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24.夏の終わり

 八月。高丘家にも盆がやってきた。


 父の初盆だというのに、来客は少なかった。来たのは原書店から大の両親と、あとは叔父――父の弟と、その奥さんだけだった。和木は菫とともに、素性説明が面倒な友五郎を二階に上げ、客たちの相手をした。


 十五日には例年と同じく、高丘家檀寺の住職がやって来た。いつもの部屋着、つまりこちらの世界で買った軽装で構わないと、和木と菫二人して言ったにもかかわらず、友五郎はどうしても自前の着物と袴を身に付け、同席するといって譲らなかった。


 当日、住職は奥の間に入った途端、手前に控えている友五郎の姿に、しばし驚いたような様子をみせた。が、さすがは都会の寺の住職。そこは物慣れたもので、すぐにいつもの温厚な表情に戻り、


「これはまた、古風ないでたちの方がいらっしゃいますな。よくお似合いですよ」と、そつなく友五郎のことを褒めると、もうそれ以上の言及はせず、さっそく仏壇の前に座り、読経へと取りかかった。


 和木は皆とともに正座し、和尚のつるりとした後頭部を眺めつつ、死んだ父について久しぶりに思いふけった。


 あれは二月頃だったろうか。父が死ぬ間際、一度病院に志徒子が見舞に訪れたことがあった。


 すでに末期で意識も朦朧とし、喋ることもままならぬ父と、志徒子の面会に、当然ながら会話らしい会話が成立するはずもなかった。


 花束を置き、型どおりの「お見舞」を終えて病院を出た志徒子は、帰る道すがら、和木にこう言った。


「もしお父さまが亡くなったとしたら、きっと和木は後からずいぶん後悔することになるわね」


 聞いたとき、和木はその言葉の意味がわからなかった。


「悲しむ」というのならばわかる。だが「後悔する」というのはどういう意味なのだろう。訊ねても志徒子は「そのうちわかるわよ」とはぐらかすばかりで、一向具体的なことを言おうとしない。しまいに和木は腹を立て、訊くのを止めてしまった。


 それからまもなくして、父は死んだ。


 葬儀のとき、和木は涙を流さなかった。悲しみよりむしろ、葬儀にまつわる慌ただしさと、これで闘病とのつきあいから解放されるという安堵ばかりを感じていた。


 これには和木自身も少なからず驚いた。いくらなんでも、反応が冷たすぎる。


 和木は生前の父の冷淡さを嫌っていた。だが自分の今のこの態度はどうだ。まさに父そっくりではないか。もしかするとそんな部分ばかり遺伝してしまったかと思い、和木は暗い気持ちになった。


 最初和木は、もしかしてこの悩みが志徒子の言った「後悔」なのだろうかと思った。


 だが違った。本当の「後悔」らしきものは、その後にやってきた。


 ちょうど姉の情緒不安定が強くなりはじめた頃からだろうか。和木はときおり、妙な記憶を思い出すようになった。


 それはこんな内容だ。


 時刻は夜らしい。蛍光灯の点いた玄関先で、幼い自分と、父とが向かい合っている。おそらく帰宅したところなのだろう。自分は三和土に、父は上がり框に立っている。


 和木は父と短く挨拶を交わすと、玄関を上がり、父の横を通って二階の自室へと階段を駆け上る――。


 動きだけとってみれば、たったこれだけなのだが、一つ、和木にとってひっかかるところがあった。


 父の横を通るとき、なぜかひどくやましい気持ちになるのだ。


 原因はわからない。だがその「やましさ」を、思い出すたびに、和木の胸の中はざわついた。何の記憶なのだろう。父に訊きたい。訊いてみればわかるだろうか、と思うのだが、もちろんそんなことは不可能だ。父はもう既に死んでいるのだから。


 だが幸いなことに、和木はさほど長いあいだ、この問題に悩まされずにすんだ。


 ちょうど友五郎が現れた頃だろうか。気がつくと、その記憶をぱったりと思い出さなくなくなっていた。


 始まったときと同様、原因はわからなかった。もしかすると友五郎との同居がきっかけとしてあるのかもしれない。だとしたら自分は奴に感謝をしなければならないだろう。


 読経を終えると和尚は挨拶も早々に切り上げ、高丘家を去っていった。おそらくこの後、他家での仕事が目白押しなのだろう。


 友五郎は和尚が去った後、仏壇の前に独り座り、ずいぶん長々と両掌を合わせていた。


 しばらくぶりに見る友五郎の袴姿は端正で、とても頼り甲斐がありそうに見えた。そしてその後ろに寄り添い、座る菫の姿は、とても似合いに感じられた。


 不思議だった。初めて遭ったときは、とんでもない詐欺野郎だと思ったのに、今はこうやって半ば家族のように感じ、暮らしている。


 友五郎と、自分たち姉弟はこれからどうなっていくのだろう。細かいことはわからないが、友五郎は現代人として適応を進めつつ、この家の住人として、いっそう欠かせない存在になっていくのだろう。


 一か月前には考えることさえおぞましかったことを、和木は自然と受け容れていた。


 世間でいうところのお盆休みが終わろうとする頃、友五郎が一つの申し出をしてきた。


「すでに一部は菫どのに渡しておったが」


 そう言って彼が荷物の中から出して見せたものは、何十枚もの銀色の長方形の小片と、紐で結わえられた沢山の、これはさすがに不勉強な和木でも知っている、江戸時代の一文銭。そして明らかにそれとわかる輝きを放っている、平たい楕円形の物体、小判だった。


「こ、小判じゃんかよ、しかも本物の!」


 叫びつつふと和木は、驚きもせずに卓上に並べられたそれを眺めている姉に気づいた。


「えっ? 何で姉貴は平気なんだ」


「友五郎さんがさっきおっしゃったでしょう?一部はわたしに渡していたって。この家にいらっしゃった最初の頃に、預けてくださったのよ。滞在費として宛てて欲しいって。もちろん全然手をつけずにお預かりしているけれどもね」


「何と、未だ手をつけなんでおられたか」友五郎が驚いたように言った。


「先だっての宇都宮路の路銀も含め、これまでだけでも相応の迷惑をかけていたと思うのだが」


「そんな、迷惑だなんて、お気になさらないでください。友五郎さんはお買い物も一切しませんし、煙草も、ご酒も召し上がりません。この時代の基準で言えば、ほとんどお金は使っていないも同じなんですよ」


「そうであるのか? ならば良いのだが」納得できなそうな表情を友五郎は浮かべた。菫はただ、にこにこと笑っている。


 和木は二人の顔を見比べつつ、「ともかくさ、こんないかにもな大金出してきて、どうしろって言うんだ?」


「この世界で通用する路銀が欲しくなったのだ。その世界にて生きるのを学ぶということは、銭の使い方を学ぶということでもあろう。特にこのような、銭が何事をも支配するような仕組みの世においては。省みるに今のそれがしは、一駅分のきっぷさえも自らの手で求めることができぬのだ。これではこの世界で暮らしているとはとても言い難い」


「そんな、お金が入り用でしたら、わたしが立て替えて、ご用立てしますのに」


「いかぬ。それではよくないのだ。菫どの」友五郎は首を振った。「それでは小遣いをもらっておるのと同じことだ。それがしはあくまで、己が今まで貯めてきた路銀をもって、これからこの世界について学び、生業を得るための資金としていきたいのだ。


 和木どの。原どのに聞いたのだが、それがしの路銀も、この世界の専門両替商に持っていけば、相応の額の『円』と交換できるのであろう?」


「ああ。はっきりとはわからないけれど、古銭屋に持っていけば、結構な値で買い取ってもらえるんじゃないのかな」


「ならば、それがしにその古銭屋とやらを紹介してはくれぬか?それによって得た銭で、それがしはまず、菫どのと和木どのに、今までの、そしてこれからの礼を差し上げたい。そして残った銭を、この世界に慣れるための学び賃としてあてていきたいのだ」


 和木たちは友五郎のこの申し出を受けた。


 和木は友五郎とともに、大が紹介してくれた、親戚筋にあたるという高田馬場の古銭屋に行って、小判その他を円へと換金した。


 古銭屋の親爺は、奇妙なくらい真新しく光る友五郎の古銭の出所をしきりに訊いてきたが、それには「田舎の親戚の家の納屋にあった」の一点張りで押し通した。


 友五郎を独りで街に行かせるということに、菫は最後まで強く反対した。


 他人の金を財布から吸い上げようと目論む輩の数は、昔に比べ、現代の方がはるかに多い。ましてここは世界有数の繁華街を持つ新宿だ。様々な物欲渦巻くその場所に、現代に適応しきっているとは言い難い友五郎に金を持たせ行かせるのは、あまりに危険なことなのではないかと。


 それに対し、和木はこう反論した。これは何よりも、友五郎が現代、二十一世紀に骨を埋めることへの覚悟の証であり、何よりも尊重すべき提案だ。自分たちはその決意に至った彼を、信頼してやるべきなのではないか。


 友五郎自らも穏やかに、菫に言って聞かせた。人の巾着の中身を狙って来る輩は、昔も同様に存在した。それら連中の目付き口ぶりは、数百年後のこの世であっても、人間である以上、大きく変わりはしないはずだ。


 自分は吉原の歯黒溝近くの悪河岸、つまり現代でいうところのぼったくり売春宿でさえ、冷やかして歩いたこともある。何ら菫は心配することはないし、この高丘家に迷惑をかけるような行いも、決してすることはない。


 しぶしぶだったが、最終的に菫も納得した。友五郎は得た金の半分を高丘家に預け、残り半分の中から取りだした金のいくばくかを、和木から贈られた財布にしまい、少しずつ、家の外へと出て行きはじめた。


 はじめの数日は、夏休みでバイトしか用事のない和木が、どこに行くにも友五郎についていき、駅の中の歩き方、ICカードのチャージ方法、自動改札の通り方、降りた先での地図を見ながらの街の歩き方などを教えていった。


 はじめのうちこそ、友五郎はそれら全てに戸惑い、人混みにも酔いまくったが、しだいに慣れていった。


 一週間も経つ頃には、独りで路線図を見て、空いている時間帯に山手線に乗り、渋谷で井の頭線に乗り換えて吉祥寺まで行き、降りて街を歩き、最後はそこから中央線に乗って、新宿へと戻って来られるようにまでなった。


 夕食の席、友五郎は吉祥寺のアンティーク・ショップで買ったという、小さな香水瓶を、照れながら菫にプレゼントしてみせた。


 そうして、残暑と台風の季節になる頃には、友五郎は独りで、ほぼ毎日外へと出かけるようになっていた。


 ただ電車に乗って、着いた街で歩きまわる、という行為だけで、何の身分証も持たない友五郎が、働き口を見つけてこられるなどとは、和木も、もちろん菫も考えてはいなかった。だがこれは友五郎の第二の人生の最初のステップ。まずこの世界に慣れるための行程の一つであると思い、菫は毎朝、恐縮する友五郎に手弁当を作って持たせ外へと送り出し、和木も口には出さなかったが、友五郎のそのささやかな、だが本人にとっては大きな挑戦に、心の内で応援を送った。


 夕食の席でときおりする以外は、友五郎はあまり自分から「今日の戦果」を話さなかった。が、始終浮かべているその笑みから、どうやら彼の東京探索が上手くいっているように、和木たちには感じられた。


「どうして友五郎さん、家にいないのよ」


 九月初旬のある曇天の日、高丘家にやって来た志徒子は、友五郎の不在を聞き、不平もあらわに和木に言った。


「外出してるならしてるって、来る前の電話で言ってよ、ちゃんと」


「言ったじゃないかよ。ちゃんと」和木もまた、不平あらわに言い返す。「友五郎の奴は今、散歩に出ているって、ちゃんと口にしたろう。俺?」


「それじゃ意味が通じないでしょう?」


 志徒子は更に激昂し、「ついこの間まで、付添いもなしに外にでられなかった人のことよ? その人が散歩に出ているって聞けば、せいぜいが『近所の散策』程度だって思うのが普通でしょう。電車に乗って遠くまで行くなんていう事態にまでなっているのを、ただ『ああ、あいつは今、散歩に出てるよ』だけで済ましちゃうんだもん。こっちは勘違いして当然よ! 全く、これだから男の説明は」


「何だよ。その『男の説明』って」


「男はね、女に比べて大脳の言語野が小さくて、その結果、言葉を操る能力が不充分だっていう説があるの。あなたとの今日の電話のやりとりは、その説のいい証明よ」


 ひと息にまくし立てると、辟易としている和木に向かい、志徒子は、


「それで? いつ帰ってくるの。友五郎さんは」


「何だよ。友五郎友五郎って」むっとして和木は、「八月ずっと何の音沙汰もなしだったっていうのに、今日になっていきなりやって来て、あいつの名前ばっかり連呼して。何だよ、彼氏は俺じゃあなかったのかよ?」


「言っておいたでしょう、八月中はずっと家族で旅行だって。それに何よ、今の言い草。ひょっとしてあなた、友五郎さんに嫉妬してるの?」


「べ、別に嫉妬なんてしてねぇよ」


 思わず吃ってしまった和木の顔をのぞき込むと、志徒子は勝ち誇ったように、ふふん、と嗤ってみせ、


「まあ、わかったわよ。仕方がないから友五郎さんが帰ってくるまで、あたしはここで待たせてもらうことにするわ」と伝法な調子で言って、キッチンテーブルの椅子を引き、そこにすとんと腰を降ろした。


「何でこんなところで待つんだよ。俺の部屋で待ってりゃいいじゃないかよ」


 志徒子は座ったまま、和木の顔を上眼で睨み付けると、


「今日は絶対にしたくない気分だから、嫌」と、きっぱりと言ってのけた。


「なら勝手にしろ」むっとして言うと、和木は二階の自室へと引きあげた。


 独り部屋でベッドに寝転がり、頭から立ちのぼる湯気をおさめるのに腐心しつつ、和木は思った。


 なんだだって志徒子は、あれほどまでに友五郎に執心するのだろう。たしかに本物の時間旅行者となれば、滅多にはめぐりあえない存在だ。たとえ志徒子でなくとも好奇心あるものならば、友五郎という男を質問ぜめにしたくなるのだろうが、それにしても――。


 待てよ。和木はふと気づく。考えてみると、自分は友五郎の過去――元いた世界・江戸時代の暮らし、家族、それから仇を追い続けた十年間の人生遍歴などについて、あまりに知らなさすぎるのではないか?


 どうしてこうなってしまったのかは明らかだった。自分は、友五郎のことを受け入れるのに、他の者よりも頑強に抵抗を続けていた。そして受け入れた後も、過去について踏み込んだ質問をすることは、ほとんどなかった。志徒子や菫に比べて、自分が友五郎について知らないのは、当然だろう。


 まあいいさ。どうせ奴とはこれから長い付き合いになるんだろうし、おいおい興味の持てることから、話を聞いていけばいいだろう。のんびりと、焦らずやればいい。


 考えるうち、さっきの激昂の反動か、それとも、ここのところ休みなしで続いているバイトの疲れが出たのか、急に眠気がやって来て、和木は浅い午睡へと落ちていった。


 窓から吹き込む風の冷たさに、目を覚ました。


 和木はゆっくりとベッドから身を起こす。窓の外では、空がいっそう濃い墨色に変わっていた。


 欠伸をしながら部屋の中を見渡すと、意外な光景が眼に入ってきた。


 つい数十分前に喧嘩して、部屋に来るのを拒んだはずの志徒子が、ベッド横の和木の机の椅子に座り、文庫本を読みふけっている。志徒子のほうでも和木が起きたのに気づいたらしく、本から顔を上げると、「あら、おはよう」と、声をかけてきた。


「おはよう」と、若干のわだかまりを含んだ声で、和木は答える。


「どうしてここにいるんだよ」和木の質問に、志徒子はあっけらかんとした調子で、


「本読んでるのよ。あなたの本棚にあった、筒井康隆の『旅のラゴス』。結構いい趣味してるじゃない。どうしてそんなこと訊くの?」


「どうしてって――」半ば呆れつつ和木は、「お前さっき言ってただろうが。『キッチンで待つ。部屋には来ない』って」


 ああ、と志徒子は、今に至ってようやく気づいたような声をあげた。


「そう言ったわねぇ。そういえば」


「じゃあどうして今、ここにいるんだよ」


「飽きちゃったからよ」志徒子はあっさりと言ってのけた。「つまらなくなったから、ここに上がってきたの。何か読む本でもないかと思って」


 またこのパターンか、と和木は苦笑する。志徒子が和木との喧嘩の後、間をおかず、全く何事もなかったかのように接してくることは、今までにもしょっちゅうあった。彼女は他人とのわだかまりや激しい感情を、長時間引きずるようなことをほとんどしないのだ。


 最初これに接したとき、和木は相当に面食らった。が、慣れてしまうと、志徒子のこの悪童のような性向を、好ましく感じるようになった。何よりも面倒がないのがいい。ただ、友五郎がやって来てからは、その「悪童」ぶりが度を越している感があったが。


 読書にふける志徒子の肩にそろそろと手を回そうとしたとき、階下で玄関の引き戸を開ける音と、友五郎の「今帰った」という声が響いてきた。


 すかさず志徒子は立ち上がり、和木の腕をすり抜けると、ドアを開け、つむじ風のように階下へと降りていった。


 和木は溜息を一つ吐くとゆっくりと部屋を出て、志徒子に続き、友五郎を迎えに階下へと向かった。


「それで、他にはありませんか? 東京を歩かれて驚かれることや、奇妙に思われることは」


 キッチンでは志徒子による友五郎への質問責めが続いていた。友五郎が外で感じるカルチャー・ショックを聞くのが、志徒子には楽しくて仕方がないらしい。


 もちろん和木だって、一人前の好奇心を持ち合わせているから、友五郎の口から次々と出てくる「面妖なること」を聞き、へええと唸ったり、あるいは可笑しさにくくく、と笑いつつ話を聞いていた。


 友五郎のほうも、「赤青黄の灯の尋常ならざる変化の早さ」や、「かーどへのちゃーじの時に、銭の投入を声で急かしてくる無礼なるからくり」や、「背後で突然牛の啼き声がしたと思ったら、二輪で走る乗り物だった」やらを、最初のうちは勢い込み、ときに興奮して話していた。が、それもさすがに話し始めて一時間を越える頃には、ネタ切れか、それとも疲れがやって来たのか、しばしば息切れめいた沈黙にみまわれるようになっていた。


 それでも志徒子は話をねだり続けていたが、ここに来て「ううむ。そうさな」と言ったきり、眼を閉じ黙り込んでしまった友五郎の姿を見るに至って、ようやく彼の疲弊ぶりを悟ったらしく、


「あら、失礼いたしました。あたしつい、調子に乗って友五郎さんを質問責めにしてしまって」と、遅まきながら謝り、頭を下げた。


 やれやれと心中で胸をなで下ろし、和木は時計を見、椅子から立ち上がった。


「志徒子。俺そろそろバイトだからさ、一緒に家出ないか? 駅まで送るぞ?」


「ああ、そうね。じゃあそうしようかな」


 素直に言って、志徒子も席から立ち上がった。玄関まで見送るつもりか、友五郎も立ち上がる。


 二階から財布を取って戻り、玄関に向かいつつ、何気なく和木は友五郎に訊いた。


「そういや訊き忘れてたけどさ、お前今日はどこに行ってきたんだ?」


「今日であるか? 今日もまた、渋谷に行って参った」


「ずっとか?」


 うむ、と短く友五郎が答えた。ふうん、そりゃ精が出るな、と和木は返す。


 そのとき、急に振り返って、志徒子が訊ねた。


「友五郎さまは、渋谷がお好きなのですか?」


「うむ。新宿とはまた違った趣きの活気があるからな」


「ファッションビル――大きな建物や、地下街に入られたりもするのですか?」


「いや、それがしは大抵、外歩きだな」友五郎は言った。「壁の落書きや、若い衆の身成を見ているだけでも、飽きぬものがある」


「それで、今日もずっと外を?」


 おうよ、と答えると、友五郎は、「今日もまたずっと外歩きだったが、それがどうかされたか?」


「いいえ。何でもありません」屈託なく笑って言うと、志徒子は玄関に降り立ち、


「それでは、ごきげんよう」と、友五郎に向かってゆっくりと頭を下げた。

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