和解
黒の魔女が平然とヒュージニア国の王族と現れた時には、正直驚いた。
どこかでからんでくるかとは考えていたが、まさか最初から堂々と現れるなど誰か予想できるだろうか。
クレノさんからヒュージニア国の王族の来訪時に、黒の魔女が挨拶と称して接点を持ったのは聞いていた。王子達の飲食に水を入れる隙もなかったほどの早業だ。
今日の様子を見て、王子が魔法をかけられた事は変えようのない事実。
これから城内の飲食物に水を混入させるが、黒の魔女とずっと一緒にいる今、効果はどれほどあるだろうか?
水も万能ではない。
やはり直接飲むのと、混入させるのとでは効き目も変わってくるし、黒の魔女が直接触れ、尚且つずっとそばにいる状態では、水の効果も余り役には立たないだろう。
目の前にスッとお茶が差し出される。どうやらギルバード様が入れてくれたようだ。
「お疲れ様。一息入れよう」
「ありがとうございます。いただきます」
ギルバード様がスッと座った目の前のソファには、ランバ様もいる。
ここはランバ様の私室で、三人でギルバード様が入れてくれたお茶を飲む。
そういえば学園に入る前は、よくここでお茶をしたものだ。
俺が感慨深げに思い出に浸っていると、ギルバード様が口を開く。
「そういえばアシュレイ。聞きたかったのだが、ハンカチなんていつの間にミランダ様から預かったんだい?」
ピクリとランバ様が肩を揺らす。
「もしかして、ミランダ様の入れられた刺繍というのは嘘だとか?」
「……いや、あれはミランダのものだ」
俺が答える代わりにランバ様が答える。そうして持ち帰ったハンカチの箱を、大事そうに持ち上げる。
「これは確かに、ミランダの手によるものだ。けれどあのような状態で、どうやったんだ? 私の分は以前に作っていたと言われれば納得出来るが……」
ジッと箱を見つめるランバ様に、俺は少し気持ちが温かくなる。
俺はランバ様の言葉を肯定する。
「その通りです。あれはミランダ様が王妃教育の一環として、刺繍の時間に作られたものの作品の一部です」
「けれど、全員分のイニシャルが入れられていた。そう都合よく刺してあった物があるとは思えないが……?」
「それがミランダ様の努力の賜物です。ミランダ様は全てのイニシャル入りのハンカチを作られているのだと、私は以前ファニーから聞いていました。それも男性用と女性用に。皆様の雰囲気にあった柄だったのは、運が良かったのでしょう。刺繍の教師に訳を話していただいてきたのですが、教師もミランダ様の努力が報われたと喜んで渡してくれましたよ」
二人は驚いてハンカチを見る。凝った作風は、例え一枚といえども一日二日で出来るような代物ではない。
全てのイニシャル入りのハンカチ、しかも男性用と女性用など、どれ程の時間を費やしたのだろうか? 俺もファニーから聞いた時には、本当に驚いた。
俺のハンカチもファニーが色々と刺繍をしてくれているが、目の前でチマチマと縫っている姿に可愛いと萌えながらも、大変そうだなとこちらの目が痛くなったのを覚えている。
これが彼女の王妃教育の一環。心底、尊敬する。
「因みにランバ様の分は十枚ほどありました。それだけは適当に指したものと違って、ちゃんとランバ様用にと分けてあった物です」
「え?」
ランバ様は俺に顔を向ける。何言っているんだ、こいつ? 的な顔をする。そうだよな。先日彼女から悲痛な胸の内を聞いたばかりだ。
彼女は望んでこの地位にいる訳ではない。それなのに、ランバ様に用意をしていたと。渡せるかどうかも分からないハンカチを、忙しい時間を割いてまで作ってくれていた。
疑わし気な顔をするものの、ハンカチの箱に顔を向けるランバ様。
「……小さい頃に、一度だけミランダからハンカチをもらった事があった。これほど素晴らしい物ではないが、この文字の先の右上がりの癖、今でも同じなのだなと。だからこれがミランダの手によるものだと分かったのだ。けれどその時は、私も幼かったからありがとうと言いながらも、練習を始めたばかりかい? などと酷い事を言った。貶めるつもりはなかった。けれど目の肥えた私には、そのハンカチが酷く拙い物に見えてしまってね。彼女はそれからも必死で練習したのだろうね。いつか渡そうと、沢山作ってくれたのだな……」
その時の事を後悔しているのか、ランバ様は優しく箱を撫でる。
ランバ様の中で何かが変わった。
それはギルバード様ももちろん分かっていたようで、俺に向かってコクリと頷く。
長かったが、ようやく俺達は一緒に前に進めるのだな。
主君として……友として。
「ランバは、マキアート嬢の事をどう思う?」
ギルバード様が本題に戻す。
先程はランバ様が最後、助け舟を出してくれてその場を収めてくれたが、あきらかに違和感のある男爵令嬢の存在を、ランバ様自身どう思っているのだろうか?
ランバ様はお茶を机に戻すと、フムッと言って考える仕草をする。
「――そうだね、彼女があの場所にいるのはどう考えてもおかしいね。もしも男爵を介してヒュージニア国の王族と親しくなったとしても、あのお茶会に顔を出していたのは不思議な事だ。カラクスト王子達にも色々とありもしない事を吹き込んでいたようだし、以前から彼女の名前は耳にした事があるけれど……そういえば入学したての頃、アシュレイからもその名を聞いた事があったな。君はどちらかというと彼女と敵対しているような風に見えたが、何か彼女に対して怪しさを感じているのかい?」
ランバ様はジッと俺の顔を見る。
ランバ様に見抜かれたか。そうだよな。あそこまでハッキリと言えば、敵対している事は分かるよな。相手も俺を凄い顔で睨んでいたし。
俺はマキアートの正体をランバ様に話すかどうか悩む。
父上達に相談したかったが、城の中まで平気で出入りし、王子と交友があるなどと平気で嘘を吐く女の正体を知らないというのは、余りにもランバ様が無防備すぎる。
今までは前回の事があり、ファニーの事があったから、王子と俺の間にもわだかまりがあり、本当の事を話してもどこまで通じ合えるか分からなかったけれど……今なら、大丈夫かもしれない。
チラリとギルバード様を見ると、話してくれと頷かれた。
そうだな、ランバ様にも自己防衛をしてもらった方がよさそうだ。
俺は一呼吸吐くと、ランバ様の方に居ずまいを正す。
「ランバ様は魔女という存在を、ご存知ですか?」
「魔女?」
突然全く違う話をされて、ランバ様はキョトンとした。
うん、ごめん。そりゃあ、吃驚するよな。
「そうです。現在ではお話の中だけのものとして扱われている魔女です」
「ああ、うん。アシュレイの言う通り、物語の中だけの存在として認識しているよ」
「彼女はその魔女です。しかも黒の魔女という、人の負の感情を露わにさせて喜ぶ魔女です」
「……え? あ、えっと、揶揄ってるわけでは……」
「ないですよ。もちろん」
「だね。うん、そうか。分かった。ちゃんと理解したいから、知っている事を教えてくれるかい? 彼女の目的を」
どうやらランバ様は、瞬時に俺を信用しようと決めたようだ。
ギルバード様が頷く。俺も腹を決めた。
俺はファニーとギルバード様に話した内容をランバ様にも話した。前回の事は抜きにして。
話し終えた後、ランバ様は項垂れていた。どうやら理解の範疇を超えてしまったようだ。
「大丈夫か? ランバ」
ギルバード様が気遣わし気にランバ様の肩に手を置く。
「え、ああ。大丈夫。大丈夫だが、私はなんとも間抜けなようだ。狙われていた事にも気付かずにいたなんて。私の知らないところでミランダも傷付けられ、このような事になってしまったのか……」
力なく片手をあげるランバ様。俺は傷心の彼にソネット様の安全を保障する。
「それは分かりません。ソネット様に話を聞いてみない事には。ですが、何かしらの魔法をかけられていた事は事実のようです。先程も申し上げました通り、今彼女のそばには頼りになる白の魔女の末裔であるミルフィール様が付いています。これ以上傷付けられる事はないとは思いますが、殿下ご自身も充分ご注意下さい。相手は何を考えているか分からない存在なのですから」
「そうだね、アシュレイの言う通りにしよう。私は出来るだけ彼女には近付かない。そしてあまりヒュージニア国の二人にも心を許さないようにしておこう」
ソネット様が無事ならばと、少し浮上したランバ様が、自分も防衛しないとね。と力強く頷く。
「ありがとうございます。ただ、ヒュージニアのお二人には王族としての交友はお持ち下さい。もしかして魔法が解ければ、こちらの味方に引き込めるかもしれませんから」
「ああ、そうだね。そうしよう」
俺の言葉に素直に頷くランバ様。それからギルバード様をチラリと見ると、少し考えるような仕草をしている。
「アシュレイは、ヒュージニアの二人を取り込めると思っているのかい?」
「それは分かりません。けれどそうなったら、戦争は簡単に回避できるでしょう」
フムッと頷くギルバード様。
本当に二人をこちらに取り込めるのが、一番平和で簡単な方法なんだ。
前回のカラクスト王子ならそれは可能な気がするが、今回は……どこまで黒の魔女の魔法にかかってしまっているのだろうか? それが分かれば事態を覆せるのだが。
「アシュレイはかなり昔から皆を守ってくれていたのだな。それなのに私は……色々と反省する。申し訳なかった」
自分の考えに没頭していた俺に、そう言って頭を下げるランバ様。
俺は肩を跳ねさせる。
王族が一臣下に頭を下げる。いやいや、駄目でしょう。
「え、ランバ様、何を、いけません。王族が、むやみやたらにそのような態度をとるのは……」
頭を上げてくれと必死に止めに入るが、ランバ様はさも当たり前のようにカラリと話す。
「もちろん、ここだけだ。ここは私の私室で誰も見ていない。友と一緒に過ごしているだけだ。だろう、ギル」
話をふられたギルバード様に、俺は助けを乞うように見つめる。するとギルバード様は、それはそれは良い笑顔で頷いた。
「そうですね。友であれば悪い事をすれば素直に謝るし、逆もまたしかり。私もこの部屋で何度ランバに謝られた事か」
「え? そんなに何度も謝っておられるのですか?」
驚く俺に、慌てるランバ様。
「お・おい、ギル。余計な事は言うな」
「話をふったのはランバですよ。それに私は真実を申し上げただけですから」
ランバ様は複雑な顔をして、俺の耳元にコソリと呟く。
「ギルはいつもこうだ。ギルにとったら私は不出来な弟らしいからな」
予想もつかなかった事を言われ、俺は目を大きく見開く。
親しい親しいとは分かっていたが、そこまでの仲だとは。しかもランバ様はそれをよしとしている。
そういえば、前回の時も俺との距離はかなり近いものだったし、俺が何を言っても笑っていたっけ。それを俺は、ファニーと共に歩む人生が幸せだからだろうと、意に介さなかった。なんて事はない。この気性はランバ様、特有のものだったのだろう。
ランバ様だからこそ持ち合わせているおおらかな広い心。
やっぱり王族の器だよなぁ……完敗だ。
笑っている二人を前に、俺はドンっと水筒を目前に突き出す。
二人が目をパチクリと見開く中、俺はニコリと笑う。
「とりあえず、二人でこの中の水を飲み干して下さい。お茶なんかに混ぜず、直接飲む方が効き目があるはずですから」
「……えっと、根拠はあるのかな?」
「勘です! それと他にもいくつかお持ちしましたから、王様や王妃様、宰相様など魔法にかかられては厄介だと思われる方達に、もう一度お二人からも飲ませて下さい。お願いします」
「…………………………」
二人は顔を見合せばがらも、素直に従う。
こうなりゃ、二人にも水の件には関わっていただこう。これに関してはかなりの負い目があるので、正々堂々としたお二人にも関わってもらえれば、後に判明しても問題にはならないだろう。
飲ませ忘れたなどという失敗は、ソネット様の件で充分反省した。
巻き込まれた二人を、俺はニコニコと笑いながら見つめる。
また師匠とハリスさんに水を汲みに行ってもらおうっと。




