ちょっと不思議なお客様
ビロード区15番街ハリスツイード通りーー
「じゃ、行ってくるわね、ミラ」
「はい!くれぐれもご無理をなさいませんように」
私はミラに手を振り、朝の街に出かけた。
まだまだ時間に余裕はあるけど、今日は早めに行こうかな。
家からバス停は近い。歩いてすぐのところだ。
タイミングよくバスが来て、早速乗車する。
出口前の窓際が私のいつもの席だ。
座ろうとすると、よく見る顔が1番奥の席に見えた。
あれ…もしかしてレイド?
どうやら、これから学校に向かうレイドと偶然同じバスに乗ったらしい。なにか本を読んでいるようだ。近づいて声をかけてみることにした。
「レイド、おはよう」
声をかけると座っていたレイドが肩を上げて驚いた。
「ローザ!
お前大丈夫だったか?朝からバイトか?」
「うん、もう体調は戻ったし、今日もバリバリ働くつもりよ」
私が得意げに言うとレイドは少し笑ってくれた。
バスの窓から差し込む朝日に、彼のトレードマークの赤い髪がキラキラと光っていた。
…今日のレイド、何か違うと思ったら。
「ふふ、今日は眼鏡をしているのね」
「え?ああ、そうだな。珍しくもないだろ」
「嘘よ、珍しいわ!もっとよく見せて」
「わっ、ちょ…近…おい!」
その瞬間、
バスがガタンと思い切り揺れ、座席に座っているレイドに抱きつく形になってしまった。
「お…まえ、ほんと勘弁してくれ」
「ご、ごめんなさい」
急いで離れると、
レイドはその顔を真っ赤にしていた。
あら。もしかして恥ずかしかったのかしら。
「大丈夫?顔真っ赤よ、今顔ぶつけちゃった?」
「…うるせー」
私はぶっと吹き出す。
レイドったら、自分の髪と同じくらい顔真っ赤にして…ふふ、面白い!
それから私達は他愛もない話をしばらくしていた。
「話してたらあっという間!
私が降りる駅はもう次ね……あ、そうだ」
お礼を言い損ねていたわ!
彼の正面に向き直ると、レイドは変な顔をしながら私の言葉を待った。
「あの……昨日は本当にありがとう。
とても助かったわ」
「別に、俺は何も。切ったとこも大丈夫か?」
「心配性ね!本当に大丈夫よ。
じゃあまた後でね。学校頑張って」
「ああ、またな」
私はレイドに手を振ってバスを降りる。
空を見上げると、ラステル王国ではお馴染みの曇り空が拡がっていた。
今日は曇りかあ。
雨が降りそう。
まるで私の今の気持ちみたいね。
私はそっとラビットに向かって歩き出した。
ーーーーー
ビロード区 3番街シルビア通り
本日もP.Rabbitは大盛況で、
朝は夫人が、昼から夕方は若い女性達で賑わう。
今はちょうど正午。
客層が入れ替わる時間帯で、
お店が少しだけ暇な時間だ。
言うなら今かな。
「リナ」
「ん?どうしたのローザ」
リナは材料の在庫をメモしながら片手間に返事をした。
「あの…私、これから少しの間アルバイトをお休みさせて頂こうかとおもってるの。」
するとリナはそのメモする手をぴたっと止めて、少し驚いたように私を見た。
「どうしたの、何かあった?
それとも旅行でもするの?」
「いいえ、えっと…
家庭の事情で少し、やらなきゃいけないことがあって。でも、まだ確実な日程は分からないから、とりあえず事前に連絡だけしようと思って話したの」
「ああ、そういうこと。
そうねえ、それ長引きそう?」
…わ、わからない。
とりあえずここは誤魔化さなきゃ。
「私が家の仕事をちゃんとやり遂げたらすぐ終わると思うわ。私の力量次第ってところかしら」
「はあ、なるほど?まあそうよね、お家の手伝いなんて詳しく日程なんて決められないわよね。ちなみにどんな仕事を手伝う予定なの?」
「ええーーっと、悪い人を捕まえ…たり?」
「へえ!ローザの家って警察なの?
あんたそんなこと出来んの?大丈夫?」
「わ、私これでも腕っ節が強いのよ!
あんまり当てにされてないと思うけど、家族に関わる仕事だし…!!」
う、う、嘘は言ってないわ!!
ひゃー。こんなに聞かれると思ってなかった。
不審に思われてないかしら…?
「…へえ、なるほどねえ。
まあガッツリ仕事手伝うことになる3日前くらいには連絡欲しいわね。出来れば詳しい日にちを聞きたいけど、まあ親御さんたちと相談して分かったらまた教えてちょうだい」
「ええ勿論!」
き、切り抜けたわ!!!!
良かった、何も不審に思われてないようで。
……しかし日程、か。
まだこれからどうなるか分からないし。
仕事の詳細だって聞いてない。
連続怪奇事件の解決なんてそんな小説みたいな依頼が来ると思ってなかったから、何をしたらいいかも想像できない。
先行きが不安ね。
そういえばギルバートは、私がこの事件の捜査協力を受けていることを知ってるのかしら?
……知らないわけ、無いか。
思い出されるのは昨日の馬車の出来事。
少し離れたところに停まっていた、あの馬車に。あの馬車の中に彼はいたのだ。
彼は私に気づいていなかったのだろうか。
あの時、10年振りに彼が近くに居ると聞いただけで、逃げ出したくなった。気分が悪くてそれだけの理由でその場を退いた訳では無い。
ただとにかく遠くへ行きたかったのだ。
彼から離れた場所へ。
…ギルバートって今は軍の大佐、だものね。
絶対知ってるわよね、私がこの件に絡んでること。
一体、貴方はどう思ったのかしら…
カランコロン
私の鬱々とした頭の中を走り抜ける、入店の音。
くるりと回転するように頭が仕事に切り替わる。
とにかく、まずは仕事よ!
そもそも零隊といつコンタクトが取れるか分からないんだから、今はこの日常を大事にするのよ!
「いらっしゃいませ!」
張り切って声を出す。が…
…え。
男の人?珍しい。
若い2人組、私と同世代くらいの男と少年のお客様。男は薄暗いレンズの変わった眼鏡をしていて、少年は女の子のように幼くて可愛いらしい容姿だ。年が離れてそうだが、一体どういう関係だろう?と疑問に思わざるを得ない。
兄弟?どちらも綺麗な顔ではあるけど、似て無さすぎるわよね…?
少年はじっくり周りを見渡して、そして私とバチッと目が合う。
だがそれはただ目が合ったと言うより、彼から凝視されているだけのような…
す、凄く見られてる…
「……」
「…?」
どうしよう?私この子知ってる子なのかな?
全く記憶にないんだけれど。
とりあえず笑っておこう。
にこっと笑ってみる。
しかし少年は特に反応することも無く、プレートとトングを手に取ってもう1人の男とパンを選び始めた。
な、なんなんだろあの子。
誰だろう、歳の近い子ならまだしも…。
…12歳くらい、かな。
あれぐらいの歳の子に知り合いはいないけどなぁ。
私はとりあえずテーブルを拭いて、店内の掃除を始めた。
すると
「デューイ、どういうこと?
俺はとんでもない不細工顔だって聞いてきたんだけど」
「ボクに聞かないでくれる?
発端はアリスだろどうせ」
「え?なんでアリス?」
「愚鈍に教える秘は無いよ」
なんだかこそこそ話してるようだ。
パンは…持ち帰りかしら?
レジで待ってようかな。と思った矢先、変わった眼鏡をかけた男が私に向かって声をかけてきた。
「あ、お姉さん。カフェを使いたいんですけど」
「かしこまりました。では先にお会計をさせて頂きますね」
これから女性客がどんどん来る時間だけど…
男性がこんなカフェを利用することにあまり躊躇いが無いのかしら。
まあ、男の人も来てくれたら売上も伸びるし、
良い事だわ!
「カフェはドリンクを注文して頂くと利用が出来るようになっております。
ドリンクは何になさいますか?」
「んー、じゃあ俺はレモネードで」
「ボクは…
ねえ、ここってフランの花の紅茶あるの?」
男の子にそう尋ねられた。
「……。
…はい、ございますよ」
「そう、珍しいね。
じゃあそれミルクと砂糖5つ付けて」
「…!!
かしこまりました。
飲み物と一緒にパンもお持ち致しますので、お好きな席をお使いください」
対応をし終えると、私の心臓はバクバクと鳴っていた。
フランの花の紅茶。
それはそんなにメジャーな紅茶ではない。
どちらかというとかなりマイナーで、
ラステル王国の東岸、レヴィアンダという港で大量に咲くフランの花を使った紅茶である。
マイナーということもあり、
それはあまり万人受けする味ではない。
蜜の甘ったるさと、木を噛むような少しの苦さを持った変わった味だ。
そんなものを何故うちが仕入れているか。
私が好きで、無理やり仕入れてもらっているのだ。
そんな珍しい紅茶にミルクをつけて砂糖5つで飲む人を、このお客さん以外に私は知っている。
たった1人だけ。
「お待たせ致しました。
…では失礼します」
私は彼らに持ってきた飲み物とパンの皿をテーブルに広げると、早足でキッチンに戻る。
まさか、ね?
時間は昼下がりになり、女性客もかなり増えてきた。
…が。
「ね、ローザ、あの子たち知り合いなの?」
リナさんは私に尋ねる。
私はぶんぶんと首を横に振った。
「だいぶ長いこと居るわよね。
まあ定期的にパンも飲み物も頼んでくれてるし、客単価は上がるから良いんだけど。」
「……」
「あんな美男子達が、レイド以外にも居たらますます他のお客さん帰らないじゃない。
これじゃサロンよ」
笑いながらリナは言うが、私は笑顔が引きつっていくのを感じた。
悪い予感がしていた。そしてそれが的中していることも何となく察していた。
ーーーーー
「な、何だよ。この状況は」
昼下がり、ピーク時にシフトに入るレイドが店内を見た時、その顔は少し青かった。
「あはは、満席よ満席、列もすごいことになってるわね~。アンタも忙しい時によく来てくれたわ!」
リナは笑顔でレイドの肩をバンバン叩き、出勤したばかりのレイドは頭を抱えている。
そして私に耳打ちするように小声で話した。
「真ん中に座ってるあの男、誰?
一生お前の事見てるけど」
レイドは先程私が接客した2人の男性客のテーブルを指さして、どこか不機嫌そうにそう言った。
ここで知らない人って言ったら、リナには通じたけどレイドには確実に不審がられる。
私は慌ててレイドに小声で耳打ちする。
「いやあ、えっと、うん!…知り合いかも?」
「本当か?なんの知り合いだ?」
「え、えーっとね…」
「レイド!ちょっと裏来てくれ!」
「!レイド、呼ばれてるわ」
ルーサーの大きめな声に助けられた。
レイドは何かを言いたさそうに口を開いたが、その言葉は出ず、私に
「…ほんと、気をつけろよ、変なのには」
眉をひそめながらそう言って、彼はキッチンに入っていった。
そうよね。変、よね。
最初はあの男の子が凝視してきたけれど…
今はあの黒いレンズの変わった眼鏡の男が、
一生ニコニコ見てくる。
彼とは歳が近いだろうが、おそらく年上だ。
年上の知り合いなんて私にはまるでいない。
なるべく目を合わせないようにしてるけど…
あ…
眼鏡を少し下ろしている彼を見てしまい、
視線がかち合う。
すると…
ばちん
と彼は私にウィンクして見せた。
わ、ぁ…。
レイドとはまた違うタイプの美男子というやつで、ウェーブした癖毛に強気な眉、少しタレ目の無邪気なアーモンド色の瞳と泣きボクロに、常に楽しそうな上がった口元。
1度見たらもう一度見てしまうようなそんな雰囲気。
…そんなに見られたら全く集中できないわ。今日はずっとこの調子が続きそうね。
そしてだんだんと日が落ちて、彼らは閉店時間になるまでそこに居た。
さすがに店を閉める時には彼らを追い出したが、女性客の後始末が本当に大変だった。
彼らと同時に席を立ち、彼らと同時に店を出ようとするのだ。さして広くも無い店内、てんやわんやであった。
「締め作業お疲れ様。
あ!給料ね、はいこれローザ!はいこれレイド!」
「ありがとう、今月もがんばるわ」
「どーも。じゃあ締め作業は終わったし帰るか」
「はいはい、2人とも気をつけて帰ってね!
最近物騒だから。
噂でしか聞いてないけど、隣町で若い女の子が何かの事件に巻き込まれたらしいわよ」
「え…」
「新聞には出てないけど、朝のご夫人たちから聞く限り本当みたいだから。気をつけてね!」
「…え、ええ。」
「じゃあまたリナ、ルーサー。ほら、行くぞ」
ーーーーーーー
ーー
「ねえ、レイド、私この後行くところがあるの」
帰り道、いつもの曲がり道で立ち止まり、私はレイドにそう伝えた。
「そうか、じゃあ今日はここでお別れだな」
「ええ、レイド気をつけて帰ってね」
「お前こそ、気をつけろよ。
…ってなるか!
昨日あんなんだったのに誰がお前1人で帰せるんだよ」
「えええ、なによその長い冗談は!」
「当たり前だろ、リナも物騒だと言ってたろ。変な企みしてるの分かってるから」
「……」
困った。どうしてもレイドとはここで別れないといけないのに。
なんて言おうかしら。
ううん…こうなったら!
お客様のマダムから教えていただいた、ラステル国の紳士ならば必ず立ち去る言葉を言わせていただくわ!
「…あのね、レイド。
実は私この後、人と会う約束をしているのよ。
その、男の人と」
「……」
「分かるでしょう?
その…ここで別れて欲しいのよ」
レイドはかなり驚いた顔をした後、
まるでそのままどこかに正気を置いてきてしまったような態度で私に笑いかけた。
その笑みには力がなかった。
「そっか!分かった、じゃあ今度こそ気をつけて帰れよ」
「ええ、ありがとう!」
よかった!上手くいったみたい!
でもレイドはなんだか凄く落ち込んでた気がする。気のせい?
レイドが立ち去るのを見届けて、私は深呼吸した。
そして一通りの少ないあの昨日の馬車の出来事があった道へ行く。
周りに…誰もいないわよね。
キョロキョロと周りを見渡してから声をかける。
「もう出てきていいわよ」
すると…
「…さすがはレディクスのたった1人の生き残り、と言った所だね。人と会う約束って俺たちで間違いないかな?」
「まさか、ボク達が後をつけてるのがバレてるなんてね。」
先程の2人組の客がスっと路地から出てきた。
「やっぱり。貴方たちだったのね。
何かおかしいと思ったのよ」
「ふうん?気づいてたんだね。
こんなに美しくて頭もキレるなんて、魅力的だ」
「……距離が近すぎない?」
先程のサングラスの男の距離の詰め方がおかしい。
鼻先が当たるか当たらないくらいの近さで私を見つめる。
「馬車を呼んである、君の家まで送るついでに中でボクらと話そう。ここじゃ人目をはばかるからね。
…何の話か、ボクたちが誰なのか。
凡そ予想はついてるとは思うけど」
やっぱり。
私の悪い予感はばっちり的中していたらしい。
認知度のかなり低いフランの花の紅茶に、ミルクを入れて砂糖5個をつける私のたった1人の知り合いしかいない。
そう、ギルバートだ。
彼らはその人の関係者。
そんな彼らが来たこのタイミングからして、この人たちは恐らく、
いや、確実に
零隊だ。
「じゃあ、行こうか」
少年は後ろの通りに用意してあった黒塗りの馬車を指さしてそう言った。
黒塗りの馬車はラステル王国軍のトレードマークだ。
あまり考えないようにしていた、夫人たちの話し声で聴こえるギルバートの噂が蘇る。
『若いエバンズ大佐は凄まじい勢いで昇進し、零隊という国の特殊部隊の一員らしいわ』
毎日聞く国の英雄の噂は、
今日初めて嘘を感じさせない空気が漂っていた。
しかし今日、確信してしまった。
やはりギルバートは零隊の一員なのだ、と。
ーーー
「さて、本題だけど」
馬車の中で私は胃が痛くなる思いで2人の対面に座った。どうやらこの少年が先導して話してくれるらしい。
「まずは自己紹介だね。
ボクは零隊の特等、デューイだ。
そしてこっちの頭悪そうな奴が」
零隊…
やっぱりそうだったのね。
予想が現実になってしまった事に、どことなく身体が強ばる。
…ついに任務が始まるんだわ。
私は自然と手を握りしめていた。
「俺は零隊のエリク。君ってすごい美人だね。花姫って呼んでいいかな」
「えっと…私はローザ・レディクス、よろしく」
「ああ、こいつは女と遊んでないと死ぬ病気なんだ。無視して。国王陛下からの…もとい元老院からの手紙は読んだ?」
「え、ええ。読んだわ」
「中身の理解は出来た?」
「まぁ、話は分かったわ。
ただどうやってあなた達と私が事件に関わっていくのか全く分からないから聞きたかったのよ。」
「じゃあとりあえずそこの疑問に答えてあげようか。
まず、君は魔女で、純血の魔女、レディクス家の末裔だ。これを知ってるのは元老院、国王陛下、軍では元帥、将官らと零隊のみだ。
今後事件に関わっていくとなると、警察や記者や被疑者、被害者…エトセトラに君の顔が割れることになるが、君には軍の人間のフリをしてもらう」
「なるほど。極力私の名が表に出ないように既に考えて貰っていたのね、軍の協力に感謝するわ」
「僕らの上司に当たるロッド大佐の計らいさ。
将官殿らは今回の件にほとんど噛んでないから、感謝は彼にすべきだ。
ロッド大佐も零隊の一員だ。確実に今後会うことになるだろうから覚えておいて。」
「分かったわ。」
「それから具体的な捜査への協力だけど…
君には主に零隊が現場に赴く際に傍に居て欲しい。というのも犯行はどうやら魔法使いのようでね。ちなみにこれは確定事項だ、零隊は肉眼で魔法を確認している。
僕らは体術や人間を相手にした戦略では負け知らずだけど、魔法なんて未知の世界では土俵が違うから…君が居てくれるだけで助かると思うんだ」
「じゃあそれだけでいいの?
あなた達のそばにいるだけで?
随分簡単なお仕事じゃない、あまり国王が私に投げる仕事っぽくないわ」
私がそう言うと今まで静かにしていたエリクが喋り始めた。
「勿論それだけじゃない。
君は記憶を消す魔法を持っていると聞いた」
「!」
「なんで知ってるのかって顔してるね。大丈夫、外部には絶対漏れないよ。
その力を使って目撃者の記憶を消して欲しいんだ。全員じゃなくてもいい、ただ目撃者の数が減るに越したことはないから。事件後、目撃者がもしもいた場合、事情聴取の後にその魔法を使って欲しいんだ。だから今回の事件では事情聴取は警察ではなく、零隊が行う事になっているよ」
「よく分かったわ。私の情報筒抜けな事もね。
ただ1つ問題があるわ」
「何?」
今度はエリクを押しやってデューイが前に出てきた。
「私の記憶を消す魔法はね、そんな簡単にポンポン使えるものでは無いの」
「というと?」
「そうね。わかりやすく例えるなら、人間がかなり長い距離走った後すぐにまた同じ距離走れと言われたら、まずは休まなければ無理でしょう?休めばまた走れるけれど。」
「なるほどね、魔女様にも限界があるのか。
じゃあそれは上にも伝えないとね、君の事情聴取後の手伝いは1日1回が限度かな。」
「ええ、手加減してくれると助かるわ。
…でも正直なところ、そもそもやりたくないわ。人の記憶を消すってとても愚かしいことなのよ。簡単に使えては誰しもが悲しむ、悪魔の魔法。」
私がそう言って馬車の中がしんとする。
そこで初めて気づく。
外は雨が降っている音がした。
…いつの間に降り出したのね。
するとしばらくして、エリクがいいことを思いついたと言わんばかりの笑顔で、ローザに話しかけた。
「ねえ、花姫は一体どんな魔法を使うの?
俺は魔女とか魔法について割と詳しい方なんだけど、レディクスの末裔は偉大な力を意のままにできると聞く。会ったらずっと聞きたかったんだよね」
「私は名門レディクスの名を恥じる程度には不出来なほうよ。記憶を消す以外に、一応水を操ることが出来るけど…大したことは…」
「へえ!良ければ見せて貰えないかな」
「おい、エリク!
お前何言ってるんだ、それは同盟違反行為だぞ」
デューイが眉をひそめてエリクの服の裾をグッと掴むが、エリクは彼の剣幕を消し去るかのような笑顔で笑った。
「いや、合法だよ。一般人の前での魔法の使用が禁止されているんだ。俺たちは零隊、でしょ?」
「御者にみられたらどうする!気軽にそんなこと頼むんじゃない」
「でも純血のたった1人の末裔だよ。俺は今まで異能を持っているって自称する人間に何回か会ったことあるけど、皆大したこと無かった。物を少し動かしたり、音を出したり、派手じゃないというか。
俺は小説みたいなのを期待していたんだけどね」
「…ふふ、いいわ、貴方の期待するようなものを見せれるか分からないけれど。御者に見えなかったらいいのよね?デューイ」
「ふん!勝手にしろ」
あまりにもツンとした態度に苦笑いをする。
「じゃあ馬車を止めて貰える?」
止まった馬車の扉を少し開けて、外に手を出す。
やはり外は少しだけ雨が降っていた。
雨水を手にためて、また馬車を出してもらった。
「人に魔法を見せるなんて何年ぶりかしら。
案外嬉しい事ね、そんなふうに言って貰えるのは」
水にふうっと息をかける。
すると…
「え、嘘だ…水が…。蝶の形に……!」
「これは。…凄いな」
水はぶくぶくと蝶の形をつくり、
そしてそのまま…生きた蝶になった。
ひらひらとデューイとエリクの周りを舞う。
彼らは目を丸くしてそれをただ追うことしかできない。
「これが魔法よ、でもこの子はあくまでも雨水だから私が気を緩めれば…」
鮮明な形を取り留めていた蝶はゆっくり水の塊になり、エリクとデューイ、そしてローザの足元にべちゃりと落ちた。
「どうかしら?」
デューイはぽかんと馬車の床の雨水のシミを見つめた。
エリクは目をきらきらさせて、凄いよ!とローザの手を握り、手をブンブン縦に振った。
「嬉しいわ、こんなものでも喜んでもらえて」
「ほんとに凄いよ、これから毎日見せてもらいたいぐらい!」
「うふふ、褒めすぎよ……って、え?
毎回?」
その言葉にデューイはハッとしたように私の目を見た。
「伝え忘れていた。これから毎日、僕らで君の警護を担当する。これには色々意味があってやる事だけど、1番は君が魔法同盟の協力義務を怠って逃げないか見張るために僕らは用意されてる。
話を聞く限り特に逃げる気は無さそうだけど。まあそういうことだから、これから朝から晩までよろしく」
「よろしくね、麗しの花姫」
そう言ってエリクは私の手の甲にキスをする。
すかさずデューイが頭を叩く。
「ったた…デューイ、何するんだよ。」
「任務中のセクハラは禁止だ。プライベートでやってくれ」
「セクハラじゃないよ、愛でてるんだ」
「一緒だよ馬鹿エリク」
2人がごちゃごちゃと言い争っている間に、私は頭を抱える。
あ、朝から晩まで警護…!?
私、これからどうなっちゃうのかしら…
少なくとも、
昨日までの平穏な日々はしばらく帰ってこない。
日常というのはあまりにも突然にそして呆気なく終わるのだ。
今日知り合ったばかりの彼らを見ながら、
私の頭の中では不安の渦がグルグルと回っていたのだった。




