悪意
「……気にくわないな」
アシュレイ・ハワード。奴が来てからランバース様やエディック、生徒会に集う奴らの雰囲気が変わった。
前はギスギスして、ランバース様とエディック二人で仕事を回していたが、今は率先して皆が動くようになった。外部からも、手伝いがしたいと人が出入りするようにもなった。
最初は渋っていたランバース様も、ハワードのいい様に操られ、気が付けば複数の人間と親しく話すようになっている。本人には自覚がないようだが、明らかに目の下のクマはとれている。
以前、ランバース様は余りの忙しさに俺にまで仕事をふろうとしていたから、俺はキッパリ言ってやった事がある。
俺の仕事はランバース様の護衛であって、生徒会に関わる事ではありません。てね。
ランバース様は俺がただボーッとそばに突っ立ているだけだと思っているから、そんな事を言ってくるんだ。
確かに今まではなんの問題もなかったし、女生徒に近づかれ過ぎて後方に転げそうになった時も、俺ではなくエディックが助けた事もある。しかし、それは仕方がない事だ。ランバース様の後ろはいつも奴が陣取っているのだから、ランバース様の後ろは奴が守るべきだ。奴だってランバース様の側近候補なのだから、それぐらいして当たり前だ。
それなのに奴は俺を睨みつけると「役立たず」とボソリと俺を罵る言葉を吐いてきた。
くっそうぅぅ、あの陰険野郎。ちょっと自分が俺よりもランバース様と親しいからといって、人を馬鹿にするなんて。俺はどれ程奴にこの鍛え上げた拳をおみまいしてやろうかと思った事か……。けれど、ランバース様の護衛が喧嘩をするわけにもいかない。俺は必死で、今も耐えている。
そしてランバース様は俺のそんな苦労を一つも分かっていない。
護衛の仕事は常に周りに気を配る事。咄嗟の出来事に対し、神経を集中させる必要がある事。護衛の仕事はとても奥が深い。舐めてもらっては困るのだ。
だから、教師に備品を借りに行く事すらしてやらなかった。
四苦八苦して生徒会の下の者に、どうにか雑務を押し付けていたようだが、それも快く思われていなかったのだろう。生徒会室の空気は、どんどん悪くなっていった。
ランバース様は良い人だ。無理強いしないし、権力を笠に着たりもしない。けれど他の生徒会の奴らは、自分達とランバース様とエディックは違うと壁を作っている。だから指示された事も、素直に受けいれられない節がある。
変に頭のいい奴らを揃えたから、そんな事になるんだ。
俺はランバース様の心を和ませてやろうと話しかけてやるのに、ランバース様はさも邪魔だという様な態度をとる。
仕事が忙しいのは分かるが、俺の立場ももう少し尊重してほしいものだ。
そんな事を考えていた時、ハワードが来た。
我が物顔で指示していく奴は、ランバース様より目立って、はっきり言って気にくわない。
自分の婚約者と当たり前のようにいちゃついて、場を弁えろと言いたい。
まあ、ロレンは確かに可愛かったけれど。ハワードよりも俺の方がいいと言ってきたら、その時は遊んでやってもいいがな。
そういえば、少し前から変な噂が出ていたな。ランバース様が実はロレンを好きなんじゃないかというようなもの。
確かに婚約者のソネットとは、儀礼的な会話しかしていないように見える。
けれどロレンはハワードの婚約者だ。しかも、ロレンもハワードしか見ていないとかいうような噂も流れていたな。
全くどこもかしこも頭花畑の奴らばかりで、俺の苦労は誰にも分からない。
だから、ハワードのようないい加減な奴が、ちょっと言った言葉に皆が翻弄される。
ムカムカした気持ちを押さえながら歩いていると、前から俺の愛しのローズマリーがやって来た。
「あら、グリフォン。こんにちは。どうしたの? 眉間に皺なんて寄せちゃって」
ああ、優しいローズマリーは俺の些細な変化にも気付いてくれるんだな。やっぱりローズマリーも俺の事が好きなんだ。
俺はローズマリーを、校舎の廊下から庭園の人影のない方に誘導していった。
「ローズマリー、聞いてくれよ。生徒会室に一年のハワードが活動祭の期間だけとか言って、手伝いに来たんだけれど、手伝いどころか邪魔ばかりして、俺の仕事が増える一方なんだ。やっと今、休憩をもらってローズマリーに会いに来たところだ」
実は各部の現状を見に行くランバース様の後を、面倒くさいと思いながらもついて行こうとしたら、エディックに休憩をとるように言われた。
生徒会室にいるのならばいいが、学園内とはいえ外を歩き回るのに護衛の俺がいなければ話にならないだろうと言うと、ハワードもそれなりに動けるから大丈夫だとランバース様にまで言われ、俺は複雑な思いながらも受け入れた。もしかしたら、やっと護衛の仕事の大変さに気付いたランバース様なりの気遣いかもしれない。
『まさか各部から、視察に来る際は奴を連れて来てくれるなという、細かい抗議が入るとは思っていなかったな』
『何かあったのですか?』
『威圧感丸出しの態度で、ランバの後ろで腕を組みながら睨みつけ、短時間の来訪にもかかわらず、ランバに椅子を用意しろだの飲み物を用意しろだの、ここは暑いから扇をもってあおげなどの要求をしてくる護衛を、うっとおしいと思わない者がいるなら見てみたい』
『……ご苦労様でした』
などの会話がなされていた事など露にも思わない俺は、ローズマリーに会いに来たと嘯きながら、彼女の手をギュッと握る。そんな俺に彼女も笑顔で、手を握り返してくれる。
「まあ、嬉しいわ。グリフォンは真面目だから、王子様に頼りにされちゃって大変ね。でも自分の体も大事にしてね、ちゃんと休憩は取らなければ駄目よ」
下から覗き込むなんて、なんて可愛い事をするんだ。そんな目で見つめられると何も考えられなくなりそうだ。
「ああ、そんな優しい事を言ってくれるのは、ローズマリーだけだ。どんなに顔が良くても爵位が上でも労わりの気持ちがないと駄目だよな。ランバース様の周りは顔のいい奴らばかりだけど、優しさがない。美少女コンテストをしたら、優しくて可愛いローズマリーが一番になるのに。ああ、残念だな」
俺が首を振りながら言うと、ローズマリーは不思議な顔をする。
「以前にも言っていたわね。叶わなかったの?」
「ランバース様が受け入れてくれないんだよな。俺がその話をすると、あからさまに無視するし。きっと自分の婚約者が選ばれなかったら困るから、聞かないふりをするんだぜ」
俺はランバース様の狭量を口にする。
「……ハワード様が入ったと言ったわね。ハワード様にはその話したの?」
ローズマリーが突然、ハワードの名を口にする。ムッとした俺は本当の事を言ってやった。
「はんっ。奴に話す必要なんかないだろう。それにこんな話したら、また自分の提案みたいに人を動かすのに決まっている。俺だって考えていた事を、ちょっと先に自分が言ったからって、ランバース様を差し置いて自分の手柄みたいに粋がってるんだぜ。ああ、嫌だ、嫌だ。あんな奴にはなりたくないよな。俺は自分の手柄は全部、ランバース様にくれてやってもいいと思ってる。だから美少女コンテストの案も、俺は出しゃばらずにランバース様にさせてやろうとしたんだ。それが騎士として主人に仕えるという事だからな」
俺がそう言うと、ローズマリーはニコリと笑って握った手に力を入れてくれる。
「素敵ね、グリフォン。身分の上の皆が、貴方のような考えなら平和なのにね。私の周りでもまた下級貴族の子が上級貴族に嫌味を言われたって泣いていたわ。王子様も早くそういう人達に気付いてくれるといいんだけれど……無理かな? 王子様はソネット様やロレン様という様な上級貴族の女性と親しくされているから、下級貴族の者達なんて見ても下さらないでしょう」
なんて優しい子なんだ。貴族間の身分制度に心を痛めているなんて。
「俺がランバース様と話が出来るようにしてやるよ」
「本当?」
「ああ、任せておけ。そこで下級貴族の女性の素晴らしさを教えてやってくれ。ランバース様は女性の見かけだけに騙されているんだ。内面の美しさに触れさせてやったら、考えも変わるかもしれない。君のような子がいる事が分かれば、美少女コンテストも開いてくれるかもしれない」
俺はローズマリーの素晴らしさをランバース様にも教えたくなって、ついローズマリーにランバース様と会ってみるように勧めてみた。
俺の彼女になる女性はこんなにも素晴らしいんだぞって。
ソネットやロレンにはない美しさを持っている事に、羨ましがらせたくなったのだ。
「フフフ、私にそんな大役が務まるか分からないけれど、誠心誠意お話してみるわ。身分制度による差別やいじめの実態を。それに貴方の事も話さないと。グリフォンはどんなに素晴らしい騎士様かって事をね」
「ローズマリー」
ローズマリーも同じ考えのようだ。俺達はどんなに素晴らしい恋人同士かを、ランバース様に伝えたいのだろう。
俺達は微笑みあいながら、ランバース様との面会を約束したのだった。




