悲鳴
それから私は高熱を出し続ける。
学園はおろか、生徒会の仕事も王妃教育も止まってしまった。
父上が毎晩部屋にやってきて怒鳴りつける。
早く治さないと殿下に見放されると、ただでさえ殿下に思われていない身で怠けるんじゃないと罵倒し続け、あろう事か私を寝台から引きずり出そうとした。
幼い頃からただ一人、付き添ってくれる侍女のエクノアが泣きながら止める中、力の入らない私が寝台から落ちると、流石にバツが悪かったのか熱が下がるまで来なくなった。
しかし数日後、熱が下がると同時に学園へと送り出される。
必死でついて来ようとするエクノアから引き離され、くれぐれもランバース様に休んでいた時の非礼を詫びるようにと念押しされた。
ずっと寝たきりで、体力も戻っていない状態で送り出された私は、フラフラになりながらもどうにか放課後まで持ちこたえる。
ランバース様とは教室が違うので、生徒会室でお会いしようと震える足に力を込めた。
そんな私に数少ない友人からは、心配の声が上がる。送ろうとする彼女達をやんわりと断る。
彼女もそのうちの一人。
生徒会室に向かう途中、倒れそうになった私に駆け寄ってくれたのが、ハワード様の婚約者、ランバース様の思い人、ファニリアス・ロレン侯爵令嬢。
「ミランダ様、無理をなさらないで。顔色が真っ青です。今ランバース様を呼んできていただくように友人に頼みました。戻りましょう」
「いえ、私は王子様の婚約者です。学園の廊下などというような場所で座り込んでしまったら、醜聞になります。どうか私が歩くのを邪魔なさらないで」
「いけません。ここは階段です。足を滑らせたら大変な事になります。どうかお戻り下さい」
その言葉に揺らいでいた視界が少し落ち着く。確かに私は階段を降りようと、手すりに捕まっているようだった。
ファニリアス様は私よりも小さな体で、必死に支えてくれている。
「このままでは二人共落ちてしまうかもしれません。ファニリアス様、手を離して」
「嫌です。私が離したらミランダ様が危ない。降りようとせず、廊下側に戻って下さるのならお離しします」
私を危険から守ろうとしてくれているの? 私よりも一つ年下で、私よりも華奢なつくりをしている優しい天使みたいな女の子。
ああ、ハワード様やランバース様が貴方に惹かれるのが良く分かる。
「ありがとう、ファニリアス様。けれど分かって。私は前に進まないといけないの。お父様の言う通りにしないと、居場所がなくなるの。ファニリアス様が気にする事はないのよ。私が怪我をしようが私が動かなくなろうが誰も気にしない。私はその場に、皆の都合のいい場所にいればいいだけなの。微笑んで知識だけ詰め込んで……でも何も言ってはいけない……」
私は何を言っているのかしら? ファニリアス様が驚いた顔をしているわ。
「私、五か国語を習得したの。でも二か国語追加されたわ。また一から始めなければならないの。終わりがないわ。それなのにその言葉をどこにも披露する場所はないの。だって女が前に出てはいけないから。ランバース様の補助はギルバード様がしてくれる。なら何故私はいるの? ああ、そうね。ランバース様の愛しの少女は、違う方のものだから。そうね、私で我慢しないといけないわね。可哀そうなランバース様。私などあてがわれて。見たくもないわよね。無理に隣を陣取った厚かましい女なんか。けれど私だって、私だってそんな場所欲しくなかった。無理矢理に訳の分からないまま押し付けられたのは、貴方だけじゃない」
止まらない。本当に何を言っているの? すぐにやめなければ……分かっている。分かっているのよ。ああ、視界が暗くなる。何も聞こえない。口だけが勝手に動く。
「私に拒否権なんてなかったわ。受け入れないとお父様に捨てられるから。居場所がなくなるから。必死で頑張ったわ。いつか貴方に認められるように。私で良かったと言ってもらえるように。それなのに貴方は私を見ない。いてもいなくても何も言わない。私の事を気にかけてくれたのは一人だけ。あの人だけが私に気付いてくれた」
私はふと手に触れるぬくもりに気付いた。
前を見るとそこにはファニリアス様。心配そうな泣きそうな顔で私を見ている。
ああ、可愛い方。優しい方。
「……あの人を、私に頂戴……」
「え?」
「貴方ならランバース様は喜ばれるわ。私なんかとは比べようもなく、大切にして下さる。だからあの人を、唯一私を気にかけてくれたハワード様、あの方を私に頂戴。ファニリアス様もハワード様も優しいから替わって下さるわよね。そうよ、私達初めから間違っていたのよ。婚約者が入れ替わっていたの。どうして気付かなかったのかしら。そうすれば最初から皆幸せになれたのに……」
ギュッと温かなもので全身が覆われた。
思考のまとまらない頭を回転させながらも、ぬくもりに目をやる。
ファニリアス様が私に抱きついている。
「……申し訳ありません、ミランダ様。私はアシュから離れられません。私の全てはアシュによってつくられたのです。心から愛しているのです。彼がいないと私は私でなくなり、生きていけないのです。だから私はアシュから離れる事は出来ません」
「……くれないの……酷い人」
私はファニリアス様の顔を見ようと、ファニリアス様の肩を押す。
グラリッ。
ファニリアス様の体が傾いたと思った瞬間、私から離れていく。
ファニリアス様が落ちていくの? ゆっくりとその姿に目をやる。ゆっくりと……ゆっくりと……。
ガタタタタンッ!
突然の強い物音に私の意識が鮮明になる。
回る目を必死に凝らしながら見ると、そこにはファニリアス様を抱えたハワード様が倒れ込んでいた。
そこで初めてファニリアス様が階段から落ちたのだという事に気付く。
「あたた……」と呻くハワード様にファニリアス様が声をかける。
どうやら二人共無事のようだ。
頭を軽く抑えるハワード様に、ファニリアス様は涙目で声をかけている。二人共お互いを心配しながら。
そうか、そうよね。ファニリアス様にはハワード様がいる。どんな時だってどんな事からだって守って下さるハワード様が。
なんという思い違いをしていたのか……ハワード様が命懸けで守るのは婚約者じゃない。ファニリアス様だけだ。婚約者を入れ替えただけで、私がファニリアス様になれる訳がなかったのに……。
「……ミランダ……」
冷静になったところで、下から声がかかった。
ランバース様。ギルバード様も。護衛とファニリアス様の友人もいる。
フフ、皆に見られていたのね。私の醜さを。
どこからなんてどうでもいいわ。これでお仕舞い。やっと終われる……。
そうして目を閉じた私は、そのまま闇の中に引きずり込まれていった。




