誘惑
……自分の気持ちに折り合いがつかない。
日に日に可愛くなる彼女を目にして、どうしようもなく欲しくなる。
好みの容姿だけではなく、最近の彼女はコロコロと表情をよく変える。
作られた貴族スマイルではなく、本当に楽しそうな温かい笑顔。少し拗ねた顔。恥ずかしそうに照れた表情は、普段見ているどの令嬢よりも魅力的だ。
けれど自分には将来、ともに国を導いてくれる決められた伴侶がいる。
彼女は優秀だし、いい子だと思う。常に私をたててくれて我が両親、国王夫妻にも気に入られている。それなのに私はどうしてこんな気持ちになるのだろう……。
もうすぐ十四歳になる私は、後一年程で貴族の学園に通わなくてはいけなくなる。
寮には入らずに城から通うにしても、学園と王太子の仕事で自由な時間は無いに等しくなるだろう。
一年すれば彼女もまた学園に入学してくれるとはいえ、全く会えない一年に私は耐えられるだろうか。
どうして彼女の隣にいるのは彼なのだろうか。
どうして彼女の全ての表情は彼に向けられているのだろうか。
どうして彼女は私を選んではくれないのだろうか。
私の母と婚約者がお茶会を開いた。
彼女も参加すると聞いて、心が弾む。けれど、いつものように彼も一緒なのだろう。
女性だけのお茶会に子供とはいえ、男がついて行くわけにもいかない彼は、私のもとにやってくるだろう。
私は彼とギルを連れて、堂々と彼女に会う。
だって、そのお茶会には主催者の息子で婚約者の私も呼ばれているのだから。婚約者の友と親しくなるために……。
――嘘だろう。
彼が来ない。どうしたのかと思いながらも、時間になったので、ギルとともに彼女のもとに急ぐ。
もしかしたら彼女が体調を崩し、本日は来られなくなったために彼も来なかったのかもしれない。
彼女の安否を確認したい。
そう思い急いだ先には、いつもの優しい温かな笑顔。
私の母や友人達と会話している彼女に、目は釘付けになる。
彼女の周りだけが輝いて見えるのは、私の目がおかしいのか?
笑み崩れそうになりながらも、グッと腹に力をいれて王子スマイルで近づく。
母や婚約者の挨拶もそこそこに、彼女に彼の所在を確かめる。
彼女がここにいるのに、彼がいないのは明らかに妙だ。何かしらの理由があり遅れているのかとも思ったが、驚く返事が返ってきた。
アシュレイがロレン嬢を置いて領地に戻っている?
嘘だろう。ありえない。あんなに彼女を手放さないと、離れたとしてもどこまでも追いかけると豪語していた彼が、あっさりと彼女を置いて王都から離れるなんて。
余りの驚きについ、彼女に一人で城に来たのかとそのままの言葉で聞いてしまった。
彼女は自分を小さな子供だと錯覚しているのかと笑う。
彼のいないところで自分に向けられる暖かな笑顔に、つい場所を忘れて彼女に見惚れてしまった。
ギルに座るよう促されなければ周りの事も考えず、そのまま彼女との会話に夢中になっていただろう。
婚約者の知人がいる前で、他の令嬢と話を弾ませてしまうなんて。そんな事になったら彼女に迷惑がかかってしまう。もしかしたら彼に知られて、二度と会う事が出来なくなるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。学園に通い、会えない一年をどう過ごそうか本気で悩んでいたが、そんな事の比じゃなくなる。
私は大人しく彼女から離れた。
目は常に彼女の姿を追いながら、他の女性と話をする。
どんな拷問だ。と思いながらも、彼女の姿を見るという私に許された唯一の時間を堪能した。
お茶会が無事に終わり部屋に戻る途中、何気なく馬車乗り場まで足をのばす。
彼女の帰る姿が少しでも見えるかもしれないと。
ふと気付くとギルが後ろからついて来ていない。
そういえば、今日の招待客の令嬢数人に呼び止められていたような気がする。
ギルは宰相の息子で、彼自身も将来宰相になるであろうと言われている優秀な人材だ。
まだ婚約者のいない彼は、令嬢方の恰好な獲物だ。流石のギルも私の婚約者の友人の令嬢方を無下に出来なく、あっさりと捕まってしまったのかもしれない。
待てよ。だとすると私は今一人。彼女も彼がいなくて一人。
私達は初めて二人きりになれるかもしれない。
そう思うと、いてもたってもいられなくて、気が付けば城の廊下を全速力で走っていた。こんな姿、誰かに見られたら醜聞がとぶ。と頭では分かっていたのだが、足が勝手に走るのをやめてくれない。
そうして目にするのは、今まさに馬車に乗り込もうとする愛しい人。
「ロレン嬢」
気が付けば呼び止めていた。
彼女は驚きながらも足を止め、私に向き直ってくれた。
そのまま知らない顔をして乗ってしまっても仕方がないというのに、本当に彼女は優しい人だ。
何の用かとたずねる彼女に、要領を得ない事ばかり言ってしまう。
彼女は不思議な顔をしながらも、ちゃんと受け答えをしてくれる。そんな様子を見ていると、どうしてもどうしても手に入れたくなる。
二人きり。こんなチャンスは二度とない。
彼と彼女は十二歳。子供の二人には、婚約者としての明確な事実はまだ何もないはずだ。
私が先に彼女を手に入れたら……。
十三歳の私とキスをしたからといって、彼女を手に入れられるかといったらそれは疑問だ。
この国では貴族女性の処女性は確かに大事だが、それまでの過程はそれほど重要視されていない。それは王族とて同じ事。しかも子供同士のキスなんて、可愛いものだとすまされてしまう。
けれど彼女自身はどうだろう?
私と無理矢理にとはいえキスをして、平気で彼のそばにいれるほど、彼女はしたたかな女性だろうか? 答えは否だ。彼女は彼から離れるだろう。そういう女性だから私は彼女から心を離せないのだ。
私は彼女から恨まれるだろうか? そうだな、恨まれるだろうし、嫌われるだろう。
けれどもしかしたら、その行為で私を選んでくれるかもしれない。仕方がないと諦めて、私のものになってくれるかもしれない。
今この瞬間、私達は二人きり。止める者は誰一人としていない。
私はふらりと彼女に近づいて行く。
怯える彼女の表情までも愛しく思いながら、近づく私は……。
「ランバ!」
そこまでで、タイムリミットだった。
――我に返る。
そんな事をしても絶対に彼女は手に入らない事を、私は嫌というほど分かっているというのに。
ああ、これで彼女は二度と私と二人きりにはなってくれないだろう。彼にも話してしまうかもしれない。私は千載一遇のチャンスを逃してしまった。けれど、これで良かったのだと冷静な私は考える。
二人きりという絶対にありえない誘惑に、つい身をゆだねてしまった。彼の顔が脳裏をよぎる。
どうしたら私は、彼女を諦める事が出来るのだろうか……。
――危なかった……。
まさか王子があんな行動をとるとは思わなかった。
私はファニーの部屋の寝台で、ぐったりと体を横たえる。
久しぶりに使った魔法は、かなりの消耗を私の体に与えた。また魔法量が減ってしまったが、仕方がない。
アシュのいない状況の中、城に行くと言うファニーが心配で意識をファニーに繋いでおいた私は、王子の奇妙な視線に危機感を抱いた。
執着も未練も隠し切れないネットリとした瞳。アシュのものとは違う異質なもの。
アシュの瞳はいつも彼女を危険から守るために、ファニーへと注がれている。
だけど王子の瞳は……欲しい欲しいと欲求を詰め込んだ瞳。ファニーを求める瞳。
上手く隠してはいるが、気付く者は気付いている。その中にファニーがエディック様と呼んでいる少年がいる事は救いだろう。彼は色々な理由から、王子とファニーをつなげる気はないようだ。
お茶会の間は気を張っていたのだが、終盤ファニーと王子が離れた事から油断してしまった。
まさか馬車乗り場まで王子が追いかけてくるとは誰が思うだろう。
私は慌ててエディック少年にくっついている令嬢方を離すため、帰宅時間だと時計をならせ、少年には王子がファニーを追っていったと気付くよう、馬のいななきを聞かせた。
エディック少年が勘のいい人で良かった。彼が間に合わなかったら、私は王子に攻撃魔法をかけていたかもしれない。そんな事になれば一体どんな問題になっていたか……考えるだけでも恐ろしい。
何はともあれファニーは無事に馬車に乗り、帰宅できたようだ。
ホッと吐いた溜息とともにファニーの部屋の扉が開く。
私にブラッシングをしようとやって来た侍女のミナに抱えられる。
疲れているから放っておいてほしいのだが、そんな我儘は猫の姿では言えない。
今の私には、早くアシュが帰ってくれる事を祈るのみである。




