【一場面小説】ジョスイ物語 〜官兵衛、故郷を調略するノ下段
決戦は湖北、羽柴柴田の両軍が睨み合う中、秀吉の隙を突いて勝家が動く。秀吉は美濃大返しを敢行、僅か三刻で舞い戻る離れ業をやってみせ、柴田諸将の度肝を抜く。何故斯くも疾く秀吉は動くことが出来たのか。
浄信寺の本尊、地蔵菩薩を想わせる穏やかながら屹然とした住職の佇まい。官兵衛は口説けるか。一縷の望みをかけて語り出した。
「ご住職。江州守護、佐々木源氏が末流、黒田一門の官兵衛孝高にござる。お初にお目にかかる。」
住職の眉に僅かながら構える動きがあった、官兵衛は見逃さない。
「貴院は霊験あらたかな眼の御寺、我が曽祖父が備州に流れし時、御本尊にあやかり目薬屋を始めて糊口をしのいだ由。これも我らと貴院の縁の証でござろう。」
「この湖北は浅井の前は黒田が邑、我ら一門は遠く播州に離れてもいつも江州を忘れずにいたこと、ご承知のはず。」
勘所は直截に言い放つ、官兵衛一流の話術だ。
羽柴と浅井の間で躊躇う浄信寺。そこに官兵衛は佐々木源氏の縁を持ち出し、さらに現世的な恩義をも匂わせた。
「、、重隆様以来、黒田様からは永きに渡り御寄進を頂戴してまいりました。」
浄信寺はこう言わざる得ない。
暫しの沈黙が流れる。官兵衛は父祖の陰徳に深謝し、さらに続ける。
江州の民草、凡下の者共が旧主を忘れる不義理の輩とは、この官兵衛が言わせないとにじり寄った。
「住職、お市様と浅井の忘れ形見は必ずお救い申す。浅井の血は絶やさぬことが主、羽柴筑前の思いにござる。」
住職は官兵衛を見据え、そして瞑目した。了解の合図と観て良いだろう。
これを預かって欲しい、そう言うと官兵衛が襖を開く。庭には数多の大八車が箱を積んでひしめき合っている。官兵衛は杖をつきながら庭に降り、一つの箱を開いて見せた。暗がりの中、住職の眼には胴丸が映った。
神速の疾さで湖北に兵を返した羽柴勢。その秘密は兵どもの軽装にあった。甲冑姿での行軍は当然遅く、体力の消耗も著しい。武具も防具も棄て、兎に角も美濃から湖北に舞戻り、そして本陣とした浄信寺で戦支度を整えたのだった。
つづく