戸惑い
生徒会室に戻るとランバース様が私の元にやって来た。
「どこに行っていたんだい? 教室に迎えに行ったのだけれど……」
「申し訳ありません。どういったご用件でしょうか?」
「いや、用事があったわけじゃないよ」
「そうですか。では、仕事に戻ります」
私はランバース様の顔も見ずに、席に着く。
そんな取り付く島もない私に、ランバース様は困惑を隠せないようだ。ギルバード様も心配そうに私達を見ている。
――煩わしい。
私はやるべき事を必死でやっているわ。これ以上、何を望むの? 私の存在を消していたのは貴方達じゃない。今更話す事など何もないでしょ。
頭痛がしてきた。
私は傷む頭をかかえながら、机の上にある書類を手にする。
ガラリ。
「遅くなりました。活動祭前日、生徒達の居残りの許可を頂いてきました。八時までなら準備をしてもいいそうです」
ハワード様が笑顔と共に扉を開けた。一気に浄化される空気。
「良くとれたね。問題があってはいけないからと、教師陣は居残りにはかなり否定的だっただろう」
ギルバード様がハワード様より許可書を預かる。
「我がハワード家で見回りを約束しました。責任をもって務めさせていただきます」
ペコリとお道化るように頭を下げるハワード様。
「いいのかい、アシュレイ? そんな家まで巻き込んで……君は生徒会役員でもないのに」
申し訳なさそうにランバース様が言うが、ハワード様は何でもないように笑う。
「構いませんよ。お手伝いすると言ったのは私ですから。最後までお付き合いいたします。それに我が家の者は、お祭り好きの者も多いので、夜の学園に忍び込めると楽しんでましたよ」
ハハハハハと皆がお礼を言いながらも笑う。
「けれど基本学園内での事、特にこの活動祭においては、実家の力を借りるのはご法度ではなかったですか?」
「そうですね。あくまで基本です」
「……悪い顔ですね、ハワード様」
「共犯ですよ、チェノバ様」
ニコリと笑うハワード様に、あの気難しいチェノバ・リンドールが舌を出す。
そのお道化た様子に、またもや皆が笑う。その光景に私は目を丸くするのをやめられない。
凄いなぁ、この人は。どんな問題でもあっという間に解決してしまう。
こんな人に愛されたら、どんなに人生楽しいんだろう?
私がそんな事を考えながら眺めていると、ハワード様が視線に気付いたのか、こちらに寄って来る。
ドキリとする。
ただハワード様がこちらにやって来ただけで……どうしてかしら?
「ソネット様、もしかして具合が悪いですか?」
「え?」
「青い顔をなされています。本日中にやらなければならない仕事は、まだありますか?」
「い・いえ、ほとんど片付いています」
「そうですか。では、本日はこれでお帰りになってはいかがでしょう? どうですか、ランバ様?」
「あ・ああ、そうか。体調が悪かったのか……それは、気付いてやれずにすまなかった。今日はもういいよ。早く帰って体を休めるといい」
そう言って私に帰宅の許可を与える。
ランバース様が私の不調に気付くはずがない。それはいいのだ。だって私の変化なんて、気付く人の方がおかしいのだから。それなのにこの人は気付いてくれる。どうして?
私はジッとハワード様を見る。
ハワード様は私を安心させるかのようにニコリと笑う。
「大丈夫ですよ、心配しなくても。ソネット様がいないとなると、生徒会には痛手かもしれませんが、皆ちゃんと補ってくれます。一日ぐらい休まれても誰も文句は言いません。ご自身をお労わり下さい」
自身を労われなんて……初めて言われたわ。
熱を出して王妃教育を休んだ時、言われる言葉は必ず「一日休んだ分を取り戻すのにどれ程大変か」とか「貴方の所為で予定が変更になって迷惑だ」とかだった。
ランバース様に至っては、私が寝込んでいる事も気付かれていなかったと思うわ。
「ランバ様、馬車までお送りされてはいかがですか? 一人で歩かれて途中、何かあっては大変ですし」
「ああ、そうだな。そうしよう。ミランダ、送って行くよ」
ランバース様が手を差し伸べる。私はその手をじっと見ながらボソリと口にする。
「……ハワード様にお願いしたいです」
「え?」
ランバース様が目を丸くする。余程驚かれたのだろう。
私が視線を上げると、皆困惑した表情で私を見ていた。
ハッと気付く。私は一体何を口走ってしまったのだろう。
婚約者であるランバース様が、送って行くと手を差し伸べているのに、婚約者のいるハワード様に送って欲しいなどと……しかも、私はこの国の第一王子の婚約者なのに。
「し・失礼いたしました。ランバース様は生徒会の仕事でお忙しいし、ランバース様に送っていただくとなるとギルバード様の手までお止めしてしまう事になると思い、お二人のご迷惑になってはいけないと、つい口走ってしまいました。ハワード様もお忙しい身なのに、、申し訳ありません。ランバース様、護衛をお一人お貸しいただけませんでしょうか?」
私は必死で捲し立てた。人生で初めて長く、早口で話したのではないかと思うほどに。
私の勢いに押されて、ランバース様は口をパクパクさせている。
「相変わらずミランダ様は奥ゆかしい。大丈夫ですよ。馬車乗り場まで送って行くのに、さほど時間は取りません。私もランバにも迷惑にはなりえませんので、婚約者に甘えて下さい」
ギルバード様が私の言い訳に乗ってくれた。そうしてランバース様の背を叩くと、ハワード様に目配せする。
ああ、ギルバード様ほどの頭の良い方に、私の言い訳なんてお見通しよね。
ハワード様も察したように「では皆さん、手伝って下さい」と他の生徒に声をかける。
複雑な顔でランバース様は、私を送るべく生徒会室を出て行こうとする。が、そこにギルバード様が『エスコート』と小さな声で言っているのが聞こえた。
かなり動揺させてしまったのかと思ったが、よくよく考えれば私ごときの言葉にランバース様が動揺などするはずもなく、早く仕事に戻りたいのだろうなと思った。
ランバース様が改めて私に手を差し伸べる。
その手に手を添えながら私が、二人と護衛の間から出て行こうとすると「お大事に」という声が後ろから聞こえた。
振り向かなくても分かるその温かな声に、私は涙が出そうになった。
けれどここで泣いてしまうと、あらぬ誤解を与える。
私は振り向かずにグッと涙をこらえ、ランバース様のエスコートで馬車乗り場まで歩いたのだった。




