道元が『学問のすすめ』に注釈してみた件
あなたの「学」は、どこへ坐しているか。
【原文:『学問のすすめ』冒頭より】
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
【道元禅師の注釈】
そのとおりだ。
仏の法もまた、衆生に上下をつくらぬ。
されど、福沢どの。
その言葉の“真の重さ”を、あなたはお感じになっておられたか。
“人の上にも下にもならぬ”とは、
己をただ“ここ”に坐らしめるということにほかならぬ。
学問とは、その「坐」の深さを知ることでもある。
すなわち、どこにも逃げず、どこにも立たぬという、最も難しい学びである。
【原文】
「学問をせずば貧に陥り、賤しき者となる」
【道元】
あなたはこの世において、
“学”と“経済”とを結びつけようとなさった。
それは、世の中を変えるために必要な発想であったろう。
しかし、我が仏道においては、
「貧しき者」こそ最も自由であることを忘れてはならぬ。
貧しき身にこそ、煩悩の鎖は薄く、
賤しき名にこそ、虚栄の病は遠い。
あなたが語る“賢者”が、
坐して一椀の粥に満ち足りる日が来たならば、
この国の“文明”は、ようやく本当の夜明けを見るだろう。
【原文】
「学問によりて身を立て、家を興し、国を富ませるべし」
【道元】
学びによりて身を立てること、まことに尊し。
されど、その身は何を拠り所として立っているのか。
もしその問いを忘れれば、
身はたちまち、立っているように見えて、漂ってしまう。
興すべき“家”とは、我が身という家なり。
富ますべき“国”とは、無一物なる心の国土なり。
そのようにして立てられた身が、
一日ひとつ、坐る場所を知っていれば、それでよいのだ。
【最後の注釈】
福沢どの、あなたの言葉には熱がありました。
熱は人を動かす。
けれど、熱はまた、人を焦がすこともある。
焦げることを恐れず書かれたあなたの“すすめ”を、
私はありがたく、若者たちに手渡したいと思います。
されど、
もし「学び」がどこかで迷ったとき、
そのときは、ただ静かに坐ってごらんなさい。
坐ることは、
あらゆる“すすめ”に先立つ、
もっともやさしい学びですから。
道元、合掌して筆を擱く。
BGM。
Philip Glass「Floe」。
https://youtu.be/P_GF5XS9ImQ?si=WmUloRDdYi-quOi0