秘話
私は一人の白の魔女から生を受けた。
白の魔女達は肩を寄せ合い、集落を築いて暮らしていた。その中でそれなりに魔力量の多い私は優遇され、平和な世界で心穏やかな生活を送っていたのだ。
それが揺らいだのは時の魔女と出会った直後。
たまたま白の魔女の集落に寄った時の魔女に、話を聞いた。
時の魔女とはその名の通り、時の狭間で漂い生きているのだという。その中で見た一つの流れ。私には魔女としての力を失い、人として生きていく未来の一つが存在しているという。
そんな馬鹿なと思いつつも、自分が必要な場合は呼んでくれと、力を貸してやると言った時の魔女の言葉を忘れられずにいた。
まさか本当に時の魔女を呼ぶ羽目になるとは……。
人里離れた集落で暮らしている私達は、年に二度、王都に必要な物を買いに行く。
買い出し係は二人だけ。集落全員の分を買いに行くのだ。それなりの荷物になる。が、ぞろぞろと大勢の人数で行っても目立つだけ。そこで魔力の多い者が、魔法の袋にそれらの荷物を詰め込んで帰るのだ。
魔法の袋は異空間となっていて、想像できない程の広さがあり、時の魔女に譲ってもらった品の一つだ。
ただ難儀なのは、それを使うには大量の魔力が必要となる事。だから魔力の多い者しか扱えない。
魔法の袋だけではなく、時の魔女の品とはそういうもので、時の魔女とかかわった者は、魔力を失っていくと言われている。
だからそんな彼女を呼ぶ事などありえないだろうと思っていたのだが、王都の帰り、会ってはいけない者に会ってしまった。
黒の魔女だ。
魔女にも魔女達のルールが存在している。それは勝手気ままに生きる魔女達の本質に伴って出来た暗黙のルール。それがなければ魔女同士のいざこざは絶えなくなってしまう。
けれどそのルールをも破るのが黒の魔女。彼女達は同族であろうと自分達の快楽の為なら平気で裏切る。魔女達が最も嫌悪する魔女。それが黒の魔女なのだ。
黒の魔女は私達を見つけると「丁度いいところに来たわね。悩んでいたのよ。貴方達の力をもらえば悩みは解決できるわ。慈悲深い白の魔女なら、私にその力くれるでしょう。私が楽しむ為にその力、使ってあげる」そう言って襲ってきたのだ。
火の槍のような物が飛んできたかと思うと、体中から血が噴き出した。その状態に驚いたもう一人の白の魔女が、私の腕をとり逃げようと後ろを振り向いた瞬間、人よりも大きな火の塊が彼女を包んだ。
ボッと音を立てたかと思うと、一瞬で彼女を燃やし尽くし、跡形もなく消え去った。
「あら、ちょっと力を入れ過ぎたかしら? 簡単に死んじゃったわね。まあ、いいか。もう一人いるし、彼女より貴方の方が力が強そう」
黒の魔女が舌舐めずりをしたかと思うと、無数の火の槍が頭上から落ちてきた。
悲鳴を上げる間もなく、倒れ伏した私に彼女はまたがると、手のひらを翳し、そのまま力を吸い取られていく。
「キャアアアアアァァ」
「うん、欲しかった魅了の魔法は奪えたわ。ついでにちょっと魔力ももらったけれど、いいわよね。じゃあ、ありがとう。さようなら」
悲鳴を上げる私を無視して、黒の魔女は跳ねるように去って行った。
あっという間の出来事に考えが追いつかず、体中傷だらけの上、魔力も奪われた私はそのまま意識を失った。
……どれぐらい経ったのだろうか? 気付くと私の耳に可憐な声が聞こえてきた。けれどその声はどこか切羽詰まったような声だった。
そうして私のすぐ近くで声がしたかと思うと、ふわりと柔らかくて温かなもので体中を抱き込まれた。
私はその温かさに安堵して、また意識を手放した。
気が付いた時には、白い家具で統一された綺麗で大きな部屋の寝台に丸まっていた。
ん? 丸まる? 目をあけるとそこには白の毛におおわれた肉球。これは猫の手?
ゆっくりと起き上がる。あれ? 上手く立てない? 仕方がないので四つん這いで寝台から降りようとした時、先程の可憐な声が聞こえてきた。
「あ、駄目よ。まだ無理しちゃ。体中傷だらけなんだから」
そう言って、ひょいと抱き上げられてしまった。
あ・あら?
私は私を抱き上げた人物に、目を向ける。
そこにはハニーブラウンの巻き毛に、菫色の瞳の可愛いお人形のような少女がいた。
え? 私お人形さんに抱っこされているの?
パニックになった私は、キョロキョロと辺りを見回す。そこに大きな鏡を見つけて……声にならない悲鳴を上げた。
そこに映っていたのは、可愛い少女に抱き上げられた可愛い真っ白な仔猫の姿。
まさか、これが私?
美しく着飾った女性が、信じられないという時に使う様な言葉が頭を過る。
私が一人慌てていると、トントンという扉をノックする音が聞こえた。
目に見えてビクッと体を震わす少女は、警戒しながら「誰?」と声を発す。
「私です。ミナです。大丈夫ですよ、私一人ですから」
「どうぞ、入って」
そんなやり取りの後、入って来たのは侍女の服装に身を包んだ女性だった。
「良かったですね。目を覚ましたのですね、どうします? 何か食べるものを用意いたしましょうか?」
彼女は私を見るなり喜色を浮かべる。
「皆のいる所には連れていけないわ。ここに持って来てくれる? 仔猫って何を食べるのかしら?」
「食堂の者に聞いてみましょうか?」
「駄目よ。この仔の存在が知られちゃう」
「……知られても怒られたりはしませんよ。旦那様も奥様も、ファニリアス様を怒ったりなど致しません」
「そうかもしれないけれど……侯爵令嬢として王子の婚約者として、道端で倒れている仔猫を拾うなんて行動、褒められたものじゃないわ」
「そうですか? 私はファニリアス様らしく、優しく慈悲深い行動だと思いますが」
「それは……お城では通用しないもの」
どうやら彼女が、道端で倒れている私を助けてくれたようだ。けれど彼女の立場上、秘密にしなければならない行為だったらしい。
どうして仔猫の姿になってしまったのか? それは私が著しく弱った為におきた現象なのだろう。体力を、魔力を回復する為に一時とっている仮の姿。
暫く猫の姿でお世話になり、ファニリアスと呼ばれた令嬢を観察する。
仔猫姿の私を、ミナという侍女と二人でなにくれと世話を焼いてくれる。令嬢とは自身の事すら侍女にさせると聞いた事があるが、どうやら彼女は違うようだ。
彼女は朝から夕方まで、学園という所で勉強し、その後お城という所でまた勉強をして帰ってくるのだと、私のブラッシングをしながらミナが言う。
彼女はファニリアス・ロレン侯爵令嬢。この国の第一王子の婚約者だそうだ。いずれはこの国の王妃になる存在。だから幼い時から必死で勉強をしているというらしいが、その勉強というのはどういったものなのだろう?
だって彼女の顔は暗く、毎日とっても疲れている。楽しんでいるようには決して見えないのだ。辛い苦しいものなのか? 薄汚れた傷だらけの猫を拾って、看病してくれるような優しい女性が、どうしてそんな辛い思いをしているのか? よく分からない。
ある日、少しだけ彼女の頬が上気している事に気付く。
今日はいつもより帰りが早かった。何かあったのかな? 私は彼女のそばに寄ってテシテシと足を叩く。
「あ、ごめんなさい。ただいま、ねこちゃん」
そう言って抱き上げて、ソファに座ったまま自身の膝の上に私を乗せる。
「ふぅ~、あ、申し訳ありませんって、ここはお城ではなかったわね。一息つくぐらいいいわよね。見ているのはねこちゃんだけだもの」
そう言って苦笑する彼女を、私は信じられない思いで見つめる。
その城という所では溜息もつけないのか? どんな牢獄なのだと私は想像しながら身を震わせた。プルプルしている私をよそに、彼女は少しぼんやりとして、自身のポケットからハンカチを取り出すと、その間に挟まれていた花を摘まみ上げる。
「今日は、アシュレイ様からお花を頂いてしまったわ。その場に生えていた野花だけど、押し花にしたら駄目かしら? 知られたら怒られる? でも知られる訳はないわよね。だって今まで誰にも知られずにいれたもの。押し花にして持っているぐらいいいわよね」
ブツブツと独り言を言う彼女の頬は、ますます赤みを帯び始める。
アシュレイ様というのが王子様の名前かしら?
そんな彼女をジッと見つめていると、彼女は私の視線に気付いたのかフフっと笑って、シッと口元に人差し指を持っていく。
「内緒ね、ねこちゃん。私、王妃教育っていう辛い辛い勉強を小さい頃からしているの」
彼女はいたずらっ子のような顔をしたかと思うと、初めて話すの。といってボソボソと小さな声で話しだした。
「王子様の婚約者になってしまったから、仕方がないって思っていたけど。でもね、誰も私の辛さに気付いてくれなくて、出来て当たり前って思われちゃってるから本当に辛くて、たまに一人で泣いたりするの。そうすると、どこからか友人が現れるのよ。気付くと隣に座っているの。最初は吃驚して、なんで声かけてくれないのかって少しムッとしたけれど、その内その空間がとっても優しいものだって気付いたの。だって彼は私を心から労わってくれているから。彼だって忙しい身なのに、どうやって私が泣いているのに気付いているのか分からないんだけれど、必ずそばにいてくれるの。ああ、一人じゃないんだなって思わせてくれる。私はその一時があったから、今まで頑張ってこれた。正直言うと他人にこの事が知られたらどうなるか分からない。彼とは何もないわ。ただの友人。けれどあの空間だけは手放せなくて、誤解を与えるような行為だって分かっているけど、やめられないの」
つらつらと続ける彼女の言葉には、彼への愛しさが溢れている。
友人。と彼女は言うけれど、あきらかに特別な友人ではあるはずだ。それが異性となると、それは何を意味するのか?
(王子様の婚約者、辞められないの?)
つい話しかけてしまったが、悲しい事にそれは猫語でしかなくて、彼女にはにゃあにゃあとしか聞こえていない。
彼女はクスリと笑って「慰めてくれてるの? ありがとう」と言って抱きしめてくれた。
そのまま、彼はね、面白いのよ。と言って話を続ける。
「小さい頃から要領が良くてね、王子様とも軽口たたいて、周りにいつも笑顔を振りまいているような人なの。カッコいいくせに分かっていないのかな? 周りの令嬢にきゃあきゃあ言われていても、一切話している姿を見た事がないわ。大勢の中でなら令嬢とも話すのだけれど、単独となるとサラッとかわしていつの間にかいなくなるのよ。フフ、でも誰も彼を悪く言わないの。かわし方が上手いのね。そんなだから大人の人にも可愛がられているわ。頭が良いもの。凄いのよ。学年ではいつも主席なの。私も一度も勝てた事がないわ。少し悔しいけれど彼なら仕方がないのかな」
彼の事を楽しそうに話す彼女は初めて見る明るい、年相応の少女の顔をしていた。
その彼といる事は出来ないのかな? その少年となら、彼女はいつもこんな笑顔でいられるのではないだろうか。




