見事なまでの成仏(?)である。
わたしとしては「極限状態の貧乏学生が、知恵と根性で勝ち取った生存戦略」という、ちょっと笑える自虐ネタのつもりで話したんだけど……。
どうやら京子のフィルターを通すと、これが『ネットの知識だけで怪異をねじ伏せる、謎のポテンシャルを秘めた専門外の専門家』という、とんでもない誤解に変換されてしまったらしい。
そんなわけで、いま、わたしの手元にはなぜか「ファブリーズ(除霊効果を期待)」と「通販で買った盛り塩セット」が入ったトートバッグが握られている。
「……ねぇ京子、本当に見るだけだからね? もしヤバそうだったら、速攻で逃げるから!」
「わかってるって! さあ、行こう!」
わたしの不安を置き去りにして、京子は意気揚々と歩き出す。
向かう先は、その「変わり果てた友人」が住んでいるという、都内の高級マンションだった。
案内されたのは、都内の一等地に建つ、見上げるようなタワーマンションだった。
「一万円のボロアパート」を戦場にしてきたわたしにとって、そのオートロックの重厚感だけで、すでに別の意味で気圧されそうになる。
エレベーターが音もなく上昇し、目的のフロアに着く。廊下にはふかふかの絨毯が敷かれていて、生活音ひとつしない。
京子がインターホンを押すと、少しの間のあと、内側からカチャリと鍵の開く音がした。
「いらっしゃい、京子。……あ、そちらの方は?」
ドアを開けたのは、モデルのように細く、白いワンピースを着た綺麗な女性だった。京子の親友、沙織さんだ。
一見、どこもおかしいところなんてないように見える。……けれど、わたしは彼女の顔を見た瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
彼女の瞳だ。
焦点が合っているようで、合っていない。まるで、わたしの背後にいる「誰か」と、ずっと楽しそうに視線を交わしているような、薄気味悪い違和感。
「あ、こちら、大学の友人の奈美! 近くまで来たから、一緒に連れてきちゃった」
「奈美さん、っていうのね。ふふ、どうぞ、入って。……『彼』も、お客さんは大歓迎だって言ってるわ」
沙織さんは、誰もいないリビングの方を振り返って、愛おしそうに微笑んだ。
その瞬間、わたしの肌にチリッとした静電気が走る。ボロアパートで幽霊を追い出した時、嫌というほど感じたあの「嫌な空気」だ。しかも、あのアパートの比じゃないくらい、濃密で、冷たい。
「……お邪魔します」
足を踏み入れたリビングは、豪華な家具とは裏腹に、なぜかひどく寒かった。
沙織さんはキッチンへ向かい、鼻歌を歌いながらお茶の準備を始める。……でも、彼女が用意しているカップは、わたしたちの分を合わせても「三つ」ではなく「四つ」だった。
京子が不安そうにわたしの顔を覗き込んでくる。
(……ねぇ、どう?)
(……どう、って言われても……)
わたしはトートバッグの中で、ファブリーズのトリガーにそっと指をかけた。
正直、いますぐこの部屋を飛び出したい。
だって、沙織さんのすぐ後ろ。ダイニングテーブルの椅子に、明らかに「誰か」が座っているのだ。
それ(・・)は、真っ黒なモヤのような姿で、ゆっくりとこちらを振り向き、唇のない口を吊り上げて笑った。
……やだ、これ。ネットで調べた知識くらいで、どうにかなるレベルじゃない気がする。
「はい、どうぞ。熱いうちに飲んでね」
沙織さんが差し出してきたティーカップが、カチャリと音を立ててテーブルに置かれる。わたしたちの前に二つ、そして、誰もいないはずの椅子の前に一つ。
「沙織、その……一つ多いけど、誰の分?」
京子が引きつった笑顔で尋ねると、沙織さんは心底不思議そうに首を傾げた。
「え? 『彼』の分に決まってるじゃない。紹介するわね、こちら、いま私と一緒に住んでいるマサトさんよ。とっても優しくて、私のことを一番に理解してくれるの」
沙織さんは空席に向かって蕩けるような笑みを向け、まるで実在する恋人の肩を抱くように、虚空を優しく撫でた。
……その「虚空」には、どす黒い澱みのようなモヤが蠢いている。マサトと呼ばれた「それ」は、沙織さんの指先が触れるたび、嬉しそうに形を歪めていた。
「最初はね、ちょっと怖かったのよ。ラップ音がしたり、物が勝手に動いたりして。でも、ある晩彼が枕元で囁いてくれたの。『君が一人で寂しそうだったから、守りに来たんだよ』って」
沙織さんの語るエピソードは、聞けば聞くほど常軌を逸していた。
彼女が仕事で失敗して泣いていると、冷たい手のような感触が涙を拭ってくれるのだという。夜、眠れない時は、耳元で古い子守唄のようなハミングが聞こえてくるのだという。
「最近はね、彼が食べたいものも分かるようになったの。……生肉とか、少し傷んだ果物とか。彼、ちょっと好みが変わってるんだけど、喜んで食べてくれるから作り甲斐があるわ」
沙織さんの視線の先、テーブルに置かれたカップの中身が、不自然に波打った。
……ズズッ、と。
何かが液体を啜るような、湿った音が静かなリビングに響く。
「ね? 彼も、二人に会えて嬉しいみたい」
満足げに微笑む沙織さんの横で、京子の顔面はすでに蒼白だ。
わたしの視界では、その「マサトさん」のモヤが徐々に膨れ上がり、沙織さんの背中から首元にかけて、愛着のあるペットが飼い主にまとわりつくような仕草で絡みついているのが見えた。
いや、あれは甘えているんじゃない。……少しずつ、彼女の生命力を吸い取って、同化しようとしているんだ。
ネットの掲示板にはこう書いてあった。『悪霊は、孤独な心に付け込み、理想の存在に化けて住み着く』と。
「……ねぇ、沙織さん。そのマサトさんって、いつからそこに座ってるの?」
「いつからって……もうずっと前から、そこにいたような気がするわ」
沙織さんはうっとりと夢見心地な表情で答えましたが、その視線は虚空を見つめたまま、ぴくりとも動かない。
わたしは喉の渇きを感じ、お茶に手を伸ばそうとして――手が止まった。
ふと、沙織さんの背後にある、少しだけ開いたクローゼットの隙間が気になったのだ。
この豪華なリビングには似つかわしくない、嫌な、生温かい風がそこから漏れ出ているような気がして。
「……あ、あの、沙織さん。ちょっとお手洗い借りてもいいかな?」
「ええ、いいわよ。廊下を出て右側にあるわ」
わたしは京子に「ちょっと待ってて」と視線で合図を送り、席を立った。
お手洗いに向かうふりをして、そのまま廊下の突き当たりにある、沙織さんの寝室であろう部屋のドアを、音を立てないように少しだけ開けてみた。
「……うわっ、なにこれ……」
思わず声を押し殺した。
寝室の壁一面には、びっしりと「黒い糸」が張り巡らされていたのだ。
それはまるで巨大な蜘蛛の巣のようで、その中心――ベッドの真上の壁には、何十枚もの写真がピンで留められていた。
恐る恐る近づいて見てみると、それはすべて沙織さんの隠し撮り写真だった。
会社に向かう姿、スーパーで買い物をする姿、そして――この部屋で眠っている姿。
すべての写真の沙織さんの目は、黒いマジックで執拗に塗りつぶされ、その代わりとして、写真の余白には無数の「目」が描き込まれていた。
さらに異様なのは、床に置かれた大きな水槽だ。
中には水など入っておらず、底には大量の「髪の毛」と、沙織さんのものと思われる爪や、使い古した歯ブラシが山のように積み上げられていた。
ネットの知識が、わたしの頭の中で警鐘を鳴らす。
――これはただの幽霊じゃない。
誰かが意図的に作り上げ、沙織さんに植え付けた『呪い』の祭壇だ。
「……奈美さん、何してるの?」
背後から、低く、湿った声がした。
振り返ると、そこにはいつの間にか沙織さんが立っていた。
いいえ、沙織さんの姿をした「何か」が。
彼女の肩越しからは、あの黒いモヤ――マサトが、蜘蛛のような細長い脚を伸ばし、わたしの足元まで這い寄ってきていた。
「勝手に見ちゃダメじゃない。……マサトさんが、怒っちゃうわよ?」
「……っ、やばい!」
沙織さんの瞳の奥で、ドロリとした黒い影が渦巻いている。マサトと呼ばれた「それ」の細長い指が、わたしの首筋に触れようとした瞬間、わたしの脳内で何かがプツンと切れた。
恐怖が限界を突破して、一周回って「逆ギレ」モードに突入したのだ。
「……人の部屋に勝手に入って、何がマサトよ! 何が怒っちゃうわよだ! 許可なくこんな気味悪い工作して、この部屋の管理規約はどうなってんのよ!!」
わたしは叫びながら、トートバッグから「武器」をひったくった。
「食らえ! 界面活性剤の力!!」
シュッ! シュシュッ!!
至近距離から、除霊効果を(勝手に)期待したファブリーズをマサトの顔面……らしきモヤに連射した。
さらに、間髪入れずにポケットから取り出したのは、ボロアパート時代に編み出した必殺の「聖水(自称)」――中身は、コンビニで買った天然水に、おばあちゃんから送られてきた粗塩をこれでもかとブチ込んだ特製濃縮塩水だ。
「除霊! 浄化! 営業妨害!! 帰れ! 二ート幽霊の親戚!!」
キャップを外したボトルから、塩水を聖水撒きのように部屋中にぶちまける。
すると、どういう原理か(たぶんわたしの気迫と塩分の濃度がすごすぎたせいか)、壁に張り巡らされた黒い糸が、ジチチッ……と焦げたような音を立てて弾け飛んだ。
「ギィ、ア、アアアァァ!!」
マサトが耳をつんざくような悲鳴を上げる。
沙織さんの背後にいた黒いモヤが、塩水とわたしの罵声にひるんで、ズルリと彼女の体から剥がれ落ちた。
「京子! ぼーっとしてないで、そこのカーテン全開にして! 太陽光をぶち込んで!!」
わたしの怒号に弾かれたように、リビングから京子が駆け込んできて、遮光カーテンを一気に引き剥がした。
午後の強烈な西日が、呪いの祭壇と化した寝室に突き刺さる。
「ア……ッ、あ…………」
沙織さんが糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
それと同時に、マサトだった「影」は、光に焼かれるように霧散し、壁の写真も、床の水槽に詰まった髪の毛も、まるで数十年放置されたゴミのように一瞬で茶色く変色し、ボロボロに朽ち果てていった。
……静寂が訪れる。
残ったのは、びしょ濡れの床と、ゼーゼーと肩で息をするわたし。そして、空になったファブリーズのボトル。
「……な、奈美……あんた、すごすぎ……」
京子が震える声で呟いたけれど、わたしはそれに応える余裕もなかった。
「……京子。あとで、ファブリーズ代、請求するからね……。あと、クリーニング代も……」
床に座り込む沙織さんは、まだぼんやりとしているけれど、その瞳には確かに、さっきまでなかった「生きた人間」の光が戻っていた。
しかし、戦いはこれで終わりではなかった。
朽ち果てた写真の束の下から、一枚の「真っ赤な封筒」が姿を現したのだ。
わたしは膝をつき、肩で息をしながら、朽ちたゴミの山から顔をのぞかせているその「赤い封筒」を手に取った。
指先に触れた瞬間、嫌な予感が全身を駆け抜ける。これまでの「マサト」のモヤとは違う、もっと冷酷で、計算された悪意が封筒全体にべっとりと張り付いているような感覚だ。
「奈美、それ……」
京子がおそるおそる隣で覗き込む。
わたしは震える手で、その封筒を破いた。中から出てきたのは、一枚の古い便箋と、折り畳まれた不気味な紙。
便箋に書かれていたのは、整った、けれどどこか執念を感じさせる筆跡の短い文章だった。
『沙織へ。君のそばに「最高の人材」を送っておいたよ。これで君も、もう寂しくないね。マサトは君を愛し、君を逃さない。ずっと、ずっと、僕の代わりに。』
……文章の最後には、歪んだハートマーク。
そして、一緒に同封されていた紙を広げた瞬間、わたしたちは息を呑んだ。
それは、沙織さんの「戸籍謄本」のコピーだった。
しかし、ただのコピーではない。沙織さんの名前の横に、赤い筆で別の男の名前が書き足され、婚姻届を模したような、気味の悪い「擬似的な家系図」が描かれていたのだ。
その男の名前の欄には、一言だけこう書かれていた。
『マサト(仮)』
「これ……呪いってレベルじゃない。沙織さんの個人情報を完全に握ってる、ストーカーの仕業だよ……」
わたしの言葉に、京子が顔を真っ青にする。
つまり「マサト」は、自然発生した幽霊などではなかった。
誰かが沙織さんの髪の毛や持ち物を盗み出し、この「赤い封筒」を起点にして、人工的に作り出した『執着の塊』を送り込んだのだ。
その時、静まり返ったリビングで、沙織さんのスマートフォンが震えた。
通知画面に表示されたのは、登録されていない番号からのメッセージ。
『マサトを追い出すなんて、ひどいな。……次は、もっと「強力なやつ」を直接届けに行くからね。』
……直後、マンションの下でオートロックが解除される「ピピッ」という電子音が鳴り響いた。
「ピピッ……ガチャン」
静寂に包まれた廊下に、オートロックが解除された音が響く。さらに、エレベーターがこの階に向かって動き出す機械音が、死刑宣告の足音のように聞こえてきた。
「どうしよう、奈美! 来ちゃう、誰か来ちゃうよ!」
京子がパニックになりながら私の腕を掴む。沙織さんはまだ床に座り込んだまま、恐怖に顔を強張らせて震えている。
絶体絶命。けれど、私の頭の中は不思議と冷えていた。
ボロアパートでの経験が教えてくれている。こういう時は、怖がった方が負けなのだ。
「……京子、沙織さんを連れて奥の部屋に隠れて。ドアは絶対に開けないで!」
「えっ、奈美は!?」
「私は……ちょっと、この『赤い封筒』の主に、ご挨拶してくる」
私はトートバッグから、最後の一本――予備で持っていた「激落ちくん」のメラミンスポンジと、飲みかけの「おーいお茶」を取り出した。
ネットの怪しい知識その二。
『呪いの品を送り主に突き返せば、その呪いは倍になって本人に返る(通称:呪い返し)』。
私は赤い封筒の中の『擬似的な家系図』を取り出し、沙織さんの名前をメラミンスポンジで力一杯こすり落とした。その上から、お茶(カテキンは浄化に効くはず!)をドボドボとぶちまける。
「沙織さんの名前を消して……その代わり、このマサトってやつを、あんたのところに完全帰宅させてあげるわ!」
私は玄関のドアスコープを覗いた。
エレベーターが止まり、廊下を歩いてくる人影が見える。黒いコートを着た、ひょろりとした男だ。手には、またあの不気味な赤い封筒を持っている。
男が沙織さんの部屋の前で立ち止まり、ニチャァ……と嫌な笑みを浮かべてドアノブに手をかけた瞬間。
私は思い切りドアを蹴り開けた。
「おらぁぁ! 宅急便(呪い)の返品でーす!!」
叫びながら、びしょ濡れになった家系図の紙を男の顔面に叩きつける!
さらに、手に残っていた粗塩を「節分の豆まき」以上の勢いで男の目潰し代わりにぶちまけた。
「ギャアァァッ!? 目が、目がぁ!!」
男がのけぞった瞬間、目に見えない「何か」が男の体へ逆流していくのが分かった。
部屋の中に漂っていた最後の黒いモヤが、シュルシュルと音を立てて男の影に吸い込まれていく。
「い、嫌だ! 来るなマサト! 僕だ、僕だよ! ぎゃああああ!!」
男は自分の影に首を絞められるような格好で転げ回り、そのまま逃げるようにエレベーターホールへと転がっていった。
……数分後。
遠くで警察のサイレンの音が聞こえてきた。京子が裏でこっそり通報してくれていたらしい。
「……終わった、のかな?」
ひょっこりと部屋から顔を出した京子に、私は空になったお茶のペットボトルを掲げて見せた。
「うん。……でも、もうお茶もファブリーズもないから、次が来たら本当にお手上げだよ」
こうして、私の「二度目の除霊」は、警察沙汰という最高のオチがついて幕を閉じた。
――数日後。
大学のラウンジで、京子から「沙織さん、すっかり元気になって、あのマンションも引き払って実家に帰るって」という報告を受けた。
そして、私の手元には、沙織さんからのお礼だという「高級カタログギフト」と、京子からの「高級焼肉食べ放題」の約束が残された。
「ねぇ、奈美。やっぱりあんた、才能あるよ! 今度、私の知り合いの親戚の蔵でさぁ……」
「二度とやらないって言ったでしょ!!」
普通の女子大生に戻りたい私の叫びは、またしても京子の強引な笑顔にかき消されるのだった。
――完――




