後悔
ハニーブラウンのフワフワ巻き毛に菫色の瞳。俺の大好きな色。
一目惚れなんて信じなかった俺の横面を、張り飛ばしたかのような衝撃が心地よかったあの日を、どうして俺は忘れてしまったのだろう。
今俺は目の前の光景をニヤニヤと眺めている。
彼女や王子が言う言葉がどうしても信じられなくて、夢中で証拠集めに走り回った。
だけど証拠は何一つ出てこなくて、それどころか次から次へと証人が出てくる始末。彼女の親友までが、彼女の罪を露わにする。
――皆が嘘をついている。
彼女はそんな事をする人じゃない。分かっているのに、何故か体が動かない。声が出ない。
俺が出来る事は、彼女を冷たい瞳で一瞥する事だけ。
やめろ、やめろ、皆やめろ、俺もやめろ、彼女をそんな目で見るな、見たくない、やめてくれ!
ボロボロの姿で処刑台に連れてこられたのは、俺の最愛の人。
明るいお日様のようなフワフワの髪は、肩口まで残バラに切られ、汚れたボロのような薄い布は、元はワンピースだったのかもしれないが今はその姿もなく、申し訳程度に体に巻き付いているだけ。
女性らしい豊満な体は見る影もなく骨と皮だけになり、白いきめ細やかな肌は殴られ蹴られたのだろう。赤や青、緑にと変色し、あきらかに女性としての暴行も受けたであろう跡も見てとれる。
俺の大好きだった大きな菫色の瞳は、目があかないほど晴れ上がり、鼻も歪んでいる。口は閉じているが、舌を引っこ抜かれたと聞いた。
そうして彼女は、ギロチン台に首を差し出す。
ああ、神様。彼女はそんなに酷い事をしたのでしょうか。こんな姿の彼女を目の当たりにしてまでも、どうして俺の体はピクリとも動かないのでしょうか。
俺は笑っている。彼女を貶めた者達と同じ場所で彼女を蔑みながら、笑っている。
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
刃は真っすぐに彼女の首に落ちる。
その瞬間、あかないはずの彼女の瞳が俺を見る。ニコリと笑ったその顔は、初めて会った時の優しい顔で………………。
俺は咄嗟に彼女のそばまで走り寄る。周りが止めるのも聞かずに台の上に上がり、転がった彼女の首を抱きしめる。そして腰に差していた自身の剣で心臓を一突き。
周囲は騒然となる。ああ、どうして彼女の死には動じないのに俺ごときの死で騒ぐのだ。
守ってあげられなかった。そばにいてやれなかった。こんな酷い目にあっていたのに、俺は彼女を貶めた者達と笑っていたのだ。
心は悲鳴を上げていたのに……だけどそんなのは言い訳だ。俺は彼女に何もしてあげられなかった。
だからせめて一人では逝かせない。俺も一緒に逝くよ。これからはずっと一緒だ。
遺体は別々にされるかもしれない。だけど、魂だけはずっとそばに。
俺の大切なファニー、君のそばに…………。
どこだ、ここは……?
見慣れた天井だ。俺の部屋。ああ、俺は助かってしまったのか。
俺一人だけが悪夢に取り残された。
俺は自分の部屋の寝台で目が覚める。
俺の手には彼女の首の感触がまだ鮮明に残っている。まだ温かいそれは……え?
なんだ、この小さなプニプニの手は……んんん?
ちょっとまて!
俺の傷跡は……全くない。というか何なのだ、この腹は? フニフニのプヨプヨ。俺の筋肉どこいった?
そこで俺はようやく寝台から起きだして、全身が映る鏡の前に走り寄った。
そこに映っているのは、幼い俺。七・八歳といったところか。
愕然とする。どういう事だ、これは?
トン、トン、トン。ガチャ。
「アシュレイ様、朝でございますよ。あら、起きてらしたのですか?」
ノックとともに扉を開けたのは、俺付きの侍女キャメルだ。
「おはようございます。朝のご用意をさせていただきますね」
ん? キャメルが何だか……若い。いや、まて、まて。これはどう見ても俺と同じ年くらいじゃないのか?
「どうしたのですか、アシュレイ様。そんなにじっと見て。私の顔に何かついてます?」
「……キャメルが……若い」
「何を仰っているのですか。私は元々から若いですよ。寝ぼけてらっしゃるのですか?」
俺の言葉にキャメルは怒る。
確かに俺がこの姿のままの七・八歳なら、キャメルも十七・八歳くらいか。
俺は混乱する頭を抱えながら、出された服に着替える。
「? なんで正装?」
「お忘れですか。今日はお城でのお茶会がある日ですよ。初めて王子様に会える日です。フフ、楽しみですね」
「!」
――お城でのお茶会。
確か第一王子ランバース・ダンバの初めてのお茶会。
同じ年頃の貴族の少年少女が出席する、王子の婚約者と友人候補をつくるために集められた催しだ。
今からそこに行くというのか?
「おはよう、アシュ。今日は一段と凛々しい事」
「おはよう。うん、これなら王子の隣に立っても問題はないな」
動かぬ俺の手を引いてキャメルに連れていかれたその先は食堂で、父上と母上が席についていた。この時は妹はまだ赤子だったか。
呆然とする俺は、挨拶を交わしながら今日のお茶会には母も同席する旨を伝えられた。
父上も母上も若いなあ。
しかし、という事は俺は七歳。王子は八歳。この場で俺は王子と友人になるはずだ。
そして忘れもしない最愛の少女……ファニリアス・ロレン侯爵令嬢。彼女に初めて会ったのもこの日だった。
そう、彼女に一目惚れした王子がその場で婚約を申し込んだのも、この日だったのだ。
落ち着け、俺。どうして七歳のこの日に戻っているのか分からないが、そんな事はどうでもいい。もう二度と彼女を失う事など、出来るはずがない。
どうすればあのような悲劇をおこさないですむ? 彼女を守るためにはどう動けばいい?
考えろ、最善の方法を考えるんだ。
俺がうんうんと唸っている間にも馬車は城内に到着し、俺は城の侍女に先導されながら会場である城のバラ園に到着した。
席に着く淑女の中、まだ年端も行かぬ子供達は各々自由にしているようだ。
母の横でおとなしく座っている者。友人をつくろうと声をかけている者。机の上に並ぶお菓子に目を奪われている者と、それぞれだ。
ん? 日の光に当たってキラキラ輝く、あのハニーブラウンは……。
俺は一目散に駆け寄る。間違えるはずがない。何度も何度も目で追っていた。王子の婚約者になった後も、王子に彼女とキスをしたと教えられた日も、忘れずにしつこく目で追い続けたあのフワフワの巻き毛。小さい頃はごわごわでまとまりがつかなくて嫌だったと本人は言っていたが、そんな髪に手を伸ばしたくて何度も何度も己を叱咤した俺の憧れの髪。心のまま手を伸ばす。彼女が振り向いた。俺の大好きな菫色の瞳。
「愛しています。私と結婚して下さい!」
………………。
バラ園は、鳥の鳴き声だけが聞こえる静寂に包まれた。