帰郷
「お帰りなさい、アシュ」
俺は約束通り王都に戻ると、自身の屋敷にも戻らず旅姿のままファニーのもとにやってきた。
「だ・駄目だよ、ファニー。埃っぽいし汗臭いよ」
そんな俺に嫌な顔一つせずに抱きついてくれるファニー。
「いいよ、そんなの。後で着替えるから。それよりも怪我はしていない? どこもなんともない?」
上級貴族として身だしなみは大事な事。
馬車などではなく馬に乗っての旅姿の俺は、とても上級貴族には見えないだろう。金のある商家のお坊ちゃまか、いいとこ田舎の下級貴族といった風体だろうか。それもかなりくたびれた。
それなのにファニーはそんな事には一切頓着せずに、俺の体だけを労わってくれる。本当に優しい子だ。
スリスリと擦り寄る彼女を愛しく思いながらも、これ以上汚すのは忍びなくて「今日は挨拶に来ただけだから」と言って、一度屋敷に戻って明日また来るよと言う。
途端に悲しそうな顔をされる。可愛い。
「アシュレイ様、宜しければうちで一服されてからお戻りになられては。ハワード家には使いの者をやりますから」
ロレン侯爵夫人が、余りのファニーの落胆ぶりに「失礼ながら」と前振りをして、声をかけてくれた。
「ありがとうございます。ですが師匠、マッドン様が先に家の方に報告に行ってくれているのです。今日はファニーの顔を見に寄っただけですので、明日改めてお邪魔させていただきます」
「そうですか……そうですね。ハワード様もご心配でしょうし、アシュレイ様もお疲れでしょう。今日はゆっくりと旅の疲れを落として下さい。ファニー、余り我儘を言ったらアシュレイ様に呆れられますよ」
ロレン侯爵夫人が。俺と離れたくないと腕にしがみつくファニーを母親らしく窘める。
その言葉にビクッと体を揺らし、ゆっくりと俺の顔を見るファニー。その仕草一つ一つが俺の琴線に触れる。くう~、可愛すぎる。
「いえいえ、私がファニーに呆れる事は絶対にありませんよ。こんなにも私を心配してくれる婚約者を愛しく思います。ファニー、ありがとうね。けれど流石に二か月も家を空けていたから、一度は戻らないと父上にどやされてしまう。師匠の事も心配だろうから、明日改めて二人元気な姿で、身だしなみを整えてから来るからね」
「……伯父様の事は心配していないけれど、ごめんなさい。そうだよね。ゆっくり疲れを落としてから会いましょう。明日になっても疲れていたら無理はしないで。連絡くれたら私がアシュに会いに行くから」
そう言ってくれるファニーはとてつもなく可愛い。
けれど師匠の事は心配していないんだ。まぁ、無理もないか。ほとんど旅して生きてきたような人だったからね。その理由に自分の父親が絡んでいた事に、少しばかり罪悪感を感じるが……。
師匠、姪っ子と距離をあけるような生活を送らせてごめんなさい。と心の中で謝罪しながらも、明日会う約束をしてファニーと別れた。
屋敷に戻り、一足先に戻った師匠とともに家族や家人と挨拶を交わし、風呂に入って一呼吸する。
夕方には父上が帰宅したので、報告がてら師匠と二人で話があるとの旨を伝えておく。
何となく察しているような父上は、二つ返事で了承してくれた。
けれど、父上の予想の遥か上の話をするとは、この時は思ってもいなかったに違いない。
――結果、父上は自身の執務室の机の上で項垂れていた。
「……我が息子ながら、十二歳にして私よりも数奇な人生を送っているな」
「あれ、信じてくれるのですか?」
あっさりと肯定の言葉を放つ父上に勢い込んでいた俺は、肩透かしを食らったかのような気になる。
「信じるも信じないも魔法の存在を知っている私が、私よりも一癖も二癖もある十二歳の子供から聞く話を、疑うと思うか?」
「……ありがとうございます。父上より一癖も二癖もあると言う言葉にはひっかかりを覚えますが、信じてくれて嬉しいです」
「……俺からすれば、二人共甲乙つけがたい曲者ですよ」
それまで黙ってそばにいた師匠が、口を挟む。
空気のように溶け込んでいたけれど、俺は自分でも思った以上に師匠の存在を頼もしく感じていた。
けれど、曲者発言はいただけない。
「心外だなぁ」
俺はプッと頬を膨らませる。
「可愛くねえんだよ」
「心外だなぁ」
「あのな、前回十六歳、今は十二歳。合計二十八歳のお前は俺と対して変わらない年齢なんだよ。そんな野郎がそんな仕草をして可愛いはずがないだろう」
「容姿は良いはずですが?」
「確かに中を知らなきゃ許されるだろうがな」
残念だ。と首を振る師匠。中ってどういう意味だ。
そんな俺達を見ながら父上は椅子に深くもたれ込む。父上の重みでギッと音がでる。
「……お前達の話では、これから起こりうるであろう事態は深刻なはずなんだが、どうしてだろう。事の重大さが伝わってこない」
「俺もどうにかなると思っています」
「え? 二人共そんなに軽いの?」
父上と師匠がそんな事を言う。やっぱり心の底では俺の話を信じ切れていないのか?
「……なんて言うか、お前ならどうにか出来るんじゃないかと思ってな」
「は?」
突然丸投げされたような言葉に〔相談意味なし〕の文字が頭を過る。
「現にこうして動いているだろう」
「それは、前回が余りに悲惨だったためで、そうならないように私も必死です」
「だから、それでいいんじゃないか」
「……すみません。私の頭の回転が追いつきません。もう少し噛み砕いて頂けますか?」
俺が頭を抱え込むと父上はハハハと笑う。
「すまない。何も協力しないと言っているわけではないんだよ。今の話を聞く限りでは、前回で不幸な末路をたどったお前の愛しいファニリアス嬢は、お前の全てで確保した。残念な事に魅了の魔法は奪われてしまったが、本来魅了の魔法を持っていた白の魔女も保護している。そして、魅了の魔法に対抗できる水も手に入れた。それから最後に強力な力として現在、白の魔女の末裔の女性も我らの手の内にいてくれる。その過程で前回戦争に発展しそうになったゴルフォネの王家とは、密かに友好関係を築いている」
一つ一つ俺に分かるように言う父上は、とても柔らかな表情をしている。
大丈夫だと全身で伝えようとしてくれているかのようだ。
「それも全てお前が行動したから得た結果なんだよ」
「!」
「現実に前回の運命とは異なる世界に生きている。お前はそれを誇ればいい。そしてそのままお前が思うように突き進め。手助けでも尻拭いでも何でもしてやる」
父上は全て納得した上で、俺に委ねてくれているのか。
俺は師匠と話した時と同じ、温かなものが体中をめぐるのを感じ取る。
「……やっぱり、父上は私なんかよりも一癖も二癖も上手ですよ」
「年の功ってやつじゃないか」
ニヤリと笑う父上は、まだまだ若く頼もしい。
隣で師匠もニヤニヤと笑っている。なんだか照れ臭くなり俺は俯く。不覚にも涙が出そうだ。
けれど決してこの二人の前では泣くものかと気合を入れる。俺のなけなしの見栄だ。
顔を上げた俺の目には、涙の跡など全くない。
「早速で申し訳ないのですが、師匠の恋人だというミルフィール様に会わせて下さいませんか? この屋敷で働いているとの事ですが……」
「ん? なんだ、お前そこまで知っていたのか。あっさりと白状したな、マッドン」
「え? 俺の話をした以上、彼女の居場所は秘密ではないでしょう」
俺の隣の師匠を小突く父上。
「秘密なら言っといて下さいよ」
ちょっとふくれる師匠。
こんなに仲がいいなんて知らなかった。
「……二人共、役者になれますよ」
「ん? なんだ?」
「いえ、別に。それよりも彼女はどこの持ち場にいるのですか?」
「ダリアの所だ。彼女は仮にも辺境伯令嬢だ。滅多な場所には置いておけないからな」
なるほど。母上の所なら俺が知らなくても当然だ。
師匠が「俺が呼んできます」と言って部屋を出る。よっぽど会いたかったに違いない。
来るのが少し遅くなっても、文句は言わないでおこう。俺は空気が読める子供だからね。
師匠が出て行った扉を眺めていると、父上がふう~っと息を吐く。
「すみません。温かいお茶頼みましょうか」
俺の長い話を聞いて、疲れたのかと労いを込めてたずねる。ミルフィール様も来られるし、とりあえずは用意してもらおう。
俺がベルを鳴らし、侍女に四人分のお茶を頼む様子を見て、父上が口を開く。
「……お前のファニリアス嬢に対しての異常なまでの執着が、やっと理解できたよ」
…………………………。
「前回、お前は引いた。臣下として王族を支える為に。けれど今回は、惚れた女を幸せにしてやれ」
父上のゴーサインが出た。
うん、前回の分までファニーには幸せになってもらわないとね。
暫くして現れたミルフィール様に出会った俺の開口一番は「本当に師匠でいいのですか?」だった。
もちろん、すぐに師匠から鉄拳制裁が与えられた事は、言うまでもない。




