最後の力
時間が戻り、時の魔女に渡した魔力は戻る事はなかったが、最初に黒の魔女に奪われた力は元に戻った。しかし渡した力はかなりのもので、弱っていた私は魔力が回復すると噂の王都近くにある湖の岩に体を横たえていた。
すると、予期せぬ出来事が私を襲った。一度ならず二度までも、私は黒の魔女に魅了の魔法を奪われたのだ。
何をやっているのか、情けない。私の体は消えかける一歩手前だった。
けれどその岩に横たわっていたのが幸いしたのか、動けるほどには回復出来た。ただし猫の姿で、だが。弱り過ぎた私は人間の姿を保つ事が、全く出来なかったのだ。
仕方がないので、その姿のまま彼女の元に向かう。
黒の魔女に魅了の魔法を奪われた以上、彼女がまた傷つくのではないかと、傷つく前にどうにかしなければいけないと思ったのだ。
庭に辿り着くと彼女が走っている姿を見つけた。どうやら彼女はまだ幼いようだ。
前回では一度しか見られなかった笑顔の彼女を見て、私の心の中は温かなもので包まれた。良かった。この時にはまだ、彼女は笑顔でいられたのね。
そう思いホッとした瞬間、みゃあ。という、か細い猫の声が漏れた。するとその声に耳ざとく反応した彼女が私の方にやって来た。
ガサガサッと茂みを掻き分け私を目にした彼女の目は、途端に潤み始めた。
「可哀そうに、こんなに傷だらけになって……。なんだろう? 貴方のこんな姿、前にも見た事があるような気がするわ」
「!」
もしかして彼女には前回の記憶がある? そんな事になったら彼女の心は壊れてしまう。あんなおぞましい経験を蘇らせて、正常でいられる人などいるはずがない。
私が身を固くしていると、彼女の背後から幼い少年の声が聞こえてきた。
「どうしたんだ。鳥にでもやられたか?」
私は自分の目を疑った。幼くはあるが彼は、アシュレイ? あの意志の強そうな眼は彼だ。
どうしてこんな所にいるの? 彼は彼女のただの友人で、彼女の屋敷で二人きりになれる事などあるはずがないのに。
困惑している私に彼は手を伸ばす。けれどその手を素直に取る事が出来ず、戸惑っていると彼は信じられない言葉を口にした。
「俺はファニーの夫になる男だ。悪いようにはしないから俺の方に来てくれ。傷の手当てをするから」
夫? 嘘? だって、彼女の、ファニーの夫となる人は王子様で、その所為で彼女は苦しんで笑顔を失ったのに……今は、彼が夫となる人?
またもや混乱する私をヒョイと抱き上げ、彼は彼女が俯いている事に気が付いた。
「どうしたの?」
「だって、アシュが……夫、になる男、なんて言うから……」
そうして二人で甘い空気を醸し出す。
え? 何これ? よく分からないけれど、彼女は頬を染めて嬉しそうにはにかんでいる。彼もまた、照れ臭そうにしながらも、嬉しいという気持ちが体中から溢れ出ている。
もしかして、彼が未来を変えた?
王子の婚約者となるべきだった彼女の未来を変えて、近くで守ろうとしているのか? 私との約束、彼女を守ってくれるという約束を実行してくれている?
私は彼と彼女を見比べる。
…………………。
あれ? この甘い空気はいつまで続くのだろう? ちょっと、抱きかかえられているのも傷、痛むんだけれど……そろそろ、終わらない? まだ? まだ?
私はしびれを切らして、私を抱えている彼の手にペシッと猫パンチをくらわせてやった。彼らは慌てて、屋敷に私を運び込んでくれた。
屋敷の空気はとても柔らかい。手当てを受けた私に、皆が笑顔で接してくれる。
隠す必要がないのだ。侯爵令嬢や王子の婚約者といった肩書が全く関係ない。彼女は彼女のまま、自然な姿でいられる。それを引き出したのは彼。
彼女は言っていた。彼は周りを笑顔にする人だと。彼が彼女を幸せに導いてくれている。約束を守ってくれている彼に、私も約束を守らないといけない。
多分、彼は一人で前回の記憶に耐えている。辛い辛い記憶を一人で抱えているのだ。私も半分、背負わなければ。彼一人に押し付けてはいけない。
そう思って今出来る精一杯の力を使って、彼の夢の中に現れた。
彼は凄い人。私の予想を遥かに上回る力を持った人。
彼は周囲を巻き込んで、いえ、彼自身はそんな気は微塵もなかったのだろうが、周囲が放っておかなかった。彼の人柄がそうさせるのだろう。味方を増やし、幸せなまま、黒の魔女を捕える事に成功した。
今、私の目の前にいる人もそのうちの一人。
ハリスはアシュの父のような存在。アシュの父親の親友で、とても優しく強い人。
アシュの代わりに水を汲みに行くと紹介され、地図を送る為、夢の中に現れた私に一目惚れをしたと言う。その場で膝をつき「結婚してくれ」と言ってきた人。
初めまして。と挨拶をしようとした私の言葉を遮り、いきなり向けられた好意に私は驚いて、夢の中から逃げだした。
いや、その場で返事なんて無理でしょ。初対面の会話がプロポーズなんて、なんの冗談かと思ったわよ。
後から聞いた話だけれど、アシュも同じような事をファニーにしたらしい。本当に親子ね。血は繋がっていないけれど。
次の日、ハリスは猫の姿の私の元にやってきてプロポーズは本気なのだが、とりあえずは一刻も早く水を汲みに行きたいから夢の中に来てくれと頼まれた。話はその後だとも言われた。
いや、その話はもういいけれど……そう思ったのだが、ハリスの笑顔を見ると何故かはっきり断れない自分がいた。
そして結局、根負けしてしまった。ハリスの情熱に。
私は白の魔女で二百年生きていると言うと「凄いなぁ、年上女房か。俺もおじさんだし問題ない」と、あっけらかんと答える。
「いつ人間に戻れるか分からない」と言うと「虫が付かなくていいな。夢の中でも会えたら俺はそれだけで幸せだ」と言われた。
そんな事言われ続けて、断れる女性などいるだろうか? 流石アシュの身内だと感心しか出てこない。
そして、私は最後まで補充していた力を使って人間の姿に戻り、黒の魔女と対峙していたアシュの元に向かった。
魔力はないが少しでもアシュの手助けが出来ればいいと、なんならこの体でアシュとファニーの盾になれればいいと、そう思って向かったのだが……アシュの父親達は、最強だった。
アシュは凄いと思っていたが、その父親達はもっと凄かったのだ。
情報を集めたクレノ。他国の城に乗り込んで中枢部まで先導したハリス。あの黒の魔女を笑顔で抑え込んだリスティ。
私達魔女なんかより、ずっとずっと化け物よね。
まあ、白の魔女の末裔のミルフィールが頑張ってくれていたお蔭でもあるんだけれど。
彼女の気質はやはり私に近いものがある。話しているとそれが分かってきて、二人で絶対にファニーとアシュを守ろうねと約束した。
背後からスッとハリスに抱きこまれた。
「……何を考えている?」
「全て片付いて良かったな。とは思うの。皆笑顔で幸せで……けれど、私に後一欠片の力が残っていて、それを使って最後にアシュの思いをファニーに全部知ってもらいたいと思うのは、私のエゴなのかしら? ファニーもきっと知りたいと思うの。それほどまでに愛されている自分を」
ハリスは、そんな私の言葉に眉間に皺を寄せながらたずねてきた。
「それを使ったら君はどうなる? 場合によっては反対せざるを得ないが……」
「人間になるわ。魔力が枯渇するもの。だから、いざとなっても貴方の助けは出来ない」
ハリスが私のような力のない魔女を伴侶と迎えたところで、なんのメリットもないと伝える。自由気ままな元魔女と一緒にいても、何も得する事はこの先もないのだと。
するとハリスはニパッと笑って、またもや私を深く抱き込んできた。
「なんだ、そんな事か。そんなのむしろ大歓迎だ。全てをファニリアス嬢に教えるのなら、彼女の心を守らないといけないが、それは上手く誘導出来るのか?」
「ちょ・ちょっと、待って。人間になるって言ったのよ。貴方にとってなんの得もない女になると言ったのよ」
私は慌ててハリスの腕の中から逃げようとする。けれどハリスの太い腕はピクリとも動かない。そしてキョトンとした表情で、私を覗き込んでくる。
「何を言っている? 君がそこに存在しているだけで俺は最高に幸せだ。人間になって二百歳の老人の姿になっても構わない。君なら最高に可愛い老婆になるだろう。ああ、すぐに死んでしまうのは悲しいな。少しは俺のそばで一緒に時を過ごしてほしい」
「なっ! 老婆になんてならないわよ! そりゃあ、人間になるんだからいずれはそうして死んでいくけれど、見た目はこのまま。何事もなければ貴方と同じ、時を過ごして最後を迎えるわ」
「だったらなんの問題もない。見た目がそのままなら結婚式をあげれるな。君の花嫁姿をぜひ見せてくれ」
「~~~~~」
ハリスはこういう人。アシュのぼけた感じとよく似ているわ。
だけど、こういう人だから私は人間になる事になんの後悔も感じない。この人と共に生き、そして死ねれば最高に幸せ。
「最後の力でファニーに前回の夢を見せようと思うの。もちろん辛い経験をしたという事は分かったとしても、体感や気持ちは思い出さないように操作する。まあ、今回はそんな経験をしていないのだから、ないものを感じる事は出来ないと思うから、彼女の姿や恐ろしい光景をぼやかせば、なんとか伝わると思うの。伝えたいのはただ一つ。アシュの言葉に一切の嘘はないという事だけ」
そう、アシュと私は事あるごとにファニーが前回の辛い記憶が蘇るのではないかと、常に心配していた。あんな記憶を思い出してしまったら、ファニーはどうなるのかと。
けれど考える。彼女は今回、現実に辛い経験をしていないのだ。記憶が蘇っても現実に感じた事がない痛みを思い出す事など、出来るのだろうかと。
嫌悪感はある。気分も悪くなるかもしれない。だから記憶として蘇らせる事は出来ない。そこを夢の一部のようにぼかして伝える事は出来ないだろうか? そしてそれが成功すれば、彼女がそれを克服できれば、前回の記憶にこれから先も悩まされる心配はない。
アシュの深い気持ちを知って、前回の記憶を克服してもらいたい。だけど、それだけじゃない。彼女自身の行き場のない気持ちも知る事が出来たら……。
彼女の前回のアシュへの気持ちは誰も知らない。多分本人さえ。私だけが知るファニーの気持ちを、私はこのままなかったものとする気になれないのだ。
今更ファニーの気持ちに前回の気持ちを上乗せしたからといって、それがなんになるのかと言われればそれだけだが……そうね、これは私のエゴ。愛をつかさどる白の魔女としてのエゴなのだわ。そんな私にハリスは最もな意見を述べる。
「ファニリアス嬢は知っていると思うけれどね。アシュが黒の魔女に濡れ衣を着せられた時、窓から飛び降りようとしたアシュに向かって、彼女は一緒にいくと言ったのだから。まあ、アシュならあの窓から飛び降りても、少しの怪我ですむと思うけれど、ファニリアス嬢にはそんな事は分からないだろう。彼女の気持ちもまた本物だ」
ええ、知っているわ。ファニーは前回の記憶がなくても無意識にアシュを受け入れている。
アシュは自分の気持ちは重すぎるから、ファニーに引かれるのではないかと心配しているところもあるようだが、それはあくまで一方通行の場合。それがお互いにもちあわせていたら怖がる事は何一つとしてなくなる……これが私のエゴ。
お互いが通じ合えたら、もっと幸せになれるのではないかと思う勝手な思い。
「ハリスの言う通りよ。あの子達はお互いに思いが深いの。だけどお互いそこまで相手が深いとは思っていない。お互いにそんな気持ちが向けられているのだと知る事は、決して無駄ではないはずよ」
「いいよ。君の思い通りにしたらいい。それで君の気持ちが、前向きで明るいものとなるのなら、俺は助力を惜しまないよ」
最後にハリスは仕方がないな。と笑って賛成してくれる。また迷惑をかけるかもしれないわね。本当にこの人は私の全てを受け入れてくれる。
「……ハリスも本当に私が好きなのね」
「ああ、アシュに負けない気持ちはあると思うよ」
私はクスリと笑って、最後の力をファニーに飛ばす。
どうかアシュの気持ちを全て分かってあげて。前回のファニーの気持ちを迷子のままにしないであげて。ファニーは私達が思っている以上に強い人だから。
――そうして私は人間になる。




