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11.身の上話

「それがしは下野国宇都宮より出でて参った」


 そう言って男は、話を切り出した。


「前主君、忠真公に仕える者の中に、服部弾正景直という者があった。この者、赤毛に色白という類いまれなる造作に加え、並外れた美貌を持っていたため、忠真公から大層な寵愛を受けておった。だがそれを笠に着て、他の家臣に対して振舞い甚だ暴慢に過ぎたため、城中では一番の鼻つまみ者だった。しかし忠真公の死去後、跡継となった忠余公は一転して弾正を忌み嫌ったため、以来奴は気が立った日々を送ることとなった。そんなある日、弾正は城下で、自らと同じく白皙の美少年、矢口主計と偶然出くわした。弾正はこの矢口に興奮を覚え、一目で惚れ込んでしまった」


「それって要するに男同士? つまり弾正はゲイだったってこと?」和木は言った。


「別に驚くことないわよ」志徒子が答えた。「『衆道の契り』って言ってね。江戸時代までの日本では女色と男色とが対等の扱いだったのよ。バイセクシャルってことね。あなたも一応日本史専攻なんでしょ。どうしてそういうことを知らないの?」そして侍男へと向き直ると、「さあ、寺田さま、お話をまた戻していただけませんか」


 うむ、と頷き、男は話し始めた。


 弾正はつかつかと近寄っていくと、「自分はお主のことを気に入った。次回会うときまでにこの想いを容れてくれなくば、こちらにも所存があるから、そのつもりでいろ」と言い捨てて立ち去っていった。


 哀れなことに、元来が柔弱だった矢口はこの脅迫にすっかり震え上がってしまい、邸から外へ出ることも無くなり、なんと数ヶ月後には、気の病がこうじて亡くなってしまった。


 これを聞いた忠余公はご立腹甚だしく、弾正に相応の処罰を命じた。


 だが弾正はそれに従わず、散々と忠余公への誹謗をした挙げ句江戸へ出奔してしまった。


 もちろん忠余公の怒りは一通りではない。即刻弾正を探し出し罰するため、会議の上、藩士に剣術を教える身の者たちから、腕の立つ三人を選び出し、討伐の任にあたらせた。


 三人は江戸に居を借り、弾正の行方を捜すことにしたが、最初のうちは密にとられていた藩との連絡が、あるときをさかいに、突然に途絶えてしまった。三人の骸が大川に浮かんだのは、それからまもなくのことだった。


 何と弾正は、三人を相手にして、それらどものことごとくを返討ちにしてしまったのだ。そして返討ちにあった三人の中のうちの一人に、それがしの父、寺田東市郎がおった――。


 そこまで言うと男はしばしの間口を噤み、また話し始めた。


「それがしは即、弾正を討つ決心をした。忠余公に申し出、一族の者と挨拶を交わした後、藩を出た。享保十八年のことであった」


「享保十八年か。なら一七三〇年ごろね」志徒子が呟いた。


 うへえ、冗談じゃない。和木は胸の内で呟く。こいつ、二百何十年も前の人間だってのか? そんなの到底信じられるか。


「それがしは江戸をはじめとして、各地に弾正の姿を求め、歩き続けた。だが弾正と出くわすことは、なかなかにかなわなかった。弾正のものらしき刃傷の噂を聞いて、彼の地に駆けつけるも、すでに奴の姿は消えていて、そこには家族や主を亡くした者たちが残されておるばかり、というありさまだった。それでもそれがしは、弾正という男の手口や振舞い、そして行き先にまつわる情報などを少しずつ集めていった。結果、とうとう奴の行方に関する大きな情報を掴んだ。それがしは熊野十二所権現社近くで待ち伏せた。短くも長い時が流れ、とうとう現れた弾正と、道の真ん中で相対した。だが弾正は強かった。あっけなくも太刀を捌かれ、それがしはもはやこれまでというところになった。そのとき、摩訶不思議なことが起こった。懐中に収めていた護符が、にわかに目も眩むような光を放ち始めたのだ。この世界の灯もたいそう明るいが、それがしが見た光は、それ以上の目映さであった。それがしはその奇っ怪な光に包まれ、不甲斐ないことにそのまま気を失っていた。そして目覚めると、この世界へと来ていた」


「どうもその護符がキーアイテムみたいね」ふて腐れて寝転がっている和木の横で、志徒子がつぶやいた。


「寺田さまはその御符をどこで手に入れなさったのですか?」


「郷里を発つ前、祖先の霊に参るため、菩提寺の感能寺を訪れた。その際、和尚である怡渓(いけい)阿闍梨(あじゃり)からいただいた」


「失礼ですが、ちょっと見せていただけますか? その護符を」


 侍男は、ここで少しばかりの逡巡をみせた。が、やがて懐に手を入れ、一通の封筒のようなものを差しだして見せた。


「ほらほら、和木もそんな恰好で横目でちらちら視線送ってないで、きちんと起きあがって見なさい」


「何だよ。志徒子ばっかり一方的に仕切るなよな」そう文句を言いつつも命令にしたがい身体を起こし、和木は侍男の手にある護符とやらを覗き見た。


 長方形に折り畳まれた和紙の上段に筆で、「享保十八年」と書かれてあり、その下、中段には「義」。そして下段には梵字だろうか、ともかく和木には判読不能な文字で何やらぐにゃぐにゃと書かれてあった。


「それで寺田様は何年間この護符を持ち続けていらっしゃるのですか?」


「それがしが故郷宇都宮を出てから、十年が経つ」


「じゅ、十年?」和木は思わず声を上げた。


「それじゃ十年間もその仇だか悪党だかをずっと追い続けてきたって言うのかよ?」


「確かに長いわね」志徒子が呟いた。


「人にはそれぞれ天より与えられたつとめがある。それがしにとってそれは、弾正を討つことだ。そう思ってこの十年をひたすら奴を追うことに費やしてきたまでのこと」


 気がつくとまた、菫がすすり泣きを始めている。


「そうなんです。十年もの間、一生懸命捜し続けていたって聞いたら私、涙がどうしても止まらなくなっちゃって」


「だからさあ」溜め息を吐きながら和木は、「そういう言葉を一々本気で信じるなっていうの」


「だからねえ」志徒子が言った。「和木はそうやって、人様の話を一々否定しようとしないの。この人の顔をよく見てごらんなさい?嘘ついたり、頭が変になっているように見える?」


 志徒子に言われ、渋々和木は侍男と眼を合わせた。特徴的な丸い眼だった。瞳は澄んで、曇りのかけらもない。気負いもせず、ただ真っ直ぐに和木を見返していた。


 しばらく視線を合わせた後、和木のほうから目を逸らした。


「わからねえよ。眼を見ただけじゃ」精一杯の強がりで和木は言った。「外見はまともそうでも頭の中がおかしくなっている奴なんて、いくらでもいるだろう。それにこいつの身長は何だ? 江戸時代の日本人の背丈は、今よりもずっと低かったんだろ。なのにこいつ、俺とたいして変わらない背の高さじゃないか」


「それはあくまでも平均身長の話よ。江戸時代だって、上背のある人はちゃんといたの。全く、相変わらず変なところで頑固よね。あなた」


 和木は思わずむっとする。頑固なのは志徒子のほうだろう。


「でも寺田さま。本当に、よくそんな長きにわたって、信念を保ち続けられましたわね」心底感服したように志徒子が言った。


「仇討ちを目指し故郷を出たものの、長年の緊張と労苦、路銀の工面の生活に耐えきれなくなって、結局自暴自棄になってしまう人がとても多かったと私は聞きましたが」


「いかにも」男が頷いた。


「無念なことであるが、志徒子どのの言うことに相違ない。仇討ちを成功する者の数は、目指す者の百人に一人にも満たない、と聞き及んだこともある。だからこそ、見事仇を討った者たちのことは、瓦版になったり、ときには芝居の演目になったりするのだろう」


「立ち入ったことをお聞きしますが、寺田さまが仇討ちを諦めなかったのには、先ほどおっしゃった『自らのつとめ』という想い以外にも、何かきっかけがおありだったのではないですか?」


「それは」そこで男は少し言いよどんだ。が、やがて意を決したように、


「それがしは故郷を発つその日、梅という女子とある約束を取り交わした。約束とは無論、父の、そしてその他殺害されていった者たちの仇である弾正を必ず討ち取り、帰参するというものだ。梅とは従妹であり幼なじみ。父の一件がなければ、やがて所帯を持つはずであった。だがそれがしが宇都宮を発ってから二年の後、梅は流行り病にかかり、あっけなくもこの世を去ってしまった。無論宇都宮家中を出でたそれがしは、梅の死に目にも会えなかった」


 男は少しのあいだ口を噤むと、また話しはじめた。


「だが梅が逝ってしまっても、約束は消えていない。むしろ死んでしまったからこそ、心の内でさらに強固なものとなったといえよう。今、それがしはこうやって別の角筈へと渡って来てしまった。おそらくここは、弾正と太刀をあわせた地からは、相当に隔たった場所なのだろう。だが自らのつとめと、梅との約束を忘れたわけではない。いつかまた元の地へと戻り、再び弾正を探しだし、今度こそは討ち取ってみせるつもりである」


 それからしばらく話をした後、志徒子は家を辞した。


 帰り際、菫は茶も出さなかったことを、しきりに志徒子に詫びていたが、もちろん志徒子はそれに笑って応じた。夜道を駅へと送るため、ともに家を出た和木に志徒子は言った。


「和木。観念なさい」


「何をだよ」


「あのお侍、寺田さんの言っていることには嘘はないわ」


「そんなこと、あらかじめ憶えておいた作り話をしているだけかもしれないじゃないか」


 あのね、と志徒子は溜め息を吐いた。


「そんなことを、このあたしたちの前で喋って、あの人に何の得があるの?」


「それは――」言葉に詰まる和木に、志徒子はさらに言った。


「ともかくあたしは思うの。あの人、寺田さまは本気でものを言っているわ。あの大小の刀と同様、話も本物。本当に過去からやって来たお侍さんよ」

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