039 有名
俺は「残花の雫」を使わなかった。
おそらく会場にいる全ての人が、「残花の雫」を予想し期待していたと思う。FPS熟練者にとっては、当たり前の戦術なのだ。カナさんもその一人。
だから俺は、その経験値を利用したのだ。
あのタイミング、カナさんは「桜吹雪」に対して、いつも通りの対応をしたのだと思う。技のキャンセルだって結構な技術がいると思うのだが、カナさんにはその自信があったのだろう。だからこそ、ギリギリの戦いでも安全策を選択しなかった。
―――カウンターするには絶好の攻撃。
俺は基本に立ち返ったのだ。俺ができるのは「カウンター」のみ。技の駆け引きなんてできない。最後の最後で、俺はカナさんを自分の土俵に引き込んだのだ。
「ありがとうございました。」
「あ…ありがとうございました。」
カナさんと握手。聞こえるかどうかギリギリの声で、「次は負けないから」と言われた。格好よく「受けて立ちます」とか、「次も負けません」とか言えればよかったのだが、俺にその才はなかった。
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『それでは表彰式にうつります。』
どこに飾ろうかと悩んでしまうほど、巨大なトロフィーをいただいた。賞金は、後日振り込まれるそう。突然大金を手にして、日本代表となったわけだが、全く実感がわかない。優勝者インタビューは何とか乗り切ったが、こう、地に足がついていないような感覚。
表彰式は無事に終了したが、この後、公式の動画撮影があるそうだ。撮影開始まではしばらくある。控室にいてもやることはないので、俊のいる観客席に向かうことにした。
「大樹!おめでとう!」
俊だ。しかし、今、その声の大きさで名前を呼ばれると…。
「あ!ダイキ先生だ!サインください!」
「あの、写真撮影を…。」
「握手してください!」
「あぁ…押さないでください…。」
ほら、こうなる。まあ、嬉しいのだけど。悠美さんの件があったので、俊に隠れてサインの練習をしておいたのだ。優勝できなかったら、墓場まで持っていく秘密にしようと思っていたが、日の目みたので何より。
さすがに全員対応するわけにはいかないので、俊に助けてサインを送った。




