未練
九歳の誕生日会。私の婚約者として隣にたつのはミランダ・ソネット公爵令嬢。
同じ年の彼女は、ひかえめなおっとり美人だ。赤みを帯びたブロンドに緑の瞳には、落ち着きのある温かみがある。
彼女は私の全てを肯定する。肯定し続ける彼女との会話は、続かない。
決して知恵がないわけではない。王妃教育も八歳の割には、なかなかのものだと聞いている。
だけど彼女は自分の意思を話さない。淑女はそうあるものとして育てられてきたのだろう。少し……疲れる。
会場に着くと、何やら騒がしい。中心はやはり彼か。
私はゆったりと彼に近づき、声をかける。
「心外だなあ。城のもてなしにケチをつける気? アシュレイ」
わざと嫌な言い方をする。ギルが眉をひそめたのが分かったが、あえて気付かないふりをした。
だってアシュレイにはそんなのきかない。あっさりと受け流された。ほうらね。
もっと城においでと言う私達に、ミランダを気にするアシュレイ。
他の貴族なら喜び勇んでやってくるものを拒む姿に、ひょっとして私は嫌われているのかな? と勘ぐってしまう。
けれど、そんなアシュレイを皆は周囲に気の回る人間だと高評価だ。
私と一緒に断られたギルまでもが、にこやかなのは何故だろう?
そうして久しぶりに彼女に会った。
半年ぶりに会う彼女は、少し大人びていて、水色の生地に紺色のフリルとレースをあしらったドレスに身を包んだ彼女は、妖精のように美しかった。
目を奪われ呆然としてしまった私に気付いたギルが、確かめるようにアシュの色だと言った。私に念を押しているのだろう。そんな事は分かっている。
けれど次に目にしたものは信じられない光景。
彼女の噂は聞いていた。頭が良く、しっかりとマナーを身につけた大人びた女の子。常に冷静さと微笑みを絶やさない七歳にして完璧な淑女。
初めて会った時もそうだった。それなのに今、目の前にいるのは恋する少女。好きな人からのプレゼントに心から喜ぶ、ただの女の子だった。
そしてその輝きは清純そのもの。眩い光に包まれていた。
完全に目を奪われた私の横で、アシュレイが彼女に冷静さを取り戻させる。
我に返った彼女は、アシュレイの腕の中に素直に身をゆだねて恥じていた。
そんなアシュレイもまた素直に彼女を好きだと、ずっと一緒にいようと言っている。
――羨ましい。そんな言葉が私の脳裏を横切る。
ギルが「二人は本当に仲がいいのだね」と私にふってきた。分かってるって。そんなに念を押さなくても彼女は彼のものだ。決して私のものにはならない。
それまでおとなしかったミランダが、遠慮がちに背後から声をかけてきた。
「……ランバース様、他の方々にもご挨拶を」
頭のいい彼女は、パーティーの時間を考えたのだろう。将来王の伴侶となる者には、必要な配慮だ。だけどなんとなく、その行為が鼻についた。
アシュレイの腕の中の彼女と離れがたい私は、つい二人を誘った。一緒に行かないかと。
けれどアシュレイは正当な理由で断った。そうだよね。照れている彼女を連れて、挨拶回りになんて行けるはずないよね。ちょっと自分に呆れてしまった私は彼女に謝ったが、彼女はアシュレイの腕の中から出て来てくれなかった。
気を取り直して挨拶回りを続けると、何故か気落ちしている子が多かった。
王子に声をかけられて、緊張しているのかと最初は思ったが、どうやらそれだけではないようだ。
私が声をかけると泣きだしてしまう子もいた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝る子もいた。
なんだ、これは?
ギルが私のそばを離れる了承を取って、護衛騎士や給仕に声をかけて回った。どうやら情報収集に行ってくれたようだ。
その結果、どうやら年長者の令嬢三人が、招待客の子供達に嫌味を言って回っているようだ。まだマナーに覚束ない子供相手に、恥をかかせて自尊心を傷つける。
私のいない間に、何て事をしてくれるんだ。
だけど、その三人の一人が問題だった。宮廷でも問題のある公爵を父に持つ令嬢。バルバラ・ジェルダー公爵令嬢。
彼女の父は悪徳貴族を絵にかいたような人物で、小柄で小太り。横柄で冷血。醜悪な人物で有名だった。だが、古くからの公爵位を持つ彼には、発言力があった。王族も無下には出来ない厄介な相手である。
その令嬢方に注意するにしても、後日父親に難癖付けられたらたまらない。どう処理をしたらいいのか頭を悩ますと、ギルがクスリと笑う。
こんな厄介事を笑うなんてどうしたのかとたずねると、どうやらアシュレイが既に令嬢方に一泡吹かせた事が分かった。
詳しい話を聞く事になり、再びアシュレイのもとに向かうと人数が増えていた。
とても楽しそうな彼らと、笑顔の戻った彼女に心が温かくなる。
彼女の笑顔を取り戻したのが、アシュレイだと思うと心がざわつくが、それは仕方がない事だ。だってアシュレイは私と違って、ずっと彼女の傍にいるのだから。
そしてアシュレイに相談があると言うと、聡い彼はここでは話をするわけにはいかない事を感じ取り、移動を申し出る。
その際、またもやミランダを案じて自分の席に座るよう促し、皆に後を託した。
託された子供達は慌てふためき、ミランダも困っていた。如何にしっかりしているとはいえ、アシュレイもまだ子供なのだな。年少者に貴人と同席させるなど、緊張して然るべきだ。
自分が普通の子供と違う事に気付いていないのか? 機転のきく少年だと思っていたが、今回は失敗したな。
私は彼の失敗を補助しようと口を開きかけたが、彼は皆を励ましにかかった。その内容があろう事が、先程の案件、今まさに彼に相談しようとしていた令嬢方を揶揄った言葉だった。
皆笑い、あの淑女の仮面を崩さないミランダまで口元を覆っている。
「アシュレイ様って楽しいお方ですのね」
「いえ、私はいたって真面目です」
その言葉に、場は一気に和んだ。凄い。の一言だと思う。
彼は一体、どういう子供なのだ? 緊張している子供達の力を抜かせ、身分関係なく、皆を笑顔にさせる。私は改めてアシュレイに興味をもった。
バルコニーに移動した私達は、改めて三人令嬢の話を始めた。
アシュレイはちゃんと令嬢方が何者かも把握していて、公爵に話されてもいい様に動いていた。
ギルが大絶賛を送る。余程アシュレイの対応がお気に召したようだ。
流石だな。とは思ったが、私はそれよりも気になる事があった。
アシュレイ、君彼女と半分こしてお菓子を食べていたの?
私がその事を言うとアシュレイが半目になり、ギルが慌てていたが、私には三人令嬢よりもその事の方が気にかかる。何だがモヤッとする。
席に戻ると華やかな彼女の笑顔が目に入る。
そのまま引き寄せられるようにそばに行こうとすると、すっとアシュレイが間に入って、彼女の肩を抱く。テーブルに左手を置いて、完全に彼女に人を近づけないような体制だ。
仕方がないので、ミランダに声をかける。大丈夫だと言う彼女の声は、心なしか弾んでいるように聞こえる。
すると彼女が私を見た。
え、なに?
私は初めて彼女と視線が合った事に嬉しくて、声も出ず緊張していると、彼女はおもむろに自分の席を私に譲ろうとした。
えええ~、嘘でしょ?
いくら私が王族でも、レディファーストは存在するよ。ましてや最初から座っていた令嬢の席を奪ってまで座るなんて、紳士の風上にもおけない。
そんな奴だと私は思われているのだろうか?
地味にショックを覚えつつも「ロレン嬢は気遣いの出来る、優しい方なのですね」と褒めると「そうでもない」と返された。そして「そう見えるならそれはアシュのお蔭」だと言われた。
彼女の行為は、全てアシュレイに結びつくのかと言葉をなくしていると、子供の一人が突然、不吉な事を言った。
「アシュレイはファニリアス様がいなくなったら、一緒にいなくなりそうだね」
皆驚いてる中、アシュレイは何事もないように「間違っていない」と言う。
「妖精だろうか悪魔だろうが、ファニーと私を引き離すものは容赦しない。それが〔死〕だとしても、絶対に追いかける。私の全てをかけてファニーを一人にしないよ」
――ゾクリとした。
なんだ、その〔死〕とは。
引き離すものは容赦しない。というのは、まだ分かる。それほど彼女が好きなんだという事も。だけど〔死〕を追いかけるという事は、彼女が死ぬと自分も死ぬという事か?
そして、その言葉は嘘ではない。
何故だか分からないけれど、彼は本気だという事が分かる。それは狂気。
七歳にしてその狂気をはらんだ瞳で見つめられ、私は背中から汗が噴き出るのを感じた。
彼のそれほどまでの執着がどこからきているのが分からないが、彼と彼女を奪い合ってはいけないと本能で悟った。
だけどこれほどの執着を見せつけられた彼女が怯えるようなら私は……そう思ったが次の瞬間、彼女はアシュレイに身を任せている。
彼女の態度で狂気を隠したアシュレイは、皆に笑みを向け冗談にしてしまった。
まんまと騙された子供達はキャッキャッと騒いでいるが、私達は無邪気に笑えない。
アシュレイは普通の七歳児とは違うと、それは分かっていた。
ギルは自分が言い含められると思っていたに違いない。だから懐に入れて、可愛がろうとしていた。だけど無理だ。彼は自分の意に沿わない事があれば、簡単に牙をむく。むける事が出来る人間だ。
そしてその狂気は、一人の少女。ロレン嬢一人にむけられている。
私がごくりと唾を飲み込むと、従者が近づいてきた。そろそろ夜会に向けて衣装替えをしなくてはいけない。
私はホッとして、そそくさとその場を去る事にした。
正直言うと、もう少し彼女のそばにいたかった。けれど今日はもうアシュレイのそばにいる事が怖くて仕方がなかった。
未練たらしくチラチラと彼女を見てしまったのは、仕方がない。今度はいつ会えるのだろうか?
アシュレイと彼女を奪い合う気はない。けれど、彼女の姿を見るのは許してほしい。
近いうちに会えるといいなと思ってしまうの自分には、嘘は付けないから。




