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妄想注釈物語  作者:
8/10

ヒルデガルトが『理趣経』に注釈してみた件

えっちなのはいけないと思います!いや…いけなくもない…かな?

この経典を開いたとき、

私は思わずページを閉じそうになりました。

正直に申しますと――内容があまりにあけすけで。


「一切の如来は、愛欲を離れずして涅槃に住す」


えっちなのは、いけないと思います!

(手を合わせながら即座に唱える)


でも、心のどこかで、もうひとりの私がこう囁くのです。

「……ほんとうに“いけない”のかしら?」



私は中世の修道女。

祈りと歌と植物と、ひたむきな静けさのなかで、

天からの言葉にならない声を受け取り、書き記してまいりました。


でも、思い出すのです。

幻視を受けたある朝、ひとすじの光が胸元に差し込んだあのとき。

まるで、世界全体がひとつの身体になったような感覚がありました。


それは歓喜でした。

けれども私は、まだ**「愛欲」という言葉に対して、戸惑い**があるのです。



『理趣経』に記される一節一節は、

私がこれまで語ることをためらっていた、

**“身体”と“霊魂”の接続点”**に踏み込んでいます。


「一切の女人色身は、菩薩の清浄法身なり」


この言葉を読むとき、私は…正直、

「おっぱいが…えっちなのに、仏……!?!」

と一瞬思ってしまい、すぐに頬を赤らめました。



でも考えてみれば、

私たちが日々接する“肉体”とは、

聖霊が宿る器でもあるのです。

それは私の神学とも通じるところがあります。


“色”が穢れているのではなく、

“色”を穢れたものとしてしまう心が、

本当は浄められるべきものなのかもしれません。



『理趣経』は、あえて最もセンシティブな領域を

聖なるものとして読むことで、

人間の分離癖を癒そうとしている――そんな気がします。


この経典を通して、私は自分自身にも問いかけました。


“あなたが信じていた神は、果たして

あなたの羞恥心の外側にいたのではないですか?”



ああ、いけない。

私、また深読みしすぎてしまいました。

やっぱり…えっちなのは、

ちょっと…ちょっと…どうなんでしょうか……


でも、たぶん神はこう微笑むのかもしれません。

「愛が真実であるならば、形式は問いませんよ」と。



もう少し、私はこの書と向き合ってみます。

静かな部屋で、ハープの音とともに、

そっと、でも真剣に。


この経典には、ラテン語では書けないような光が満ちています。

私はまだすべてを理解したとは言えませんが、

この光の行方を見届ける準備は、できているつもりです。

イメージソング。

My Bloody Valentine「We Have All The Time In The World」。

https://youtu.be/1fajvqa50Jc?si=DkDLWMNzilfcVp-U

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