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「だって私たち、許嫁でしょ?」
「……え?」
気恥しさを隠すようにトランプで顔を覆いながら発した言葉に、戸惑った声で返される。
「い、許嫁、よね?」
「えっと……その……」
照れ隠しだと思った言い淀みが段々本気の戸惑いに思えて恭子は不安になる。放課後の空き教室がやたら静かに感じた。
さっきまでババ抜きをしていたトランプにわざとらしく視線を逸らし、また恭子を見ては逸らすを繰り返す清貴を、恭子は固唾を呑んで見守った。
重い沈黙のあと、短い前髪の下の眉毛を八の字にしながら清貴が口を開く。清貴は口下手な分表情が分かりやすい。
「……許嫁、じゃ、ないよ」
発せられた言葉に、恭子は生きていた中で1番のショックを受けた。
◇
城築 恭子には許嫁がいる。というのは思い込みだったと、昨日の部活で知った。許嫁では無いと言われてからはショックのあまり記憶がおぼろげだが、許嫁の単語に分かりやすく動揺をしてみせた野沢 清貴の説明を聞くに恭子の勘違いだったと分かった。
恭子と清貴が初めて会ったのは小学生の時。もじもじと両親の後ろに隠れる清貴を指しながら「あの子は貴方の許嫁だから仲良くするのよ」と冗談めかして母は笑った。
どうやら、曾お祖父さんだかひい曾お祖父さんだかが昔倒れていた所をある青年に助けられた事をきっかけに、その青年を大層お気に召したお祖父さんが両家に歳の近い男女が産まれたら是非許嫁にと望んだようだ。
勿論、許嫁なんて時代錯誤な約束に強制力は無く母はただの冗談として伝えたのだが、恋愛に憧れていた恭子はすっかり舞い上がってしまい今までずっと信じていた。
平凡でこれといって目立った長所も無いと友人は評価するが、優しい清貴の事が恭子は大好きだった。
小学校ではクラスが変わっても休み時間には清貴に会いに行っていた。清貴、清貴、と呼ぶと清貴は微笑みながら答えてくれる。
中学校では恭子は私立、清貴は公立に進学し会う機会ぐんと減り年に1回恭子の呼びかけで会う程度だった。それも、3年生になった頃は恭子も清貴も受験で忙しく会うことは無かった。それでも連絡は取っていたし、遊びに行った写真を送れば同じように写真が返ってきた。それだけで小躍りくらいは踊ってしまう。
志望校が同じだと知った時は心臓が嬉しさで跳ね上がるかと思った。実際ちょっと飛んだ。
無事に2人とも合格し、入学式で久しぶりに会った清貴は背が伸びていてドキドキした。小学生の頃より少しよそよそしい態度の清貴は背も体格も大きく、髪は記憶より短く切られていてなんだか違う人に思え緊張した。久しぶり、大きくなったね、と社交辞令のような取り留めのない会話を交わしているうちに次第に顔が緩むと清貴も同じように目を細めて笑った。清貴の小学生の時から見知った表情に、知らない校舎もピカピカで少し硬い制服も和らぐような気分だった。
昔から人見知りでいつも困り眉な清貴が安心したように笑顔を見せてくれるのが恭子は堪らなく嬉しくて好きだった。
クラスが違うのはがっかりしたが、そんな事ではへこたれない。部活をまだ決めていないと言う清貴を引っ張って部活の見学に勤しんだ。少ない人数に加えて幽霊部員だらけのボードゲーム部はほぼ部員がいないと言っても過言ではない程で、恭子は清貴と2人っきりで遊べるという下心で入部を決めた。清貴も流されるまま入部が決まった。
放課後は恭子が清貴の教室まで呼びに行き、そのままトランプやオセロで遊ぶのが日課になっていった。
トランプとにらめっこしながら眉間に皺を寄せる清貴に胸をときめかせながら、きっとずっとこうやって過ごして結婚するんだとばかり思っていた。思っていたのに。
「まさか、許嫁じゃなかったなんて」
魂の抜けたような恭子の肩に友人である奈穂はぽんぽんと手を置き慰めた。
「恭子はすぐ早とちりするけど、今回の早とちりはなかなか大掛かりだったね。おーよしよし」
朝からお昼休みが始まるまで、昨日の一部始終を聞かされ続けた奈穂は若干うんざりしたように言う。
そこに、お昼の定位置に椅子とお弁当を持ってきたももが腰をかける。
「それにしても、恭子ちゃんを骨抜きにするなんてその清貴君はどんな人なの?」
「すごーく優しい人なのよ」
「特に特徴が無いだけじゃなく?」
「奈穂ちゃんったら!」
悪態をつく奈穂をももが諌める。
「かっこいいの?」
「もちろん!」
恋バナにキラキラと目を輝かせるももの質問に恭子は食い気味で答えた。何処か冷めた奈穂に言わせれば清貴はパッとしないらしいが恭子にとっては間違いなく王子様だ。
中学時代はなかなか会えなかったせいでエピソードは小学生の頃中心になってしまうが、清貴の格好良い話はあるのだ。恭子は嬉々として披露する。
「あれは私が大鎌で脅されていた時……」
「大鎌!?」
「……カマキリのね。ふふっ、清貴ったら私の前に立って、恭子ちゃんを傷つけないでねってカマキリにお願いしてたの」
「あら、可愛いエピソード!」
「でも、恭子は虫は苦手じゃないし、清貴君はしっかり鎌で攻撃されたんでしょ?」
「奈穂、こういうのは気持ちが大切なのよ!」
高校で新しく知り合ったももはこの話を知らないが、中学から友達である奈穂には耳タコでオチまでしっかり覚えていた。しかし、鎌で攻撃された清貴がその後泣いたというオチまでは名誉の為に黙っておく。
「別に、完璧で格好良い人を望んでいる訳じゃないの!……初めてだったのよ、男の子を可愛いなぁ、なんて思ったのは。それなのに……」
「恭子ちゃん……」
ため息まじりの恭子を、ももは心配した様子で見つめる。
「早とちり癖は今に始まった事じゃないんだし、これからアプローチすればいいじゃん」
呆れた態度をとっても、面倒見の良い奈穂は恭子が困っていると必ず何か助言をしようと考えてくれる。
「そうそう!それに距離が近い故にすれ違う事って、きっと恋愛ではよくある事よ!」
「そうかしら、本当にそう思う?」
「……まぁ、流石に許嫁だなんて勘違いは漫画の中でしか無さそうだけどね」
ももは目を逸らしながら笑って答える。
距離が近くてすれ違うなら、一度離れるのもいいのかしら。思えば、いつも話しかけるのは恭子からだった気がする。
恭子は許嫁だから距離が近くても違和感は無かったが、許嫁とは思っていなかった清貴は迷惑に思っていたのかもしれない。
部活動まで振り回して、本当は嫌だった?何とも思っていない人に絡まれて不快だったかも、はしたない子って思われたかも。放課後に笑いかけてくれた清貴の顔が上手く思い出せない。
「……私、清貴とちゃんと話すわ」
「!すごく良いと思う!」
「それで、許嫁になってって言うの?」
奈穂の問に恭子は首を横に振ったあと眦を決する。
「許嫁を解消しましょうって!」
え?と双方から信じられないと言いたげな顔を向けられるが、恭子は続ける。
「そもそも許嫁じゃなから解消も何も無いんだけどね。私、清貴も結婚を考えていると思いながら接していたの。でもこの前提が間違っていたんだから、一度ちゃんとお友達として過ごすべきだと思うのよ。それで、私は今までの行いを改めて清貴を我慢するわ。良い距離の置き方じゃないかしら?」
「……好きだって正直に伝えるのじゃ駄目なの?」
「そんな、恥ずかしいわ」
「許嫁勘違いを超える恥ずかしさは無い」
奈穂の指摘は恭子には届かなかった。
ももは恭子の発言に困惑しながらも奈穂に暴走を止めるように目で訴える。しかし、奈穂はこの早とちりの友人が意外頑固であることを知っており止めるすべは無かった。




