十二歳
あれから五年。俺達は十二歳になっていた。
その間に俺の家ではまた妹が産まれ、ファニーの家でも妹が産まれた。
あれほど心配していた黒の魔女の動きは今のところなく、辺境の領地から出てくる気配はない。
やはり王子に出会わないと魅了の魔法は使わないのだろうか?
それならば何故、あんなに早い段階で白の魔女から力を奪った? その時だけ王都に現れた? 俺が見張っている事に気付いているのか? などなど疑問は尽きないが、相手に動きがない以上どうする事も出来ない。
俺は力をつける事を怠けずに頑張ってきた結果、とうとうマッドンこと、師匠から旅に出る許可を得る事が出来た。
夢の中に現れたルミに報告する。
(北のカラン山に行く気なの?)
「そう、そこにある泉に魔法を弾く力があるって言っていただろう。その水はもしかして魅了の魔法を無効にする事が出来るかもしれないって。その水を汲んでおいて、いざという時に備えておこうと思うんだ。今まではガキ過ぎて、辿り着く事も帰ってこられるかどうかの保証ももてなかったから身動きが取れなかったけれど、やっと師匠の許可が出たんだ。もちろん師匠がついて行く事が条件だけれど。その時に師匠には話をしようかと思っている。その事を君に相談したかったんだ」
ルミは俺の報告を聞き終えると、ハア~っと息を吐いた。
(相談って、もう決めているくせに)
呆れている姿を隠そうともしないルミに、俺は肩をすくめる。
「だって、これ以上は師匠を誤魔化せないよ。師匠は初めから俺に何かあると見抜いていた。最初の指導の時に、はっきり言われたんだ。『今はまだ聞かない。時が来たら話せ。俺はファニリアスの伯父として、将来身内になるお前を助けてやる』と。そこまで言われた上に本当に五年間何も聞いてこなかったんだ。もう話すしかないでしょう? どのみちこの旅の理由を話すにもそこにたどりつくのだから。それにこんな荒唐無稽な話、信じるか信じないかは彼次第だ」
(いつもの調子でうまい事、誤魔化したらいいじゃない)
「いつもの調子って何? 人を詐欺師みたいに。師匠にはその手は効かないよ。見ていたら分かるだろう?」
(はいはい、いい師弟っぷりだったわよ)
含みのあるその物言いに、なんだが釈然としない。
「……それはそれでなんだか嫌だな。それより、この水って魔法全てを弾き返せるの? 本で読んだんだけれど、例えば火や水とかの物理攻撃なんかにも効果ある?」
俺は気を取り直して、ルミに水の効果を聞いてみる。
(いいえ。私が聞いた話では、精神干渉系の魔法だけだと思うわ)
「そうか。いや、それだけでも十分ありがたいんだけれど、もしかしたら黒の魔女自身が持っている魔法だってあるわけだろう。まあ、そこは物理的なものなら拳で戦うしかないんだけれどね。そのためにも鍛えているわけだし」
(貴方が鍛えているのは趣味だと思っていたわ。一応私が知っている黒の魔女の魔法は、火の攻撃魔法よ。私がそれでやられたの)
「趣味って……まあ、いいけど」
この五年でルミは俺の母上と同じような事を言う様になってきた。年上女性の目線から、俺はどんな風に見られているのだろうか? やっぱり言う事聞かない手のかかるガキ? 別にいいけどね。ファニーの目にさえ俺がかっこよく映ればさ。けれど、火の魔法か……それは一体どういったものなのだろうか?
「……でも、初めて会った時のルミの傷は、火傷というよりも切傷の方が多くなかった?」
(小さな火を鋭くしたものを、数百むけられたの。熱いというよりは刃物を投げつけられたみたいな感じだったわ)
俺の問いにルミはその時の事を思い出しながら、しっかりと答えてくれる。余り思い出したくない記憶だろうに、申し訳ないと思いながらもこの情報は大きい。
「だから無数の切傷が体中に残ったわけか。分かった。それに関しては自分の身体能力を上げるしかないね。とにかく一番の脅威は、魅了の魔法だから。水を汲んでくる事は実行するよ」
ルミは溜息を吐きながら、分かったわよと首を縦にふり、そして短い詠唱を唱える。
俺の体が一瞬、軽く光った。
「? 何?」
(頭の中に直接地図を送ったわ。問題なく水の所まで行って帰れるように)
まだ全ての力も戻っていないのに、そんな事をしてくれるルミの気持ちが嬉しくて、俺は照れ隠しに揶揄ってしまう。
「問題なくって、獣や盗賊なんかからも守ってくれるの?」
(……外敵からはどうしようもないわ。ごめんなさい)
迷路山に入り込んで、迷子にならなくしてくれただけでも凄い事なのに、ルミは守れなくて申し訳ないという様に謝罪した。
照れ隠しに揶揄った事に罪悪感が沸く。
「冗談だよ、ありがとう。それよりも夢の中なのにそんな事も出来るんだ」
(貴方の脳に送ったものだから、実体がなくても効果はあるのよ)
「凄いな。ルミって実は上位の魔女なんじゃないの?」
俺はルミの沈んだ気持ちを上げるべく、わざとそんな事を言ってみる。
(……だったら良かったのに。私にもう少し力があったらって何度も思ったわ)
ますます落ち込むルミに、俺は本当に謝罪したい気持ちになってきた。
「ああ、落ち込まないでよ。どうしたの、ルミ? 俺の軽口なんていつもの事じゃないか」
(……ええ、そうね。それでも早く帰ってきてね。ファニーを一人ぼっちにさせないで)
ああ、ルミが心配していたのはそこなんだね。分かってる。ファニーを一人になんか俺がするわけがない。
「速攻で戻る。その間、悪いけど頼むよ」
ルミはコクリと頷くと、俺の夢の中から去って行った。
ルミの元々の力は弱い。その上、魅了の魔法を奪われた時に力も一緒に奪われている。五年たって大分と戻ったにしても俺に力を使って、いざという時ファニーを守る力が残っていたらいいんだけれど。
ルミは俺も大事だと言ってくれる。だから素直にありがたく受け取る。
カラン山行きは、ルミに話を聞いた時から決めていた。
けれどあの頃の俺は力不足で行ったが最後、戻ってこられる保証が全くなかった。
迷路山は入り組んだ地形に加え、鬱蒼とした木々の所為で異常に暗い。視界が悪く人が寄り付かない為、獣が増殖している。正直どんな場所なのか人々の中で認識されていないのが、現状だ。
そのような場所に入って七歳の少し腕の立つだけのガキが、無事に帰れるはずがなかった。
他の者に任せようかとも思ったが、大人とて難しい。
三人ほど頼りになる人がいるにはいるが、何も言わず引き受けてくれるほど、簡単な人達じゃない。
だから俺は、自身の力で水を手に入れる事を決めた。
それにはハワード家の指導より、傭兵であり自然の厳しさに慣れている師匠に鍛えてもらうのが一番だった。
実力も充分にあるとよんでいたが、執事のマイロフが太鼓判を押してくれた。
その日から俺は、カラン山行きを視野に入れて鍛えた。
ルミにも言ったが、師匠は初めから俺には何かあると考えていたようだ。その上で力を貸してくれた。
五年。何も言わずに師事してくれた事に、俺は素直に話す事に決めた。
信じるか信じないかは彼が決める事。その上で関わるか関わらないかも彼が決める事だ。
そしてもう一つ。俺はこの旅で確認したい事がある。
それは師匠が近衛隊隊長の名を捨てた原因の女性。彼女との因縁と所在。
師匠はこの五年、ハワード家で過ごし、彼女に会いに行った形跡が全くない。
人生を変えてまで助けた女性に一度も会わないという事が、ありえるのだろうか?
そして彼女は他国の女性。他国とは? 俺の脳裏に浮かぶのは、前回突然この国と戦争をおこしかけた国、ゴルフォネ。
杞憂であればいいのだが、彼女はかの国の女性ではないだろうかと疑う自分がいる。
仮にゴルフォネの人間だとして、だからなんだという事でもあるのだが、どうしてだろう? 確認せざるを得ない不安が、俺の心を締め付ける。
とにかく何もせずに諦めるのは、前回で十分だ。
……前回、俺はファニーを最初から諦めたからあんな事になってしまったんだ。
誰を敵に回そうと手を握っていたらもしかして……そんな後悔はもう二度としたくない。
俺は夢の中から現実へと戻る。
目を覚ました俺は、ファニーの元に行ってカラン山行きの話をする。
寂しがるファニーをどうやって宥めすかそうかと、今から知恵を絞らなくてはいけないな。でも結局は真心が一番なんだけれどね。
「伯父様は何を考えているの?」
「うわおぉ~!」
ファニーの勢いに、師匠が素っ頓狂な声をあげる。
ファニーにカラン山行きの話をした途端、俺ではなく師匠に矛先がむかった。
師匠の胸倉を、掴めれば掴んで揺さぶっていたのではないかというほどの勢いだ。
そんなファニーも可愛いと思う俺は、末期の重症患者だな。
俺は師匠ににじり寄っている彼女の肩を、自分に引き寄せる。
「落ち着いてファニー。カラン山には俺が師匠を誘ったんだよ」
「嘘よ。だってあの山は一旦足を踏み入れれば、生きては出てこられないという噂の迷路山よ。そんな所にどうしてアシュがわざわざ行きたがるの? 悪趣味だわ。伯父様が訓練だとか言って決行しようとしているとしか思えない」
そんな山に俺が行きたいという言葉は納得出来ないのに、師匠が俺を誘うのは理解出来るんだ。あ、師匠が遠い所を見ている。ドンマイ、師匠。
「ごめんね。あの山にしか手に入らない水が必要なんだ。それを取りに行くだけだよ。大丈夫。ようは複雑難解なあの山の地理が問題なだけだから、ちゃんと事前に調べているよ。サッと行ってサッと帰ってくる。ファニーに寂しい思いはさせないよ」
「……どうしてアシュがそんな水を取りに行かないといけないの? 他の大人じゃ駄目なの?」
とうとうファニーの目に涙が堪り始める。
ああ、いくら仕方がないとはいえ、こんな顔させたくないのにな。
俺はファニーを抱きしめる。
この五年で俺とファニーの身長差は、頭一つ分ぐらいになった。
俺の胸に顔を埋めて「いっちゃやだよ~」と小さくつぶやくファニーは、こんな時だと言うのに殺人的可愛さだ。
「泣かないで。ファニーに泣かれるのが一番辛い……本当にごめん。どうしてもその水が必要で、それは俺にしか分からない場所にある。俺が行かないと手に入らないものなんだ。約束するよ。二か月以内に必ず戻るから。山に入る前に近くの村から手紙を送る。山を下りた時も同時に送るよ。だから少しだけ待ってて」
ヒクヒクと泣くファニーが、俺の胸から顔を上げる。
「……本当に二か月以内で戻ってくる? 怪我もしちゃヤダよ。帰ってきたら一番に会いに来てくれる?」
普段我儘の一つも言わないファニーが、珍しく注文を付けてくる。それも俺の心配ばかり。
「うん、約束」
可愛いなぁと思いながら俺がにこやかに言うと、やっと納得したファニーが涙を止めようとする。
「これ以上我儘言うとアシュに嫌われちゃうもんね。我慢する。ちゃんといい子で待っているから、必ず戻ってきてね」
無理に笑おうとする様は、いじらしくて可愛くて……俺がファニーを嫌いになるはずなんてないのにな。
本当は片時も離れたくない。出来るなら一緒に連れて行きたいけれど、どうなるか分からない危険な場所に君を連れて行くわけにはいかないからね。
俺はもう一度ファニーを抱きしめて「待っていてね」と約束した。




