夢想
最近のランバース様の言動を、どうとらえたらいいのか分からない。
正直、優しくされても困る。
八歳の頃から視界にも入れてもらえず、公務の話しかしてこなかった人に手を差し伸べられても、私はその手を取る事が出来ないのだ。
これがハワード様なら、もっと自然に会話できたのかもしれないが……。
ハワード様には何度も助けられた。
初めて会ったのは、ランバース様の誕生日会。
ランバース様は私が後ろにいるのに振り返りもせず、ハワード様の横にいるファニリアス様を一心不乱に見つめていた。
ギルバード様が側近として気遣ってくれるが、あの方はあくまでランバース様の婚約者として扱ってくれるだけ。純粋な気遣いをされているわけではない。
そんな中、ハワード様だけは私に気付いてくれた。
自分の席を譲ってくれて、友達の輪に入れてくれた。
ハワード様のぬくもりを椅子に感じた私はおかしいのだろうか?
その後も何かと気にかけてくれる。令嬢方にあれこれ言われている場面にも遭遇されてしまった。
恥ずかしいなと思いながらも、助けてくれた事に喜びを感じてしまう。その上、嫌な時は嫌だと正直に言っていいと言ってくれた。
そして私の立場ではそれも難しいだろうから、周りに頼れ。自分も協力する。とまで言ってくれた。
そんな事を言われたのは初めてだった。
王子の婚約者として出来るのは当然で、泣き言など許されない。嫌などと自分の感情を吐露する事など許されない。努力など認められた事など一度だってない。
一瞬そんな優しい言葉に勘違いしそうになったが、その隣にはファニリアス様もいた。
彼の一番はどうしたってファニリアス様。そんなのはよく分かっている。分かっているけれど、ファニリアス様が羨ましいな……。少しだけそんな風に思ってしまった。
先程ランバース様に頼まれた書類には、教師に資料を借りて調べないといけない内容も含まれていた。
私は教員室に赴こうと席を立つ。
途端、何かに躓く。
足元に本が積まれていたのを忘れていた。そのまま転びそうになるのを覚悟した。
生徒会室で、ランバース様や皆が見ている前で転ぶ。
私はその後にする怪我より、貴族令嬢としての恥とその後流れる悪評に、頭がいっぱいになり目を瞑る。
?
思った様な痛みがない。それよりもお腹に回る温もりが気になった。
そして信じられない至近距離で、今の今まで考えていた人物の顔を目にする。
後ろから私のお腹に手を回し、転びそうになった私を支えてくれているハワード様。
言葉を発しようとしてもハクハクと息が出るだけで、音が出ない。
「間に合って良かったです。お怪我はありませんか?」
そう言って私をしっかりと立たせてくれた後、ハワード様はスッと身を引いて頭を下げる。
「申し訳ありません。淑女に対して失礼な行動をとりました。ランバ様にも謝罪申し上げます」
ハワード様は私を助けるためとはいえ、不用意に体に触れた事を謝罪してきた。そして婚約者であるランバ様に対しても。
そんな必要ないのに。私こそ危ないところを助けてもらってお礼を言わないといけないと思いながらも、ドキドキと心臓は煩いぐらいにはね、言葉は音にならない。
「い・いや、助かったよ。アシュレイ。こんな所で転ぶと確実に怪我をするからね。ミランダ、大丈夫かい?」
ランバース様が自身の机から立ち上がり、私のそばにやって来た。
何が起こったか今一理解出来なかっただろうに、流石は王子様。瞬時に状況を判断し、場を取り繕う。
「は・はい」
そんなランバース様に話をふられ、やっとどうにか声が出た。けれど、それ以上が言葉にならない。
「全くアシュレイはどういう体のつくりをしているんだい? 扉を開けた瞬間に姿が見えなくなったと思ったら、ミランダ様を助けているのだから」
ギルバード様が扉を閉めて、こちらに来る。
どうやらハワード様とギルバード様は、今一緒に外から生徒会室に戻ってきたようだ。
そして扉を開けた瞬間、私が転びそうになったのを助けに来てくれたのだろう。
流石は風の貴公子といわれるだけに、彼の行動は早い。誰も身動き出来なかった一瞬で、彼は状況を理解し、動いたのだから。
新しくランバース様の護衛になられたヒューマン・エンター様も、目を丸くされていた。
言葉を発しない私にハワード様は、気遣わし気に顔を覗き込んできた。
ドキドキしながらもその顔を見返す。
「どこかお怪我をされたのでしょうか? 念の為、保健室に行かれますか?」
そうたずねてくれる優しさに、心が早鐘を打つと同時にほっこりと温かくなる。
「い・いえ、大丈夫ですわ。それよりも助けて頂きありがとうございます」
そう言うとニコリと笑い「何事もなくて良かったです」と言ってギルバード様と共に、ランバース様と話し始めた。
私が転びそうになった事は、ハワード様が助けてくれたから醜聞にならずに済んだ。
怪我などおっていたらお父様になんて言われたか分からなかった。
「王子の婚約者として自覚が足りない。傷物になって王子に婚約破棄をされたらどうする」と妹達を甘やかしながら、その口で私を罵るに決まっている。
また助けてもらった。
私は一人、学園の裏庭に足を向ける。
ここは人が滅多に来ない私のお気に入りの場所だ。
少し疲れた時にここに身を潜め、時間を過ごす。
以前は私がいなくなっても気にもとめなかったランバース様が、ここ最近はどこにいたのかとたずねてくるようになった。
けれどこの場所は教えられない。私は一人になりたいのだから。
茂みに身をひそめながら座り込み、目を瞑っていると「キャッ」という可愛らしい声が聞こえた。
ふとそちらに目をやると、ハワード様とファニリアス様がいた。
ハワード様が転びそうになったファニリアス様を、後ろから抱きしめるように助けたのだろう。
「もう、転びそうになったからといって一々お腹に両腕を回さないで」
「じゃあ、抱っこして運んであげようか。転ぶ心配しなくていいでしょ」
ヒョイとハワード様はファニリアス様の背中と両膝に腕を回して抱き上げる。
慣れたように軽々と抱えるハワード様の首元に、ファニリアス様も両腕を回している。
その行動だけで、二人共慣れている事が分かる。
そのままクルクルと回り始めたハワード様に、ファニリアス様もクスクス笑っている。
本当に仲がいいんだな……。
先日、私も助けられた。同じように転びそうになったところを……。けれど、私は片腕で彼女は両腕で大事そうにされている。助け方でも違うんだな。
その上私はすぐに離され、謝罪までされた。彼女はそのまま抱き上げられているのに。
そんな事を呆然と考えて、ハタと気付く。
何を当たり前の事を考えているの? 彼女は彼の婚約者なのよ。
ブンブンと頭を振って、自分の馬鹿な考えを頭から追い出す。
二人が消えた後を何気に見ると、その後ろに令嬢が三人ほどいた。
確か同学年にいたような……。彼女達は二人を見ながら何かを話しているようだ。
悪評だったら大変だと思い、その会話に耳を澄ます。
「本当に仲がいいわね、あの二人」
「やっぱり王子様がいくらロレン様に思いを寄せても、入る隙間はなさそうね」
「王子様って権力で自分のものにしたりしないのかしら?」
「他貴族相手ならそれもあるでしょうけれど、相手はあのハワード公爵家よ。流石に無理でしょう。だから王子様も早々に身を引かれて、仕方なしにソネット様と婚約されたのよ」
「可哀そうだけど、仕方がないわね。意に染まぬ相手でも公爵家なら利用価値があるだろうし。将来国王となる身としては、清々しい程の政略結婚をされるのね」
――そんな事は分かっているわ。
わざわざ聞き耳を立てるほどの話ではなかったわね。
私は彼女達から視線を外して再び目を瞑ろうとした時、一人の令嬢が話し出した言葉に心が支配された。
「でも考えてみればソネット様もお気の毒よね。ロレン様に夢中な王子様と婚約なされて。もしも順番が違っていたら、王子様がロレン様と。ソネット様はハワード様と婚約していたかもしれないのに」
「!」
私は話している彼女に視線を戻す。
どういう事? 順番が違っていたらって、それはどういう意味なの?
「王子様の婚約者選びのお茶会でハワード様とロレン様は知り合われ、その場で求婚されたと聞いたわ。それってつまり王子様が先にロレン様と会われていたら、否応なしに王子様の婚約者はロレン様になっていたのでしょう。だってそのお茶会は王子様が選ぶために集められた令嬢達だったのですもの。ロレン様がなんとも思ってなくとも、その場で決まった事は覆せないはずよ。そうしたら家柄で見ても年齢で考えても、ハワード様の相手はソネット様になったでしょうね」
そんな……そんな事が、ありえたというの……?
「ある意味、その方が幸せだったのではなくて? 王子様はロレン様を今でもお好きなんだから。ロレン様が婚約者ならとっても大切になされたでしょうし、ハワード様もお優しいからソネット様が婚約者になっても大切にしてくれたんじゃない」
ランバース様がファニリアス様を大切になされて、私がハワード様に大切にしてもらえた? ファニリアス様の立場に私がなりえたかもしれない?
本当にそうだったら私は、今の惨めな生活をしなくてすんだのかもしれない。
婚約者に相手にされない惨めな自分、厳しい王妃教育をただひたすら受けるだけの日々。見も知らぬ貴族に馬鹿にされ、お父様にも罵倒される。努力など一切認められない。
全てランバース様と婚約した所為で、私が受けた屈辱。
それが全てなかったかもしれない。ただ、婚約者がかわるだけで……。
フラリと私はその場から離れる。
馬鹿ね、私は。
そんなの全てもしもの話じゃない。ハワード様に愛されて幸せな自分を夢想したって、今の自分がより惨めになるだけよ。
ランバース様が少し優しくなったからといって、それが何だというの? 期待なんてしたらますます苦しい。
私は心を殺して生きなければいけない。
そうしないと私は生きていけないのだから……。




