第8話:私の靴を磨くな!? 王族直属なのに床掃除まで!?
朝、部屋を出ると、私は妙な違和感を覚えた。
(……なんか、床がやたら光ってない?)
離宮の廊下は石造りで、古びた印象のはず。
それなのに今朝に限って、やたらとピカピカしている。
まるで、宮廷舞踏会前夜の大広間みたいに――いや、違う。ここまで丁寧に磨かれた床、私は王城のどこでも見たことがない。
「……カイン?」
「はい」
すぐ背後から現れる影騎士。
いつものことながら、全く気配がない。
「まさかとは思うけど……床、磨いた?」
「はい。お嬢様の靴が汚れないように、廊下から階段、寝室前まで清掃を済ませております」
「えっ、全部!?」
「はい。……今朝は、夜明け前から動いておりましたので」
「なんで!? どうして!? あなたって王族直属の影兵じゃなかったの!?」
「今はお嬢様直属です」
即答だった。
真顔で、躊躇なく。
「……じゃあ、この靴、もしかして」
「お磨きしておきました」
「ぬかりない……!!」
白いブーツが、まるで新品のように光っている。
でもこれ、昨日の夜に脱ぎっぱなしにしてたやつよ!? 泥跳ねまであったやつ!!
「それって……あなたの仕事じゃないよね?」
「お嬢様に関することは、すべて私の仕事です」
「それ言い出したら全部やっちゃうじゃない!」
「そのつもりです」
「やめてぇぇぇぇぇぇ!!」
私は思わず頭を抱えた。
「あなた、一応は王太子直属の影だったんだよね? そんな由緒ある立場の人が、床磨いたり靴磨いたりって……誇りとかプライドとかないの!?」
「ありますよ。お嬢様に仕えるという誇りが」
「うわあああああああ!! 正論すぎて反論できないやつ!!」
ズルい。
この人、毎回核心を突いてくる。
しかも、それが全部“愛情”と“忠誠”に裏打ちされてるから、どんなに突飛な行動でも正当化されてしまうのだ。
「……あのさ。普通は、そこまでされると、ちょっと怖いと思わない?」
「そうでしょうか」
「思うでしょ!? 朝起きたら床ピカピカ、靴ピカピカって、なにそれ新婚生活!?」
「……新婚生活の予行練習かと」
「しなくていいからァァァ!!」
お願いだから、先走らないで。
ていうか、気づいてる? あなた、確実に“恋人ごっこ”じゃなくなってきてるからね!?
完全に「旦那様ごっこ」入ってきてるからね!?
* * *
「それにしても、最近のお嬢様は、よく笑うようになりましたね」
「え……?」
「離宮に来たばかりの頃は、緊張されていたようですが、最近は笑い声も増えて……何より、目が柔らかくなりました」
「…………」
確かに、そうかもしれない。
カインの溺愛は迷惑で、過剰で、常識外れで、時にストーカーっぽくもあるけど……
それでも、ここに来てから一度も孤独を感じたことがない。
朝起きて隣に誰かがいて、夜には優しい声で眠れと言われる。
心が凍える暇もないくらい、愛情が注がれて――
「……慣れって怖いわね」
「え?」
「……なんでもない」
私は思わず笑ってしまった。
こんな日常に慣れ始めてる自分が、ちょっとだけ怖くて、でも……どこか嬉しかった。
「カイン」
「はい」
「ありがとう。靴、ぴかぴかで歩くのがちょっと楽しい」
「……それは何より」
カインの表情は変わらない。
でもその声には、微かに笑みがにじんでいた。
――私がもう少し素直になれたら、
きっとこの人は、世界で一番優しい“旦那様”になるんだろうな。
(……まだならないけど、ね)