閑話 泡立たない……
夕食を終え、お腹が重たくなったチャチェは、密かに瞼の重みを感じていた。
「もうお風呂を入って、寝てしまってはどうですか?」
「そうする……」
「ではタオルや着替えを用意しましょう。これからの生活で必要なことですから、チャチェも場所を覚えてくださいね」
そういうとファルメルはタオルや着替えの場所を教えてくれた。家の中を移動している最中、風呂の話をした。ファルメルの世界では毎日風呂に入らないらしい。石鹸で洗うと汚れは落ちるが、同時に必要な脂も落ちるのだ。
頻繁に入ると髪の毛が痛んだんだり肌がカサカサになるらしい。食事の時に飲んだ水の味を思い出すと、軟水特有の口当たりをしていたと思うので、水のせいで荒れることは無さそうだ。石鹸の洗浄力が強いのだろう。
風呂や食事の概念が今までに無かったから、心を豊かにするという食事にばかり気を取られて、風呂に入るという日常動作がすっかり抜け去っていた。前の世界では、国によるが風呂は頻繁に入っていたような気がする。自分は入ったことないけど。
「ではごゆっくり」
「ありがとう、先に頂くね」
脱衣し、タオルを持って浴室の中に入る。中を眺めると、バスタブに湯がはってある。公衆浴場があると言っていたし、湯に浸かる文化なのだろう。
「ひとまず体と頭洗うか」
手に持ったタオルを濡らし、石鹸と思わしき物を揉みこむ。しかし、どれだけ揉みこもうとも、泡立たない。これ以上石鹸を消費するのもはばかられるので、そのまま体を撫でてみるが、洗えているのか自信がない。
風呂というものを体験したことがないため、これでいいのか全く分からない。困ったな……髪も洗いたいんだけどな。と、途方に暮れているとドアの外から声がした。
「チャチェ? とても静かですけど、倒れてはいませんか?」
「ファルメル……、ちょっと困ったことがあって」
「どうしました?」
「お風呂の入り方が分からない……」
「分かりました。私が入ってもよろしいですか?」
「ちょっと待ってね」
そう言うと、チャチェは濡れてないタオルを腰に巻いた。
「いいよ」
「失礼しますね」
一声かけた後、ファルメルはローブを脱ぎ、腕まくりした状態で入ってきた。
「今どういう状態ですか?」
「タオルを濡らして、石鹸と思わしきものを揉みこんだところ」
「それは石鹸で合っていますよ」
ファルメルは石鹸とタオルを受け取ると、洗面器に少量のお湯をはり、石鹸水を作った。バシャバシャと石鹸水にタオルを浸しては、チャチェの体を拭いていった。
「泡立たないんだね、この石鹸は」
「泡立ちはとても悪いですよ、洗浄力はあるんですが」
「洗えてるか分からなかったよ」
「チャチェの世界の石鹸はどういう物なのですか?」
ファルメルの質問に、うーん。と、記憶を引き出す。
「白い泡が出て、香りがするものが多いよ。花の香りやハーブの香り」
「それは良いですね!是非とも再現したいものです」
背中を流すと、次に髪の毛に取り掛かる。毛身の毛全体をブラッシングした後に、髪の根元だけ石鹸水で濡らし、指の腹でわしゃわしゃと洗われた。石鹸水をよく濯いで終わりだそう。
ふー!と、やり切ったファルメルは、髪の毛を束ねて湯に浸かるように言うと、浴室から出て行った。一人残されたチャチェは、いう通りにバスタブに浸かる。湯の中には巾着が入っていて、微かに香りがする。どうやら入浴剤の概念はあるようだ。
「ふぃー」
温かな湯に肩まで浸かると自然に声が出た。当たり前だがあったかい。指の先までじんわりと温まってゆく。それがなんとも心地よい。これが風呂か……!と、感心した。
風呂から上がると、リビングでファルメルが本を読んでいた。
「さっきはありがとう、助かったよ」
「いえいえ、いいんですよ。私も子を洗うようで楽しかったです」
「子……」
「人としての生活歴を考えれば子のようなものです。恥ずかしがらずに、なんでも頼って、なんでも挑戦してみてください」
「そう言えばそうか、心改めておくよ」
では、私もお風呂をいただきますね。と、ファルメルはリビングを後にした。チャチェも、もうする事が無いので、部屋で寝ることにした。ここに来てから色んな事を体験するなぁ……と感慨深く思いながら、瞼を閉じてゆっくりと眠りについた。




