ゼルタスギアの吸血姫
ゼルタスギア国の王女が失踪した。
旅の途中、そんな嘘のような噂を聞いたのがつい最近のこと。
僕は今、そのゼルタスギア国にいた。
時刻はおおよそ正午か、ゼルタスギアの城塞都市を買ったばかりの靴で叩けば精密に並べられた石畳の道に美しく設計された建物が並ぶ整然とした街並みが現れる。さんさんと照りつける太陽が皮膚の表面を焼き、流動する人々の賑声が市街を照らす。
初めて訪れたがどうも活気のある良い国だと、僕はこの国が気に入り始めていた。
出会いはそんな、なんてことのないひと時だった。
「あの」
不意の中に背後から声をかけられた。
聞こえたそれは女特有の高い声色。
何事か?と流れるような人混みの中で立ち止まり、僕は彼女へと振り返る。
「はい、なんでしょうか?」
女は異様と呼べる姿だった。
頭には外套のような黒いマントをすっぽりと、いや頭どころかその両眼すらも布で覆ってしまっているようなそんな若い女で、それはまるで日に焼ける事を絶対的に拒むような、それこそ王都の貴女の日焼け対策レベル100みたいな格好で、しかしながらそうは言ったが、かの貴女達と比べるほどその姿は華やかで艶やかなものではなく、
「…貴方を食べても良いですか?」
驚くべきことに彼女はそんな事を言い出した。
「食べるって…誰を?」
貴方を…とハッキリ聞こえたが、あえて聞こえなかったふりをした。
あまりに信じられなかった。だから自耳の方を疑った。
それは聞き間違いなんじゃないかって、もしかしたら何かの勘違いなんじゃないかって。
風が吹いてたまたまそう聞こえてしまったんだって、もしくは舌を噛んでそういうイントネーションになっちゃったんだってそう。
「貴方を…食べていいですか?」
「良くないです」
即答だった。
即答。
否定に1秒たりとも時間はかけなかった。
だってそりゃそうだろう。そんなの僕からしたらそう返すしかない。
ある日、旅の出先、誰とも知らない人間からいきなり声をかけられて、貴方を食べていいですかと聞かれて、はい、いいですよと軽々しく言えるほどの大器は生憎ながら僕には持ち合わせていなかったのである。
いいや、逆に持ち合わせている人間が居たら是非に知り合いたいものだ。
きっとそんなお人好しな人間は人類進化の過程のどこかで絶滅しているか、偶然たまたま生き残ったとして、それならばえらく大成していることだろう。
右頬を殴られたら左頬も差し出せと言ってしまうほどに、きっと、はい。
「なら、どうしたら食べて良いですか?」
なんと食い下がってきた。
いやはや食べる為に食い下がるとは、まるで値下げ交渉のように、挨拶のようにフランクにそう言われてしまったらこちらも対応に困るものだ。
困り惑うのだ。
いや、そんなのどれだけ気さくに言われたところで、大金を積まれてさえもこちらからしたらオッケーなんてでることはないし、人が人なら冷たくあしらわれることもあると、その心が大変傷つくようなこともあるかもしれないと一言据えてラッピングして送り付けてあげたい気持ちもあったが。
まぁ、とりあえずだ。
とりま。まま。
落ち着こう。
そうだ。
彼女に並々ならぬ事情があるのは確かなのだろう。
僕を食べたいと、僕本人に言ってしまうほどに。
そしてその異常性に、
僕の奇異で静鉄な視線に現在進行形で晒されていることに彼女が自身気が付かないくらいに。
「そうですね、では一度話し合いでもしましょうか?」
その時の僕の中にはもう彼女に対しての恐怖心はなかった。
完全になかったと言うとウソになるが、けれどあるとしたらそれはきっと、いやもっと単純なもので、
人助けという皮を被ったただの野次馬心だけだったのだろう。
ーーーー
吸血鬼。
有名な化け物だろう。
生命の、生き物全ての根源ともいえる血液。その血を吸う鬼。
つまりは人を喰らう食人の鬼である。
巧妙に人の姿に化けそして人の群れに溶け込み、けれども彼らはやはり人ではなく、不死であり、陽の光を嫌い、大蒜を嫌い、銀を嫌う。蝙蝠に似た翼を広げ、人の血を啜り、そして眷属を増やす。そんな恐るべき存在。
それが、そんな存在が目の前の彼女であった。
話し合いの場に宿を用意した。
用意したと大袈裟に言ってはみたが、そこは女性一人を案内できるようなほど高値な宿ではなく、下町によくあるような一晩ポッキリの安宿で、ところどころに鼠の食い後が残るようなそんな粗末な場所だったけれど、しかし今の僕らにはこの場所が何より必要であった。
顔を合わせて彼女と話したかったのだ。
しかし彼女はどうにも人前でその姿を見せるのをためらっている。
だからここを選んだ。この狭い一室を。
僕達二人以外は絶対に誰もこない、この場所を。
彼女はあれほどの身なりでもそれなりに常識のある女性なのだろう。見ず知らずそれこそ出会ったばかりの僕とこうして二人でこの薄暗く狭い、あからさまともいえるだろう部屋に入ることに、少しの拒絶感と抵抗感が見えた。
「安心してください、襲おうって気はないですから」
僕は彼女を安心させようと笑顔でそう言った。
しかしどちらかといえば、こちらが襲われそうな気がするのだが。吸血鬼の手前、安心したいのはこっちの方なのだが。
瞬刻経つ。
彼女は自身の心中で何か決したのかコクリと頷けばついに部屋の中へ立ち入り、キョロキョロと視線を回した。僕以外にはこの部屋に誰もいない事を確認すると、続け様に自身のその装具を外していく。
その外套を、その目隠しを、シュルシュルと音を立て現れたのは金の髪に赤い瞳を持つ美しいといえる容姿の女性だった。年齢はおおよそ僕と同じほどで20代前半か、それとも10代の後半あたり、白すぎる肌に軽く触れただけでも折れてしまいそうな細身の身体。
哀想漂う美人という代名詞がピッタリと当てはまるその様。
「その…あまり…、わたくしを見ないでくださいませ」
彼女は僕に言う。
別に他人から見られるのが恥ずかしいとかそういうわけではなく。
わたくしの瞳は、他者を狂わせてしまうから、と。
それは確かだ。
彼女の言う通り、彼女のその瞳は特別だった。その赤い瞳をじっと見つめ続けていると、自意識ってやつが徐々に狂い出していく感覚がする。
それは、
「魅了の魔眼…。
人を魅了し操る瞳。吸血鬼の特徴の一つですね」
真像を見抜く僕の発言に彼女は口を手で覆うような分かりやすい仕草でハッと驚く。
「わ…、わたくしの秘密に気づいていたんですか?」
逆にあれほどあからさまでなぜ気づかれていないと思っていたのかを聞きたかった。
「ええ、まぁ…そうですね。
一目見てですかね。第一印象から分かりましたよ。
貴方ほどじゃないけど僕も特殊な身ですから」
「特殊な身…?
わたくしの正体を一目見ただけで見破るとは、貴方は一体何者なのですか…?」
一体何者だ?だって。
最近では逆に珍しい。型通り、いわゆるテンプレ的な聴き方をする人だ。しかしだ。しかし、珍しいとはいえ、太古から受け継がれた人間の伝統である。
誰だと聞かれたら答えてあげるのが世の情け。
「僕は魔法使いです。それも都合の良い魔法使い」
「都合の良い?」
「都合の良いっていうのは、そのまんまの意味で。
要は何でも屋なんです。
僕が引き受けようと思った仕事ならなんでもやる。
だから僕にとっても都合の良いって事で…。
とにかく僕は魔法使いなんですよ」
「魔法使い…」
「ええ、そうです。聞いたことありませんか?」
「ありますけど…でもそれは本とかで…童話とかで……」
「そうですね、その魔法使いの認識で大丈夫ですよ」
「…」
僕を見る彼女の瞳は僕の言うことをを信じてはいなかった。
まさか本当に魔法使いなんてと、薄目で、それこそ何言ってんだコイツ頭大丈夫か?
みたいなさっきの僕にも似た視線で。
きっと彼女の中で魔法使いというものはこの世にはいない空想上のものという認識になっているのだろう。そういう固定概念が凝り固まったような思想は特別珍しくないし、なんなら大衆的だがだからこそ、それを変えるのは大変だ。
さて、どうすれば彼女は僕を魔法使いだと理解してくれるか。手っ取り早く、目の前で魔法でも唱えてあげればいいのだろうか。
「貴方だって吸血鬼でしょう?
吸血鬼がいるなら魔法使いがいたってなにもおかしくない」
吸血鬼も魔法使いも空想的という観点から見たら同じようなもんだろうに。
「確かに!」
いや、ものすごく簡単に理解した。
心配したのがバカらしくなるくらいに、
逆に心配になるくらい簡単に。
「こほん…とにかくです。
今、貴方の眼前にいるのはそんな旅の魔法使いなんです。
ですから、もし貴方に今この瞬間なにか悩み事があるのならば試しに話してみてはどうでしょうか。
言うなら無料診断ってやつです。
請け負うとはまだ言えないけど、話すことで貴方の悩みが少しでも楽になることもあるかもしれない」
………。
僕の言葉に女は黙って思案する。
僕が信用にたる人物なのかを測っているのか。それとも他人にただ自身のことを話したくないだけなのか。
悩み事なんてもの自体がなく、それこそ僕の杞憂だったのか。
それは彼女の心中にしか分からない。
僕にできるのは彼女の口から話してくれるまでただ時間を待つことだけだった。
「貴方はわたくしを助けてくれるのですか?」
小さな声で彼女は僕に聞く。
「それは貴方の話次第ですかね」
「わたくしは、本当に貴方を信じてよいのでしょうか?」
「もし僕の口の心配をしているなら、安心してください。
秘密のことなら黙ってますよ。
言いふらすような趣味はまったくありませんので」
「いえ、そういうことではありません。
わたくしの秘密なんてそんな価値のないものどこに言いふらしてもらっても構いませんが。ただ貴方がわたくしを救うことに一体どのようなメリットがあるのだろうと思いまして」
「メリット…?ですか?
不思議なことを聞きますね」
「そう不思議でしょうか?
人の親切の裏にはなにかしら理由がある。
違いまして?」
ふむ。
なかなかに警戒心の強い人だ。
「ああ、なるほど、そうですか。
親切の理由が必要なら答えます。
それなら簡単、僕の得になるからです」
「得?
わたくしを救うことに一体なんの得が?」
「徳を得れる」
「ふざけないでください」
怒られたよ。
結構ちゃんと。
いい大人がいい大人に。
心に来るものがある。
「分かりました、分かりました。
じゃあ金です。
金になるからです」
「それは、おかしいですね。
貴方には浮浪者ともいえるわたくしが大金を持っているように見えるのでしょうか?」
「僕は見た目で人を判断しないのでそこはなんとも言えませんね。
もしかしたら貴方が大富豪の娘で何かしらの理由があって家から抜け出してきた、と、そんなことが無きにしも非ず」
本当にそんなことは思っちゃいないが。
「そ、そんなの…貴方の考えすぎです。
わたくしは金なんて持っていない。
貴方の親切に返せるようなものなんてないかもしれません」
「なら代わりのものを貰いますよ。
そうですね。貴方は綺麗だ。
返せるというなら色々とできる筈です。
それらが僕の得になる。
だから貴方を助けるという仕事をするんです」
「色々できるとは?」
質問の多いな。
「んーそれは…。
今ここでわざわざ言うようなことじゃありませんね」
わざと含みを持たせるような言い方をした。
人を困らせたがる悪い癖だ。
性格が悪いとは自分でも思ってるよ、本当。
「…はたしてそのようなことがあるのでしょうか?」
わたくしがたまたま食べようと声をかけた人間が、
たまたま魔法使いで、それもたまたま何でも屋で、たまたまわたくしを助けてくれるなんて。
「そんなわたくしに都合の良いたまたまがあって良いのでしょうか?」
彼女はまだ僕を疑っていた。
僕をというより、この話の展開を。世界の展開を。
気持ちは分からなくもない。
いや分かるよ。正直、嫌な程。
自分自身で自分の胡散臭さがどれほどのものかは理解しているつもりだし、急に追い風が吹いてきた時の不安感も分かる。
「だから言ってるじゃないですか。
その通り、僕は貴方にとって都合の良い魔法使いだって」
それに。
「僕は『結果』というのは大抵のものに下地があると思っています。もしこの先の未来貴方が助かるという『結果』があるのなら、そこにはそれに見合う貴方の働きが確かにあった筈。
そう。誰しもが助けられる努力をしてるから助かるんです。
そうは思いませんか?」
目を閉じた彼女。
やがて分かりましたと、口を開く。
「魔法使い様、どうかわたくしの話を聞いてください」
「様って…そんな大袈裟な敬称はやめてください。
僕はそれほどたいした人間じゃないですよ。
オズリア・ルージュ。
どうかお気軽にオズとそう呼んでください」
僕は彼女に、胸に手を当て一例する仕草を見せた。
「オズリア…ですか。
良い名…ですね。
由来はやはりオズリアの花からですか?」
「おや、どうも博識なようでして。
その通り僕の名はオズリアの花からだそうで。
では、そういう貴方は?」
「は、博識なんてとんでもありません。
ただ昔から花だけは好きなのです。
えっと、名…でしたね。
…わたくしの名はトトリといいます。
トトリ・フォン・ゼルタスギア。
このゼルタスギアの王女でした」
同じように胸に手を当て言う彼女。
それは見せかけの僕のとは違い、どこか本物の気品ってやつに満ちていた。
「こりゃ、驚いた」
つい、口に出てしまうくらいには驚いた。
半分というかいや9割ほど冗談で言ったことだったのだが…まさか大富豪通り越して一国の王女とは。
いやはや、どこか仕草にいちいち気品が感じられたから高貴な人間なのだろうとは思ったが…。しかし、ということは最近この国で聞いたあの噂は本当なのだろう。
ゼルタスギアの王女が失踪したという噂。
そして、その失踪した張本人が吸血鬼となって僕の目の前にいる。
なるほど、なるほど。
これはどうも、一筋縄ではいかない闇が深そうな話しじゃないか。
「こほん」
拳を握り、一つ咳払い。
「けど、…でした。
ということは今の貴方はまるで王女じゃないと言いたげに聞こえますが」
「はい。
今の私は一国の姫ではなく一介の吸血鬼に過ぎません。
ですのでどうかオズもわたくしのことをトトリとそうお呼びください」
再び、自身のその豊満な胸に手を当て言うトトリ。
その仕草は多く見る。
彼女の癖なのだろう。
「分かりました、トトリ。
ですが、助ける。
と言っても僕は何をすればいいのでしょうか?」
話の軌道修正。
助けてください、それだけではどうしようもない。
肝心なその内容を知らなくては。
「私は吸血鬼なのです」
「そのようですね、トトリは吸血鬼だ。
それでその悩みというのはやっぱり僕を食べたいとかそういう?」
「ものでしたが、事情が変わりました」
「そっか、ならよかった」
いちいち背筋が冷える言い方だなーもう。
こっちだってそれなりに怖いんだよ、吸血鬼の手前。
「わたくしは吸血鬼ですが、元人間なんです。
ですからこの身を人に戻したいのです」
「なるほど。吸血鬼に襲われたのですか」
吸血鬼に血を吸われれば吸血鬼になる。
それは有名な話だ。
彼女もきっとそうなのだろう。
吸血鬼に襲われ、吸血鬼に成り果てた。
だから人に戻りたい。
何もおかしくはない話。よくある悩みだ。
「いいえ、そうではないのです。
わたくしは望んで自ら吸血鬼になりました」
その安易な僕の推測は数秒も経たずに打ち砕かれた。
「ならなぜ?人間に戻りたがるので?」
「鬼にならざるを得なかった理由があるのです」
「ふむ…詳しい話を聞かせてください」
ーーー
トトリ・フォン・ゼルタスギアという彼女は今から18年前ほど前、ゼルタスギアという小さな王国の王家に産まれた。
トトリは生まれつき病弱だったそうだ。
不治の病と言われる肺の病を患い。
そのせいで立ち上がることもできず、日に日に身体は弱り、呼吸することすら苦しい。それこそ死を身近に感じる毎日を過ごしていたという。王家という金と権力の大元に生まれながらなにもかもを持ち、そのなにもかもですらも治らないという病。死の絶望に急かされ、希望に裏切られ続けた彼女が最後の手に縋ったのはオカルトだった。
吸血鬼だった。
鬼の力だった。
彼女は言う。
行商人より取り寄せた猿のミイラに願ってみたことも、どこで取れたかも分からない人魚の肉を食べたこともありました。が、しかし、どれもが偽物で効力はありません。
わたくしはこのまま死ぬのだろうかと諦めかけていた、ある日のことです。
彼女の目の前には吸血鬼の血液瓶なるものがあった。
それはどこから取り寄せたのかも、いつ手に入れたのかも分からない代物。誰がそこに置いたのかも、それがどういう経緯でそこにあるのかも、分からない。
だが、ただ、そこにあったのだ。
彼女の目の前にあったという事実。
トトリはどこかでそれを分かっていた。
その血液瓶が本物であることはなにか感覚のようなもので分かっていたと言う。
「それを飲めば、わたくしが人であることをやめることになるということも分かっていたのです」
「結局飲んだんですか?」
「飲みました。
けれど、それは仕方がなかった。
わたくしには飲むしか道がなかったのです。
わたくしは死にたくなかった。吸血鬼の不死身を得る以外にあの時のわたくしに生き残る術はなかったでしょう」
吸血鬼は不死身だ。
どんな傷も瞬時に回復する治癒能力。
決して老けない身体に誰もが目を引く美貌。
人のように病気になんてならないし、人のように簡単に死にもしない。
その眼は魔力を帯び、誰からも愛される。
そんな化け物で、
「トトリ。
話を聞く限り、貴方は吸血鬼になりたくて血を飲んで、吸血鬼になった。それなのになぜ今更吸血鬼を辞めたいと思うのでしょうか?」
人によっては喉から手が出るほど欲しいとさえ言われるその力。彼女が何故それを手放したがるのか僕には不思議でならなかった。
そりゃ、日の本に出られないのは不便ではあるし、大蒜を食べれないとかも些細に嫌な事ではあるが。
それは些細だろう。
それよりもあまりある恩恵の方が大きいだろうに。
「確かに、これは便利な身体です。
肺が痛むことはもうありませんし、一人で歩ける。
大蒜は元からあまり好きなものじゃありませんし、太陽の下に出られないのはやや不便ではありますが、それも外套などをつければ対処できるどうでもいい制約です」
「だったらなぜ?」
「何よりは恐怖。
吸血鬼は人を襲う生き物、そうプログラムされている。
わたくしもそれを分かっています。
ですが、分かっていますが。
日に日に飢えて血を求め、狂っていく自分が怖くて怖くて仕方ないのですよ」
「そうは言っても、それが吸血鬼という存在ですよ」
突出した力には、それ相応の制約と対価が求められる。
何かを得るには何かを失わなければならない。
そんなことは幼児でも理解できることだ。
「分かっています。けれども嫌なのです」
首を振るトトリ。
あまりに我儘な人間的思想だと、僕は理解した。
彼女は。トトリはまだ吸血鬼に成れていない。
慣れていないのだ。
その身、その身体は紛れもなく鬼のものだが、心が付いていっていない。彼女の心は未だ人のまま。
人の善意というものを抱えたまま。
「トトリ、吸血鬼になってどのくらい経ちますか?」
「3週間ほどです」
「これまで人を襲ったことは?」
「ありません、襲う気持ちもございません。
ですが、身体がそろそろついていかないのです。
もう既に、飢えて、飢えて飢えて飢えて飢えて飢えて飢えて飢えて、どうしようもないのです」
それは同情できるような、できないような話。
吸血鬼になった自業自得言えばそれまでだし、それも生きる為には仕方なかったと言えば仕方ない。
ただ、本当によく聞く話だった。
トトリは今現在、移行段階だ。
人から吸血鬼へと移り変わる不安定な期間ともいうか。
大抵の新人吸血鬼は初め人を襲うことを躊躇うという。
人間の頃の常識を忘れられず、人に同情し、それこそ今のトトリのようにダイエットさながら絶食状態に身を置くが、けれどもいつしか自身のその食欲に負け、人を襲い始めれば理性のタガが外れる。
そしたら後は早い。
心まで人を襲い喰らう化け物へと成り上がる。
「…もし、貴方が人に戻れたとして、以前の病気が再発する可能性もありますが」
遠回しに言ったが、それは即ち死ぬということ。
吸血鬼の不死性に救われてここにいることを忘れていないかの確認を込めて聞いた。
「…構いません。
これまでのわたくしの人生は死から逃げ続けるだけの人生でした。だから毎日が必死で、立ち止まって考える余裕すらなかった。自分本位だったのです。
ですが時間を貰った今なら分かります。
吸血鬼になってみて分かりました。
誰かを傷つけて生きるくらいなら正常な人のまま死にたい。
清く正しいわたくしのままで死んでいきたいと、そう」
清いまま死にたい。
狂うくらいなら自分のまま死にたい。
そんなの我儘すぎると、言われることもあるだろう。
化け物の道を自分で選んだのだからそれを突き通すべきだと。それを言われたらそれまでで、そんなことは彼女も分かっている。
分かっているからこそ躊躇った。
助かることを躊躇ったのだ。
しかしだ。
そう言ったものの。
無理に聞き出した僕に今更引けるわけもない。
彼女のように言葉と行動に責任があるのなら、僕にだって彼女を助けるべき責任がある。
だって、助けると言ってしまったのだから。
「話は分かりました」
「…」
「吸血鬼から人に戻る方法はあるかもしれません」
「え?嘘!!
本当に人に戻る方法を知っているのですか!?オズ!!」
本当にダメ元で話してたのだろう。
僕の言葉は冷めていた彼女の表情に微かな希望を灯していた。
「期待させるような言い方で悪いんですが、僕自身はなにも知りません。吸血鬼についての知識量も人の血を吸うとか大蒜が嫌いだとか銀に弱いとかそういう人並みくらいにしかありませんし、それこそ多分貴方より知らない。
ですのでこれから吸血鬼に詳しい方を呼びます」
「吸血鬼に詳しい方ですか?」
「ま、方と言っても精霊なんですけどね」
「精霊…?」
はて、と頭上に疑問符を浮かべるトトリ。
「トトリにはあまり聞き慣れない言葉ですか?」
「ええ…そうですね。
なんなのですかオズ。その精霊とは」
「うーん。そうですね。
こればかりは説明するよりも見てもらうほうが早いでしょうか」
僕は腰にかけた手持ちのナイフを取り出すと自分の左手の腹を傷つけた。2回3回グサリと切りつければ、少なくはない量の血が室内の床へボトボトと滴たっていく。
「お…オズ…?な、何をしているのですか!?
一体なぜ手を刺しているのですか?」
驚愕するトトリ。
それはそうだろう。
目の前の人間がいきなりに自分自身を傷つけ始めたのだから。
「安心してくださいトトリ。
気が狂ったわけでも自傷行為に趣味があるってわけでもありません。
これは精霊を呼ぶのに必要な儀式なのです」
「…儀式…。
けど!その、そんなグサグサと躊躇いなく手を切ってしまって、顔色一つ変えてないとは。
貴方に…痛みは無いのですか?」
「そうですよ。
僕は痛みを感じない呪いを受けています。
なので、これくらいの傷は問題になりません」
とはいえ不老不死ってわけでもなく、トトリのようにすぐに傷が塞がるってわけでもないので、それなりに傷つけば人らしくそれなりに死ぬのだが。そこはまぁ長年の感ってやつで自分の限界値がどれほどってのは理解している。
「そ、そう…オズが良いのならいいのだけど」
そう言うトトリは血溜まりの方に釘付けだった。それはまるでショーケースの高級デザートをじっと眺める子供のようで。
いや、今の彼女は飢えているのだ。そりゃ釘付けにもなるだろう。
トトリの無意識な舌なめずりが見えた。
「もしお腹が空いているようなら僕の血くらいなら吸ってもいいんですよ?」
全部は流石に困るが、血量にそれくらいの余裕はあった。
しかし、彼女は首を振る。
「…わたくしを侮らないでくださいませオズ。
ゼルタスギアの王族はそのようなはしたない真似はいたしません」
「あら、そうですか」
凄い人だ。
食欲より王族としてのプライドを取った。
あっぱれ。僕はどうやら彼女を過小評価していたらしい。
「骨までくらいます」
やめていただきたい。
「嘘です、冗談です」
本当に冗談であって欲しい。
「では、トトリ。
今より精霊を呼び出します。
ですがくれぐれも態度礼節には気をつけていただきたい。精霊は気分屋で気まぐれです。
彼らの気を害したら僕ではどうしようもありません」
「ふふ、誰に言っているのですかオズ?
わたくし、礼節には自信がありますこと。
これでも王女、ゼルタスギアの姫として恥ずかしくないよう叩き込まれております」
胸に手を当てる彼女の癖とも見られるもはやお馴染みのポーズで自信気に言うトトリ。
第一印象、陰気に見えた彼女がここまで言うとは余程の自信があるのだろう。いや、それともこれが彼女の素で、僕は少しずつだけどトトリから信用されてきているのかもしれない。
「ああ、そうでしたね、失礼。
でもそれを聞いて僕は安心しました」
昔、僕の友人に見た目が気持ちが悪いという理由だけで精霊を殴り飛ばしたような人がいた。
トトリはそういう分類ではないと思うがしかし、呼び出す側としては一応の確認はしておきたかったのだ。
僕は床に散らばる血溜まりに手の平を触れた。
血の池は次第にその血が線となり、ある一つの紋様として浮かんでいく。
「竜の印?」
トトリが言うように僕が触れた何の変哲もなかった血は一本の線で描かれた印へと変わった。
それは竜の印。
竜の頭と尻尾が一つに繋がったような独特な印で、
「これは、魔術印印と言います。
魔力を循環させて増幅させる式で、魔術師にとっての家紋のようなものであり、剣道でいう流派のようなものですかね。
この竜の印は僕の家に代々伝わる竜印という魔術式で…」
「…?」
トトリはまた首を傾げた。
何を言ってるのか分からないと言ったふうに。
「要はそのシジル?
とかがあればわたくしにも魔法使えちゃったりってこと?」
「はは…面白いことを言いますね」
「あ、できませんよね。
そうですよね、はい」
「いやいや、努力と才能次第ですよ。
魔術師としての血。
それとあとは過酷な修行に耐えうる努力。
その二つさえあれば誰にでも魔法は使えます」
「なら、わたくしにはそのどちらもありませんね」
「トトリの努力のほどは知りませんが、血の適正の方ならありそうですけどね。王家ならどの国も大抵は十二使いの魔法使いの血が入ってるものですし」
「いいです!いいんです!
例えあったとしても、わたくしには出過ぎた力ですから!」
「あら?随分と謙虚なんですね」
「吸血鬼の方で手一杯なんです!!」
なるほど。
「さて」
そうこう話しているうちに、幾重にも重なった魔術印が完成していた。
今、この部屋一面には魔力が満ちている。
あとは僕の詠唱だけで精霊が降臨する、そんな状態。
「こちらの準備は整いました。
いつでも始められます」
僕が準備を聞くとトトリはコクリと頷き、
「お願いします」
とだけ返す。
その合図で再び血を垂らした。
けれども、それはさっきのように大胆な出血ではなく、ほんの些細な指先からの一滴の血。
ポタリとその魔術印に一滴が落ちると、発光する。
「開け、叡智の扉。
来たれ、トード」
部屋に風が吹く。
暴風が巻く。
僕が床に描いたその魔術印はその中央からぱかりとそれこそ扉のように開くと、
精霊は姿を現した。
ーーーー
「ゲゲゲ…」
そう不気味に喉を鳴らし、現れたのは男。
上半身はガリガリとやせ細った初老の男の体つきであり、下半身の陰部をたった一枚の葉で隠していた。
そして、なにより驚き目を引くのはその頭部だろうか。
蛙の頭。
その精霊は蛙人間とも呼べるような姿であった。
「トード。
久しぶりですね」
僕はその蛙人間、トードに言葉をかけると、
「ゲゲゲ…?
ゲゲゲゲ!!!!
オズリア?…オズリア!……オズリア!」
トードは気持ちの悪い笑みを浮かべながらカタコトな返事をする。
「な、なんなんですか…この人」
横に居るトトリの驚きと不安が入り混じったような独特な表情が見える。
まぁ初見ならそうだろう。
その反応が正しい反応だ。
僕もだが、それよりも、群を抜いて、分かりやすいほどに、
トードはあからさまに、『異質』なのだから。
「人ではありませんよ、トトリ。
トードは精霊です」
「精霊…これが…?」
「はい。
彼は叡智の精霊、トード。
なんでも知ってる物知りな精霊です」
僕がトードの紹介を一通り終わらせると、トードは頭の近くで指を回しながら繰り返して言う。
「叡智…?
叡智……叡智…叡智叡智叡智?
オズリア叡智、オズリア叡智」
そう下品な笑みを浮かべるトード。
そんなトードを見たトトリはまたも不安気な表情を浮かべた。
「とても、賢そうには見えませんが。
えっと、トードと言いましたか。
本当にその精霊は吸血鬼のことを知っているのでしょうか?
これならば、まだわたくしのほうが詳しく思えますが」
「いいえ、逆ですよトトリ。
トードは賢すぎるんです。
知能の差がありすぎると会話にならないとはよく言うでしょう。
人ではトードの知識についていけない、だから片言に聞こえてしまう」
「そ…そうなのですか?」
「そうなのです、そんなものだと理解してください」
「そんなもの…わ、分かりました」
不服、とはトトリはわざわざ言わなかったが、明らかにそう思っていたであろう表情だった。
そんな時だった。
「トトリ…?」
突然、何の脈絡もなく、トードはトトリの方を向いた。
目を丸くし、ぎょろりとトトリへ注目する。
「トトリ、トトリ、トトリ、トトリトトリトトリトトリトトリトトリトトリトトリ?」
トトリに向け指を指しそう連呼するトード。
ひたすらな笑みと、垂れ飛ぶ涎。
それはまさしく獲物を前にした獣のようであった。
「え、えっと…な、なんでしょうか?」
急な視線を向けられタジタジとしたトトリ、目の置き場に困るといった感じで。
しかし、これは凄いことだ。
「トードがトトリに興味を示しました。
流石ですトトリ。
王室の礼節とやらは本物のようですね」
トードがこうも人に興味を持つのは珍しい。
本当に珍しいのだ。
彼女にはきっとトードを惹きつける何かがあるのだろう。
「え?
いや、わたくし何もしていないのだけど」
そう謙遜するトトリ。
またまたそんなご冗談を。
「…トトリ…好き!
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!」
そうトードはゆっくりとトトリに向かい始める。
舌なめずりをしながら、棒のように細い足を引きずって。
四足歩行の姿勢で近づく。
「ひいッ!!」
トトリは身をのけぞり、僕の背面へと回った。
まるで僕を盾にしてトードとの距離を取るように。
「オ、オズ、早くその、話を進めましょう。
わたくし、あの、あの、早く人間に戻りたいなって!」
そうトトリは急かすように僕に言う。
…。
それもそうだ。
いつまでもトードを呼び出し続けれるわけでは無いし、雑談ならやることを済ませてからだ。
「そうしますか。
さてトード。
今日は貴方にお願いがあって呼び出しました」
僕は膝を折り、目の前のトードと視線を合わせた。
「お願い?」
僕の言葉にトードはその足を止める。
「願い叶える?オズリアの願い。
願い願い願い願い?なんの願い?」
「そうです、お願いです。
貴方が気に入った彼女。
トトリは吸血鬼になってしまった元人間なのです。
そのトトリが再び人に戻るその方法が、
もしあるなら教えていただきたい」
「トトリ?
吸血鬼?人間?方法…。
……あるよ?
方法方法方法方法、トード知ってる」
「その方法をどうにか教えては貰えませんか?」
「なら対価必要。トードに対価対価対価対価対価必要」
「対価って?」
背後からひょっこり顔を出したトトリが口を挟んだ。
「対価とはトードの望むものです。
僕達魔法使いは精霊を完全に使役してるわけじゃないんです。
あくまでお願いする立場。
だから何か頼みごとをする時はそれに対しての対価が必要になる場合がほとんどなんです」
「なるほど…」
「トード、処女…が欲しい。
トトリ処女欲しい」
「はあぁ!?」
背後のトトリが叫んだ。
うるさかった、鼓膜が破れるかと思った。
「トードはトトリの処女が欲しいそうですよ」
「そんなの言わなくても分かります!
そうですよ、じゃないんですけど!
あ、あげられるわけないじゃないですか!!そんなもの!」
「別にいいじゃないですかそれくらい」
「良くないでしょ!?普通に考えて!冷静に考えて?
ってか!なんでわたくしが処女なこと知ってんのよ?」
「トードは叡智な精霊ですから、女の匂いで分かるんです」
「なにそれキモ!?」
「いいじゃないですか、そんな減るもんじゃあるまいし」
「いや減るもんだから!バチバチに減るから!
人生一回しかないから!!ラストエリクサーだから!!」
「そのラストエリクサー使いたい相手がいるんですか?」
「いないけど!まだないけど!
でもそういうもんだから!とにかく無理だから!
絶対無理!人ならまだしも蛙となんて無理無理無理!」
激しい拒絶を見せるトトリ。
しかしこれは困ったな。
「トード。
トトリの処女は簡単にあげられるものじゃありません。
何か別の対価にできませんか?」
「ヤダ」
「ヤダ、そうです」
「やなのはこっちなんだけど!?」
「トード、我儘言わないでください。
あげられないものはあげられないんです」
「なら帰るよ?トード帰る」
コイツぁ。
足元を見ているな。
「はぁ…仕方ないですね…」
「わたくし…嫌だからね?」
「それは分かってますよ」
立ち上がる。
本当はやりたくないのだがこうなってしまっては仕方ない。
トードは引かないだろうし、トトリも引かないだろう。
ならばここはトードに折れてもらうことにしよう。
「あ、あががががが!
オズリア!
オズリアやめて!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
トードは頭を抱えて蹲ると、イタイイタイと床を転げ回り始めた。
「オズ?トードに何かしているんですか?」
トトリのご名答。
「魔法でトードに痛みを与えています。
僕の友人が言っていました。
暴力は大抵の物事を解決してくれると」
「痛い!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「オズ…もうやめてあげたら?」
可愛そうだと思ったのかトトリはそう言うが。
「いやまだです」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
やめて!やめて!やめて!」
それは絶叫にも似た懇願。
「トード。
やめて欲しかったらどうすればいいか分かりますか?」
「教える!教えるから!
方法教えるから!代わりの対価で!」
「代わりの対価?
無料がいいな、無料じゃなきゃ、やだなぁ」
「無料でいいから!いいから!ハナシテ!ハナシテ!!」
僕はトードにかけた呪いを解いた。
「それでいいんです。
初めからそうすれば余計な痛みを感じなくてもよかったものを」
「オズ、悪い顔してますよ、凄く、今」
「そんなまさか、僕は善良なる魔法使いですよ?」
清く正しくをモットーに生きている。
悪い顔なんてそんなまさか。
「善良ならざるやりとりを今目撃したのですが。
オズ、絶対どSですよね」
「そんな、ただ人を虐める事が好きなだけで、
人の嫌がる事をして優越感に浸りたいだけでS認定だなんて」
「普通にクズな人だった!」
クズとは心外だ。
性格が悪いだけで良い人だぞ、僕は。
「ってのは冗談で。
野蛮だとは思われるでしょうが、今のように力で召喚精霊を従えるのは魔法使いあるあるなんですよ」
「そうなんですか?」
「もちろんこういうことは極力したくないですが。
どちらの要望も引かない場合、暴力に行きつくのはどこでも一緒なんですね」
「オズリア嫌い…嫌い…嫌い…」
メソメソと泣き出すトード。
「ほら、このように精霊との仲も悪くなりますしね」
「それは…わたくしのせいですよね。
ごめんなさい、二人の仲を引き裂くようなことになってしまって。他の仕事にも支障をきたしますよね」
「ああ、それなら大丈夫です。
トードはなんでも三日で忘れるので」
「やっぱりバカなんじゃない?」
「違います。違います。
トードは賢くあるために余計な記憶を持たないんです」
「そうなんですか?」
「そういうものです。
それにトードはやめてと言いながら内心は喜んでる変態さんなんですよ」
「と、とんでもねえな精霊」
ーーーー
「さて、トトリを人に戻す方法なら“ここ”にあります。
先程、トードから教えてもらいましたから」
僕はそう、人差し指でトントンとコメカミを叩いた。
今現在の僕はトードの知識を持っている。
トードは言葉にしなくても思念だけで他人にその記憶を譲渡
する事ができるのだが、その力で僕に記憶とその吸血鬼の知識を僕に転送してそそくさと帰ってしまった。
ヘソを曲げながら、もう来ないと言いながら。
まぁ、嫌だと言ってもこちらからまた呼び出すのだが。
「ですが、それは今すぐにはできない事です。
トトリ、残念ですが今すぐに貴方を人に戻すことは難しい」
「そう…なのですか」
「吸血鬼から人に戻るには、貴方を吸血鬼にした吸血鬼。
つまり、貴方が飲んだ血の主人を探さなきゃならない。
そしてその主人から赦しを乞う必要がある」
「赦しを乞う…」
「貴方は今、鬼の眷属なんですよ。
ヤクザの傘下に入ったばかりの新入りなんです。
そんな新入りが組を抜けるには、その大元に話をつけるのがスジでしょう」
「なるほど、分かりやすい例えですね。
ですが…その主人とは誰なのでしょうか。
わたくしはただ、血の瓶を飲み干しただけで、それ以上のことは何も分かりません」
「だから難しいと言っているのです。
ある程度の吸血鬼なら、力の大元を辿る事も可能なそうですが、貴方はまだ新人。
それに飢えている。そんな力が使えるとは思えません」
「だったら…わたくしにはもう人を襲うしか術はないのでしょうか?」
「それも一つの生き方ですよ。
それが天命だと諦め、化け物として生きるのも一つのあり方」
「ふざけないでください!」
怒った。
トトリが怒った。
「そんな事ならわたくしは死を選びます」
「死ぬなら勝手に死ねばいいと思いますが、どうやって死ぬんですか?」
「太陽の下に出ます」
「吸血鬼は太陽が苦手ではありますが、それは死ぬほどのものではありませんよ」
「ぬぬ。じゃ、じゃあ大蒜食べます」
「腹を壊すだけですね」
「銀の弾丸で頭を撃ち抜きます」
「どこで調達するんですか、その銀の弾丸は?」
「じゃあ!オズが殺してください!
なるべく楽に!苦しまないように!!」
なんて我儘な人だ。
「嫌ですよ。
人を殺したら嫌な気分になりますし、多少仲良くなった人を殺せるほど僕は人でなしじゃありません。
自殺なら他所でやってください」
「じゃ、じゃあわたくしはどうすればいいんですか?」
涙目で言うトトリ。
「トトリ。
貴方が望めば、不安定な存在になれるでしょう。
人でもなければ吸血鬼でもない、そんな曖昧な存在に」
「曖昧な存在?」
「貴方が吸血鬼を辞めたい根本的な理由は、人を襲いたくないということ。ですが、貴方の食欲が貴方に無理に人を襲わせようとする。
そうでしょう?
だったら、貴方のその食欲を無くせばいいんです。
貴方は人の血を吸わない吸血鬼という不安定で曖昧な存在になるんです」
「そ、そんな事が…教えてくださいオズ!
どうやってそんなことを!?」
「簡単です。
貴方が血を吸いたいとすら思わなければいいんです」
「血を吸いたいとすら思わない?」
「では、まず前提知識から。
吸血鬼にとって、人からの吸血というのは必ずしも必要な行為じゃない。
彼らが人の血から栄養を補給できるのは確かですが、けれども彼らはそれだけじゃない。
人が食べるようなご飯からもちゃんと栄養を得られる、そうでしょう?」
「そうなんですか?」
「なんで当人がそれを理解してないんですか。
貴方は吸血鬼になってからの3週間。
無意識の中に人間の食事はとっていたでしょうに」
「確かに…言われてみればとっていました」
「ではそうですね、だったら何故、彼らは人の血を吸うのか?ねぇ、こうは聞きませんか?
吸血鬼に血を吸われれば吸血鬼になるって。
つまりはそういうことで。
吸血とは彼らにとっての生殖行動でありそして食事。
人のそれと同じで抑え難い情動と快楽を生む行為なんです。
そうなんでしょうトトリ?」
「いやあの、なんでいちいちわたくしに聞くんですか?」
「身近な吸血鬼がトトリしかいないもので」
トードから貰った、この知識があってるのかなーって。
「身近って。
わたくしも全て分かってるわけではありませんが。
多分…概ね正解だとは思います。概ね」
「そう。
要は、吸血情動は彼らにとって抑え難い情動だけど。
でもそれは情動だけで、生命活動にはなんの支障もない。
その情動を抑え込めればいいわけで、
そして僕にできるその方法といったら」
「その方法とは?」
「呪うんですよ、トトリ」
ーーー
僕は彼女に呪いをかけた。
それは食を失うという呪い。
彼女はこれからは何をしても腹が空くという感情になることはないし、何を食べても何も感じない身体になった。
彼女は初めそれを戸惑ったが、了承した。
僕はトトリの額に指を一回当てた後、
「どうですか?」
そう聞くと、静かに瞼を開けたトトリ。
「…すごい。
なんていうのでしょうか。
頭のモヤモヤが晴れたような感覚」
「まだ、人を食べたいと思う?」
「いいえ、思いません」
「それは本当に?」
「はい、本当です」
どうやら呪いは成功しているようだった。
これは本来、食欲を無くして人を餓死させる為の呪いなのだが、このように使えるとは。
ほんと、ものは使いようだな、としみじみ思う。
「…これでもう人を食べる心配がないんですね。
ありがとうございますオズ」
彼女は笑顔で僕に言った。
それは憑き物がはれたような明るい、初めて見た彼女の表情だった。
「…勘違いはしないでください。
トトリは人間に戻ったわけではありません。
あくまでも吸血鬼。
呪いで食欲が消えただけですから」
「分かってますよ。オズ。陽の光も銀も大蒜もわたくしはまだ苦手なのだということを。
でもひとまずは嬉しい」
「食欲はなくても身体は栄養を求めます。
定期的に何かを口にしなければちゃんと死ぬので自身が生き物であることをお忘れ無く」
「分かりました」
「そして今回の対価の話になるのですが」
「対価?
ああ、そうでしたね、そうだった。
対価…報酬か。
私にできることと言ったらやはり、お金ですか?
それとも身体目当てでしたっけ?
できるならあまり卑猥なのことはやめて貰いたいのだけど」
「僕とトードを一緒にしないでください。
エッチなのは苦手です」
「じゃあ、なんですか?
富でも名誉でもなんでも好きなものを言ってみなさい」
流石王族。
本当に頼んだらなんでもくれそう、そんなオーラを感じる。
「なに、そう大した対価はいらないんです。
今度は僕の些細な願いを聞いてもらいたい」
「些細な願いですか?」
「トトリ。僕と友達になって欲しいのです」
「友達?」
トトリはキョトンとその言葉を口に出すと、
「と、とととととととと友達ですか!?」
激しく動揺を見せた。
「そんなに驚くことですか?」
「わたくしと友達?
わたくしに友達!?
え?嘘!正気なのですかオズ!?」
正気じゃないのはおそらく貴方の方だ。
「はい、正気です」
「吸血鬼ですよ!?姫ですよ!?
こんなどうみても地雷な女と友達に!?
あ!!分かった!!
ならドッキリですね!!
はーびっくりした、その手には乗りませんよ!」
忙しないトトリの表情。
「ドッキリじゃありません。
本気ですよトトリ。
僕はこのゼルタスギア国に来たばかりでいろいろと詳しくないんです。人脈もないし地理もよくわからない。
ですから頼れる人手が欲しい。
その点でみたら歳の近いトトリはぴったりなんです」
「オズっていくつなんですか?」
「19です」
「若いわね」
「トトリは?」
「21!」
さして変わらないじゃないか。
「それに、なにより、一人というのは案外寂しいものなんです」
「それは、分かる!分かります!わたくしも、3週間ほど一人でしたから!
あ、そっか…でも!
友達ならそ、そのもう敬語じゃなくてもいいんですよね!
いいわよね!?」
はしゃぐトトリの姿。
かわいいな。これがトトリの素なのだろう。
「はい、構いませんよ。
好きなように接してください」
「で、でもわたくし初めて友達なんてものができた!
どうしよう、どうすればいいのかしら!?
と、とりあえずオズも敬語やめてよ!
わたくしだけこんなタメ口だと変じゃない!
はい!今!」
軽くパニックを起こしているトトリ。
「分かりました、やめます」
「やめれてないんだけど」
「あれれ?ああ、すみません。
長い間こういう話し方だったのでいきなりな切り替えができないようです」
「そうなの?そっか?なら仕方ないか?
オズにも不得意なことがあるのね。
うんうん、大丈夫!友達だから待てるわ!!
ゆっくり切り替えていきましょ!?」
「長い目で見てもらえると助かります」
「分かったわ、目を長くして見る!」
それはちょっと意味合いが違って来そうな気もするが。
「では早速、友達として一つ頼み事をしてもいいですか?」
「もちろんよ!
このトトリ様になんでも話して見なさい!」
任せろと胸に手を当て言うトトリ。
「僕は絶望的に方向音痴なんです。
とある知り合いとこの国のある場所で落ち合う約束をしていたのですが、その道がわからなくてどうにも困っているんです」
「へぇ、方向音痴…?
オズにも結構可愛いところがあるのね」
「と言っても、これも、呪いなんですがね」
「へぇ、また呪いね」
「僕は『痛みを感じなくなる呪い』の他に『道に迷う呪い』にもかかってるんです。
だから一人じゃどうしようもなくて」
「それ、まず、よくこの国まで来れたわね」
「いろんな人の力を借りてなんとか」
「…それに、2つも呪いにかかってるなんて。
わたくしもそうだけどオズも生きづらそう」
「確かに生きづらいのは生きづらいですが。
これは自分で選んだものなので、弱音は吐けません」
「もしかしてそうやってその敬語で話しちゃうのも呪い?」
「なら一つ増えますね」
「なるほどね、分かったわ。
そう言う事なら喜んで力になる。
で、その場所って?」
「確かヴァリウス温泉といった名前でした」
「ヴァリウス温泉!?あー知ってる!?知ってる!
有名よ!ゼルタスギアのちょー有名な観光スポット!!
国内でも人気の名所で、目玉はなんと言っても旅館ね!
ヴァリウスの温泉旅館なら世界一番とも言われるほど」
「詳しんですね」
「そりゃこの国の王女ですから!」
「トトリ、どうか道案内をしては貰えませんか?
約束の日数から既に3日ほど経過してしまって、とても困っているんです。
このままだと怒られてしまう」
もう怒ってるかもしれないが。
これからいくら急いだって無駄なのかもしれないが。
「うん。
ここからだと最短でも1日はかかるかな。
でも、ヴァリウス温泉かぁ〜、あそこは良いところよ!」
「行った事があるんですか?」
「ないわ!わたくし自身は!身体が悪かったからね。
けれども話は嫌と言うほど聞くから、良いとこなのは間違いなし!」
王女殿下お墨付きなのなら噂は間違ってはないのだろう。
「それなら楽しみですね。
では、ちょうどあたりも暗くなっていた頃です。
今から出発にしませんか?」
「えー今から直ぐ?早くない?
わたくし疲れちゃって、この宿、今晩はとってるんでしょ?」
「なら一時間ほど休憩してから向かうのはどうでしょうか?」
疲れたのは僕も一緒だった。
少し寝たかった。一時間ほど。
それならちょうど夜になるし、トトリに適した時間帯な筈でもある。
「それなら賛成!!」
こうして僕はトトリと行動を共にすることになった。
なに、悪いものじゃない。
女同士の二人旅というのもなかなか楽しいものだろう。