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妄想注釈物語  作者:
3/11

道元が『学問のすすめ』に注釈してみた件

あなたの「学」は、どこへ坐しているか。

【原文:『学問のすすめ』冒頭より】

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」


【道元禅師の注釈】

そのとおりだ。

仏の法もまた、衆生に上下をつくらぬ。


されど、福沢どの。

その言葉の“真の重さ”を、あなたはお感じになっておられたか。


“人の上にも下にもならぬ”とは、

己をただ“ここ”に坐らしめるということにほかならぬ。


学問とは、その「坐」の深さを知ることでもある。

すなわち、どこにも逃げず、どこにも立たぬという、最も難しい学びである。



【原文】

「学問をせずば貧に陥り、賤しき者となる」


【道元】

あなたはこの世において、

“学”と“経済”とを結びつけようとなさった。

それは、世の中を変えるために必要な発想であったろう。


しかし、我が仏道においては、

「貧しき者」こそ最も自由であることを忘れてはならぬ。


貧しき身にこそ、煩悩の鎖は薄く、

賤しき名にこそ、虚栄の病は遠い。


あなたが語る“賢者”が、

坐して一椀の粥に満ち足りる日が来たならば、

この国の“文明”は、ようやく本当の夜明けを見るだろう。



【原文】

「学問によりて身を立て、家を興し、国を富ませるべし」


【道元】

学びによりて身を立てること、まことに尊し。

されど、その身は何を拠り所として立っているのか。

もしその問いを忘れれば、

身はたちまち、立っているように見えて、漂ってしまう。


興すべき“家”とは、我が身という家なり。

富ますべき“国”とは、無一物なる心の国土なり。


そのようにして立てられた身が、

一日ひとつ、坐る場所を知っていれば、それでよいのだ。



【最後の注釈】

福沢どの、あなたの言葉には熱がありました。

熱は人を動かす。

けれど、熱はまた、人を焦がすこともある。


焦げることを恐れず書かれたあなたの“すすめ”を、

私はありがたく、若者たちに手渡したいと思います。


されど、

もし「学び」がどこかで迷ったとき、

そのときは、ただ静かに坐ってごらんなさい。


坐ることは、

あらゆる“すすめ”に先立つ、

もっともやさしい学びですから。


道元、合掌して筆を擱く。

BGM。

Philip Glass「Floe」。

https://youtu.be/P_GF5XS9ImQ?si=WmUloRDdYi-quOi0

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