5.毛布の中の日曜日
毛布の中の日曜日
あったかいTシャツのにおいと
ほっぺたに当たる感触
くすぐったいよ
まだセピア色の映画を見ていたいのに
部屋の外は雪混じりの雨
うるんで見えるツタの壁
ミルクティがおいしい一日
何もしてないね
ずっといっしょにいるだけ
あ、目が合ったね
寒いよね
入っておいで
お風呂とミルクをあげるよ
だいじょうぶ
また猫が増えたなんて
笑ってるけど、やさしいから
夢は別の夢を呼び起こすのか、夢のように満ち足りた何もすることのない一日を史織は想い出していた。
前の晩から彼の部屋で飲んでいて、そのまま泊まってしまった。もうお昼近いというのに部屋が寒いと言って、毛布にくるまったまま史織は猫になってじゃれついていた。
他愛もないことだけれど、それを想い出すだけで少し幸せな気分になる。やっぱりあれが初めての恋だったんだと思う。
テレビがついていた。とても古い映画をやっていて途中から見るようになったから題名もわからない。
史織はあまり映画を見ない。映画館は苦手で、空気が悪いせいなのか頭が痛くなってしまう。
友だちとしゃべっていても話題に全然ついていけない。ヴィデオを借りてくるのもほとんどしない。
見ること自体は嫌いではないが、本屋に行くのと同じような意味での習慣というものがないせいだろう。会社からの帰りに何か買いたい本がなくても、お気に入りの本屋に立ち寄って例えば美術書のコーナーにいるだけで、気持ちがなごんでくる。
レンタル・ヴィデオ屋ではそうはいかない。目当てのDVDをできるだけ早く見つけて、早く出たい。いつも追い立てられるような気分だ。
彼は映画をよく見ていたようだった。しかし、史織といっしょに見ようとすることはあまりなかった。
映画館が苦手なのを知っていたせいかもしれない。ただどうも自分が好きな映画が史織向きではないと決めて掛かっていたようなところがあった。
アクション物やSFといったジャンルだが、史織にしてみればラヴ・ストーリーより見やすいように思ってはいた。しかし、それをわざわざ自分から言ったりはしなかった。
古い映画と言うと「ローマの休日」しか見たことがないような気がする。もちろんおもしろかったし、ヘプバーンはきれいだったし、最後はホロリとしてしまったけれど、友だちが言うように「あれ以上の映画はない」とまでは思わなかった。
なんだか変な言い方になるが、自分は恋愛が好きではないのかもしれないと思った。恋をすれば幸せだし、恋をしていなければしたいなと思うけれど、それを映画やドラマや小説で味わうような(なんと言うか)傾向がない。
そう言えばテレビのドラマもほとんど見ない。恋愛小説に限らず小説はほとんど読まない。そんな話を友だちとしていたら、絶句されてしまった。
「あたしは女の子らしくないのよ」
「そんなこともないけど。……勉強不足じゃない?」
「勉強?」
「映画とかドラマって恋愛参考書じゃない? ある意味」
「ああ」
「ああって」
「……駆け引きとか、仕草とか?」
「そうそう」
「不器用ですから。自分」
つまらないギャグを飛ばしてますます呆れられてしまった。
その映画はラヴ・ストーリーではなく、貧しい家の父親と息子の話のようだった。話の筋よりも家の中の様子や登場人物の着ている服がとてもなつかしいように思えた。
ぬかるんだ田舎道を親子が自転車を押しながら歩いて行く。その向こうに抜けるような青空が見える。モノクロ映画なのに、それだけにこの青空を見ていたいと思う。……
「こら、やめなさい」
彼が後ろから耳たぶを噛む。さっき胸の上に頭を乗せてわき腹をくすぐったときは嫌がったくせに。
「わん」
「ふぎゃ」
舌を入れてくるのは反則だと思う。体を丸めて逃げるしかない。
rain cats and dogs というのは土砂降りのことだと高校の英語の授業で習ったけれど、なんだかわかるような気がする。ひっくり返って見た掃き出しの窓にはさっき見たときと違って、シャーベットのような雨の筋が見えた。
「あ、雪だよ。ほら、窓」
「わん?」
「ね?……初雪だよ」
鉛色の空を見上げる。彼も体を離して雨混じりの雪を数えるような目をする。四国出身の彼にはこの時期の雪はめずらしいのかもしれない。
もっとされたい気持ちがないわけじゃないけれど、照れずに抱かれていくにはやっぱり勉強不足だったのだろう。
「お茶でもいれようか?」
「あたしがいれるよ」
「いいって」
キッチンにすたすた歩いて行く。のんびりした性格のわりには台所仕事はマメにする。母親が料理が得意な父親のことを「作ってくれるのもいいけど、片付けしてくれる方がいいのよね」とよく言っていた。
確かに一人暮らししてみると片付ける方が作るより何倍も面倒に感じる。彼がちょっとした合間に食器を洗ってしまうのには感心する。
「コーヒー? 紅茶?」
「紅茶がいいな」
キッチンとの間で言葉のやり取りをする。電子レンジの音がする。ミルクを温めてくれているのだろう。
史織が必ずミルクティで飲むのもわかっている。マグカップを二つ持って現れる。
「ありがと」
「なんかあった方がいい?」
「ケーキとかあるの?」
ないのはわかっていて訊く。
「それはないけど……塩辛とか」
相変わらず冷蔵庫は空っぽらしい。昨日の夜に食べた寄せ鍋も豆腐くらいしか残っていない。
「これ飲んだら、なんか食べに行く?」
「お腹空いた?」
「ちょっとね」
彼がちょっとねと言う時はかなり空いていると思った方がよくて、史織の倍近く食べてしまう。
その手前に「ふつう」というのがあって、それだと史織が腹ペコの時とちょうどペースが合う。落ち着かない気持ちになって言う。
「じゃあ、出掛けようか」
何気なく窓の外を見ると黒い猫がしょんぼり座っていた。まだ子猫なのか、骨張った小さい体を震わせている。
雨のしずくが揺れる。思わず窓を開けて抱き上げる。
「かわいそう。冷えてる」
「いつからいたんだろう」
「シャワー借りるね」
「うん。猫用のミルク買ってくるよ」
「お願い」
野良猫を拾ったりして面倒だというふうは全くなかった。袖をまくって逃げようとする猫を抑えながら彼のやさしさを感じた。
拾った後のことまで気が回らないだけなのかもしれないけれど、それもやさしさという言葉に含めてしまっていいように思える。
なんだか切ないような気分になって、「寒かったでしょう? もうだいじょうぶだから」としきりに子猫に語りかけた。