第10話:あなた……本当は何者なの?
「ねえ、カイン」
夜。
離宮の小さな書斎で、私はふと、思い立ったように彼の名を呼んだ。
「はい」
影のように静かに、けれどすぐに隣へ現れる騎士――カイン。
いつものように私のそばにいる。
でも、ふと気づいてしまったのだ。
「……あなたって、何者なの?」
「……」
カインは答えない。
否、すぐには答えられなかった。
「“影の騎士”なんて、王宮でも限られた人しか知らないっていうのに。あれだけの戦闘能力と察知能力、そして従順さ――普通じゃないわ」
「……そうでしょうか」
「それに、日常的な知識や礼儀作法、あらゆる武器の扱い、言葉選び、立ち居振る舞い……すべてが訓練されすぎてる」
「お褒めに預かり光栄です」
「誉めてるわけじゃないわよ。……ただ、知りたいの。“あなた”という人を」
私はずっと考えていた。
彼がどうしてここまで私に尽くすのか。
どうして、そこまで強く「誰にも渡さない」と言えるのか。
“忠誠”だけじゃない。
“恋心”だけでもない。
もっと深く、複雑な理由が……この人の奥底にある気がしてならない。
「私はあなたに守られてる。でも……知らないのよ、何も」
「…………」
カインは、しばし目を伏せたあと――
「私は、“人間ではなかった”時期があります」
静かな声で、そう言った。
「……え?」
「感情も、名前もなかった。ただ、“影”として生きろと言われた。剣を持ち、主の命令に従い、失敗すれば処分される――そういう場所で育ちました」
空気が、ひやりと冷たくなる。
彼の瞳に宿るものが、いつもの“穏やかな狂気”ではなく、“過去に触れる覚悟”に変わっていた。
「私は、“影育成機関”で生まれ、育ちました。……捨て子の孤児として拾われて」
「そんな……」
「最初は番号で呼ばれていました。“48番”。それが私の最初の名前です」
私は思わず、息を呑んだ。
番号。
名前ですらない、その存在。
「ある時、上位の王族が視察に訪れ、“最も優秀な影に名を与えよ”と命じたのです。そこで私は“カイン”と名付けられました」
「……じゃあ、その名前も、あなた自身のものじゃ――」
「そうです。元は、与えられた称号のようなもの。けれど……私は、それを“あなたに呼ばれるための名”だと思うことにしました」
「…………」
その瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
どれほどの過去を背負って、この人は今ここにいるのだろう。
私のそばにいるという、その一見軽やかな事実の裏に、どれほどの訓練と孤独と選別があったのか。
「……でも、今のあなたは、もう“48番”じゃない」
私はそっと、彼の手を取った。
「“私の騎士”、カインなのよ」
「……お嬢様……」
カインの瞳が、少し揺れた。
これまで見たことのないような、ほんの僅かな脆さが、そこに浮かんでいた。
「私もね、まだ自分のことが好きになれないけど……。あなたのことは、大事だって、思ってるわ」
それが、今の私の精一杯だった。
恋とか、愛とか、まだよく分からない。
でも、彼の過去ごと、この人を否定したくない。
……それだけは、はっきりしてる。
「……その言葉だけで、生きていけます」
カインは、私の手をそっと口元に運び、静かにキスを落とした。
その仕草は、いつもの甘ったるい“恋人ごっこ”じゃない。
もっと深くて、もっと静かで――
まるで、契約のような、誓いだった。




