19.湘南新宿ライン
七月も梅雨が明ける頃になって、友五郎が和木たち姉弟に一つの願いを申し入れてきた。
「お城と城下を見たい。そして寺田家一族への墓参をしたいと思うのだが」
それまでの友五郎の悩みようを見ていた和木と菫は、すぐに理解した。武士にとって最も大切なのは主君と家だ。おそらく彼なりのやり方で、今までの自分に「けじめ」をつけようとしているのではないだろうか。
菫は友五郎に付添うべく、七月後半の週末に有休をとった。和木も何だかんだと文句を言いながらも、バイトのシフトを調整し、寺田との小旅行に同行することにした。
ネットで調べたところ、栃木県宇都宮市に「宇都宮城址公園」という場所があるようだった。おそらくこれが友五郎の言っている城にあたる場所だろう。もう一方の目的地である寺田家菩提寺の方も、幸いにもちゃんと現代に残っているようだった。
和木はこの小旅行を、当初姉と友五郎、そして自分の三人だけで行なうつもりでいた。
だが同行者はこれだけにとどまらなかった。どうやら菫から直接話を聞いたらしい志徒子、そして大が名乗りを上げてきたのだ。
「志徒子はともかく、なんでお前まで付いてくるんだよ」
呆れ口調で訊いた和木に、大は生返事を繰り返したあげく、ようやくへどもどと答えた。
「いや、だってさ。何か間違いみたいなのが起こったら、困るだろう?」
「間違い? 何だよそれは」
「だからさ、そのう、あの寺田さんと、菫さんとで――」
和木は大の一途な思いにそれなりに心動かされ、この男の同行を許した。
当日、照りつける真夏の陽の下、和木は菫と友五郎を伴い新宿駅の待ち合わせ場所へと向かった。南口改札近くで落ち合った一行は、宇都宮までの運賃とグリーン車利用料をICカードにチャージし、改札を通って湘南新宿ライン宇都宮行きのホームへと向かった。
早くも人混みに翻弄され、酔い始めた友五郎の手を菫がしっかりと引く。それを目にして露骨に青ざめた大が、後に続く。「何だか面白くなりそうな雰囲気よね」などと無責任な笑みを浮かべている志徒子とともに、最後に和木が歩いた。
ホームへ辿りついた和木は、ほっと人心地ついた。
二十一世紀にして、一日平均乗降者数世界一のターミナル、新宿駅の人混みは半端ではない。その中、友五郎を正気の状態のまま目的の場所へと連れて行くことが、和木と菫にとって冗談でなく第一の課題だったのだ。
やや興奮気味なものの、今の友五郎は、ぱっと見は普通の二十代男だった。木綿のシャツにパンツという、例によって和木の普段着を借りた歩き姿も、少しぎこちないが、前回の外出のときに比べれば、格段にましに見えた。人口建造物の威容にもやや慣れたらしく、ホームから向こう、ルミネなどのビルを眺める様子も落ち着いていた。
そんな友五郎を見て、志徒子が言った。
「何だかずいぶん適応しちゃったみたいね」
「何だよ。さっきは『面白くなりそうだ』なんて言ってたくせに。その言い方じゃまるで、失望しちまったみたいに聞こえるぞ?」
「失望しちゃったのよ」あっさりと志徒子は言った。「だって戸惑っている姿の方が、いかにもタイムトラベラーっていう感じがして、素敵じゃない?」
和木は呆気にとられる。この女は――こういうことを夢想して日々を送っているのか。
何かひと言きついことでも言ってやろうかと考えている間に、ホームに第二関門が滑り込んで来た。
和木は緊張した。電車を間近でみることも、それの中に乗り込むことも、友五郎には初体験だ。乗り降りと着席時の混雑を避けるためにグリーン車を選んだが、どちらにせよ停車している秒数は変わらない。わずかな時間に満たないドアの開放時間中に車内へと乗り込むのは、慣れぬ人間にとっては曲芸に挑戦するのにも似た緊張があることだろう。
あらかじめ打ち合わせたところでは、菫が友五郎の手を引き、先に立って車輌へと連れ込む手筈だった。が、ここで予定外のことが起った。
横から大がつと割って入り、友五郎の腕を掴んだかと思うと、「さあ、こちらへ!」と言いながら、さっさとグリーン車へと引いていってしまったのだ。
慌てて和木たち残りの面子が乗り込むと、大はすでに友五郎を連れ、グリーン車輌二階の二人がけシートに、ちんまりと並んで座り込んでいた。
なるほど。もしも菫が友五郎の手を引いていたならば、今友五郎の隣に座っているのは菫になっていたはずだ。とりあえず大はこの行動によって、車中での菫と友五郎の物理的距離を、数十センチばかり離しておくことに成功したことになる。大にしては、巧みな作戦を実行したものだ。和木は少しばかり感心した。
金曜朝、湘南新宿ライン下りのグリーン車は空いていた。それをよいことに、和木たちは座席を回転させ、対面にして座った。おかげで大は菫と向い合って座れることになった。が、菫と友五郎との距離も縮まってしまったのは、可哀相な限りだった。
走り出した車中、友五郎が驚いたものは、良く効いた冷房。そして何より列車の速度だった。窓に両手をあて、やもりのように張り付き、しきりに例の大きな眼でもって、窓外を過ぎる物を次々と追いかけている。
「おい。あんまり真横ばっかり見ていると、気分悪くなるぞ」
通路を挟んで一人離れた席に座った和木が、大の頭を飛び越して友五郎に忠告する。
「あ、ああ。あいすまぬ、和木どの。このような速い乗り物は、初めてのものであるから」
「早馬よりも速いですか?」志徒子が訊いた。
「うむ。まさしく。これは寛保の世には想像さえしようのなかった乗り物だ。さすが江戸と宇都宮をたった一刻で結ぶだけのことはある。これもやはり、エレキテルのからくりで動いているのか? 原どの?」
「え、えっ? 俺っすか?」いきなり問われた大は、戸惑いつつ、「ええ、そうっすよ。この電車も、俺のギターも電気が命なんす。ええと、ちなみに俺はバンドっていうのをやっていて――」
話の途中から、明らかに菫に向けてと思われる弁舌をふるいはじめたときだった。友五郎がまた大に質問を浴びせてきた。
「原どの。今走っておるのは、江戸、いや、東京の内なのであろうな?」
「はあ、そうだと思うんすけど」
「一体この東京というのは、どこまで続くものであろうか。かような速さで走っておるにも関わらず、一向に街並みが途切れることがない。寛保の世であったならば、とうに藪か田畑が見えてきておるはずだが。都というからには、それを支える米を作る知行地があってしかるべきではないか。なのに百姓たちはどこにいる? この石切場のような街並みは果たしていつごろに途絶えるのか? のう、原どの」
「ええっと、そう、だな。いつごろかなあ」
大は救いを求める眼差しを和木に向ける。しかしこれは和木にも答えられない。そもそもこの線、宇都宮へ向かう路線に乗って、埼玉、栃木方面へと向かうこと自体、友五郎同様、和木にとっても初めての経験なのだ。
男二人で困っていると、志徒子がかわりに答えてくれた。
「友五郎さん。ご心配なさらなくとも、田畑はじきに見えてまいりますわ」
「いつごろのことであろう」
「そうですわね。大体、大宮を過ぎた頃にはぽつぽつと見えてくるのではないでしょうか」
「大宮! 氷川神社のお膝元の、あの大宮であるか?」
「そうですわ」
「そんな遠くに至るまで、この世では江戸、いや東京に組み入れられておるのか?」
「そうですわね。現在は氷川神社だけでなく、大きな建物も建ち、武蔵国の中心地として、とても大きな街になっているんですのよ。もっとも、行政上の区画は、東京とは違いますけれども」
「信じられぬ」友五郎は首を振って嘆息した。どうやら想像以上にショックを与えてしまったようだ。前もってテレビで予習もしたし、菫からも話は聞かされていただろうが、やはり見るのと聞くのとでは、大違いだったのだろう。
「あ、あの」そのとき大が声をあげた。
「あのですね。菫さん。俺、俺らのバンドも、この間、大宮のライブハウスまで行って、ライブやってきたんすよ」
「そうなの」にこやかに笑みつつ菫は、「それでどうしたの、大ちゃん?」
「い、いや、それがそのう、それだけなんですけれど――」
どうやらあまり成功しなかったライブらしい。またもや竜頭蛇尾に終ってしまった大を置き去りにし、窓外を見ていた志徒子が「あ」と声をあげた。
見るといつの間にか列車は赤羽を過ぎ、荒川を渡る鉄橋にさしかかっていた。
「友五郎さん、荒川の上を渡りますよ! 昔はこれも、渡し船で渡ったのでしょう?」
「うむ」友五郎は頷いた。「それがしの世ではどこに行くにも徒が本来であったし、河は渡し人に賃金を渡して越えていったものだ」
「特に江戸の護りを堅くする目的もあったのでしょうね」
「正にその通り」友五郎が頷いた。「江戸は常に外様から攻められることを想定して、それに対する防御を念頭に建造されていた街であった。攻め込む敵にみすみす渡河の利便をこうじてやる必要はない。しかし今、こうやって橋が造られ、交通が誰しもに開放されているところをみるに、日本という国からはもはや乱が起こる危険が一掃されたのであろう。何とも平和な御代となったものよ」
「あ、あの」
「何だよお前は」再びおずおずと話に割り込んできた大に、和木は言った。
「さっきから話すんなら話す、黙るんなら黙るで、どっちかにしろよ」
「お、おう」大はごくりと唾を一つ飲み込むと、「じゃあ、その平和な世の中を祝して、ト、トランプでもしませんか?菫さんも、ええと、まずはひとつ、ババ抜きでも――」
せめてそれがトランプでなく花札であったなら、菫への接近を意図した大のささやかな企ても成功しただろうに、と和木は思った。
「友五郎さんがまだ算用数字に慣れていないから」という志徒子の言葉により、大が取り出したトランプは言下に却下され、結局、その後の一同の会話は、引続き友五郎による「未来世界の眺め」への感想を中心に進むことになってしまった。
志徒子の言ったとおり、大宮を過ぎてから後、窓外の家並みは徐々に疎らになっていき、蓮田を過ぎた辺りから、はっきりと田畑や、古い農家らしき造りの家がみられるようになってきた。そして友五郎の緊張もそれにつれ、目に見えて和らいできた。
「やっぱり安心するかい」和木の言葉に友五郎は、
「ああ。やはり未来になっても、木々の緑や田畑のありさまはさほどに変わっておらぬようだな。未だ未来世界に慣れておらぬそれがしには、眼福の光景だ。寛保の世にいた頃には、ごく普通の何とも思わぬ眺めだったというのに、まことに不思議なものよ」
列車が北上するにしたがって、緑はますます多く見られるようになっていった。窓外を見続ける友五郎に、志徒子が訊いた。
「友五郎さん。宇都宮というのはどんな街だったのですか?」
質問がよほど嬉しかったのだろう。友五郎は満面に笑みを浮かべ答えた。
「公方様ご一行の、東照宮へ向けての道程の、最後の宿泊地としての役目を持った地であった。大きな街であったぞ」
せめて話に加わろうと、大が質問をさしはさむ。
「く、公方様って将軍のことっすよね。テレビの時代劇で言ってるの聞きました」
「さもあらん。原どの」友五郎が顔をほころばせた。
「公方様とは将軍様のことだ。宇都宮の街の中心に大きく陣取る宇都宮城は、天守こそないものの、北の外様に対する強固な備えと、将軍様をお迎えするための御成御殿との、二つの役割を持った、ご公儀にとってもまことに重要な城であった。城下に住まう武家はもちろん、町人の者もそれを誇りに思い、公方様ご一行が立ち寄られる折には、城下はそれはそれは大層な賑わいであった」
「友五郎さんも立ち会われたのですか?」菫が訊ねた。
「うむ。菫どの。享保十三年の吉宗公の日光社参の折りには、それがしも賑わいを目の当たりにした。盛大な眺めであったぞ」
その目に見せたいものだ、と言わんばかりに友五郎は真ん丸の眼をきらきらと輝かせた。




