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37.さよなら

 最初に異変に気づいたのは、友五郎とともに前を歩いていた菫だった。


「和木、友五郎さん、大ちゃんが――!」


 悲鳴に近い叫びに、和木と志徒子は、菫たちの立つ品川神社入口の大鳥居の前へと駆けよった。


 和木は菫の指さす方向へと目をやった。鳥居の向こう、本殿の参道へとのぼる階段の中ほどの踊り場に、一人の男がうつぶせに倒れていた。


 和木は思わず息をのみ、次の瞬間叫んでいた。


「大!」


 カーキのコートに、ニットキャップ。袖から出た白い腕――。


 見紛うことない、ついさっき高架で別れたばかりの姿が、そこにあった。


「原どの!」弾かれたように友五郎が階段を駆けのぼった。


 だが、友五郎が大のもとにしゃがみ込もうとする寸前、和木はその場にありえないはずのものを目にとらえていた。


 それは一本の棒だった。コートの裾から、大の持っているはずのない、白木の棒の一端がはみ出ていた。


「さがれ! 友五郎!」声の限りに和木は叫んだ。


 直後、寸刻の間にいくつものことが起こった。


 友五郎が後ろに跳び退るのと同時に、大のコートがふわりと宙に舞い、その下で銀色の何ものかが、弧を描いて一閃した。


「友五郎さん!」菫がひときわ大きな声で叫んだ。


 踊り場に、二人の男が剣を正眼に構え立っていた。


 一人は友五郎。もう一人は黒いジーンズに革ジャンを着た、白面に長身の男だった。


 男は柄から左手をはなすと、被っていたニットキャップを脱ぎ捨てた。


 あざやかな赤毛が、肩から背に滑り落ちた。


 弾正だ。和木はつぶやく。


 幾度となく友五郎の口から聞かされていた殺人鬼、服部弾正景直の実物が、目の前に立っているのだ。


 弾正は片手で刀を構えたまま、もう一方の手でポケットに手を入れると、黒光りする物体をとりだし、友五郎の方へと向けた。


 その物体が何かを悟った和木は、慄然とした。


 拳銃だった。


「これが何だか、わかるか?」想像していたよりもずっと柔らかな、優しげな声で、弾正が言った。


「この世界の短筒だ。軽くて、火縄も必要ない。太刀など合わせなくとも、引金を一寸ばかり引くだけで、うぬを簡単に殺すことができる」


「原どのはどこへやった」弾正の言葉を無視し、友五郎は言った。


「あの砂をかぶったような頭をした小僧か? 心配するな。あれなら少しばかり離れたところに縛って転がしてある。後で持って帰るためにな。そんなことよりも寺田とやら。今はうぬが命のことを気にかけるべきときではないのか?」そう言って弾正は嗤った。


 だが友五郎はひるまなかった。銃を突きつけられたまま、ぐい、と足を一歩前へ進めると、


「侮るな。撃てるものなら撃ってみよ。百日前のそれがしとは違う。引金を引き終えるより先に、貴様の腕ごと斬り落としてみせよう」


 しばしの睨み合いがあった。


 残された和木たち三人は、緊張に金縛りになったようにただそれを見守る。


 やがて弾正はふっと息を吐くと、銃をポケットに戻し、言った。


「よかろう。少しはできるようになったようだな。うぬの望み通り、剣にてその命、奪ってやろう」


 最初の斬撃は右からやってきた。


 友五郎は受けずに飛び退き、紙一重でそれをかわすと、より広い間合いを確保するため、残りの階段を一気に参道へと駆けのぼった。


 友五郎は昨夜の鍛錬で、弾正との闘いにわずかながらの勝機をみいだしていた。


 一つ目は間合いだ。


 友五郎の太刀が二尺五寸の刀身を持つのに対し、仕込み杖としてつくられた弾正の抜き身は、二尺たらずの刀身しか持たない。よって斬り込むときには、弾正のほうが、友五郎より近い間合いを必要とする。


 友五郎にとって、これは救いだ。弾正の斬撃を受けるということはつまり、奴の間合いに入るということになる。間合いに入れば、奴は容赦なく二の太刀、三の太刀を打ち込んでくるだろう。そうなれば素速さにおいて劣勢である友五郎は、たちまち窮地に立たされることになる。


 これを回避するための、五寸の差だ。友五郎は弾正の太刀を受けるのではなく、常に後ろに跳び退ることによって、奴の間合いから出ることができる。見た目は卑怯なようだが、これは弾正と相対峙するにあたって、今の友五郎には大きな助けとなる戦法だった。


 もう一つの勝機は、弾正の「癖」だ。


 百日前のあの夜、弾正に遮二無二打ち込んでいくさなか、友五郎は奴の姿の中に、一つの特徴的なしぐさを見ていた。


 それは、嗤いだ。


 弾正は飛び込んでくる友五郎の前で、明らかな嗤笑を浮かべていた。


 昨夜までは、それは友五郎の剣の未熟さに対しての弾正からの嘲りであると思っていた。


 だがその後、ふと弾正の幻影に目をやったとき、友五郎は自らの考えに疑問を持った。


 奴の嗤いは、嘲りではなく喜悦のあらわれなのではないだろうか。


 弾正は、生まれながらの嗜虐性を持った男だ。剣においても、勝負に勝つことよりも、敵を殺すことそのものに対して、悦びを感じていると考えたほうが好適なのではないか。


 もしこの予測が当たっているならば、友五郎は大きな利を得ることとなる。


 いくら間合いの差を利用して逃げ回っていても、いつかは奴に追いつかれ、太刀を受けねばならぬときがやってくる。


 そのとき、弾正が一撃を発する瞬間を見きわめることが可能ならば、奴の剣を受け、捌ける確率もぐっと増すことになる。


 はたして友五郎の予測は的中していた。


 友五郎を追って参道へと駆けのぼった弾正は、相手のほうから打って出る気がないのを素早くみてとると、あの恐ろしいほどの身のこなしと太刀さばきでもって、猛烈な勢いで打ち込んできた。


 友五郎は全神経を集中させ、斬撃の到来のたびに後ろに跳び、ときに弾正の嗤笑を見ては剣を受け、また後ろに退く、という動きをくりかえした。


 どれほどこの立ち回りをくりかえしただろうか。


 さしもの弾正にも焦りが生じたか、かすかにだが、剣に乱れが生じてきた。


 それにともない、目の慣れもあいまって、友五郎は弾正の剣を前よりもたやすく受けることができるようになっていった。


 いよいよだ。このままいけば、必ずこちらに好機が訪れる。


 あるときは間合いから退き、あるときは斬撃を受け、捌きつつ、友五郎は確信しはじめていた。


 友五郎、弾正に続いて和木らが階段を駆けのぼったとき、参道ではすでに剣戟がはじまっていた。


 せいぜいが、たまたまつけたテレビで国体の剣道試合を観たことがある程度の和木にとって、二人の打ち合いは未知の世界だった。


 参道に灯る蛍光灯の下、恐ろしいほどの速度で、二人の男とその剣が舞っていた。


 前方、そして左に右にと、身体を滑らせるように攻める弾正。それに対し、常に弾正の一閃とは反対方向に跳ぶようにしてさがる友五郎。


 ときに剣と剣がぶつかり合い、離れ、また同様の動きがくりかえされる。


 しばしの間、唖然として立ちつくしていた和木は、ようやく我にかえると、隣で弓をかかえている志徒子に叫んだ。


「志徒子! 援護しろ!」


「無理よ!」和木に劣らぬ声で志徒子が叫んだ。「動きが速すぎて、とても狙いをつけられないわ!」


 何もできず、じりじりと見守るだけの時間が三人の間に流れる。もちろんその間も、友五郎と弾正は休むことなく動いている。


 が、徐々にだが二人の動きに変化が生まれつつあるのを、和木は感じとりはじめていた。


 弾正の動きが、ごくわずかだが、乱れてきている。


 一つ一つの動きが大振りで、スピードも落ちてきているのだ。それにあわせてか、友五郎も退く割合よりも、剣を受ける割合のほうが増えてきているように見えた。


 弾正は疲れ、苛立ってきている。


 このままいけば、友五郎独りで勝負をつけることも可能になるのではないだろうか。


 そんな期待を和木がいだきはじめたとき、形勢が変わった。


 突然、弾正が地面すれすれにまで腰を落とすと、左手を柄から離し、右手一本でもって、剣を横一直線に薙ぎはらった。


 それまでの間合いを大きく越えて、しかも膝下という低い高さで振られた剣の切っ先が、立っていた友五郎の脚をかすめた。


 袴が切り裂かれ、右臑から鮮血がほとばしる。


 友五郎が大きな叫びを上げ、どうと地面に仰向けに倒れた。


 悶絶する友五郎の足下で、ゆっくりと弾正が腰をあげる。


 その顔は愉悦に満ちていた。


「志徒子!」弓――と言おうとして、和木は口を噤んだ。


 いつの間にか弾正の左手には、さっきポケットにしまったはずの拳銃が握られていた。


「動くな、女」不気味なほど柔らかい声で、弾正が言った。


「弓を構えたが最後、この引金を引くぞ」


 奴は本気だ。和木は思った。志徒子もすぐにそれを悟ったのだろう。ぶるり、と全身を震わす気配が、和木の隣から伝わってきた。


 弾正は志徒子に銃口を向けたまま、未だ倒れたままで呻き苦しんでいる友五郎に目をやった。


「どうやら勝負がついたらしいではないか。寺田とやら。うぬにはあと何度か、痛い思いを味わってから、死んでもらうこととしよう」


 そう言って、右手でゆっくりと刀を振り上げた。


「まず、脚を一本もらい受ける」


 そのときだった。いきなり石礫が弾正の肩を叩いた。


 菫だった。菫が地面にかがみ込み、石をひろっては弾正に次々と投げつけていた。


「女! 貴様!」憤怒の表情とともに弾正が菫へと銃口を変えた瞬間、和木は地面を蹴って、飛び出していた。


 一直線に走り、ジャンプしながら弾正の両脚に飛びついた。


 押し倒された弾正の手から、拳銃が滑り落ちた。


「拾って! 和木!」すかさず志徒子の声が響いた。


 和木は反射的に拳銃に向けて手をのばす。


 だが遅かった。拳銃を手にしたのは、弾正だった。


 ほんのわずかの差で弾正は銃をつかみ取ると、鬼のような形相で立ちあがろうとした。


 そのとき再び志徒子の声が飛んだ。


「和木! 撃って! あいつの顔に!」


 逡巡する間などなかった。和木は地面に転がったままポケットから水鉄砲を引き抜くと、立ちあがった弾正の顔めがけてそれを発射した。


 直後、予想外のことが起こった。


「おおおおおおおおっ!」


 熊のような野太い叫びをあげて、弾正が両の眼を革ジャンの袖でおおっていた。


「小僧っ! おのれぇい!」なおも叫び声をあげつつ、弾正はめくらめっぽうに刀を振り回した。


 和木は慌てて飛び退き、立ち上がると、友五郎の腕を引き、立たせつつ、大声で志徒子に訊いた。


「おい! この水鉄砲、何が入ってるんだ!」


「タバスコよ!」志徒子が答えた。「こぼさずに一瓶全部入れるの、大変だったんだから!」


 友五郎は和木の肩から離れ、自分の脚でしっかりと立つと、未だ狂ったように剣を振り回す弾正に向かっていき、一太刀、二太刀と峰打ちを浴びせ、あっさりと拳銃と仕込み杖をはたき落としてしまった。


 友五郎は拳銃を残し、仕込み杖だけを手にとると、また一太刀、弾正の身体に浴びせ、簡単に足下にのしてしまった。


 歓声が和木たち全員からあがった。


 ぐったりと倒れた弾正を踏みつけにしたまま、振り向いた友五郎が和木に口を開きかけた、そのときだった。


 友五郎の胸で、異様な光が輝きはじめた。


 電流がスパークするような音を響かせつつ、稲妻のような軌跡を四方八方へと発しながら、たちまちのうちに参道を真昼のように照らし出していった。


 和木は眼を掌でおおいながら、ぐんぐんと光量を増していく中心を見た。


 笑顔がみえた。


 真っ白な光の中心で、友五郎が、満面の笑みを皆に送っていた。


「友五郎!」声の限りに和木は叫んだ。


 いよいよ増していく光と音の中心で、友五郎は深々と頭を下げると、和木に向かって、何かを言った。


 聞こえなかった。だが唇の動きが、和木の頭に一つの言葉を形づくった。


 ――さようなら。


 ひときわ大きな光芒が放たれ、光が繭のように友五郎と弾正を包み込んだ。


 次の瞬間、爆発音とともに、光は中心の一点に向かって吸い込まれるように収縮すると、暗転、消失した。


 周囲にすさまじい突風が巻き起こり、参道の落ち葉と和木たちの髪を舞いあげた。


 そして静寂がやってきた。

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