報告
改めてロレン侯爵家に訪れた。師匠とミルフィール様を連れて。
恥ずかしがって嫌がる師匠を説き伏せて、ミルフィール様を同行させたのは俺の独断だ。
ロレン夫人は師匠の姉上だ。素行の悪さを心配していた弟に、こんなに素敵な彼女が存在する事が分かれば、夫人も少なからず安心するだろう。
案の定、夫人は涙も流さんばかりに喜んだ。
当然だ。ミルフィール様は誰から見ても素晴らしい淑女なのだから。
楚々とした美しい彼女が、師匠と長年旅人のような生活を送っていたのはいまだに信じられないが、二人は傍目から見ても仲が良く、ロレン侯爵家も喜びで満ち溢れる。
そんな中、俺はルミに近付く。大人しく俺の腕に抱かれるルミは、こうしているとただの大人しい仔猫だ。
『分かる? 彼女の力』
(水だけじゃなく、また凄い子連れてきたわね)
『彼女と話をするなら、皆の注意を引くけど』
(必要ないわ。夜に夢の中に入る事を伝えておいて)
『了解』
そんな事をボソボソと一人と一匹で会話する。
「どうしたの、アシュ?」
ファニーが不思議な顔で俺達を見る。
「ルミも久しぶりだと思ってさ。挨拶してた」
「フフ、ルミもアシュがいなくて寂しがっていたものね」
「へえ~、そうなの、ルミ?」
俺がニヤリと笑うと、ルミはフンッというようにそっぽを向く。なんとなく悔しいので首元を撫でてやるとゴロニャ~ンと鳴いた。
思わず出た声にルミはハタと気付き、照れ隠しのように俺からファニーの腕に逃れる。
「可愛いね」
俺達を見てニコニコと笑うファニーに、俺とルミは『一番可愛いのは君だからね』と心の中で共鳴する。そしてルミを撫でていた手が止まる。
ファニーがチラリと俺を見て言いにくそうに、だけど言わないといけないと覚悟したかのように「あのね」と切り出した。
「アシュがいない間に、お城で王妃様とミランダ様のお茶会に誘われて出席したの」
「お城に? 一人で行ったの?」
俺は吃驚してファニーに詰め寄ってしまった。まさか二か月の間に、まだ子供のファニーが城に行く事になるなんて。
王家の誘いでは断れるわけがないけれど、それにしたって今城では王の誕生日を控えていて、その準備に追われていたはず。子供のお茶会とはいえ小さな催しだって、面倒極まりない。
俺のいない間ファニーが城に行く事がないとふんで、俺は今回この日程で旅にでたというのに、目測を誤った。
王妃とソネット様主催のお茶会という事は、ソネット様の友人を集めたものだったのか?
「マーシャ様とセルリア様も一緒だったの。ミランダ様の友人を呼んで、中庭が見えるバルコニーで開かれたものだから、ささやかなものだったわ。招待客は女の子だけよ」
男がいると俺がヤキモチを焼くと思っているのか、ファニーは必死で大丈夫だったと訴える。
別に男がいてもいいんだけれどね。俺が心配しているのは、王子だけだから。
だけど、言いにくそうにしているファニーを見ると、何もなかったわけではないだろう。
「……もしかして、ランバ様もいた?」
「!」
一気に顔を蒼ざめさせるファニーに、俺は苦いものを感じる。
王子め、俺がいない事を喜んだに違いない。
「何かされた?」
「あ、お茶会は無事に終わったの。ランバース殿下とは二言・三言交わしただけだから。エディック様もいらして、アシュがいない時は自分を保護者のように思ってくれと仰って下さったわ。ただ何故か王妃様がランバ様から私の話を聞いているって仰って吃驚しちゃったの」
王妃にファニーの話をしている? それはつまり王妃も王子の気持ちに気付いているって事か? わざわざそんな事を言ったところをみると、ファニーの意図を探る気もあったかもしれないな。
……これからは王妃も要注意人物だ。
そしてギルバード様は、完全に王子の気持ちに気付いている。その上で俺との間に波風が立たないよう、上手く立ち回ってくれたに違いない。今のところは味方と思っても、差しさわりがないだろう。
「他にも何かあった?」
隠し事はしないでという気持ちでジッとファニーを見る。
ファニーは眉を下げると「怒らないでね」と前振りをしてきた。
何? 俺が怒るような事を王子にされたの?
「……帰りに馬車に乗ろうとしたところで、ランバース殿下に呼び止められたの。お一人だったわ。それで何か一人でボソボソと仰っているかと思うと、アシュの事好きかって聞かれたから大事だって答えたの。ランバース殿下もミランダ様が大切でしょって言ったら……その、政略的な婚約だからって、大切にはしたいけれど自分の気持ちはって、そこで言葉を切られて……」
「! どうしたの?」
ファニーが言葉を途切らせる。俺は慌てて先を促させた。
王子、一体ファニーに何をした?
「あ・あの、ごめんなさい。何もなかったの。ランバース殿下は何もしてないわ。ただ、少しずつ私に近づいてこられて、その、私が勝手に怖かっただけなの。それにすぐにエディック様が現れて、王妃様とミランダ様の元に戻られたわ。だから、ごめんなさい。アシュが怒る事も心配する事もないからね」
……何もなかった。それは結果だ。
王子は明らかに感情で動いたに違いない。年々、王子のファニーを見る目が熱くなっている事に、俺は気付いている。
最初は淡い恋心。俺が隣にくっついていようと、見るだけで満足していた。
ファニーは公の場や俺がいないと毅然とした態度で、理想の貴族の令嬢を演じているけれど、普段の生活においては俺がそばにいると、表情をくずしやすくなるんだ。
それは俺が望んだ事で、ファニーが少しでも自然体で楽しく過ごしてほしいという俺の願いを叶えてくれた行為なのだが、その温かくて柔らかい表情に王子が目を丸くしながらも、その表情を自分に向けてほしいと渇望している事に、俺は気付いていたんだ。
自然のファニーを守るために、俺は城では特にファニーにくっついて回った。
そんな俺がいないチャンスに王子の理性が外れたのだろう。何をしようとしていたのかなんて、考えなくても分かる。
ファニーを傷つけようとしていた。
運よくギルバード様が間に合い、なけなしの理性が戻ったという事なんだろう。
ふとルミと目が合う。ルミがコクリと頷く。
まさかルミが助けてくれた? だとしたら相当やばい状況だったのか?
俺の手は怒りでフルフルと震えだす。
――許さない!
黒の魔女が出てきても出てこなくても、今更ファニーを渡してたまるものか。
黒の魔女が出て来てからファニーはありとあらゆる酷い目にあった。だけど、その前から本当は辛かったんだ……。




