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18.和解

 寺田が奥の間に引きこもり、外に出なくなってから丸三日が過ぎていた。


 それまでは徐々に行動範囲を広げ、庭に出たり、食事も台所で和木たちとともにするようになっていた寺田が、今は便所のときくらいしか襖の外に出てこない。


 和木は寺田の変化の原因を知っていた。


 他でもない、和木自身だ。


 あの日。寺田がビジュアル系ロッカーを仇と勘違いして飛びかかっていった日、和木は激しく寺田を叱責したのだ。


 もはや精根尽き果てたといった様子の寺田を、和木は無理矢理に家まで連れて帰り、仏間に座らせた。そして面前にどっかと胡座をかいて座ると、腕組みをしながら怒りもあらわに言葉をぶつけた。


「おい、寺田。何なんだお前、さっきのあのありさまは! いきなり無茶苦茶に駆けだしていって、通行人に馬乗りになって。運が悪けりゃあの場で捕まって、牢屋入りになってたんだぞ!」


「面目ない」そう言って潮垂れる寺田に容赦せず、和木は続けた。


「お前が本物の侍であろうがなかろうが、この世界の現実を受け容れて、決まりに従ってもらう義務がある。まず、この世界に来たのはお前一人であり、弾正に対する仇討ちはもう果たせないという事実。嫌でもなんでもこれを認めろ。万が一、弾正もこの世界にいたとしても、法がそれを許さない。仇討ちは百年以上も前に廃止され、その行為はもう単なる殺人でしかない。仇討ちをあくまで成そうというお前の考えは、この家、とりわけ命の恩人である姉貴に対し、迷惑行為以外の何ものでもないんだよ! ともかく仇相手を見つけて討とうなんて考えは、金輪際諦めて、この二十一世紀でまともに生きていく方法でも考えろ。馬鹿野郎」


 和木は思った。言い過ぎただろうかと。だがすぐに思い直した。全て事実。真実を言ってやっただけだ。少なくとも奴が過去から来た人間かもしれないと認めてやっただけで、こちらとしては大きな譲歩なのだ。何ら後ろめたく思う必要はない。


 意外なことに、そうやって和木が寺田に対する「説教」をしている間、女達は全くそれを止めようとしなかった。


 特に予想外だったのは姉の菫の反応だ。真っ先に友五郎を擁護するだろうと思われた菫は、ただじっと(友五郎同様に)俯き、畳の上に眼を伏せ、黙って和木が説教をするに任せていた。


 さらに意外だったのは、その後、友五郎が部屋に閉じこもってしまってからの菫の態度だった。


 和木は菫が、友五郎同様、さぞや落ち込みを見せるだろうと確信していた。なにしろあの姉だ。尽くしていた男が心痛め、部屋にこもるような事態になったら、それなりの落ち込みを見せてもおかしくない。


 ところが姉は、特に変わった態度も見せず、むしろ普段よりも落ち着いた様子で恬淡と、昼には仕事、そして夜には日常の家事をこなしていた。和木にとってはこれは、意外であると同時に大いに居心地の悪いことだった。四六時中、無言のうちに、友五郎が落ち込むに至った原因を姉から責められているように感じられて仕方がないのだ。


 どうもやり難い。常時携帯を握りしめていた頃の姉とは、また別の接しにくさがある。


 そんな案配で、姉が寺田についてどう考えているのか訊きたいという気持ちが、和木の中でむずむずと首をもたげつつあった。


 改めて寺田の話をすべく、二階の自室から、姉が夕餉の支度をする階下へと、心持ち気負いながら、階段を降りていく。


 姉はコンロに向かい、天麩羅を揚げていた。


 振り返った姉に、和木は久方ぶりに眼を見て挨拶をした。やはり姉の様子に悲壮感やいじいじとしたものはない。今朝の朝食時に会ったときと同じだ。物静かで、落ち着いた様子を保っているようにみえた。


 和木はダイニングテーブルの椅子を引き、そこに座った。キッチンには菫が揚げる天麩羅の音だけが響いていた。和木は沈黙を充分に味わった後、ゆっくりと息を吸うと、菫の背中に向かって声をかけた。


「文句はないのかよ」


「えっ」菫が驚いたように振り返り、聞き直す。


 和木は再び、「文句はないのかって言ったんだよ」


「何に?」


「だからさ。俺がこの間きつく言ったから、落ち込んで、部屋から出てこなくなっちまったんだろ、あいつ――寺田は。そのことについて、姉貴は俺に何か文句はないのかよ」


「何だ、そんなことか」菫は微笑って、コンロの火を止め、手を布巾で拭うと言った。


「だから和木、いつも食事の時に何か言いたそうにしてたのね。そんなふうに気を回す必要なんて、別にないのに」


 そして和木の眼を真っ直ぐに見つめると、はっきりとした口調で、


「和木に文句なんてないわよ。わたしも。友五郎さんも。もちろん落ち込んでもいないわ。友五郎さんはね、ただ少し、頭の中を切り替えるのに時間がかかっているだけ。十年以上も生きる目標にしていたものを失って、これから先、どうしていけば梅さんと、自分自身と、わたしたちのためになるんだろうって、そんなことをじっくりと考えているのよ」


「寺田がそう言ったのか?」


「違うわ」菫は首を振った。「友五郎さんは、お部屋でじっと眼を閉じて考えているだけ。わたしとはお食事を持っていったとき、二言三言言葉を交わすくらいよ」


「何だそりゃ」和木は呆れて言った。「どうしてそんなので奴の頭の中がわかるんだ」


「感じるのよ」菫が静かに言った。「上手く言えないけれど、友五郎さんの背中を見ていると、あの人が考えていることを感じられるような気がするの。そして、たとえ時間がかかっても、友五郎さんが問題を乗り越えていくだろう、何かの答を出すだろうって、信じることができるの」


「何だか根拠ねえ話だなあ」


「そうね。わたしもそう思うわ」菫は微笑った。


「自分でも不思議なの。今までのわたしって、男の人と接すると、その顔色をうかがってばかりいた。この人何考えているんだろう。わたしのこと、どう思っているのかな、どうして黙り込んでいるのかなって、そんなことばかり。でもそれでいて、わたしは結局誰の気持ちも察することができなかった。きっと、わたしのしていたことは、どれも相手のことを思いやってのことじゃなかったんだと思う。ただ一人でから回って、相手に尽くしているつもりになっていただけ。わたしは自分のことだけ、自分の不安をしずめるので精一杯だった。その人が自分から離れて行ってしまうんじゃないかっていう不安を」


 菫は和木に向い合ってキッチンテーブルにつき、


「今だってね、本当に芯から友五郎さんのことを理解できているのか、わたしにはわからない。でもこれだけは思うの。わたしが今、考えるべきなのは、『自分が友五郎さんにどれだけ気に入られているか』じゃなくって、『自分は友五郎さんのこの先のために、どんなことをしてあげられるか』っていうことなんじゃないかって」


「そうか」和木は息を一つ吐き、「姉貴、変わったな」


「そうなら良いけれど」


 菫はゆっくりと微笑ってみせた。


 寺田が和木の前に姿を現したのは、それから三日経ってからのことだった。


 日曜の朝。昨夜のバイトの疲れを回復すべく、二階の自室で午前いっぱいの眠りを貪っていた和木の耳に、何やらやかましい掛け声が飛び込んできた。


 眉間に思い切り皺を寄せながら、枕元をまさぐって時計を掴んで見ると、時針はそろそろ正午を指そうとしていた。


 和木は大欠伸をすると、自分を叩き起こした声の元凶を特定すべく、窓辺まで這っていき、カーテンを開けて外を覗き見た。


 見慣れた狭い庭で、浴衣の男、寺田が竹刀を持って素振りをしていた。


「えい! えい! えい! えい!」


 規則正しく声を上げ、空中の一点に向けて、正確に面を打ち込んでいる。


 和木はスウェット姿のまま部屋を出て、階段を降りると、開いていた縁側に腰を掛け、ぼんやりと寺田の素振りを眺めた。


 なおしばらくの間、寺田は素振りを続けた後、ゆっくりと竹刀を降ろすと、和木の方を向き、頭を下げた。


「申し訳ない、和木どの。それがしの掛け声で眠りから醒まさせてしまっただろうか」


 和木は軽く手を挙げて言った「別に。いいんだよ。もう昼近くなってたし。そろそろ起きなきゃならなかった時間だからな」


「そうであったか。ならばよいのだが」寺田は近寄ってくると、「失礼とは存じておったが、菫どのに申して、和木どののものを借りさせていただいた」そう言って、手に持った竹刀を和木に見せた。


「ああ」和木はようやくそれの出所を思い出し、


「いいよ。高校の体育以来、ずっと使ってなかったやつだし。これから先も俺は使う予定がないから、それはお前にプレゼント、じゃなくって、進呈するよ」


「かたじけない」


 深々と頭を下げると、寺田は和木の隣に腰掛けた。


 二人して、縁側の向こうの花壇に咲いた花を眺める。


「見事な花々であるな」寺田が言った。「これらは、菫どのが育てておられるのか?」


「違うよ」和木は首を振った。


「紫陽花、サルビア、インパチェンス――どれも俺が世話したもんだ。まあ正確には、この春まで親父が育ててたものを、俺が引き継いでやっているんだけれどな」


「和木どのは心優しい方だ」寺田が静かな声で言った。「ときに死者は、生者にさまざまなものを託す。物であったり、意志であったり。和木どのの父君にとっては、この花がそれにあたるのだろう。和木どのはそれをしっかりと継ぎ地に根付かせておられるのだな」


「そんな大したもんじゃないよ」和木は苦笑した。「ただ惰性でやってるだけさ。まあ、あんまり何でもかんでも姉貴に押し付けるわけにもいかないからな。せめてこれくらいは自分の役目にするか、と思ってやっているだけさ。それに元はといえば、これは親父が植えたもんじゃない。母親が植えたんだよ。俺は知らないが、お袋はこういうのを植えたり育てたりするのが趣味だったらしいんだ。親父はそれを引き継いで育ててただけ。まあ、植えた人間が親父だったなら、俺も世話したりなんてしなかっただろうよ」


「和木どのは、お父上のことを慕っておらなんだのか?」


「まあね」和木は肩をすくめた。「憎むほどじゃなかったけど、あんまり好きじゃあなかったかな」


「そうであったか」


 そう言ったきり、寺田はそれ以上、和木を追求しなかった。


 しばらくの間、二人はそこで口を噤んだ。陽は強くなり、キッチンの方からは菫による昼餉の用意の音が聞こえはじめた。


「本当に、途方もない年月の果てに流されてきたのだな」寺田が口を開いた。「花々に、見知ったものがほとんどない。梅の好きだった紫陽花でさえ、形が変わってしまっている。これだけの年月の経過には、さしもの弾正の寿命もかなうまい」


 寺田は和木の方を向いて言った。


「和木どの。仇討ちとは、辛いものだ。一度国を出れば、身内を討たれたという不名誉があるから、それきり帰参することがかなわぬ。武士の理ではあるが、心から進んで仇討ちの任にあたる者は少ないのが真実のところなのだ。だがそれがしは、自ら勇み国を出、十年の間、弾正を追い続けてきた。それが自らのつとめであると信じて」


 寺田は再び花壇に目を移し、


「だがその弾正はもういない。弾正だけではない。ご公儀も、藩も、武士さえもなくなってしまった」


 寺田はそこで言葉を区切ると、


「和木どの。それがしは未来世界に来て、この十年自らに課してきた大きなつとめを失った。だが、このできごと――『時間移動』もおそらくは天の思し召しの一つである以上、この時代にも新たなつとめが、きっとあるに違いない。多少の時間がかかるかもしれぬ。だがそれがしは、それを見つけ、この世界で生きていきたいと思う。まことにかたじけないが、それまで、今しばらくご当家に寄宿をさせていただけまいか。勝手な願いとは心得ておるのだが、ご恩は必ず返す。だから――」


「別にいいよ」和木は言った。「そんな大袈裟に詫びなくったって、お前、この家じゃもう家族みたいなもんだ。少なくとも姉貴はそう思ってる。どうせあの仏間だって誰も使っていない。お前は、お前の気が済むまで、この家にいればいいさ。ただし――」


「ただし?」


 和木は今一度、欠伸をして言った。


「やっぱり素振りの時の掛け声、もうちょっと小さめにしてくれないか?」


「あいわかった。そうすることにしよう」寺田は神妙に頭を下げた。


 しばしの後、寺田は頭を上げると、花壇を指して訊いた。


「ところで和木どの。あそこに咲いている、黄色い花は、もしかすると向日葵か?」


「ああ。よく知ってたな。たしかアメリカ原産の花だってテレビで聞いた気がするけど、江戸時代にはもうあったのか?」


「あった。少なくともそれがしのいた頃には、これと同じような形で伝わっておった」


「へええ。そんな古くからか。意外なもんだな」


「全くだ」そう言った寺田の顔は、なぜか少し嬉しそうだった。

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