第6話 いってらっしゃいの挨拶
五神に祈りを捧げてあげるよ、と言ったチャチェの顔は嫌味を含んでいない、おかしいものを見た時のような微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。チャチェも日が暮れるまでには、戻ってきてくださいね。それとこれを」
そう言うと、ファルメルは綺麗な石のついた革紐の素朴なネックレスを取り出し、チャチェに渡した。
「これは?」
「道に迷わない、おまじないを掛けておきました。帰り道がわからなくなったら、念じればこの石が家の場所を指し示すでしょう」
「ふーん、貰っておくよ」
チャチェは興味深そうにネックレスをまじまじと見ると、素直に自分の首へぶら下げた。
「では出かけましょうかと言いたいところですが、チャチェの服をどうしましょうね。看病のため病衣を着せていましたが、そのまま出るわけにはいきませんからね」
「別にこのままでいいよ、誰に見られるわけでもないし」
別に見られたとしてもこれで良いんだけど。と思いながらファルメルの返答を待った。
「いけません。家の周りと言えど整備もされていません、肌を露出するのは危険です」
「気にしないけどなぁ」
「いけません、貴方は一人のチャチェという人物でもありますが、私の教え子でもあります。私の教え子には自分を大切にする事を意識していただきます」
「そう……分かったよ」
チャチェは、まだファルメルの主張がイマイチ理解できていないようだったが、そこまで言うなら……と、とりあえずは納得したようだった。
「私が冒険者だった頃の服を出しましょう。少しここで待っていてくださいね」
部屋の収納から引っ張り出したシャツとズボンを着てみる。少々大きい気もするが、着心地は良く、一緒に出してきたブーツはピッタリだ。
「今のファルメルは、僕より小さいのに昔は僕より大きかったんだね」
「成人したての時は、今のように腰が曲がっていませんし、その頃より今は体が縮んでしまっていますからね。でもチャチェはこれから大きくなるでしょう、昔の私の身長は抜き去ってしまうでしょうね」
「どうだろう……僕に成人という概念はがあるのかな。そもそも今が成長期であるかも怪しい」
「見た目としては、第二次性徴くらいに見えますが……まぁ、これからともに過ごせばわかる事です。今は気にしないでおきましょう。さ、改めて出かけましょうかね。家の鍵は開けておくので、森で疲れたら家のベットで休んでも良いですからね」
そう言うとファルメルは、部屋を出ていく。なんとなくそれに付いて行くと、ファルメルは杖を手に取り、ローブに身を包みフードを被っていた。
「おや、どうしましたか?」
「なんとなく気になって」
「なろほど、では少し説明をしましょうか。狩には魔法を使います。簡単な魔法なら、杖などなくとも使えますが、杖があればより正確に魔法を使えます。補助的な役割があります」
「狩にはどんな魔法を使うの?」
チャチェは興味津々な様子で質問をする。自分の世界になかった魔法という術が気になるのだろう。最初は何を考えているかわからない、表情の乏しい少年だったが、感情表現がわからずどういう顔をすればいいのか分からないのだろうと分かってからは、素直な子なのだと、ファルメルは思った。魔法の話をすると、目を輝かせ楽しそうに話を聞いているように見える。未知の理に興味が尽きないのだろう。
「今日狙う魔物は、メランケラスと言って群れをなす魔物で、草食なので気配に敏感です。ですから気配とマナを殺して、群れを逸れた一頭に“石弾“を物陰から打ち込み、動けなくなったところを仕留めます」
「ふーん、いいなぁ楽しそう」
ファルメルはしまった……と思った。せっかく狩から意識を逸らしたと言うのに、狩りの説明をしたせいで、また狩りに付いて行けない事に意識が戻ってしまった、と。
「マナを自在に操る事が出来れば、チャチェにも同じ事が出来るかもしれませんよ。それにはまず、適性を見なければなりません。修行が始まれば毎日が忙しくなります。今日くらい、森を見て回って、ゆっくり休んではどうですか?」
「うん、分かった。そうするよ」
チャチェの機嫌をとれた事に安堵したファルメルは、説明の続きを話す。
「では、メランケラスの狩場は家から東の草原です。結界内の移動であればあまり関係はありませんが、なるべく東には近寄らないように。チャチェのマナで獲物が逃げてしまうかもしれませんから」
「結界の外に出てしまったら?」
「その事を話さないといけませんね。結界は家を中心に、百メートル程の広さで張ってあります。近付くと薄い膜のようなものが、見えるでしょう。その外には行かないよう、約束をしてくださいますか?」
「うん、いいよ」
ファルメルの問いかけに、素直に頷くチャチェ。会って間もない相手とはいえ、先程の魔法を教わる上での条件をちゃんと守ろうとしているなだろう。
「では、いってらっしゃい」
「うん、また」
「こういう時は『行ってきます』と言うんですよ」
ファルメルの言葉にチャチェはパチクリと瞬きをする。そういえば、人間の文化でも家を出る時の挨拶があった事を思い出す。
「そっか、行ってきます」
素直に言い直すチャチェに、微笑んだファルメルは、うんうんと頷きチャチェを見送った。