星と時泥棒
高一のときにかいたもの
天井が見えない暗闇に満天の星が光っていた。
星明かりのおかげでいつもより幾らか明るい帰り道に、街頭の光から隠れるように生えたやけに細い俺の影と、手に提げたコンビニの袋がゆっくりと揺れている。
ふと、色を失った茄子畑が視界に入った。なりかけの実と、下を向いた花の重なりたちが生温い風に吹かれて不気味な音を鳴らしている。
聞こえるか聞こえないかくらいの絶妙なライン、高校生時代の事を思い出す。
「……なんかあいつさぁ、私達のこと見下してなあい?」
「わかるぅーww、動きとかキモイしぃww」
「wwwダルいし寒いしねぇーwww」
……今思い出すだけでも酷過ぎるコソコソ話だ。高校生だから泣かないと思ったら大間違いだ、完全にギャン泣きするところだった。というか、キモイは百歩譲って許せるとしてダルいと寒いに関しては意味がわからない。
キモイとかキショいとかウザイ的なネガティブな単語は星の数ほどあるのに、イケメンとかめっかわみたいなポジティブな単語が少ないところに人間の悪いところが出てる。やはり他人だけでなく自分のも、悪い部分は目につきやすいのだ。
そんな無責任な言葉で俺の人生は転落したといえる。
目標もない、ただ今夜もそんな自分の悪いところが、まとわりついて離れない。少し考えれば己の醜悪さが浮かんできて、自分がいかに無価値で必要のない物なのか再確認する。
ここ数年の夜はそんな感じだ。
具体的には高校を中退してから、ということになる。なんのために学校に行くのかわからなくなり、惰性で自分を騙すのも、今は俺を見捨てた親に申し訳なくなり自主退学した。
それからは落ち放題だ。グラフで言うと下がる放物線、ただでさえ低い位置にいたのに、0に近い底辺の世界の住民になった。そうして俺の青春はあっけなく賞味期限切れになった。
話し相手も頼るあても誰が家賃を払ってるかもわからないボロアパートと、24時間営業しないコンビニを往復する日々。自分で言うのもなんだが人生の敗北とはこのことだろう。
未来を直視できないから、しょうがなく星空を見上げた。
よく見てみると大きさや色、明るさに個体差がある。
あの青白く、やけに目を引く星がよだかの星なのだろうか。
宮沢賢治の「よだかの星」では、よだかは生きている時とても醜く、おなじ鳥たちから蔑まれバカにされていた。それでも星になって燃え続けている、帳尻は合わせられるものなのだ。
死んでも誰かの記憶に残れるなら、人の心の中に居れるのなら、きっと幸せなことで悔いのない人生なんだろう。
ましてやよだかは星になれた。寿命を終えても光となって存在できる。
心の中や星空、場所を問わずなにかしらの形で生き永らえるなら、それは人生の勝利だと思う。
急によだかのようなきれいな心を、柄にもなく星に願った。
いつの間にか茄子畑を通り過ぎていた。
相変わらず夜は明けないが、マイホームが見えてきた。人気のない住宅街の成れの果てに、絶対に必要のない二階建てアパートの隅の一室である。
どんなにゆっくりでも進む方向が合っていたら目的地にたどり着けるらしい。
木で作られたボロボロのドアが近づくと、ある異変に気が付いた。ドアの前にがたいの良い男が一人、背を向けて立っているのだ。暗くてよく見えないが、逆三角形の影を作る体つきから男であることがわかった。このアパートはおろか、この街に人が現れるはずがない。しかもなぜ俺の部屋の前にいるんだ、高校をやめてしばらくしてから人がここによりつくのを見た試しがない。
部屋まであと数メートルのところでその男が振り向いた。
その瞬間悪寒が走った。
男らしい整った顔に、人当たりの良い笑顔が張り付いている。そいつは笑顔を崩さないまま手を上げ、ひらひらさせてきた。
「やあ」
「黒岩……」
黒岩は、中学の時の親友である。
自分で言うのもなんだが、中学の時俺と黒岩はカーストトップのキラキラ組だった。成績は優秀で、スポーツもできた。黒岩に関してはスポーツ推薦で他県の私立高校に引っ張られた。だから高校が別々になってしまった。同じ高校に入ってたらどうなるか考えたこともあるが、そんな仮定に意味がないと割り切れるようになるのに暫くの時間を要した。人生がうまくいったあいつと、全てが右肩下がりの自分を比べてしまうため一方的に連絡先を消してしまったのに、どうやってここにたどり着いたのだろう。
「久しぶりだな」
そう言って笑う彼を、うなずきながら部屋に通す。
俺の部屋はワンルームで、中はもちろん汚い。生活感を隠そうとすらしていない地獄のような部屋だが、黒岩の笑顔はいまだ張り付いたままだ。
なけなしの残金でギリギリ買えた缶ビールを、黒岩に渡すと、間もなく彼が口を開いた。
「連絡先が急に無くなっておどろいたよ。なかなか連絡できなくてごめんな」
「……」
「聞いたよ、中退したんだってな…相談くらいして欲しかった」
嫌味っぽさやバカにするような言い方ではないし、細心の配慮を感じ、丁度いいくらいの笑顔を浮かべたままでむしろ気持ち悪いとさえ思ってしまった。
「ああ、すまんな」
黒岩のよく通る自信に溢れた声とは対照的な、かすれた俺の声がやっと返事をした。
それっきり声がはっせられることはなく、黒岩のきまずそうな顔を見てもうしわけないきもちなる。
ふいに黒岩が、側にあった「よだかの星」を拾い上げた。
窓から差し込んでいた月明かりを雲が隠した。
「俺はこの作品が苦手なんだ」
その本をペラペラめくりながら言った。
「俺は気に入っているが、なんできらいなんだ」
俺の問に、一呼吸おいてからかrが口を開いた。
「醜いよだかが、なぜ報われるんだ、彼は敗北が似合うはずだ。きれいな心を持っているやつが報われるケースは少ない。そういう非現実的なところが納得できないんだ」
人柄に合わないはずのそんな言葉を、笑顔で放った。
「逆に、どうして気に入ってるんだ」
変わらない表情のまま聞いてきた。
「よだかに共感したんだ。生きていること自体が悪だと感じるところに」
黒岩の表情が変わった気がした。
彼は部屋の奥にある窓の方へ歩いていった。俺も続きながら口を開く。
「生きている以上、家族をはじめ周りの人に迷惑を掛ける。そのたびにその人の限りある時間を奪ってると感じるんだ」
窓から見た星空に、あの青白い星は無くなっていた。
「それだけじゃない、例えば歩いているとき。車に乗っている人に先を譲ってもらったり、それはその人の時間を奪っているんだ」
俺は黒岩から離れ部屋の中央にもどった。
「今だってお前みたいな素晴らしい成功者の時間を奪ってる。なぜここに来たかわかんないけど、そう考えるとなんか申し訳ないな」
少し笑いを含みながら振り返った。
「いいんだ。もう少し喋ってくれないか」
もう話終わったつもりだったが、そう言われると考えるのを続けざるをえない。
そこで、あることに気付いた。
もう一度黒岩に背を向け、話し続けた。
「だから精一杯生きないといけないのかもな。生きる以上、誰かの時間を奪うことは避けられない。人生を諦めたり、手を抜いたりしたら、自分のために時間を使ってくれた人にたいいて失礼になる。だから、なにか功績を残したり、何かを成し遂げたりしできなくても、せめて失礼のないように精一杯生きないと……」
ふと、うしろを振り返った。
そこに黒岩はいなかった。
何かに誘われるようにして外に出ると、さっきと殆ど変わらない星空がひろがっていた。
あの青白い星も誇らしげに輝いている。