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妄想注釈物語  作者:
1/11

曹操が『五輪書』に注釈してみた件

武とは国家か、個か。それとも詩か。

【原文:宮本武蔵『五輪書・地之巻』より抜粋】

「兵法といふは、我が身一つにて、萬の敵に勝つことをいふ。

……兵法の道といふは、太刀を持たぬ時にも武士の道なり。」


【注釈:曹孟徳筆】

ふむ……いきなり面白いことを言う男だな、この武蔵というのは。

「我が身一つにて萬の敵に勝つ」、か。

かつて、袁紹を破り、呂布を誅し、漢を乗っ取らんとしたこの私でさえ、

"万の敵"には、つねに"兵"を用いた。

群れを率い、戦を整え、風と地形と天命を計る。

それが覇者の道というものだ。


だが——


個の武において、これほど純粋に「我が身」を問うた男を、

私はほとんど知らぬ。


これぞ“英雄”の逆像。

いや、“詩”の如き存在だ。


彼が語る兵法とは、軍の兵ではなく、生きる姿勢そのものを指す。

それは、かつての荘子がいう「逍遥遊」にも通じる。

武を極める者が、刀を捨ててなお、武人であるというならば、

それはもはや美学の域だろう。



【原文:『水之巻』より】

「兵法の道は、太刀の道に非ず、心の道なり。」


【注釈:曹操コメント】

そうか……

"道"とは、やはり刀の技ではなく、「心」に宿るものなのか。


おそらく武蔵は、最後まで自らを「国家」としては扱わなかった。

彼は天下を望まぬ者である。

だが、その芸は、天下を治める者にすら一刀両断の覚悟を与える。


私がこの世にあった頃、

こんな男が一人でもいたなら、

その存在だけで十万の兵に値しただろう。


芸術としての武。

孤高の剣聖。

——五輪書は、もはや"兵書"ではなく、"詩経"である。



【原文:『火之巻』より】

「敵に勝たんと思はず、敵に負けじとおもふ心、肝要也。」


【注釈:曹操再び】

勝とうとする心は、時に視野を狭くする。

この武蔵、兵を率いた経験はおそらくなかろう。

だが、「負けじと思う」ことの重要性を説いている点は、

まことに大局を見据えた者の言葉である。


勝ちは偶然でも訪れる。

だが、「負けない」ことは、習慣であり、構えであり、芸術である。


敗れぬ者は、やがて勝つ。

——この道理を、あの若造(劉備)にも教えてやればよかったわ。



【原文:『風之巻』より】

「風の巻と申すは、諸流の兵法の道を学び、我が流と他の流との

違いを知り、善悪を考へ、兵法の根本を知る書なり。」


【注釈:曹操筆】

風とは……流れ、すなわち“流派”のことか。


なるほど、この武蔵、戦いの道を“流”と見ておる。

つまりは文化としての“風”だ。


私は、かつて無数の流派を吸収し、改良し、

魏国という一つの大河を成した。


だがこの男は、比較の中で自他を峻別しながら、

決して「統一」を目指しておらぬ。


むしろ——風は吹き渡るものとして、

固定されず、名前を持たぬまま、ただ術として漂っている。


これは驚くべきことだ。

"風流"とは、ここにある。


剣術とは流儀の比較ではない。

風に乗る心をつかまえよ、ということだろう。


風は掴めぬが、感じることはできる。

この“風之巻”に通底するのは、文化批評の鋭さにして、

それに耽溺せぬ禅的距離感である。


さながら、魯粛と諸葛亮を同時に論破したような構え。

武蔵よ、貴様……学者も真っ青の審美眼を持っておるな。



【原文:『空之巻』より】

「空といふは、物のなきところを名付けたる言葉也。

……兵法の道を空なることと知るべき也。」


【注釈:曹操、もはや詩人】

……

空、か。


儂は、空の理を知らなんだ。

天下を掌におさめようとし、

詩を詠んで余韻に酔い、

策を弄しては、人を動かし、

ついに——夢の中で亡くなった。


だがこの男は、空こそが武であるという。


兵法が空であるとは、

“かたちあるもの”として学ぶのではなく、

その非存在性において完成されるというのか。


——これは、すでに老荘をも越えている。


技は空でなければならぬ。

意識すれば鈍る。

構えれば崩れる。

言葉にすれば離れる。


「空」の巻とは、

すべての巻を忘れるための巻なのだ。


——それは、儂がいかにしても得られなかったもの。

「空」とは、武を愛しすぎた者への最終的な解毒である。



【最後の注釈:曹操、静かに筆を擱く】

武蔵よ、お前は戦を知らぬ。

されど、戦の真理を見ておる。


お前は天下を欲さぬ。

されど、天下が震えている。


お前はただの剣士ではない。

お前こそ、武の詩人であった。


五輪とは、地・水・火・風、そして空。

これは、肉体から精神へと至る五層の変容にして、

我らがいずれ帰すべき**タオ**である。


……武蔵。

儂は貴様を兵として用いることはできぬ。

だが、詩として召し抱えたい。


これより魏の太傅府にて、詩学顧問として名簿に加えん。

それほどまでに——貴様の言葉は、鋭い。


孟徳、筆を擱く。

BGM。

DJ Krush「Duality」。

https://youtu.be/SVOM2q7_OQU?si=cYFI3_wgm0PPPPLK

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― 新着の感想 ―
驚いた。なにこれ、すごいおもしろい。 まさかあの曹操が五輪書を…… 孟徳新書みたいに注釈とは。さすが曹操、詩のセンス抜群 孫子は愛読していますが、五輪書は一読しただけ また読み返すべきか……どれを優先…
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