両家
バラ園の入り口から現れたランバース王子は、にこやかに皆に手を振っている。
側近の一人が王子の耳元で何かを伝える。
俺の存在に気付いたのだろう。何度も言うが、我が公爵家は本日集まった中でも上位の貴族だ。子供同士とはいえ挨拶をかわすのに、一番に優先すべき相手なのだ。
真っすぐにやって来た王子は、相変わらずの美形っぷり。
俺達の一つ上になるが、茶色の髪は艶やかで、少々吊り上がった水色の瞳は穏やかな光を帯びている。
そうして目の前に来た王子は、ファニーを目にするとハッとした表情になる。
はい、今一目惚れしましたよね。
王子は彼女に近寄ろうとして、彼女の手と俺の手が繋がっている事に気が付く。
俺達の手を凝視する王子。
………………。
周囲に沈黙が走る。
俺は渋々ながらも彼女の手を離し、その手を彼女の腰に回す。
「お初にお目にかかります。ハワード公爵家嫡男アシュレイ・ハワードと申します。こちらはファニリアス・ロレン侯爵令嬢。近々私と婚約を整える予定の令嬢です。殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
俺が自身と彼女の挨拶を同時にすませると、ファニーは横でスカートを摘まんでペコリと淑女の挨拶をした。
「……婚約、予定?」
「はい、たった今承諾を頂いたところです。これから手続きに入ります」
王子が呆然としている顔でたずねてくるのを、俺は満面の笑顔で返す。嬉しくて仕方がないという事を一切隠さずに。
「そうか、それは……おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
王子は祝辞を述べてくれたが、目はファニーを見つめたまま離さない。どこか寂しそうな信じられないと言った風な表情で見つめられて、ファニーが淑女の笑顔のまま居心地悪そうにする。
そんなファニーを守るべく、俺は体を前にして王子の視線から彼女を隠す。
挑戦的にニコリと笑ってやると、己の失態に気付いたのか「あっ」と言って視線を逸らす。
「アシュレイと言ったか。また城に遊びに来るがいい。君とは仲良くしたいな」
「ありがとうございます」
俺は礼を述べるだけにしておく。
立ち去っていく王子は、ちらちらと名残惜しそうにファニーを見ていた。
そんなに惜しいならどうして彼女をあんな目にあわせたんだ。お前が彼女を大切にしていたならば、俺はこんな強硬手段になんて出なかった。
――彼女を裏切ったのはお前じゃないか!
前回の怒りが再び体中に沸き上がる。
そんな俺の体に、ピタリと温かなものが触れる。ファニーが俺に身を寄せていた。
「やっぱり王子様には緊張しますね」
ニコリと笑ったその顔は、俺の一番好きな表情で……。
俺の中の黒いモノが浄化されていく気がする。改めて俺は彼女を守ると決めた。
この温かさを、今度は絶対に手放すものかと。
ガタゴト、ガタゴト。
お城でのお茶会の帰りの馬車で、私は頬を冷ますのに必死だった。
このような顔で侯爵家に戻ると、お父様にあらぬ勘違いをさせてしまう。まあ、半分は間違っていないけれど……。
「まさかこのような事になるとは、本当に驚きました」
お母様が溜息とともに思わず本音を漏らす。
「はい、あの、驚きはしましたけれど、その、嫌ではなかったです」
私も素直に本音を漏らすとお母様は笑顔で頷いてくれた。だって彼の行動は突然で不躾で、本来なら嫌悪されてもおかしくない行動なのに、私はどうしても拒否する気にはなれなかったのだ。
彼の目があまりにも真剣で。
断らないで。自分を受け入れてくれと、体中で語っていた。
バラ園に到着してすぐの事だった。とりあえず一息つこうと椅子に座った直後、目の前に彼は現れたのだ。とっても綺麗な男の子だと思った。紺色の髪と瞳に目鼻立ちのスッキリとした整った容姿をしている。真剣な顔は少し怖いけれど、笑うと途端に年相応の可愛らしく優しい顔になった。
その証拠に、彼が笑うと周りの女性は全員顔を赤くしていた。お母様まで変な声を上げていたの。ちゃんと聞こえていましたからね。
奇麗な子だから受け入れた訳ではないけれど、皆の前で愛していると何ものよりも守ると言われたのは、ただ単純に嬉しかった。
『今日は王子様の婚約者を決める大切な日だ。愛想よくして王子様の言われる事には、何でも素直に受け入れておくのだよ。いつものような生意気な口調は、決して出してはいけないぞ。分かったね』
そう、お父様に言い聞かされて屋敷を出た。
そんなに失礼な口をきいているかしら? 私はただ思った事を口にしているだけなのに。
けれど彼は私の話をニコニコと聞いてくれた。
私がお母様に話すのに『協力してくれてありがとう』と言ってくれた。
王子様が現れた時は、何故か表情が強張った気がした。
王子様は茶色の髪に水色の瞳の綺麗な方だった。彼とは違う美しさをもつ方だった。
その王子様がジッと私を見るのがいたたまれなくて困っていると、彼はスッと私と王子様の間に入ってくれて、私を彼の目から隠してくれた。
ちゃんと守ってくれている。
私は嬉しくなって何気なく身を寄せ『緊張しますね』と言った。すると彼は穏やかな笑顔を返してくれた。やっぱり彼も緊張したのだわ。
私は彼の申し込みを受け入れて本当に良かったと、これから彼に会う事が出来て嬉しいと改めて思った。彼の名前はアシュレイ・ハワード。私の未来の婚約者様♡
「彼女とロレン侯爵夫人の了承はとりました。明日の朝一番で婚約の申し込みをロレン侯爵に送って下さい」
「……これはどういう事だ、ダリア?」
屋敷に戻るとソファで寛いでいる父に一目散で駆け寄った俺は、父の執務室からすぐに紙とペンを持ってくるように、執事のマイロフに指示した。
唖然とする父上は、後からゆったりとやって来た母上に視線を向けてたずねる。
いや、俺に直接聞いて下さいよ。何で話が通らない前提で、俺の存在すっ飛ばすんですか。
「一目惚れですって」
「は?」
流石、俺の母上。簡潔に状況説明をした。それなのに父上はまだ目を白黒させている。
理解力がないですね。
「ファニリアス・ロレン侯爵令嬢に一目惚れをしたので、その場で婚約の申し込みを致しました。本人も夫人も快く受け入れてくれました。後は父である侯爵の了承を得るだけです。ですから速やかに書類を作成し、一日でも早く婚約者になれるよう手配したいので、父上はそのように動いて下さい」
がしりっ。
「落ち着きなさい、アシュ」
「いたい、いたい、いたい」
父上に右手で頭を鷲掴みにされた。七歳の幼い子供に何をする。
そういえば父上は、公爵という最上級の貴族のくせに鉄拳制裁は当たり前だった。が、こんな小さい頃からされていたのだな、俺。忘れていたよ。
俺の頭から手を離すと、父上はその手を俺の肩に置いた。
「一目惚れだと言うが、その子はロレン侯爵家のご令嬢だろう。今日は第一王子の婚約者を決める日だ。彼女は候補者の中でも家柄・年齢ともに、三番目に位置されていたはずだ。そんな方に第一王子を差し置いてお前が申し込むなど、本来ならば許される事ではないぞ」
「分かっていますよ、そんな事。ですが俺は、彼女の為なら王家と敵対しても構わないと思っています」
俺は父の目を見ながら答える。
隣でヒュッと息を飲む音が聞こえた。母上の口から思わずでたのだろう。まさか息子の一目惚れが王家に敵対するなど、大きな問題になるとは思ってもいなかったのだろう。
だけど俺には分かっていた。王子は彼女に一目惚れをした。そんな彼女を俺は強引に手にするのだから。
諦めきれない王子から、後日打診がくるかもしれない。俺の元か、彼女の元か?
だけど俺は決して諦めない。決意を込めた目で父を見返す。
暫く父と睨み合っていると、頭をポンっと叩かれた。
「そんなに意気込むな。候補者といっても三番目だ。王子の性格からして、選り好みされる事もないだろうから、筆頭候補者のソネット公爵令嬢で決まりだろう。年も同じだしな。余程の事がない限りロレン侯爵令嬢に話が行く事はないだろう。それに何より本人も侯爵夫人も承諾してくれているのだな。だったらこの話は決まりだ。ロレン侯爵は奥様と子供を大切になさる方だから。手紙を書いてくる。朝一番で手紙が届くように手配してくれ」
父上は一気にまくしたてると、スッと部屋から出て行く。
俺は慌てて父に礼を言うため追いかけようとすると、父がひょっこりと扉から顔を覗かす。
「……ロレン侯爵令嬢は、そんなに美人か?」
こそっと小声で聞いてくる父に、俺はキッパリと言い切る。
「天使です!」
「ハハハ、そうかそうか」
「――あなた」
父は母に耳を引っ張られて、慌てて出て行く。
「全くもう……」と言う母上は、苦笑しながらも目には愛しさが籠っている。
「一体誰に似たのやら。と思っていたのだけれど、確実にあの人よね」
チラリと俺を見る母上は「やれやれ」と肩をすくめる。そうして俺の頭を撫でながら「今日は疲れたでしょう。着替えてらっしゃい」と言った。
俺はこの二人が両親で本当に良かったと思った。
前回ではおかしくなった俺が、奴らとともに彼女を断罪したと聞いた時の両親は、蔑むような目で俺を見ていた。あの時も彼らだけは、正常な判断が出来ていたのかもしれない。