救済
「やられた!」
俺は机の上に思いきり拳を叩きつける。
父上の執務室にある来客用のソファに揃えた机は、野暮な男達が無茶をしても壊れないように、かなり厚みのある丈夫な造りになっている。その机がメキョッと嫌な音をたてた。
もう一発叩きつけようとして、師匠に止められた。
「落ち着け、アシュ。お前が冷静さを欠いてどうする?」
「けど、俺はこうなる事を心のどこかで分かっていたんです。黒の魔女が王子を狙う以上、婚約者が危ないって事が。ソネット様はどこか前回のファニーに似ていた。だから俺は簡単に壊されないように、王子に頼んでいたけれど、王子にはその意図が届かなかった。俺自身はファニーが一番大事で、深入り出来ないくせに中途半端に口出しして、彼女にいらぬ期待をもたせてしまった。守る気も助けてやる気もなかったくせに」
もう一度机に拳を叩きこもうとする俺の手を、今度はハリスさんが止めた。
「アシュはよくやっていた。計算外だったのは、こちらが思った以上にミランダ嬢の周辺が厳しかった事だ。まさか父親がそこまでミランダ嬢に厳しかったとは。王太子妃になるかもしれない自分の娘に、何故あそこまで冷たかったのか分からない。下の子供達にはいい父親だったのだろう?」
ハリスさんは俺の背を擦りながら、ソファに座らせる。
「……ハリスは覚えてないか。ソネット公爵家の直系の子は、夫人の方だ。そして夫人の最初の夫は、ケアリック侯爵の次男。ミランダ嬢がお腹にいる時にその方が事故で亡くなり、後に夫となったのは外戚の伯爵家の三男。それが今の公爵だ。ミランダ嬢とは血の繋がりがない。婚姻していた時期が半年と短かった所為で余り公にされていないから、ミランダ嬢はそれを知らないのだろう」
父上の言葉にハリスさん、師匠と俺は目を丸くする。
知らなかった。そんな話、聞いた事もなかった。
噂好きの社交界において半年という短い期間だったとはいえ、王子の婚約者の出自に誰も何も言わないなんて事ありえるのだろうか?
ただ血筋的にいえば、伯爵出の現公爵との子よりも侯爵出の父親をもつソネット様の方が上だ。
「じゃあ、ミランダ嬢が本当の娘じゃないから、あれほど酷い仕打ちを受けていたというのか?」
「そうだろうな。ミランダ嬢の本当の父親は、立派な青年だったと聞く。彼に対しての嫉妬や妬みなんかもあったのかもしれない。ミランダ嬢を政権の駒にしながらも、自分の鬱憤も彼女に晴らしていたんだろう。夫人もそんな夫に気を使い、ミランダ嬢とは距離をとっていたらしいから、ミランダ嬢はあの邸で一人だったのだろうな」
「それだけならいいけどね。実際、暴言は日常茶飯事、王子の婚約者として身なりだけは良いものの、ミランダ嬢の欲しい物なんて与えてもらった事もない。休む間もなく城に送り込まれ、王妃教育の毎日。その上、王子には相手にされず、貴族達にはそんな王子の様子から蔑まれて、少しでも優しくしてくれたあーちゃんに気持ちがいくのは仕方がないよね」
ハリスさんの質問に父上、クレノさんが答える。余りの事実に俺は絶句してしまった。
なんだ、それ? 誰の話なんだ? それが仮にも次期王妃となられる方の現状なのか?
「……そんな父親がいる屋敷で、今現在彼女はどうなっているのですか?」
師匠がクレノさんに聞く。今一番確かな情報を持っているのはクレノさんだ。
「ソネット家にはいっていない。彼女はあの後意識が戻らないままなので、王族の医師の診断を受ける為、城に運ばれた。あくまでも彼女は王子の現婚約者だからね。王妃がそのように采配を振るったようだよ。ね、あーちゃん」
――そうなんだ。
生徒会室で、ソネット様は顔色を悪くされた次の日から、高熱を出していると聞いた。
王子も流石に心配したが、お見舞いに行くと気を遣わせるのではないかと、あえてそっとしているとギルバード様が言っていた。しかし、その状態が一か月も続くとは。
流石にしびれを切らした王妃が、城の医師を派遣すると言ったそうだが、ソネット家からは拒否の返答が返ってきて、次の日には彼女は学園に登校した。
またもや王子は、すぐに会いに行くと気を遣わせてしまうだろうと、放課後まで待ったそうだ。
放課後になり彼女の教室に行こうとしたが、教師から呼び出しがあり、先に教員室の方に行った。
思った以上に時間を取られたので、彼女はもう生徒会室の方にいるだろうと、教室には行かずにこちらに来た王子は、俺達と共にマーシャ嬢の話を聞いた。
『ミランダ様が体の具合が悪いのにこちらに向かっているんです、けど今にも倒れそうで、一緒に迎えに来ていただけませんか』
そうして見た光景は、階段で声を荒げるソネット様。彼女のあんな大声、初めて聞いた。そしてあんな悲痛な声も。
それは俺だけじゃなく婚約者の王子も公務で行動を共にするギルバード様も、そしてファニーの縁で友人となったマーシャ嬢も。王子の護衛も。普段からソネット様と親しくしていた者達、皆が初めて聞いた。紛れもないソネット様の苦しみを。
……そしてファニーが落ちていく。
考える間もない。俺は咄嗟に動く体に従い、落ちてくるファニーを下で受けとる。上手く受け止めたのは良いが、失敗した。そのまま後ろに倒れてしまったんだ。
カッコ悪い。と思っていると、ファニーが泣きながら大丈夫かと、どこを怪我したのかと聞いてくる。
俺は頭を打っただけで、大丈夫だと言いながら、ファニーに怪我はないかと反対に聞く。彼女は無事だと頷いてくれた。ホッとしてファニーを抱きしめる。
何故か俺は、ファニーが危ない目にあったというのに怒りはわかなかった。ファニーを押した人物、ソネット様に悪意は全くなかったから。あるのは苦しみと寂しさだけ。
そしてこの一連の騒動をおこしたのは黒の魔女、奴だと確信した。ファニーを助ける際、目の端で捕らえたのだ。階段の端から覗く黒の魔女の姿を。
奴がソネット様に何かした。そう思い階段の上にいるであろうソネット様を見上げると、あろう事か彼女は意識を失い倒れていた。
慌てて保健室に運ぶも彼女は起きない。そして高熱を出して呻き始めた。
『ファニリアス様、ごめんなさい。ごめんなさい。ハワード様、ごめんなさい。ランバース様、ごめんなさい』
俺達の名を呼びながら、謝り続ける彼女にいたたまれなくなった。
王子がそんな現状を城に報告すると、近衛騎士達が彼女を城へと運んだ。
至急、城の医師団が動くものの、高熱が続く彼女は目を覚まさない。
「彼女は黒の魔女に壊される要素が確かにあったと思うよ。けれど彼女にも水を飲ませていたのだろう。何故効かなかった?」
黒の魔女の言葉は悪魔のささやき。心の闇を抉られ、さらけ出され飲み込まれる。
通常ならば確かに効いてしまうが、その為に魔法をはじく水を用意した。安易に心を囚われないように。
ソネット様には王子と同様、以前に俺が汲んできた時にお茶会の時に飲ませ、今回師匠とハリスさんが汲んできたくれたのも、生徒会でお茶の時間にふるまったはず。
皆には効いていると思うが、何故ソネット様だけ効いていない? あの時俺がお茶を入れようとして……そうだ、ギルバード様が自分の方が手馴れているからと代わってくれたんだ。
けれどその直後に王子に呼ばれ、結局お茶を入れたのはソネット様、本人。
そして彼女は皆にふるまった後、女生徒に呼ばれて席に戻った時にはお茶が冷めていた。
そうだ。彼女は飲んでいない。
自分で入れなおして飲んでいたから、あの水で作ったお茶を口にしていないんだ。だから効き目は幼い時に飲んだ分だけ。効能が薄れていた。
俺がそれを口にすると、父上は眼光鋭く「アシュ、お前の過失だな」と言った。
ギリッと唇を噛み締める。全くもってその通りだ。
師匠が俺を庇ってくれたが、それは許されない事。俺が一番よく分かっていたのに……。
「失礼します」
トントンとノックと共に顔を見せたのは、ミルフィール様。
彼女はファニーの所にいたはずだが?
「話はファニリアス様から聞きました。私をミランダ様の所に送り込んで下さい」
いつもの彼女らしくない。いきなり本題に入る彼女を俺達は唖然と見つめた。
師匠がそんなミルフィール様に慌てて駆け寄る。
「どうした、ミルフィール? 何を焦っているんだ?」
「ミランダ様の今の状態は、前回のアシュレイ様と一致します。黒の魔女の力に操られながらも、心は拒否する。多分幼い時に飲んだ水の影響でしょう。しかし、その所為で体の機能が正常に働かない。このままでは命の危険が生じます」
「!」
驚く俺達にミルフィール様は話を進める。
「私には白の魔女の力があります。もしかしたら黒の魔女の呪縛を解けるかもしれません。上手くいくかは分かりませんが、試す価値はあると思うのです。お願いします、ハワード様。私を彼女のそばに行かせて下さい」
懇願にも似たミルフィール様の訴えに、父上は是と頷く。
「私は王妃様と連絡をとる。アシュ、お前は殿下と連絡をとれ。ハワード家お抱えの医師をミランダ様に会わせたいと。その間他の者の出入りは一切拒否せよ。ハワード家秘匿の力によるものだと言ってな。マッドン、お前もついて行け。何かあればお前が対応しろ。城には慣れているだろう。元近衛隊隊長」
「承知!」
バタバタと動く俺達の後ろで、ハリスさんとクレノさんが話を続ける。
「ミランダ嬢はミルフィール嬢に任せよう。殿下に黒の魔女は接触したのか?」
「相手にされていなかったけれどね。ミランダ嬢が学園に顔を出さなくなった翌日から、何くれとちょっかいをかけていたよ。ミランダ嬢の代わりに生徒会のお手伝いをしたいとかなんとか」
「そうなると、標的は王子一択で決まりだな」
「それと一つ気になる事が。最近父親のマキアート男爵が、小国と取引を始めたようだよ。あそこは小規模ながらいい葡萄が取れるらしく、上質なワインを売り込んだらしい」
「小国っていうと、ゴルフォネとは違うのか?」
「うん、あーちゃんの前回の話から、ゴルフォネとの繋がりには目を光らせていたんだけれどね。あそこはミルフィール嬢のお蔭で、王の許可がない貴族との交流は一切しない事を約束してくれているから、今のところは問題なしだ」
「小国……どこの国だ?」
「ヒュージニア国」
「ヒュージニア国?」
王子に手紙を書きながらも、二人の話に耳を傾けていた俺は、その国の名に驚いた。
「前回絡みで何かあるのか?」
父上も手が止まり、俺に注目する。
師匠とミルフィール様は用意の為、執務室から出て行ったので今ここにはいない。
「……前回では、ヒュージニア国の王子と王女が遊学して来て、王子がファニーを、王女が殿下を誘惑したのです。結局二人共相手にされず、王女は標的を俺に変え、かわし続けた結果、そのまま帰国。王子は俺と友人になり大人しく帰国しました」
俺が前回の記憶を紐解きながら話すと、父上は呆れた顔になった。
「……お前、前回の人生でも、主要人物と絡んでいるな」
「好きでやったわけじゃありません。ファニーの手助けをする為です」
俺が心外だと言うと、クレノさんがポンポンと頭を叩く。
「健気だね、あーちゃん。じゃあ振られた者同士仲良くなったヒュージニア国の王子はどんな人物?」
ニヤニヤ笑いながら言うクレノさんに思うところがないわけではないが、とりあえず話を進める。
「そうですね、どちらかというと大人しい文学を愛するような方でしたよ。王女の方は負けん気が強く、押しの強い方でした」
前回の王女の凄まじい押しに、俺が辟易した感じで答えると「ふむ」と父上が、顎を擦りながら考える。
「ハリス、悪いがそちらの方は任せてもいいか? ヒュージニアとはただの取引だけなのかどうか。それと、まさかとは思うが、娘の黒の魔女、ローズマリーと王子達が会うような事があるかどうかを」
「承知」
俺は父上の顔を見る。黒の魔女がヒュージニアの王子達と接点を持つ? それって……。
「父上、まさか黒の魔女はゴルフォネの代わりにヒュージニアと戦争をおこそうと企んでるんですか?」
「あくまで仮説だ。けれど調べておくにこした事はないだろう」
「……はい」
――黒の魔女はどうしても前回同様、王子を諦めず、婚約者を壊し、この国に戦争をさせたいらしい。
そっちがその気なら遠慮なんてしない。今度こそ思い通りになんかさせてたまるか。
俺は近いうちにやってくるだろう黒の魔女との決戦に、ソネット様を助けられなかった怒りと後悔を闘志に変えるのだった。




