圭太くんへ 一九九二年九月五日
どうしてこころをひらくひつようがあるのですか?よのなかのひとはみんなこころをひらいているとはどうしてわかるのですか?みんなじぶんのこころとちがうことをいったりやったりしているかもしれないということはないのですか?どうしておもうままにふるまうのがえらいことなのですか?じぶんのこころをとじこめておくのは、しゅういのひとにたいしては、それだけえんりょしているのだから、いいことなのではないのですか?それにぼくは、おかあさんやともだちとはなしをするとき、ぼくがあいてのいうことをふまえたうえではなしているのに、あいてがぼくのいうことをふまえたうえではなしてくれないのが、ぼくがそんしているようでふゆかいです。もののどうりで、ぼくとあいてのいうことにたいして、ぼくやあいてがこたえながらはなしあうのではなく、おこったり、おなじセリフをいやになるくらいくりかえしてぼくをだまらせようとするひともいます。ぼくはそういうすじのとおらないできごとがおこるまえに、あいてにきもちをつたえるのをあきらめます。どうせみんなぼくがいうことをきくのがとうぜんだとおもっているのです。ぼくはものごとをすじみちだててかんがえられるとじぶんでおもっています。ほかのひととやりとりをしているうちにじぶんのすじのとおるようにつないだことばのせかいをこわされるくらいなら、ともだちやおかあさんにこころなんかひらきたくはないです。それと、ぼくはよくほんをよむので、ほんにかいてあるかんじのふりがなもよくみるので、かんたんなかんじならよめます。ふりがなはつけてくれなくてもいいです。しんぱいしてくれてありがとう。
仁以千絵より