思い
ミランダ様があんなにも苦しんでいたなんて、気が付かなかった。
彼女は幼い頃からとても優秀な方で、年を重ねる事に完璧な淑女となり、未来の王太子妃と誰もが疑わなかった。
懸念材料があるとすれば、それはランバース殿下の気持ち。
彼は何故か私に執着して、ミランダ様をおざなりに扱っていたのは知っていた。
けれど、ミランダ様は完璧な淑女。私みたいにアシュの為だけに取り繕った淑女とは違う。殿下もいつかは目を覚まし、彼女の素晴らしさに気付くと信じていた。だけど、そんな簡単な問題じゃなかった。
彼女は助けを求めていたのだろう。ランバース殿下に。アシュに。私に。
それなのに私は、アシュが彼女の事を気にかけると嫌な気持ちになっていた。
今考えるとはっきり分かる。
私は彼女にヤキモチを焼いていたのだ。いつかアシュがとられてしまうのではないかと。
アシュは優しい。誰にだって優しい。だけど私には特別。
誰もが分かるようにちゃんと気持ちで、行動で示してくれていたのに、私はそれでもヤキモチを焼いていたのだ。
情けない。酷い女。ミランダ様に酷い人と言われても仕方がない。
あの時の彼女は正常じゃなかった。
だから本心で言った訳じゃない事も充分理解している。けれど私自身がそう思うのだ。
どうしてもっと早く気付いてあげられなかったのか。体に異変をきたすほど苦しんでいる彼女を、友人を気にしてあげられなかったのか。
アシュに送ってもらい家に帰ると、真っ青な顔の私を家族が心配してくれる。
だけどこんな私を見られたくない。大丈夫だと言い、自室に籠る。
暫くするとミルフィールさんが、アップルパイを焼いたとお茶と共に持って来てくれた。
私が落ち着くのを見計らってきてくれた事に、ミルフィールさんの優しさを感じる。
ミルフィールさんは何も言わない。焼き加減をちょっと失敗したとか、お茶にはシュガーではなく蜂蜜の方が好きだとか、そんなたわいもない話で微笑んでいる。
優しい優しいミルフィールさん。ミルフィールさんになら分かってもらえるかな? 私の浅ましい気持ちが。
だってミルフィールさんにも、誰よりも優しく自分を思ってくれる素敵な人がいるから……そして、怒ってくれたら私は自分の醜さに、向き合えるかもしれない。
ポツリポツリと今日あった事を話す私。ミルフィールさんは黙って聞いてくれている。
最後に自分の醜い心を吐露する。
私はアシュさえそばにいてくれれば、ミランダ様の気持ちも殿下の気持ちも平気で見て見ぬ振りが出来ていたのだ。
優しいアシュが他の人を気にするとヤキモチ焼き、アシュを取られまいと必死で己を磨いた。
アシュに飽きられないように、皆にお似合いだと認められるように。誰も私達の間に入られないように。
ミランダ様には酷い事をしたと……彼女の悲痛な叫びの最後にアシュをちょうだいと言われ、私は彼から離れられないとはっきりと断った。
もっと他に言い方はなかったのか? 苦しんでいる彼女にやんわりと諭す方法がなかったのか?
自分の語彙力のなさに腹が立つ。
だけど、どんなに繕ったって結局はアシュを渡す事は出来ないと、断るしかないのだから酷い女だ。
そんな私にミルフィールさんは、どんな反応をするのか……抱きしめてくれた。
抱きしめて「私も同じ」だと言ってくれた。
自分の所為で、彼は近衛隊隊長という華やかしい未来を捨て、他国を彷徨ってくれた。
時には危ない目にもあい、病に苦しみ、辛い目にも何度もあったという。けれど森の中で野宿する時、一つの毛布で二人くるまりながら寄り添う時は、幸せを感じていたという。
私と同じで、この人を誰にも渡さない。誰も私達の間に入らせない。と思っていたそうだ。
けれど危険が遠のき、伯父様が私の婚約を気にして一度戻りたいと言った時、目が覚めた。
いつまでもこんな生活を続けていたらいけないと。彼にも他に大切な人をつくってあげたいし、自分もつくりたいと。
自分を助ける為に、多くの人が動いてくれた。
その内の一人が、私の婚約者になったアシュのハワード家。
私達に恩返しもしたいし、守ってあげたいとも思った。だからここに来たのだと。
だけど今でも、一番大切なのは伯父様で、伯父様をハワード家にとられるぐらいなら二人でまた逃亡するかも。と茶目っ気たっぷりな笑顔で言ってくれた。
だから、私だけじゃないと。愛する者がいる人は皆同じだと。罪悪感をもつ事は何もないのだと言って、もう一度抱きしめてくれた。
それでもどうしても罪悪感をもってしまうのならば、自分も一緒にもつと言ってくれた。
私はミルフィールさんの気持ちがとても嬉しくて、暫くミルフィールさんの胸で泣いた。
それからミルフィールさんが、これから何をするかが大事ですね。と言い、自分は暫くの間、ミランダ様の所に行くと言った。
薄々感付いていた。ミルフィールさんは不思議な人。特別な力をもった人。どんな力かは分からないけれど、彼女はその力の所為で危険な目にあい続け、伯父様と逃げていたのだろう。
だけどその力は決して悪いものではなく、むしろミルフィールさんのように優しいものであるのだろう。
ただ、追いかける人間が悪用しようとしているだけ。だから彼女はその力でミランダ様を助けようとしている。
私は何も出来ない。
ミランダ様の無事とミルフィールさんの成功を祈るだけ。
だけど、それでも私は二人の友人だから、黙って彼女を見送る。邪魔にならないように。
ミルフィールさんはもう一度、私を抱きしめるとハワード家に行ってしまった。
アシュが守ってくれた。ミルフィールさんが勇気をくれた。じゃあ私には何が出来る?
事の成り行きをじっと見ていた猫のルミと目が合った。
そっとルミのそばに行く。
「――私に出来る事を教えて」
なんなんだ? 何がおこっているんだ?
私はうわごとを言い続けるミランダをジッと見ていた。
どうして彼女はこんなに苦しんでいるんだ? 治ったから学園に来たのではないのか?
――彼女は、ミランダはとても優秀な女性だ。幼い頃からそれは変わらない。
泣き言も恨み言も何も言わず、ただひっそりとそばにいてくれた。常に笑顔で公務の手助けをしてくれて、邪魔にならないように控えている。
たまに私の前に出てくる時も、それは私が恥をかかないように、補佐をしてくれるだけ。
ギルが私の右腕ならば、彼女は私の左腕だ。なくてはならない者。やっとそれに気付いたのはごく最近。
そう、アシュレイには敵わないと本気で思った瞬間、震える君を初めて目にした時。
私は守る相手を間違っていたのではないだろうかと。
今でもロレン嬢は天使だと思っている。それは変わらない。幼い頃に植え付けた気持ちは、どんな事がおきようと変えられない。
けれど、その気持ちはただ単に手に入らないものを欲しがっている子供の我儘と同じようなものかもしれない。手に入らないから欲しい。いつまでも夢中になる。
彼女はそんな私を、何も言わずに笑顔で支え続けてくれた。
同じく何も言わずに支え続けてくれたギルに、一度だけ本気で怒られた事がある。
「お前の気持ちも分かるが、いい加減現実を見ろ。ロレン嬢はアシュレイのもので、お前の手には絶対に入らない。そろそろミランダ様に目を向けて見ろ。彼女の成し遂げている事実に目を向けろ」
そこまで言われたのに、私は尚も彼女を見ようとしなかった。
ギルは呆れたのか、その後は何も言わなかった。たった一度だけの言葉。
アシュレイには何度も言われた。出会った時から言われていた。ミランダ嬢を気にかけてやれと。
私はそんなアシュレイを心の隅で、私がロレン嬢を本気で手に入れようとしたら困るから、他の者を見るように仕向けているのだと思っていた。
私は愚かだ。
何も分かっていなかったのだ。ミランダの心の声を聞くまで。
彼女がどんなに必死で耐えていたのかを。彼女の笑顔の裏を知ろうともしなかった。いや、私は彼女の存在自体認識していなかったのかもしれない。
そんな事を考えていると、城から近衛騎士がやってきて、彼女を城に連れて行くと言った。
私も一緒に行こうとすると、何故か止められた。彼女は王妃の部屋の隣に迎えるのだと。
何故?
聞いても王妃の命令だとの一点張り。仕方がなく、王妃に直接聞く為に謁見の許可を申し込む。が、話す事は何もない。との断わりの返事が返ってきた。
どういう事だ?
何度もたずねるが、一向に音沙汰がない。ギルに調べてくれるように頼む。
「何故、今更?」
「え?」
「彼女に興味はなかったのだろう。いいじゃないか、王妃が見てくれているというならば、任せたら。ずっとそうしてきたじゃないか」
「…………」
確かにそうだ。どうして私は今更、ミランダのそばにいたいと思うのだろう?
片腕だから? なくてはならない者だと気付いたから? それだけなのか?
彼女は私の隣など望んではいなかった。けれど私に認められようと頑張ったという。
目を閉じると彼女の悲痛な叫び声がこだまする。
――会いたいな……。
何故だかなんか分からない。ただ会いたい。
彼女は高熱を出して苦しんでいる。そばに行ったところで、私の存在など気付きもしないだろう。けれど、それでもいい。ただそばにいたい。苦しんでいる彼女の額の一つでも拭ってやりたい。
「……ギル、悪いが私は城にいる。当分学園には登校しない。私がいなくても活動祭は問題なく行えるはずだ。後を頼みたい」
「会えないのに?」
「それでもいい。少しでも近くにいたい」
「分かった。アシュレイに頼んで、二人で頑張ってみるよ」
「生徒会全員で頑張ってくれ」
「了解」
クスクスと笑うギルと別れて、私は城へと帰宅した。
上手く婚約者を排除出来た。
ミランダ・ソネット公爵令嬢。彼女は思った通り壊れてくれた。元からギリギリだったものね。
背中を押したら、簡単に転げてくれたわ。
これで王子の隣は空いた。
彼女の場所に入って少しずつ虜にしていけばいい。学園に来なくなった彼女の替わりに生徒会に入ろうとしたが、王子に断られる。
どうしてだろう? まあ、時間はある。急ぐ必要はないわ。
ついでに面白い光景を見た。ソネットがロレンを階段から落としたのだ。
またしてもハワードが邪魔をして何事もなく終わってしまったけれど、怪我の一つでもしていてくれたらもっと面白かったのに。
まあ、いい。これも噂話にもってこいの話よ。
……次の日から王子は学園に来なくなった。
は? どういう事よ?
なんで王子が学園に来ないのよ。あの人は生徒会長でしょ。近いうちに活動祭もあるし、彼は休んでいる場合じゃないでしょう。
エディックとハワードで取り仕切る生徒会。失敗して王子を呼べ! と思うものの、何事もなく無事に活動祭は終了した。
何よ、これ? なんてあっけないの。
仕方がない。ミランダを徹底的に排除する為に噂話を広げるとしよう。
彼女を絶対にこの学園に戻ってこれなくするんだ。退学するように仕向ける。
そうすれば王子はいずれ学園に戻って来る。その時までに私は生徒会に入ろう。おのずとソネットの場所は私のものになる。
王子の心に少しずつ毒を盛る事も可能になるだろう。




