対峙
「ロレン様、ソネット様に階段から突き落とされたというのは、本当ですか?」
教室から一歩外に出た途端、上級生の女生徒に声をかけられた。
好奇心いっぱいの女性が目を輝かせ何かを聞こうと、私を待ち構えていた事がありありと分かる。
「何を馬鹿な事を……。誰がそんな噂を流しているのですか?」
彼女のそんな行動に、私は堪らず声を荒げる。
「え? え? だって、皆がそう言っているから……」
「だから誰が言っているのですか? その方を教えて下さい」
私の剣幕に、軽い気持ちで声をかけてきた女生徒は涙目になる。
さぞかし驚いているのだろう。私が学園はおろか、人前で声を荒げるなど初めての事なのだから。
興奮する私の肩を、大きな手が包み込む。
「最近そんな噂を耳にするけど、いい加減うんざりだな。あの淑女の鑑のソネット様が本当にそんな事をすると、君は思っているの?」
私の肩越しから顔を出したアシュが、眉間に皺を刻みながら女生徒を見た。
「え? い・いえ、そんな……」
女生徒はなかば混乱しながらも、アシュに嫌われまいと必死で違うと伝えようとする。
「じゃあ、信じられないからこそ、真相をたずねに来てくれたんだね」
「は・はい、そうです。私もそんな馬鹿な話って思ったから」
その言葉を聞いた途端、アシュはニコリと微笑んだ。
「良かった。噂が勝手に独り歩きしていて、私達も些か迷惑していたんだよ。君が噂を否定してくれるかな? そんな噂は事実無根だと」
「はい、喜んで。私もソネット様を信じていますから」
女生徒は顔を真っ赤にしながらも、アシュの言葉に任せてくれと勢い込んで言った。
ミランダ様が学園で倒れられてから二週間が過ぎた。
それに伴いランバース殿下まで来なくなった学園では、あらぬ噂がまき散らされていた。
あんなに四苦八苦していた活動祭も蓋をあければ呆気なく終わり、アシュは生徒会から解放されるかと思いきや、殿下の穴を埋める為、エディック様に力を貸すとの事。
その行為も一部の生徒からは、不満に思われる要因となった。
曰く、ミランダ様は一向に自分を見て下さらない殿下に業を煮やして、婚約者の責務を放棄した。
曰く、それでも知らぬ顔の殿下に思い知らせる為、殿下の思い人の私を階段から突き落とした。
曰く、一連の問題に怒った王妃が二人を監禁した。
曰く、以前から婚約者に邪な思いを抱いている殿下を快く思っていなかったアシュが、殿下のいない隙に学園の政権を握ろうと生徒会に入り込み、エディック様まで手中におさめた。
……等々。
馬鹿馬鹿しすぎて話にもならないとはこの事だわ。
普通に考えたらありえない話なのに、それを真に受けて今のように聞いてくる人の多い事といったら。
皆もう少し、自分の頭で考えて言葉にしてもらいたいものだわ。
「珍しいね、ファニーがそこまで怒るなんて」
女生徒が去った廊下で、アシュはクスクス笑いながら私を見る。
分かってるクセに。
私はムッとしてアシュを睨みつけると、アシュは可愛い可愛いと頭をクシャクシャに撫でる。
「嫌な噂ばかりだわ。学園内も息苦しい」
アシュの好きにさせていた私は、気が付けば俯き加減になっていた。だから出てしまった弱気。
そんな私を心配そうに覗き込むアシュ。
「当分の間、休む?」
「いや。逃げてると思われるもの」
キッパリと顔を上げて言い切る私に、一瞬目を丸くしたアシュは、またクスクス笑いながら腰を抱き寄せる。
「もう少し我慢してね。絶対に落ち着かせるから」
「うん」
私は学園の廊下と、人目があるのを十分理解した上で抱き寄せてくれたアシュに身を任せる。
こうしていると少し心が温かくなる。
まさか、ランバース殿下がミランダ様のそばにいたいと、自ら城に待機するとは思ってもいなかった。
それをエディック様から聞いたアシュは、生徒会の手伝いを申し出た。
殿下とミランダ様。要の二人が抜けたのだ。生徒会が回るはずがない。
私も手伝いたいと言ったが、活動祭が終わった今、大きな行事はないので忙しくなったら頼むねと言われた。
マーシャ達も、ソネット様のあの姿を見た者は皆一様に、手伝いたいと申し出た。
そして箝口令を敷くまでもなく、全員が口を閉ざした。
皆ミランダ様が好きだから。
ミランダ様の頑張りも健気さも優しさも、ちゃんと理解している。
その上でミランダ様の力に少しでもなれたらと、考えているのだ。ミランダ様の居場所は皆で守ると。
それを揶揄うかのように流されるミランダ様を排除しようとする悪意に、皆心を痛めている。
どうしてそんな事が出来るのか?
そんな噂を流している人の気が知れない。
「エディック様、お願いですから私にも生徒会のお手伝いをさせて下さい」
「間に合っていると何度も申し上げています。いい加減にご理解下さい」
「私は純粋に王子様とソネット様の心配をしているだけですわ。何もやましい気持ちはありません」
「分かりました。そのお気持ちだけ受け取っておきますので、お引き取り下さい」
「……私、諦めませんわ。また来ます」
「お願いですから、もう来ないで下さい」
そんなやり取りを見たのは、生徒会室の前だった。
片付けが得意な私は、書類の整理を手伝う為にアシュとやって来たのだが、扉の前では心底疲れ果てたというようなエディック様と、一歩も引かない女生徒の姿。
彼女は以前にもどこかで見た事が……ハッと気が付く。
そう、教員室で私が教師に、殿下からの要望で生徒会に入らないかとの誘いを受けた時、廊下で待ってくれていたアシュのそばにいた女生徒。
私が気にかけるとアシュは知らない人という様に、私を連れてその場を去った。
エディック様に追い立てられた女生徒が、クルリとこちらを向く。
ぞくりっ。
彼女と目が合った私の背に、何故か悪寒が走った。怖い。
私はついアシュの背に隠れる。するとアシュも同様に私を背に庇う。
アシュの顔を見ると一瞬、とても険しい顔で彼女を見た。
それは本当に一瞬の出来事。
「あら、ハワード様。王子様の代わりに生徒会のお仕事を手伝われていると聞きましたわ。私も手伝わせてくれるよう、エディック様に頼んで下さらないかしら。私は役に立ちますわよ」
彼女はアシュを認識すると、アシュの腕に触れようと手を伸ばしてきた。
それをスッと避けるアシュ。
「挨拶もまともに出来ないような方が、役に立つとは思えません。手伝いたいと言うなら邪魔をしないようにして下さい。この行為自体が迷惑です」
取り付く島もないとはまさにこの事。
「おい、アシュレイ」
流石にエディック様もアシュを窘めようとしたが、アシュは私の肩を抱いてエディック様と共に生徒会室へ入ろうとした。
「お待ちになって、ハワード様。彼女は生徒会の人間ではないでしょ。婚約者は特別なのですか? 無関係の人間を入れるなんて、王子様がおられないからといって勝手が過ぎるのではないでしょうか」
その言葉にアシュは、彼女を睥睨する。
「誰も何も知らないと本気で思っているのですか? 貴方がしている事ぐらい調べればすぐに分かります」
「な・何を言っているのか、分からないわ。何を根拠にそんな事を言うの?」
アシュの突然の話に、身を引きながら驚く女生徒。
「グリフォン・アンダーソン。ご存知ですよね。生徒会室でもローズマリー、ローズマリーと叫んでいました。殿下に会わせたいと言っていた女生徒というのは、貴方の事ですよね。それに色々な噂の出所を探ると、どうしても貴方のクラスから発信されているのです。貴方はクラスでは軽いいじめにあっていると聞きます。それなのにどうして問題が生じると皆、貴方に話を持っていくのですか? 人が少ない場所で、皆が貴方の話に耳を傾けている姿は異様に映ります。学園は広い。完璧に隠したつもりかもしれませんが、誰かがどこかで必ず見ているものです。貴方のやり方は芝居がかり過ぎて、逆に違和感しか生じないのですよ」
………………。
女生徒は怒りの為か体をワナワナと震わせ、エディック様は唖然とアシュを見ている。
私はというとアシュの言葉に驚きはするものの、なんだか妙に納得してしまった。
ああ、一連の噂は殿下を慕っていた女生徒によるものだったのだと。
人を何重にも介して手が込んでいる上に、自分は弱者としてふるまう。とても緻密な悪意。
アシュはいつから気付いていたのかしら? ううん、そんな事はどうでもいい。
私はアシュの後ろから、女生徒の前に出た。
「ファニー!」
アシュは慌てて私を後ろに隠そうとしたが、私はそれを止めて彼女に言葉を投げかけた。
「ミランダ様はとても素敵な女性です。貴方も誰かを思う気持ちがあるのなら、裏で手を回したりせず正々堂々と戦いなさい。そのような手法で勝つ事など、絶対に出来ません」
私は彼女の目を見つめながら、キッパリと言い放った。
――何故かとてもスッキリした。
そう彼女になんか負けない。どんな目にあっても、彼女に屈したりなんて絶対にしないと。
女生徒はそんな私に、大きく目を見開く。
「何を偉そうに……」
ぼそりと彼女の口から言葉が漏れる。
「小娘が粋がってんじゃないわよ!」
ブワッと彼女の中から、私に向かって何かが放たれた。
「チッ!」
アシュが咄嗟に私を抱き込む。
――だが、何も起きない。
そろりと顔を上げる。
「……やっぱり、貴方達にこの魔法は効かないのね」
女生徒は、私達をギロリと睨む。
「諦めてお前の元居た所に帰れ。ここはお前の居場所じゃない」
「……何もかもお見通しって事? 貴方一体何者なのよ」
「何者でもない。お前のやり方が気にくわないだけだ」
私を抱きかかえたままのアシュと女生徒が睨み合う。
「……このまま、私が諦めるとでも?」
「諦めなければ、何度でも潰すだけだ」
暫くの沈黙の後、女生徒は何も言わずクルリと私達に背を向け、去って行った。
私がフウ~っと力を抜くと、アシュが腕を緩めて私の顔を見つめてきた。
「無茶しないで。ファニーに何かあったら俺は生きていけないって何度も言っているだろう」
「ごめんなさい。でも、許せなかったの。殿下を慕っているからといって、悪評なんか流してミランダ様を陥れようとするなんて」
「ファニーの気持ちは分かるよ。けれど彼女は普通じゃない。何かあるか分からない」
「普通じゃないとはどういう事か、説明してくれるか? アシュレイ」
今まで黙って成り行きを見守っていたギルバード様が、笑顔と共に問うてきた。
アシュは溜息と共に覚悟を決めたのか、明日は休日。ハワード家にて説明を行う事を、ギルバード様に約束したのだった。




