幸福
ロレン侯爵家の庭でボーっとしてしまっている俺は、隣でウトウトとしているファニーに気付き、ショールを持ってくるように侍女に頼む。
「あ、ごめんね。アシュ」
「眠いんでしょ。寝ていいよ。もたれても大丈夫だから。俺も眠い」
ふわあ~っと欠伸をすると、ショールをかけてもらったファニーが、いそいそと俺の肩に頭を乗せる。
庭に二人掛けのソファを置きそこでお茶をしていたのだが、残念ながら睡魔が襲ってくるのを止められない。ファニーの肩を抱きながら、ソファに深く座り直した俺は、完全に眠る体勢だ。
「……綺麗だったね、ルミ」
「うん。まさかウェディングドレスを着るとは思ってもいなかったけれど、ハリスさんのたっての頼みだから断れないよね」
そう、昨日はルミとハリスさんの結婚式を内々で上げたのだ。
ハワード家でおこなったそれは、とても綺麗で楽しく騒がしく、朝まで続いた宴会に今日の俺とファニーはお疲れ状態だ。
もちろん、ファニーは途中で帰宅させたのだが、その数日前から衣装やら宴の用意やらの結婚式の準備に、やる気のないルミを引っ張ってミルフィール様とあれこれ動いてくれていたから、一気に疲れが出てしまったのだろう。
俺が来てからも、ちょっと寝ぼけ顔が可愛かったりする。
実は大人達は領地に戻って、明日も宴会をするのだそうだ。俺も誘われたが、いい加減浮かれた大人達に付き合っていられるかと、ランバ様の誘いと称し領地に行くのは断ったのだ。
ランバ様の元へは昼前に顔を出し、サッサと退室した。
実は一月前にランバ様は、念願のミランダ様とのお茶会に成功したのだ。もちろん王妃様も含めた三人でのものだったのだが、ミランダ様の思いは間違えようのない好意だと自覚したランバ様は、勢いに任せてその場でプロポーズ。またもや王妃様から接近禁止命令が出たのは言うまでもない。
その時の王妃様の言葉は「なめてんのか」だったそうだ。ミランダ様に跪く我が息子の胸倉を掴んで……。ミランダ様の心が落ち着くまで時間をあけろと言っているのに、あの王子は本当に何をやっているのか。
その時の様子にギルバード様は、最早処置無し。と呆れたのか、数日前にエクノア嬢と婚約された。
「よくエクノア嬢が了解されましたね」と聞くと「どう転んでもミランダ様の幸せは確実だから、私も幸せになりたい」のだと、エクノア嬢が言ってくれたそうだ。
良かった。本当に。これでギルバード様の俺への所々ネチネチと向けてくる八つ当たりが、ゲフンゲフン。対応が、軟化されるだろう。
今日はそんなランバ様に助言をと、幸せにどっぷり浸っているギルバード様の邪魔を少しでも減らすべく昼前に寄ったのだが、ギルバード様の婚約にすっかり拗ねてしまったランバ様が面倒くさくて、つい逃げてしまったのだ。……暫く行きたくないなぁ。
そうそう、家の領地は本来なら、馬車で三日はかかるのに、桁外れの運動神経を称している我がハワード家の連中は、馬を飛ばして一日で着いてしまうから、明日の夜には大変な騒ぎになるだろう。
ハリスさんはハワード家の私兵団をまとめ上げてくれているが、領地の民にも人気がある。
父上と共に幼い頃からあちらこちらを走り回り、街に被害をもたらす迷惑な獣を退治して回っていた。その後ろをクレノさんもついていたのだが、民にはクレノさんの姿は確認されていなかったそうだ。人の目に触れるか触れないかは、クレノさんの気まぐれ。そういえば師匠と初めて会った時は、ジェルダー公爵が気に入らなくてわざと姿を現したらしい。結果、師匠との長い付き合いが始まったのだから、良かったのかもしれないな。
ハリスさんの気さくで優しく、加えてあのキラキラのご尊顔は父上と二人、領地でも人気が出ないわけがない。そのハリスさんの待ちに待った結婚式。領地がお祭り騒ぎになるのも納得がいく。
そんな中に俺も行ってみろ。もみくちゃにされるのが目に見えて分かる。
俺も小さい頃から領地には何度も行ったが、そのほとんどが獣の討伐に三日のスケジュールで向かわされていた事を思い出す。
行きに一日、討伐に一日、帰りに一日。三歳のガキに何やらすんだって話なんだけれど、それをこなしてしまった俺を見て、父上が楽しんだのも事実。
かなり過酷だったよな。今頃ルミが目を回している姿が目に浮かぶ。
ハリスさん、それで嫌われなければいいんだけれど。いや、絶対に嫌われる案件だとは思うけれど、浮かれた大人達に何を言っても聞き入れないのは分かっているので、俺は無言を貫いた。
あ、でもそういえば、師匠とミルフィール様も一緒に行っていたな。ならば魔法でどうにかなるかな? なるよね、きっと。なるといいなぁ~。
因みに母上は乳飲み子がいてるので、本日はお留守番。そう、先月弟が産まれたのです。
俺に続き、妹が二人と弟と四人兄弟だ。
まあ、俺にすればこの弟は、子供と言ってもいい感じだけれど。
十八歳になった俺は、最近ファニーとの結婚を考えていたりする。
この国では貴族の結婚に特に規定はない。適齢期というものはないので、意外と自由ではあるのだ。
だからランバ様がミランダ様を振り向かせるのに、後九年はかけてもいいだなんて言葉を口にしたのだが、それはあくまで建前。
やはり貴族には跡継ぎが必要。結局は少しでも早く結婚出来るのならば、したほうが理想だと暗黙の了解は貴族間にはある。
よって学園を卒業した俺が、結婚を考えるのはとても自然な事。特に昨日のハリスさん達を見た後では尚更だな。
七歳から婚約している俺達に、反対する者などいないだろうし……。
「ファニー、起きてる?」
「……うん」
「結婚しようか」
「いいよ」
そんな風に俺達は、日常のワンシーンで生涯を共にする約束をする。
だって、凝ったプロポーズなんて今更でしょ。
雰囲気? 場所? 言葉? 本当に今更なんだ。
会ったその場でプロポーズして、毎日思いを伝えあって、ずっと一緒に生きてきたんだ。それはこれからも変わらない。変わらせない。それがお互いの思いだと気付いた俺達に、今更何もいらないよね。
俺が目を瞑っていると、唇に温かくて柔らかなものが触れた。
パッと目を覚ますと、はにかんだファニーの顔がそこにはあって……え? ファニーさん、今何をしました?
俺が固まっていると、拗ねた表情のファニーが「だって……」と言葉を紡ぐ。
「アシュってくっついてくる割には、何もしないでしょ。結婚しないと駄目だとか思ってる? 今もアシュからしてくれるかと思っていたのに、してくれないから自分から行動したの。嫌だった?」
顔を赤く染めながら、上目遣いで俺の胸元から覗き込んでくる表情は凶悪で、ちょっと、待って下さい!
今の体勢分かってます? ソファに深く座り込んで、ほとんど寝そべってるかのような角度で、俺に体を預けているファニーはほとんど俺の上にいる状態で……やばっ!
俺達結婚を考えている十八歳です。これは駄目だ。なんか柔らかかったなぁ、なんて考えたら駄目だ。ここはロレン家の、彼女の家の庭だ。こんなところで理性吹っ飛んだらやばいでしょ。
俺が脳内で宴と祭りを一緒に催していると、ファニーがフワリと微笑んだ。
その顔は、俺の大好きな顔で……。
うん、大丈夫。俺はこの笑顔さえあれば、どんな事でも耐えられる。
今も理性を総動員して抑え込んで……よし、大丈夫。
「……プロポーズは俺からで、ファーストキスはファニーからなんだ。じゃあ次は俺からだね。期待して待っててね」
そう言うと、ファニーは真っ赤な顔をしながらもフフっと微笑んでくれた。
俺達はいつものように笑い合う。
なんの変哲もない笑顔のワンシーン。
この先もずっと俺達は、こうして暮らしていくんだろう。
それが君と俺との日常だから。
完結いたしました。
どうにか無事にハッピーエンドで終わる事が出来まして、ホッとしております。
最後まで読んで下さり心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。




