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20.帰郷

 列車が栃木県内に入った頃から、友五郎は目に見えて興奮をしはじめた。小山、小金井、雀の宮と、列車が止まり地名のアナウンスがあるたびに、懐かしき故郷、宇都宮が目前に迫り来るのを感じるのだろう。


 考えてみれば、この男は故郷を離れ十年もの間全国をさすらっていたのだ。久々の帰郷を目前に控え、浮き足立つのは当然のことだろう、と和木は思った。


「楽しみかい」


「おうよ。和木どの。もちろんだ。たとえ親類がすべて亡くなってしまった後の世界であろうと、帰郷の喜びは格別のものがあるな」


 そう言って白い歯を見せて笑う友五郎の様子に、和木はふと不安を覚える。もしも友五郎の期待しているようなものが、現在の宇都宮市街から全て失われてしまっているとしたら。過去の城下をしのばせるものが、一切破壊されてしまっていたとしたら、この男はどんな落胆をみせるのだろうか。


 思い出の地の消滅。例えば和木にとっての新宿、大久保。中央公園、戸山団地、繁華街、高層ビル。それらが跡形もなく消滅してしまった世界に放り込まれてしまったならば。


 だが考えはまとまらなかった。ただ漠然とした不安だけが、和木の心に残った。


 新宿を発車してから約二時間後。列車は終点、宇都宮へと到着し、一同はホームへ降り立った。


 これから駅を出て、駅前からバスに乗り市街中心まで出ることになる。バスを降りたら、そこから先、宇都宮城址公園までは歩きだ。


 友五郎は駅の様子に戸惑いながらも、辺りを見廻し、そこかしこにある「宇都宮」という文字を眼に入れるたびに、喜びの声を上げていた。


 バスは前方乗車だった。友五郎はステップを登るときこそ若干の戸惑いを見せたが、シートに身を落ち着けてからは、再び期待を全身からにじませ始めた。また、彼に影響されてか、他の者たちも心なしかそわそわとしているように和木には感じられた。


 バスは間もなく発車した。駅前の目抜き通りを通って、県庁前へと向かうルートだ。ロータリーを出るとすぐ、バスは橋を渡り、大きな河を越えた。


 友五郎が声をあげる。「おお、あれは田川ではないか」


「昔からあった川なのですか?」志徒子が問う。


「うむ。お城の外堀としての役目を果たしておった、市中第一の川だ」


 よほど嬉しかったのだろう。満面に喜びの色をたたえ、友五郎は言った。


 だが、喜びはそこまでだった。


 川を渡ってしばらくして後、それまでの期待に満ちた様子から、不安げな面持ちへと、友五郎の態度は一変した。それはバスが市街中心に向かうにしたがって、ますます強くなっていった。


「のう、和木どの」切迫した声で、友五郎が訊いてきた。


「ここは本当に宇都宮か? 田川を渡ってなお走っているというのに、未だお城の影も形も見えて来ん。一体どういうことなのだろう」


「どうって、インターネットではここが今の宇都宮のメインストリートって書いてあったんだけれどな。繁華街の位置が昔に比べて変わったんじゃないの? 北上したりとかさ」


「いや、そんなはずはない」友五郎は首を振った。「さっき天井から、上河原という声が降ってきた。それがまことなら、これは城下の北辺を走る道、奥州道中のはずだ。だがこの左右に見ゆる光景は何だ? 新宿とさして変わらぬ、石切場ではないか!」


 次第に高くなる友五郎の声に、車内の乗客の視線がこちらに集まりだした。まずいことになってきたと思い始めたとき、天井からアナウンスの声が鳴り響いた。


「次は馬場町二荒山神社前ばばちょうふたあらさんじんじゃまえ。馬場町二荒山神社前。二荒山神社にお越しの方は――」


「降ります、降ります!」そう叫んで和木は車窓のブザーを押した。


 程なくバスは停車し、他の多くの乗客とともに一行もバスから吐き出されるように道に降り立った。安心するのも束の間、友五郎が再び大声を張り上げた。


「ほれ、見るがよい!」友五郎は北に見える大きく長い階段を指差していた。


「二荒のお社だ。宇都宮大明神に間違いない! ならば、もうすぐそこに三ノ丸が見えるはずではないか。なのに見えるのは妙な文字の書かれた看板を掲げた石の建物ばかりだ! 一体どうなっておるのだ?」


 目の前のPARCOを指差して叫ぶ友五郎をなだめるように、憂いのこもった笑顔で菫が言った。


「まあまあ、友五郎さん。今ここで狼狽えてもはじまりません。ともかくは、頼りないかもしれませんが、和木に従って、宇都宮城址というところまで、行ってみようじゃありませんか」


 菫の言葉が胸に届いたらしく、それ以降友五郎はあまり大きく騒ぎ立てなくなった。


 そうだ。菫の言うとおり、ともかく当時の街の中心である城へと行ってみなければ、はじまらないだろう。パソコンからプリントアウトした地図を持った和木を先頭にし、一行は歩き始めた。


 PARCOの横を通り、見通しのよい道が南に向かってのびている。地図によればその先に宇都宮城址公園があるはずだ。


 やがて一行は、大きく左右に開けた土地――公園へとたどり着いた。


 そこには緑色をした池、明らかに堀とわかる水道と、その向こうに緑の土塁。上には白い漆喰で塗り固められた壁面と、大きな櫓が二つそびえていた。


「お城だ」友五郎は言った。その声は震えていた。「お城の本丸だ。だが、だが何故だ?」


 友五郎は和木を見つめた。


「何故、その半分にも満たぬ部分だけが、かように真新しい、昨日立てられたような様子で残っておるのだ?教えてくれぬか?頼む、和木どの――」


 * * *


「平安時代後期に築城され、中世には宇都宮氏の居城、江戸時代には譜代大名の居城としてその役割をなした宇都宮城は、慶応四年、つまり一八六八年の戊辰戦争の折に、旧幕軍に火を放たれ、八百余年に渡ったその生涯を終えました。土塁、堀などの土木構造物は、その後も一部明治新政府の陸軍施設などの形で残存しておりましたが、年月とともに払い下げや埋め立てなどで消えていき、昭和四十年代までには、ほぼ消失してしまいました。

 いったん歴史上から消滅したこのお城の発掘作業がはじまったのは、それから二十年余り経った後のことでした。発掘にともない古文書、記録、絵図面などの調査もあわせて行なわれ、消失から百四十年近く経過した平成十九年に、本丸の一部の土塁、櫓などが復元され、現代の公園としてその姿を現すにいたりました」


 案内ボランティアを名乗る、色白でふくふくとした体型の中年女性が、なめらかな口調で説明をする間、友五郎はずっと茫然自失の体で、城の名残――いや、復元された城址公園の姿を眺めていた。


 城の内側、旧・本丸には緑輝く芝が植えられ、城壁によってつくられた日影の部分では、二組の家族がビニールシートを敷いて座り、それぞれ弁当を食べ興じていた。そこから数十メートルほど離れた日なたでは、巨人軍のキャップをかぶった少年と、その親らしき髭面の男が、ゆっくりとキャッチボールを繰り返していた。


「皆さん、学生さんですか?」ボランティアの女性が、笑みを浮かべながら訊ねた。菫がそれに答える。


「いいえ、親戚どうしで旅行に来ました」


「そうですか」そう言って女性はまたおっとりとした笑みを浮かべた。


「これは、昔の本丸の大体何割くらいを復元したものなんですか?」志徒子が訊ねた。


「そうですね」女性は軽く首を傾げ、「これで大体、当時の三分の一くらいでしょうか」


「せめて、本丸だけでも、全部復元するわけにはいかなかったんですか?」


 ボランティアの女性を含め、その場の者が一斉に和木の方を見た。気がつくと和木は、自分でも予想しなかったほどの大きな声を発していた。


「和木」たしなめるように、そっと菫が言う。だが和木は言葉を止められなかった。「できなかったんですか?計画の段階で、もっと広い敷地を確保して、城として違和感のないような外観を造ることは。これじゃまるで、城の切り売りじゃないですか!」


「和木」再び志徒子が冷静な声で言った。「今の日本の自治体が、どこも財政難なのは知っているでしょう? バブル期じゃないんだから、土地の確保にしろ、建築費にしろ、そんなものを捻出するゆとりが限られていたのよ。きっと」


「だったら最初から再建計画なんて立てなければよかったじゃないか」食ってかかるように和木は言った。


「わかってないわね。あなた」志徒子が言った。


「これは城じゃないのよ。二十一世紀の人たちのために造られた、あくまでも公園なの。友五郎さんには可哀相だけれども――」そして志徒子は口ごもった。


 ボランティアの女性はさっきから眼をさかんにしばたたかせていた。和木は女性の様子を横目に見つつ、友五郎の方を見た。友五郎は、戊辰戦争以前の宇都宮中心部を復元したジオラマ模型を、静かな眼で見つめていた。


 二メートル四方のそのガラス張りのケース内には、二ノ丸、三ノ丸はもちろん、掘や武家屋敷までも再現された、精巧なミニチュアが組まれていた。それは、街の中に建てられた城の模型ではなかった。城と、それに付随して存在した家屋と、農地の模型だった。


 街の中に城があったのではない。城が、城こそがこの街、宇都宮の本体だったのだ。それはおそらく、その時代のこの国の、平均的な城下町の姿であったのだろう。


「和木どの」友五郎が口を開いた。静かな声だった。「もう充分だ。それがしのためにそれ以上声を荒げることはない」


「でも、お前」


「もう、本当に良いのだ」友五郎は続けた。「ありがとう。かたじけない。それがしをここまで連れてきてくれて」


 予約してあったホテルに向かう道中、一行の口数は少なかった。


 事前に名店や見どころをチェックしてあったのだろう。大だけは、付箋をいっぱいに貼った「るるぶ」を握りしめ、これから先の予定を提案すべきか否か、白い額に玉の汗を浮かべ、始終ためらいの表情を見せていた。が、結局、友五郎を中心とする一同の重苦しい雰囲気に抗する勇気はなかったらしく、ホテルまでの道程をただ黙って付いて来ていた。


 ホテルはメインストリートを駅方面に少し戻った場所にあった。男女で一部屋ずつ、女部屋はツイン、男部屋はツインにエクストラベッドを予約してあった。


 チェックインをすませた一行は、一階ロビーで別れ、男女それぞれの部屋へ向かった。


 和木、そして大とともに男部屋に身を落ち着け、荷を解いた友五郎は、カーテンを開いて窓から宇都宮のメインストリートを見下ろしていた。


「想像以上であった」背を向けたまま、友五郎が呟いた。「城も、街も、人も、全てが変わった。消え去ってしまったのだな」


「お前には悪いと思ってる」和木は言った。「よく調べもせず、こんな、まるっきりの異世界の街に連れて来ちまって」


「詫びてくれるな。元より、薄々はそれがしも予想しておったことだ。内藤新宿や甲州街道が、そして庭の花々さえもがあれほどに変貌を遂げたのだ。宇都宮だけがその姿をそのままに留めておくなどということが、あり得ようはずがない。

 それがしはむしろ、感謝しておるのだ。和木どの。変わらぬ田川の流れを見ることができたことを。そしてたとえ一部分だけでも、この未来世界の人々がお城を再建しようとしてくれていたことを。この未来の街にも、宇都宮人、宮っ子としての心を残す者が未だ残っていたことが知れて、本当に嬉しかったのだ。

 ただそれがしには、この街並みの変わりようがあまりに大きな驚きであっただけだ。慣れるには、長くはないが、それなりの時を要する。だから和木どの、原どのも、それがしには気兼ねをせずに、夜は菫どのや志徒子どのとともに、遊興に出掛けてくると良い。皆にとっても、初めての街なのであろう?」


「ああ――だけど」


 戸惑う和木に、大が言った。


「よ、よう、和木。せっかく寺田さんも言ってくれてるんだし、夜はさ、餃子でもさ」


 和木は溜息を一つ吐くと、


「わかったよ、大。お前はそのために随分下調べして来たんだもんな。ここは友五郎の言うことに甘えて、姉貴たちと一緒に飯でも食いに行くとしようか」


 部屋を出る際、和木は立ち止まり、再び部屋の中を見た。


 友五郎はさっきと同じ姿で、窓辺に置いた椅子に正座し、地上五階の高さから見える市街の様子を、まんじりともせずに見つめていた。


 そのとき、和木の背後からおずおずとした大の声が聞こえてきた。


「て、寺田さん」


「何か? 原どの」


 大は少し躊躇った後、意を決したように友五郎に言った。


「あの、早まって、腹なんか斬らないでくださいよ、本当に」そして蚊の鳴くような声で、「菫さんが、悲しみますから」


 友五郎は振り返り、にっこり笑うと言った。


「心配には及ばぬ。原どの。それがしはただ、独りとなってゆっくりと考えを巡らせてみたいだけだ。腹など斬りはせぬ」


「本当ですか?」


「ああ、本当だ」


 そう言って友五郎は、白い歯を見せた。


 女たちの部屋に向かって廊下を歩きながら、大はぼそりと和木に言った。


「和木、よぉ」


「何だよ」


「寺田さん、さあ」


「ああ?何だ?」


「凄い人だな」


「ああ」エレベータのボタンを押しつつ、和木は頷く。「本物の侍だよ」


「和木」


「何だよ」


「俺って、恰好悪いよな」


 和木は思わず吹き出した。「何だよお前、今頃気付いたのか?」


 大は頬を膨らませ、「何だよ、その言い草は」


「何だってって、お前が自分から言ったんだろ?」


「言ったは言ったけどよ。そんな簡単に肯定することないじゃんか」


 くつくつとなおも笑いながら和木は、「安心しろ。お前は充分にいい奴だよ。恰好は悪いけどな」

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