第7話:なんで湯上がりに髪を乾かされてるの私!?
──夜。
静かな離宮の浴室にて、私は今日も一日の疲れを湯に流していた。
(今日は少しは平穏だった……と思いたい)
あーん攻撃はあった。
服のコーディネートもされた。
でも、それ以外はなんとか常識の範囲に収まっていた。……たぶん。
だからせめて、湯上がりくらいはゆっくり一人で過ごしたい。
誰にも構われず、髪を拭いて、寝間着に着替えて、少し本でも読んで――
「……お嬢様、失礼します」
「――えっ、ちょ、カイン!?」
バスルームから出た瞬間、そこには椅子に座って待機している“例の男”がいた。
「ちょ、ちょっと!? なんでいるの!?」
「湯上がりのタイミングに合わせて待機しておりました。髪を乾かしますので、こちらへどうぞ」
「いや、私のプライバシーとか!? 羞恥心とか考えてくれない!?」
「すでにタオルも用意してあります。椅子も温めておきました」
完璧な準備態勢じゃない!!
なに? これも護衛業務の一環なの?
「私は自分でやるから! 髪くらい自分で拭けるし、乾かせるし!」
「それはわかっております」
じゃあなんで!!
「ですが、“誰かに甘やかされること”も、必要だと思いませんか?」
「……っ」
カインは、いつもの冷静な声音のまま、しかしどこか優しさをにじませて、私を見上げてくる。
その目に宿るのは、ただの忠誠じゃない。
明らかに、それ以上のものだった。
「……ほんの少しだけ、なら」
観念して椅子に座ると、カインはすぐに私の後ろに立ち、そっとタオルで髪を包んだ。
その動作は、驚くほど丁寧で優しくて。
「……昔から、こういうの得意なの?」
「いいえ。あなたのために練習しました」
「え……」
「湯上がりの髪は繊細です。強くこすらず、毛先から優しく。そう教わりました」
「誰に……?」
「使用人たちに。……“あなたの髪を、この世で一番綺麗に扱えるように”」
「……っ」
この男、重い。
そして真っ直ぐすぎる。
なんでそんな真顔で、そんな破壊力のあることを言ってくるの。
いちいち心が耐えられない。
「……ちょっとくらい、反応薄くしたりとかできないの?」
「できません。……嘘をつくように命じられれば、従うかもしれませんが」
「……じゃあ、嘘をついてよ。好きじゃないって言って」
「……」
一瞬、静寂が訪れた。
けれど次の瞬間、彼の声は、ゆっくりと、しかし確実に私の耳へ落ちてきた。
「申し訳ありません。それだけは、どうしても……できないのです」
「……っ」
心が、音を立てて揺れる。
まるで、温かいお湯の中にもう一度沈められたみたいに。
──いつから、私はこの人にこんなに影響されるようになったんだろう。
髪を撫でる手のひらが、優しい。
ドライヤーの風よりも、きっと心を温めるのは――この人の想いなんだ。
(……私は、まだこの人を受け入れる覚悟がない)
(でも、それでも……)
「……ありがと。カイン」
小さくそう呟くと、彼の手が一瞬だけ止まり、ほんのわずかに震えたような気がした。
「……いつでも、あなたのために」
──私を守ると誓った影の護衛騎士は、今日も変わらず、どこまでも優しく、どこまでも重く、私に仕えてくれていた。