呼び出し
俺の朝は早い。前回でも行っていた朝の鍛練を、倍に増やしたからだ。
朝食を終えると公爵子息としての勉学に入る。朝食をしっかり食べるため、昼食は軽く済ます。
再度勉学の続きに力を入れると、三時頃にやっと時間があく。その隙を狙ってファニーに会いに行く。一緒にお茶をしながら二時間ほど過ごすと帰宅し、再び鍛練を行う。
夕食を食べ、湯を使い今日の出来事を思い返す。今日のファニーは楽しく過ごせただろうか、嫌な事はなかっただろうか、そんな事ばかりを考える。
そうしてファニーの笑顔を思い返して、幸せな気持ちの中、眠りにつく。
それがここ最近の俺の日課だ。
「王子が婚約者をお決めになったぞ」
夕食の席で、父上が報告とばかりに話始めた。
「お相手は思った通り、筆頭候補であられたソネット公爵令嬢だ」
「あら、喜ばしい事」
母上が両手を打って、微笑む。
やはりな。王子の性格上、公爵・侯爵家で決まった婚約を邪魔するような事はないと思っていたが、もしかしてという思いもぬぐえなかっただけに、内心ホッとした。
しかし、そうすると王子はちゃんとファニーの事を諦めてくれたのだろうか。
俺が俯いていると「嬉しくないのか?」と父上が問う。
「臣下としては喜ばしい事ですけれど、正直実感は……良かったね。という感じでしょうか」
「なんだ、つまらん。ファニリアス嬢を取られるんじゃないかとハラハラしていたクセに。安心したともっと喜ぶかと思っていたぞ」
「ファニーと私は、もう国が認めた立派な婚約者です。例え王子であろうと邪魔は出来ないと思っていましたからそれほどでも。ただ確かな状態としては安心しましたかね」
嘘だ。かの王子は婚約破棄など何とも思っていない。そんなものは安心材料にはなりえない。
だが、今ここでそんな事を言ってもどうしようもないから、俺は安心したフリをする。
「まあ、一段落といったところか。婚約式は来月にでも行う予定だ。それとこれは別の話だが、王子から一度お前を連れてきて欲しいと頼まれているが、どうする?」
「何故ですか?」
父上のその言葉に俺は警戒を強めながら、王子が俺に会いたい意図をたずねる。
「友人になりたいのだろう。王子は聡明だ。我がハワード家は手中に入れておいた方が良い事をよくご存じだ」
「命令ではないのですか?」
「あくまで私事だ。行けないならば行けないと断っても、別段問題ない」
俺は少し考える。
王子は……ランバは良い奴だった。容姿もさる事ながら頭も良く、下の者の話もよく聞き、上にたつ者としての威厳も兼ね備えていた。本当に素晴らしい主で、俺はランバとファニーに臣下として生涯仕えようと本気で思っていた。例え己の心が死んだとしても。
だけどそんな気持ちは微塵もなく消えてしまった。あの女が変えてしまったとしても、人は変わるのだと思うと、今の俺には諸手を上げて奴の懐に入る気にはなれない。
だが、このまま距離を置いておく訳にもいかない。
俺は公爵家の嫡男でいずれは跡を継ぐ。ファニーも公爵夫人として社交界にでない訳にはいかない。
何より十五歳になれば、否応なしに貴族学園に通わなくてはいけなくなるのだから。
俺は心を決めると、父上に向き直る。
「かしこまりました。殿下と父上のご都合の良き日にお供いたします」
「分かった。そのように返事をしておこう」
父上は頷くと俺との会話を終了させ、母上と赤子の妹の話をし始めた。
前回では王子との出会いは茶会であったため、今回王子は俺にどういう対応をしてくるのか分からない。普通に友人になろうというのか、自分の婚約を祝えというのか、ファニーへの探りを入れてくるのか。まあ、どう転んでも俺の今回の生きる意味は、ファニーが全てだ。
王子の出方がどうであれ、ファニーを守るために動くのみ。
「やあ、よく来てくれたね」
「お招きありがとうございます。殿下におかれましては……」
「ああ、いい、いい。そんな堅苦しい挨拶は抜きで頼むよ。それより茶会以来だね」
満面の笑みで迎えてくれた王子は、俺の挨拶を片手で遮り、両手で握手する。
父上から話があった三日後、俺は王城の王子の私室に案内されていた。
いきなり私室かよ。とゲンナリしたが表情には出さず、挨拶しようとしていきなり両手を掴まれたのには流石に驚いた。
「ランバ、落ち着け。流石に引いている」
笑顔を保つため表情筋に力を入れていると、王子を窘める声がした。
宰相の息子のギルバード・エディックだ。
そういえば彼は王子の一番の親友で、三歳頃には既に王子の私室に出入りを許されている人物だった。
「まずは座ってくれたまえ。お茶にしよう」
そう言って俺と王子をソファに座らせお茶の用意をする様子は、八歳児にはとても見えない。
「茶菓子も用意している。どんなのが好みか分からないから、多種多様に揃えてみた。好きなのを口にしてくれ」
「侍女は下がらせているのですか?」
「邪魔だろう。給仕は私が全て出来るから問題ない」
「そうですか。ではいただきます」
そう言ってギルバード様の入れてくれたお茶をすする。
うん、うまい。そういえば前回でもお茶をする時は、大概ギルバード様が入れていたな。
俺が落ち着くのを見てとると、ギルバード様がもういいぞと言わんばかりに王子に合図を送る。
「改めて。よく来てくれたね、アシュレイ・ハワード。君と一度ちゃんと話がしたいなと思っていたんだ」
「どうぞ、アシュレイとお呼び下さい。殿下」
「いいの? じゃあ、私の事もランバと呼んでくれ」
「ありがとうございます。ではランバース様と」
「ランバでいいのに」
「はい、ランバ様とお呼びさせていただきますね」
「…………」
頑なにランバと呼び捨てにはしないぞと笑顔で返すと、王子は拗ねた表情をした。そうすると美貌の顔も台無しだ。年相応の幼い顔が表に出る。
ちなみに前回では、俺も親しみを込めて愛称でアシュと呼ばせていたが、今回は絶対に呼ばせない。
「いいね、君。ちゃんと礼儀を重んじるタイプのようだ。王子はこのように屈託のない性格だから、勘違いする者が多くてね。いつも後処理をする私の身にもなって欲しいのだけれど、そこのところ今一つ分かってもらえなくてね」
そんな王子を横目に、ギルバード様が嬉しそうに手を叩く。
「ご心痛、察します」
慇懃に頭を下げると「ええ~、なにそれ」と王子は頬を膨らませる。
ギルバード様は楽しくて仕方がないという様に笑う。
「フフ、分かっていたとは思うけれど、君の事はハワード公爵家嫡男という事で気になっていた。友になりえる子かどうかと。けれど杞憂だったみたいだね。ギルが初対面でこんな風に笑うのを初めて見たよ」
ニコニコと王子が笑うとギルバード様は、バツが悪そうにコホンと咳払いをした。
「ご期待に添えられたのなら何よりです」
「……君は、いつもそんなに堅苦しい喋り方なの?」
「失礼ですよ、ランバ」
な訳ないだろう。こちとらまだ七歳児だ。
素直に疑問を口にする王子を、ギルバード様が窘める。
「いえ、まだ緊張していますので。暫くすればもう少し砕けた話し方になるかもしれません。失礼な口をききましたらお許し下さい」
「許すも何も、私は砕けてくれた方が嬉しいな。そうか、緊張するのは仕方がないね。早く馴染んでくれると嬉しいよ」
王子は人懐っこい笑顔で了承の意を唱える。
「――ところで、君も婚約しているのだよね」
そら、きた。
唐突に、本当に唐突にきたファニーの会話に俺は身構える。
けれど王子には悟られないように、努めて冷静に。
「はい、ロレン侯爵令嬢と婚約させていただいております。ランバ様もこの度ご婚約が成立したとの事、誠におめでとうございます」
しっかりと答えると王子は寂しそうな顔をした。
やっぱり王子はまだファニーに未練があったようだ。もしかしたら俺の婚約は他の誰かとでファニーではないかもしれないと、目の前でハッキリと宣言したのにもかかわらず、そんな一縷の望みをもっていたのかもしれない。そんなものは粉砕してやる。俺は王子の表情には、一切気付かないというように笑顔で話す。
「ハハ、ありがとう。なんだかまだ実感がなくてね。君もそうかな?」
王子はたどたどしく答えると、婚約は政略的なものだろうと確認してくる。
ここで俺がそうですね。とでも答えようものなら、婚約を破棄する気はないかと言ってくるだろう。
そんな事はさせるものか。
「いえ、私は令嬢に一目惚れをしたので、承諾していただいた時には天にも昇るような心持でした。毎日会える事が幸せで、大事にしようと心から思っています」
「え? あ、そうなの?」
俺はファニーとの婚約は俺が心から望んだ事で、破棄する気は微塵もないと示す。
王子は俺の言葉が意外過ぎたのか、少し圧倒されたように身を引いている。
「はい、そうです。どうかランバ様も公爵令嬢を大事にしてあげて下さい。王妃教育が始まると令嬢も大変でしょうから、ランバ様が支えてあげられると頑張れると思いますよ」
最後の締めくくりとばかりに、せっかく婚約を結んだばかりの公爵令嬢を蔑ろにするんじゃねえ。と言えば、王子はハッとするような顔をした。
今まで相手の事には考えがいっていなかったのだろう。自分の気持ちにいっぱいになるのもいいが、少しは周りの者の気持ちにも聡くなれ。そういうところが付け込まれるんだ。
ニコニコと表情を崩さずにいる俺に、王子の隣で黙って聞いていたギルバード様が「ふうん」と言って顎に手を置いた。
――しまった。何か感づかれたか?