ゴルフォネ
戦争がおきようとしていた? あの大国のゴルフォネと……? まさか、あの国とは友好国で、あの国自体もう五十年は戦争などしていなかったはず。それがどうしてあのタイミングで?
「……まさか、黒の魔女が、関連していた?」
俺の頭に黒い影がよぎる。
(分カラナイ。多分ソウダトハ思ウノダケレド……証拠ガナイ)
そんな……それじゃあ、ロレン侯爵は自分の娘が断罪され、処刑された事も知らなかったおそれがあるのか?
「うちは……ハワード家は俺が彼女を断罪した事を知っていたはず。そこから話は漏れなかったのか?」
(貴方ノ家ハ国ノ要。真ッ先ニ戦地ニ飛ンダワ)
「けれど俺は、両親に断罪された事を知られて、蔑まれたはず……」
(ソレハ貴方ノ願望デハ?)
「え?」
今ルミはなんて言った? 願望? いや、俺は確かにあの時、両親に絶望されて……。
(貴方ガ自分デ自分ノ行イノ罰ヲ、他ノ者ニ求メタ。ソレガ両親カラノ蔑ミノ表情。自分ノ親ハマトモダッタト、思イタカッタノカモ、シレナイワネ)
「そうなのか? ではあの時俺はもう、おかしくなっていたという事か?」
(アノ状態デ正常ナ者ハ、イナカッタデショウネ。黒ノ魔女ヲ除イテハ)
……そうか、そういう事か。あの世界はもう壊れていたんだ。
黒の魔女しか正常ではない、いや、元々黒の魔女の思考は正常ではないのだから、壊れた世界だったんだ。
子供は彼女の断罪で浮かれ、大人は戦争をおこす。狂っているとしかいえない世界。
「なるほど。では前回にあったものは遠慮なくぶっ潰せるという事だな」
(アシュ……)
俺がニヤリと笑うと、ルミはいたたまれない表情で俺を見る。
「大丈夫。自棄で言っているわけではないよ。俺にとってファニーの幸せが全てだけれど、その所為で本来正常に働くものを壊すのは、流石に気が引けていた。けれど狂った世界だったのなら、新たに作り直しても問題はないよな。そう思えると俺も自由に動けるんだと、自由にしていいんだと思えたんだ。ごめん。勝手な言い分だよな」
苦笑する俺に、ルミは初めて笑顔を見せた。
(ソンナ事ナイ。アシュモ自由ニシテイインダヨ。ファニーモ貴方モ、幸セニナル権利ハアルノダカラ。チャント二人デ幸セニナッテ)
「ありがとう」
ルミがいてくれて良かった。心の底からそう思える。
さあて、俺は確実に未来を変える方向で動くとしますか。
ルミの鼻がヒクヒクしている。可愛い。
「ファニリアス様、そろそろお眠りにならなくては」
「うん、このページだけ読んでしまうわ」
侍女のミナが私を寝かしつけようと、寝台に招く。
私は勉強の合間に、ルミの様子を見ていたから、キリのいいところまでしてしまうとミナに伝える。
猫のルミはぐっすり寝ているらしく、鼻がヒクヒクしているのがとっても可愛らしかったのだ。
癒しをもらった私はもうひと頑張りするぞと、気合を入れる。
「ファニリアス様、余り根を詰めすぎないように」
ミナが心配してくれる。
「ありがとう、嬉しいけれど、少しでも早くアシュの婚約者として、恥ずかしくないようになりたいの。その為なら少しぐらいは無理しても平気。アシュも私の為に日々頑張ってくれているのだから」
ニコリと笑うと、ミナは頬に手を添えてホウッと吐息を吐く。
「本当にアシュレイ様のお心には感服いたします。婚約を申し込まれて以来、毎日の花は欠かさず、ファニリアス様への好意を一切隠さない態度は、本当に七歳とはいえ流石に公爵令息と、侍女の間では憧れの存在です。我らのお嬢様の伴侶として申し分ないお方ですわ」
「な・何言っているの? 申し分ないどころが、私には過分すぎるお方だわ。だけどアシュが私を望んでくれるのなら、その期待に添えたいと思うのは当然の事でしょう。アシュの隣に立っても恥ずかしくないようになりたいの。アシュは毎日私の為に頑張ってくれているわ。だから私も頑張りたいの。いいでしょう?」
ミナは産まれた時から私についてくれている、お姉様的存在だ。そんなミナにアシュを褒められると何だがムズ痒い。けれど同時に嬉しくもある。ミナにも私が頑張る事を応援してほしいと言うと、ミナは仕方がないですねと言わんばかりに肩をすくめる。
「何事もほどほどですよ。無理はいけません。アシュレイ様にもファニリアス様から窘めて下さるといいのですが」
私を窘めるついでとばかりに、アシュの心配もしてくれる。やっぱり私には頼もしいお姉様だ。けれど私は苦笑する。
「それは無理ね。アシュは意外と頑固よ」
「似た者同士ですね」
私が出来ないと言うとミナがそんな事を言う。
思わずムウッと顔を赤くすると、ミナは笑って「では私は失礼しますね。おやすみなさい」と言って部屋を出て行った。
意外と皆、私とアシュは似ていると言う。そうなのかな? そうだといいな。
アシュの誠実さも優しさも逞しさも、私にとったら全部が好ましい。そんなアシュに少しでも近づけたら嬉しい。
私はアシュの顔を思い出し、一人ニヨニヨとしてしまう。こんな風にアシュを思いだすと私の心はポカポカと温かくなる。ああ、駄目だわ。本に集中しなければ、いつまでたっても終われない。
私はアシュの顔を思い浮かべないように、必死で頭を振りながら本と向き合う夜を過ごすのだった。
「今から俺を師匠と呼べ」
マッドンが良い笑みでそんな事を言うのを、俺は冷めた目で見ていた。
別に構わない。師匠だろうが大将だろうがボスだろうが、そんなのは全然どうでもいい事だ。ご希望ならば叔父様とも呼んでやる。
結局なんともあっさりと、マッドンは俺の稽古をつけてくれる事になった。
マッドンと最初に会った日から一週間後、俺はマッドンをハワード家に呼び出した。
理由は簡単、これから師事を仰ぐとなるとこちらには出向いてもらわなくてはいけなくなるし、ファニーのいるロレン家では込み入った話をするわけにもいかない。ファニーには少しの心細さも味あわせたくないから。
そうしてやって来たマッドンは、いきなりハワード家執事のマイロフに押さえつけられていた。
何があった、お前達? いくらマッドンが無礼者だろうが、マイロフは執事の中の執事。キングオブ執事だ。少々の事で来客を押さえつけるようなマネはしない。うん、しないと信じている。
そうしてマッドンはマイロフに押さえつけられながらも、実にいい笑顔でいる。なんだがシュールだ。
「えっと、とりあえずマイロフ、彼を離してくれるかい? 昨日話したマッドン・パッカーニ様だ」
「はい、存じ上げております」
え? 知っていて押さえつけてるの? それってどういう事?
「ハハハハハ、流石天下のハワード家。執事がこのレベルとは。過ごしやすそうだ。アシュレイ、俺の条件は住み込みだ。この家に置いてくれるのなら、鍛えてやってもいい」
「……………………」
もしかして、ってもしかしなくても、いきなりマイロフに挑んだのか? それでマイロフは軽くいなしたと。二人の姿を見ながら俺は、軽く頭痛がするのをおさえた。
マイロフはまだ、マッドンを押さえつけたままだ。
「アシュレイ様、この方を師と仰ぐおつもりで?」
「反対か?」
ちらりと俺を見るマイロフに、俺は素直な意見を求める。
この家で住むとなるとマイロフには否応なしに迷惑をかける。そして確かな腕の持ち主のマイロフから見たこの男は、使いものになるかどうか、意見を聞いてみたかった。
「いえ、大変よろしいのではないかと」
! まさかの高評価。この一瞬でお互いの力が見極められたのか?
「そうか。よろしくな、おっさん」
マッドンは押さえつけられながらも、マイロフに握手を求めようとする。
「旦那様がお認めになられたなら、その時に……」
マイロフは主人である父が認めた後で、握手に応じると言ってのけた。けれど押さえつけるのはやめない。
「ちなみに、マイロフは三十代ですよ」
「へぁ?」
マッドンは床に倒れながらも、奇妙な声を発した。
まあ、七歳の俺から見たら、二十代中半も三十代中半もおっさんには違いないけれどな。ハハハハハ、中身二十代が失礼しました。
その日の夕方、ロレン家にマッドンとの雇用契約が成立したとの話をしにいった俺に、夫人はありがたがりファニーは複雑な顔をしていた。
当分、ファニーの中でのマッドンの好感度は低いだろうな。




